Faceboo清水 友邦さん投稿記事
瞑想の長い伝統を持っているのは仏教です。
不安がある自我は、防衛の塊なので瞑想が不十分だと他者との間に境界線を引いて、自分を守ろうとします。
それで、仏教も多くの宗派に分かれてしまったのでしょう。
そして、瞑想の状態を示す用語が多くなってしまい、分かりにくくなっています。
ここで、日常会話で使われない仏教用語を、すべて詳しく説明してしまうと何十冊もの分量になってしまいますので、知らない専門用語はとりあえず無視して読み進めると、少しは読みやすくなると思います。
インドのウパニシャッドに出てくる意識は次の三つの状態があります。
1、目覚めた意識(日常意識)グロス(粗大)の領域
2、眠って夢を見ている意識 サトル(微細)の領域
3、熟睡して夢を見ない意識 コーザル(元因)の領域
それを仏教は欲界、色界、無色界に分けています。
欲界(五蘊・十二処・十八界)は肉体の感覚器官の物質的領域です。
欲界よりも微細な色界を仏教の古い文献のアビダルマ・コーシャ(倶舎論)は次の四つの状態(四禅定)に分けています。
第一禅定はアビダルマで「尋伺(じんし)の鼓動によって心は水の波浪のように乱される」とあります。
尋(じん)とは物質的な対象のことで伺(し)は非物質的な思考や感情のことです。
マインドは外部の刺激を受ける物質的な感覚的経験の領域にいます。
マインドは刺激に反応して機械的に行動しています。
瞑想の初心者は肉体から生じる様々な感覚に振り回されます。
瞑想の障害
1、心が重く、眠気に襲われる
2、集中力がなくなり、注意深さが欠ける
3、思考が頭を駆け巡り、興奮する
4、やる気がなくなり、怠慢になる、瞑想に関心がなくなる
今ここに集中していると現在にいられるようになりますが、それは過去と未来を切り離した現在にいるだけです。
努力して作り出した現在なのです。
それでも、苦(ドッカ)にある人の心は喜 (ピーティ)が生じて楽になります。
努力している瞑想は努力をやめると、もとの苦(ドッカ)がある日常意識に戻ってしまいます。
第二禅定
感情や思考の観察があるていど維持できるようになります。
尋(じん)と伺(し)を対象化することで喜 (ピーティ)と楽(スッカ)が生じます。
パーリ語の喜 (ピーティ)は
小喜(鳥肌が立つように小さく生じる喜び)
刹那喜(光る稲妻のような瞬間の喜び )、
継続喜 (海岸に寄せる波のような喜び) 、
躍喜(躍り上がるような喜び) 、
遍満喜 (全身に長く染みわたるような喜び )
の五種類あって遍満喜が最高とされています。
砂漠で疲労困憊した人が水を見たり、それを聞いた時が喜 (ピーティ)で木陰に入ったり水を飲んだりした時が楽(スッカ)と説明されています。
第三禅定
肉体的感覚が失われ、自他の区別がない、恍惚状態、楽(スッカ)の境地です。
光や愛や至福に包まれる非物質的な領域を体験しているサトル(微細)の領域です。
第四禅定
喜悦 (ピーティ)と楽(スッカ)が静まって気づきだけがあります。
無限の空間と永遠の時だけがあるコーザル(元因)の領域です。
観照者がすべての状態を観照しています。ただし、仏教では無我なので観照者とはいいません。
テラワーダ仏教は
1尋(ヴィタッカ )
2伺(ヴィチャーラ)
3喜(ピーティ)
4楽( スッカ)
5一境性(いっきょうしょう、エーカッガター )
の五禅支(ごぜんし)に分けています。
四禅定をまとめると
初禅 尋、伺、喜、楽、一境性
二禅 喜、楽、一境性
三禅 楽、一境性
四禅 一境性(対象に気づいている心)
瞑想が進むに従って5つの心が消えていくという説明です。
特定の対象に同一化しないので囚われなくなるわけです。
異なる言い方をすれば、高次の意識は含んで超えていくので自覚の領域が増えていきます。
アビダルマは、色界の四禅定のその先に、四つの無色界を設定しています。
1、身体を忘れ、空間の広がりだけが感じられる「空無辺処(くうむへんしょ)」
2、空間の感覚が消え意識の働きだけの「識無辺処(しきむへんしょ)」
3、とらえる対象が何もないという「無所有処(むしょうしょ)」
4、意識があるともないとも言えない「非想非非想処(ひそうひひそうしょ)」です。
仏典に仏陀がアーラーラ・カーラーマという師について無所有処(むしょうしょ)定という境地に達しましたが、大きな心境の変化がなかったので去ってしまった、という記述がでてきます。
次に、ウッダカ・ラーマプッタという師について、非想非非想処(ひそうひひそうしょ)定という境地に入ったが、何の益もなかったので立ち去ったことになっています。
初期の仏典には、空無辺処(くうむへんしょ)定と識無辺処(しきむへんしょ)定の記述はでてきませんが、後にあらわれた大乗仏教の教典に出きます。
大乗仏教の教典には、さらに四つの無色界の上の最高の境地「滅想受(めつそうじゅ)定」があります。
「滅想受(めつそうじゅ)定」は、大涅槃経に出て来ますが古い時代の原始仏教経典のサンユッタ・ニカーヤには出て来ません。
滅想受定(めつそうじゅじょう)は、「心のはたらきがすべて尽きてしまった」という意味のニローダ・サマーパッティ(nirodhasamāpatti)の訳ですが、これは思考の働きが静かになったノーマインドのことだと思います。
ウッダカ・ラーマプッタの非想非非想処(ひそうひひそうしょ)は、初期の仏典では仏陀の教えでもあり、最高の瞑想状態でした。
「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想い無き者でもなく、想いを消滅した者でもない。このように行じた者の形態は消滅する。けだし世界のひろがりの意識は想いを縁として起こるからである。」(中村元『原始仏教の思想下』春秋社)
非想非非想処(ひそうひひそうしょ)は、認識作用がないノーマインドの状態、つまり目撃・観照があるだけの状態です。
その非想非非想処(ひそうひひそうしょ)よりも上の境地を後から設定して、仏教の教えが優れていることにしたのでしょう。
そうして、非想非非想処(ひそうひひそうしょ)は、劣った外道の境地にされてしまったのです。
大涅槃経では「滅想受(めつそうじゅ)定」とは、別な境地を涅槃(ニルバーナ)と言っています。
涅槃は消滅を意味します。
では、一体何が消滅するのかが問題になります。
原始仏教における涅槃
https://onl.sc/tFRUHVZ
仏典は涅槃を心身を残している有余涅槃と、何も残っていない無余涅槃に分けています。
初期仏教の時代、仏典を研究して論争し教義をたてることを好むアビダルマ論師達と呼ばれる人々と、ひたすら瞑想にはげむ瑜伽行派(ゆがぎょうは)とよばれる実践派の人々がいました。
今でいうと理論家と臨床家にあたります。
アビダルマでは、瞑想の状態を9つのレべルに奇麗にまとめています。
瑜伽師の体験を基に、アビダルマ論師達が整合性を待たせる為に作り上げた知的な概念だからなのでしょう。
無色界は、マインドを超えているので記述出来ない世界です。
禅では不立文字と言っています。
道と名付けた瞬間に、道は道ではなくなるのです。(老子道徳経「道可道、非常道」)
自我は、言葉で結ぶ世界でしか見ていないので、自分が妄想の中で生きているということに、気がついていません。
言語を超えた世界を無理に記述しても、統合されていないマインドは、理解できないので誤解してしまいます。
自我は、自分と世界の間に境界線を作って、自己イメージに合わないものを排除しようとします。
仏教以外の教えは、すべて外道と呼ばれました。
玄奘三蔵もヒンズー教徒を劣っているとして外道とよんでいます。
その仏教も分裂して、仏教集団を大乗(マハーヤーナ)仏教と小乗(ヒーナヤーナ)仏教に分けて、自分の方が優れた大きい教えとしました。
華厳経は、五十二の修行の段階が示されていて、十信・十住・十行・十回向という四十もの段階を経て始めて、最後の菩薩道に入る事ができるとされています。
その十段階を「十地」と呼んでいます。華厳経の十地経の元はマイトレーヤーの喩伽師地論(ゆがしじろん)でした。
十地の最初の境地は歓喜地ですが、ところが、それに達したのは、中観のナーガジュルナ(龍樹)と唯識のアサンガ(無著) のたったの二人しかいません。
最後の境地の法雨地(ほううんじ)まで達したのは、釈尊ただ一人というわけです。
それ以外の仏教徒は皆レベルが低いと言いたいようです。
小乗(ヒーナヤーナ)仏教の修行を完成した最高の境地は、阿羅漢果(あらかんか)でしたが、その境地を大乗(マハーヤーナ)仏教は、自己の救いだけ求める縁覚(一人行く者)としてレベルの落ちるものとしました。
そして、人々の救済のために尽くす自利と利他を実現する菩薩を阿羅漢果(あらかんか)よりも上とする論理を展開しました。
小乗仏教は差別的な名称なので、呼ばれた仏教徒は自分たちを小乗仏教とは呼びません。テーラワーダ(上座部)仏教と呼んでいます。
対応して呼ぶと、大乗仏教は下座部仏教になるわけです。
その大乗仏教の集団も分かれて、それぞれ自分の宗派が一番優れているという考えを起こしていました。
(天台智顗の五時八教の教相判釈、華厳法蔵の五教十宗、浄土善導の「観経疏」、空海の十住心論など)
商売は同じジャンルの競争相手と競っています。
大乗仏教のロジック(理由付け)は、他店との商品の差別を明確にして地域一番店を目指す、営業戦略のようなものです。
仮面(ペルソナ)と影(シャドー)によって構成されている自我は、境界線の外側に自分の影(シャドー)投影して、自分のほうが優れていると安心したいのです。
意識の発達には、目覚めの状態と成長の段階の異なる二つの領域があります。
西洋は、自我の発達モデルに注目して、目覚めの状態は無視されました。
逆に東洋では、無我が尊ばれて意識の成長段階が無視されたのです。
自我意識の発達は、仏陀の時代のレッド(伝統的衝動的)から中世から近世にかけてオレンジ(合理的)に、そしてグリーン(多元的)と成長してきました。
レッドやオレンジの時代のマインドは、自己中心的な段階にいる為に認知の歪みが生じます。
そのために、カテゴリーエラー/範疇錯誤(はんちゅうさくご)を起こして、意識の段階を間違って見てしまうのです。
空海は、蝦夷を人間ではなく、心が獣で人を食う鬼の類であると言っています。
これは空海だけでなく、当時の貴族社会の人々の共通認識でした。
すべての存在は、あるがままで完璧な存在ですが、マインドはその時代の文化・歴史・社会の影響を受けています。
それは空海だけではなく歴代の師家(しけ)たちも例外ではなかったのです。
日本の禅の師家たちは戦争を擁護しました。
禅だけでなくすべての仏教宗派は戦争に加担しました。
「僧侶の立場で、戦闘員になるためらいはなかったのですか。僧侶として不殺生戒の矛盾を感じることはなかったのですか」との問いに
「そんな疑問は一切、感じませんでした。周囲のお坊さんを見回しても、戦争に反対している人は見たことがなかった。幼少の頃から、『戦争への非協力はすなわち非国民である』として教えられてきました。だから、今考えると、戦時中は宗教家としての観念や、生死を説くということなどは何もなかった。戦争中の宗教は、何の役にも立ちませんでした。戦後、多くの仏教教団が戦争の反省や総括する余裕がなかったことは残念です」鵜飼秀徳著「仏教の大東亜戦争」 従軍僧「北川一有」証言
隣人愛を説くキリスト教の牧師たちは、戦争に勝利するように兵士を祝福しました。
二元性を超えた本性に気づいたとしも、マインドは特定の段階に同一化したままなのです。
分離したマインドは、自分が特別な優れた存在だという考えに囚われています。
意識の成長は、自己中心的な段階からより高次な段階への変容に従って、自己中心性が縮小していきます。
ですから、探求者は目覚めと成長という二つの異なる道の両方を歩まなくてはならないのです。
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