Facebookごとう 孝二さん投稿記事「赤い花は赤く咲け 白い花は白く咲け」
この言葉は、ある本にこんなエピソードと共に載っていました。
「私には3歳年上の姉がいます。私と違って成績も良く、活動的で、生徒会長や部活動の部長もつとめる自慢の姉でした。
それが中学に入学したとたん、『○○ちゃんの妹なのにね』と先生に言われ、家でも『お姉ちゃんと比べてあなたは』と落胆され。
それまで活発だった私は、日に日に内向的になっていきました。
そんなある日、姉を3年間担任していた先生に突然呼び止められ『もらってくれる?』と色紙を渡されました。それにはとてもきれいな字でこう書かれていました。
『赤い花は赤く咲け 白い花は白く咲け』ずーっと無理していた私は、職員室の中にもかかわらず、ぼろぼろ泣き出してしまいました。
優しくなでてくれた先生の手とその言葉は、今も忘れることのできない宝物です」
人には、その人だけの役割があるのだと思います。神様が「あなたには、これ」と与えてくれた役割が。それは、世間一般の人とは違うことかもしれません。今は見えないかもしれません。小学生で見つかるかもしれないし、大人になってからかもしれない。
ここでできることかもしれないし、地球の裏側で必要とされることかもしれない。
それは誰にもわからない。でも、絶対にある。あなただけの「何か」が。
その手がかりとなるのが「好き」なこと。「得意」なことを目指す。それに向かって動くこと。
「赤い花は赤く咲け 白い花は白く咲け」 自分を活かし自分を信じ、自分色の花を咲かせてください」たくさんの拍手に送られ、人生を歩んでください。
「この拍手が、あなたの門出となりますように」…。
https://ameblo.jp/bonbu-koki/entry-12578682253.html 【赤い花は赤く咲け 白い花は白く咲け】より
PHP文庫の「コトバのチカラ」という、一般の方の実話を集めた本がある。
数年前、ある寺院の法座(僧侶が仏教を話す場)でご紹介があった本の中の実話を、
今日は掲載(転記)したい。自分のお寺で聴聞(僧侶の話を聴くこと)をしているつもりで読んでいただきたい。
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赤い花は赤く咲け 白い花は白く咲け
この言葉をいただいたのは、中学校に入学してしばらく経った頃のことでした。
私には三歳年上の姉がいて、私と違って成績もよく、活動的で、
生徒会長や部活動の部長も務める自慢の姉でした。
それが、中学に入学したとたん、そうした姉の妹として期待されたのか
「〇〇ちゃんの妹なのにね」と姉を知っている先生方に言われ、
家でもテストの結果が出れば「お姉ちゃんは20番以下に落ちたことはないのに」と落胆され、それまで活発だった私が日に日に口数も減り、内向的になってしまうほどでした。
そんあなある日、姉を三年間担任してきた先生に突然呼び止められました。
それまでは挨拶しか交わしたことがなかったのに、「今年で先生辞めることになったの。
これが先生として最後の作品なの、もらってくれる?」と色紙を渡されました。
国語を担当している先生で、書道部の顧問も務めておられました。
そこには、とてもきれいな字で「赤い花は赤く咲け 白い花は白く咲け」と書いてありました。
そして、端に小さく「ありのままに生きる姿は何よりも美しい。自然に素直に。生き生きと」と。
ずっと、無理してきた私は、職員室の中にもかかわらずボロボロ泣き出してしまいました。
思っていたより、こんなに傷ついていたんだと、自分でも驚きながら、溢れてくる涙を止められませんでした。
優しくなでてくれた先生の手の温かさと一緒に、その言葉は三十歳になった今でも忘れることができない宝物です。
その日を境に気持ちが楽になり、以前のように明るさを取り戻すことができました。
その先生はもう他界されたと人づてに聞きましたが、昨年生まれた娘に「ありのままに、生き生きと」と言う意味で、真実の真に生きるで「真生(まお)」と名付けました。
新関里江(30歳)
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この実話をもとに、ここからはbonbu-kokiが書いていく。
浄土教(浄土宗、浄土真宗、時宗等)で大切にされるお経のうち、「阿弥陀経(あみだ きょう)」というお経がある。
その中に青色青光(しょうしき しょうこう) 黄色黄光(おうしき おうこう)
赤色赤光(しゃくしき しゃっこう) 白色白光(びゃくしき びゃっこう)
という一節がある。
青い色が青く光り、黄色い色が黄色く光り、赤い色が赤く光り、白い色が白く光る。
なんだ、当たり前じゃないかと思うのだが、私たちはというと、本当は黄色なのに、青く光りたがり、白なのに、赤く光れと周囲に責められる。
その結果、自分はいったい何色だったかを見失う。(色を全部混ぜるとグレーになると聞いたことがあるが、「グレーゾーン」のグレーはまさに 曖昧 と言う意味があると思う)
この阿弥陀経の一節からスマップの「世界にひとつだけの花」の歌詞ができたのは有名なエピソードだが、童謡、「チューリップ」の歌の如く、「♬ どの花みても きれいだな ♬」が、仏教の、仏さまの世界である。
「見られていると知らずに、気にされていると知らずに、見守られていると知らずに」私たちは生きている。
しかし、この先生のように「見て、気にして、見守ってくれている」方が必ずいるのである。
この場合、この先生のような「慈悲の心」のことを、仏様、観音様、菩薩様という。
明日は、「心に響く言葉」という本から頂いた、法話を紹介したい。
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