ルーツ

Facebook大覚院 真観 さん投稿記事

第一章、ムー大陸から始まる人類の歴史

1,昭和天皇も認めた古文書と大和前王朝の存在

 さて、『竹内文書』などの日本の古文書によると、「上古」と言われる日本そして世界の超太古十三万年前に、プレアデスのテーラー太陽系にあるリラ星という惑星から、シリウス経由で地球にやってきた「イシュヴィシュヤワエ」を代表とする集団、すなわち、私たち人間からすると”神々”といえる存在(意識体?)がいたそうです。私は、特殊な幾何学模様の宇宙文字のような「カタカムナ文字(プレアデス文字?)」を使う彼らを「カタカムナ人」と呼びます。

 このことはニュージーランドの原住民ワイタハ族にも伝承されており、実際、一九三〇年代にワイタハ族の族長が日本を訪れ昭和天皇に謁見、「自分たちはムー帝国の皇帝の末裔であり、日本の天皇家は本家筋にあたる」と伝えたそうです。原初の彼らカタカムナ人は半霊半人(肉体を持った神人)」だったようです。

 ところで、旧約聖書には「ノアの箱舟伝説」という話があります。人類の堕落に激怒した神が天変地異を起こし、やがて大洪水が襲ってくることを知ったノアは箱舟を作り、人々に危機を知らせましたが誰も信じませんでした。そこでノアは家族や善良なる人々、そして動物たちとともに箱舟に乗り難を逃れます。

このように、世界には「ノアの箱舟伝説」に類似した伝承としてイスラエルの「天地かえらくの大洪水」をはじめ、ロシアやインドにも、そして日本の古文書にも「天皇(スメラミコト)たちが眷族や従者を引き連れ、「天の浮舟」あるいは「高天使鶏(こまかけ)」という飛行体 に乗って飛騨高山方面に避難し、水難から逃れた」との記述があります。そして、この飛騨高山が記紀(古事記、日本書紀)でいう「高天原」にあたり、ムー大陸にいた天皇とその眷族(けんぞく)などのカタカムナ人が必死にたどり着いたのが、ムー大陸の西北にかろうじて隆起していた「山止(ヤマト)」すなわち「大和(日本)」でした。

 竹内文書によると、”太陽と水の国”ムー帝国(大陸)は「ミヨイ」と「タミアラ」の南北に分かれた二つの大陸からなり、これを反映してか、日本列島は”水の神”の象徴である二匹の龍が、それぞれ南北逆方向に向いて重なり合った形をしています。例えば、千島列島は北東向きの龍の髭を、南西諸島は南西向きの龍の髭を表しています。

 また、現皇室(大和王朝)の祖神「天照大神」は”太陽”を表していますが、「龍神」は”水”を表し、大和王朝以前の王朝の一つである「鵜芽葺不合(ウガヤフキアエズ)王朝」の祖神「宇賀神」にあたります。実際、「特牛(こっとい=コッティ)」などのシュメール語の地名が残る山口県西北部には「宇賀本郷」という地域が現存します。

 ともあれ、これら「大洪水」や「大水害(津波?)」の発生には、実は「ムー大陸」の陥没が関係しているのです。

 これらの点については、先述の『竹内文書』『宮下文書』『九鬼文書』などの複数の古文書にその詳細が記述されていますが、なぜか我が国の歴史学者はこぞってその真偽を疑い、これまで一貫して”偽書”と決めつけてきました。そして『記紀』や蘇我馬子と聖徳太子が編纂したとされる『國記』『天皇記』をもって真書としてきました。

 『記紀』や『國記』『天皇記』に共通しているのは、大和王朝以前の王朝や、神武天皇以前の天皇(古天皇、神皇)の存在、そして古代文字(以下、神代文字)の存在を認めていないことです。

 恐らく、その後、アジアにおいて力をつけた古代支那、近代以降において世界を席巻してきた欧米に配慮し、彼らより歴史の古い”邪魔者”とされた日本が攻撃、滅亡させられることを回避するための”國體の知恵”だったのではないかと推測されます。

 実際、約1300年前、満州と朝鮮半島、日本海周辺域に台頭していた「唐」が、新羅と連合して「白村江の戦い(663年)」で勝利した結果、日本の国政に干渉し、日本にあった固有の文字文化や、古代天皇家の記憶を消し去ってしまったようです。

 また、667年以降、九州の太宰府が唐による日本占領支紀の拠点となり、天智天皇はこの年の春、近江京に遷都し「漢字使用令」を出しています。

 唐による日本占領の実態には目に余るものがあったようで、後年、壬申の乱に勝利して唐による日本占領支配に終止符を打った天武天皇も、日本国内を跋扈する唐人に憤慨し「汝らのやからは、もとより七つの悪しきことを犯せり、常に汝らは謀りごとをもって事わざとなす」と日本書紀に記されています。

 ところが、実は、昭和の御代に昭和天皇から、”現代の書聖”と呼ばれる書の大家で古代文字の研究家の安藤妍雪(あんどうけんせつ)氏(岐阜県在住)が、秘かに伊勢神宮の神宮文庫に所蔵されていたこれらの古文書や古代文字の真贋の判定と解釈を依頼され、その討覈(とうかく)の結果、昭和天皇もそれらの驚愕する内容を非公式ながら認めていたのです。

 実際その後も、例えば、先年に開催された世界水フォーラムで当今陛下(今上天皇)はビデオメッセージを送られ、その中で「我が国には古来、水を神とする思想があった」と龍神、すなわち「宇賀神」について触れておられます。これは太陽神天照大神を唯一絶対の祖神とする日本皇室においては極めて異例なことで、神道関係者を中心に波紋を呼びました。

2,古文書に記載された「古天皇」と「神皇」    一般に、ざっくり分けると、神々には、肉体を持たない「霊体神」と、密度の薄い高周波波動の肉体を持っ「半霊身神」、肉体を持つ「応身神」がいますが、天皇はこれに対応して「神皇」と「古天皇」と「現人天皇(人間天皇)」に分かれます。 これは人間社会(意識)の進化の度合いに対応していて、人間の生命体でいうと、アストラル体(深層意識体=魂)→エーテル体(無意識体=霊)→マインド体(意識体=心)に対応します。  そこでまず、「上古(超古代)」の天皇から、古文書に登場する名称の一部を紹介すると以下の通りです。  上古第一代二十一世天日豊本葦牙気皇主身光大神天皇、上古第二代三十三世造化気万男身光天皇、上古第三代二十四世天日豊黄人皇主身天皇、上古第四代二世天之御中主神身光天皇、上古第五代二十二世天八下王身光天皇、上古第六代二十二世天目降美身光神天皇、上古七代二十一世天相合美身光天皇、上古第八代二十世天八百足日身光天津日嗣天皇、上古第九代二十二世天八十万魂身光天津日嗣天皇、上古第十代二十世高皇産霊身光天津日嗣天皇、上古第十一代一世神皇産霊身光天津日嗣天日天皇、上古十二代十八世宇麻志阿志訶備比古遅身光天津日嗣天皇、上古十三代十九世天之常立男身光天津日嗣天日天皇、上古第十四代二十二世国之常立身光天津日嗣天日天皇、上古第十五代十八世豊雲野根身光天津日嗣天日天皇、上古第十六代十六世宇比地煮身光天津日嗣天皇、上古第十七代十一世角ぐひ身光天津日嗣天日天皇(『ぐひ』の字が変換できません)、上古第十八代一世大斗能地王身光天津日嗣天日天皇、上古第十九代十五世面足日子身光天津日嗣天日天皇、上古第二十代一世惶根王身光天津日嗣天日天皇、上古第二十一代十六世伊邪那岐身光天津日嗣天日天皇、上古第二十二代十一世天疎日向津比売身光天津日嗣天日天皇、上古第二十三代七世天之忍穂耳身光天津日嗣天日天皇、上古第二十四代五世天仁仁杵身光天津日嗣天日天皇、上古第二十五代八世天津彦火火出見身光天津日嗣天日天皇、不合朝第四代玉嚙彦天津日嗣天日天皇、などです。  一方、世界十二か国に派遣された「十二皇子」 は、子…日受万根本一位主尊、丑…福来根主尊、寅…戸日開光出尊、卯…東宇産大出彦尊、辰…天立繁辰主命、巳…天下身力己陪利尊、午…天日受午目主尊、未…万色造主尊、申…天方陪猿日主尊、酉…万福酉主尊戌…万宝長居伝主尊、亥…豊受持来主尊、東…久久能智神、西…天之御中主美二神、南…造化氣万男、北…天一天柱主美二神、中…天日豊本葦牙氣皇美二神  次に、人類の起源は、およそ二十六万年前のアフリカを起源とする「ホモサピエンス」だと、欧米の人類学者を中心に言われていますが、天皇(スメラミコト)は、「黄金人」であるムーの王族(カタカムナ人)の眷族を、「黄人」「白人」「青人」「赤人」「黒人」の「五色人(いろひと)」に分け、世界各地の王族としてそれぞれの方面に派遣します。  このうちの主なものについて述べると、古代支那には「盤古」と呼ばれる「黄人」を、沿海州を経て崑崙、そしてメソポタミアに至ったのが「シュメール人(ウバイド人)」と呼ばれる「黄人」、中東北アフリカ方面には「壇族(後のユダヤ人)」と呼ばれる「赤人」を送ります。  この「壇族」というユダヤ十支族のなかの「ハタ族」は、故郷の日本を目指して中央アジアを東遷する際、シュメール人との混血を果たし後の秦氏、そして秦の始皇帝となり、朝鮮半島では「壇家」を名乗ります。 ちなみに、シュメール文明の研究家でユダヤ人のゼカリア・シッチンは、3600年周期の楕円軌道で地球に接近してくる惑星二ビルの存在を、シュメールで唯一の文献とされる「ギルガメシュ叙述詩が書かれた粘土板から解明。さらには核戦争で荒廃した二ビルの再生に、空中散布用の大量の砂金が必要だったため、アヌンナキと呼ばれる二ビル人たちは一部のユダヤ人やシュメール人に遺伝子操作を加え、今日の国際金融資本家に繋がる”金融人種”を創造、地球上にある黄金の採集にあたらせたといいます。 ところで、ペルシャ湾から海路で帰還(里帰り)してきたシュメール人は鹿児島県、和歌山県に達し、ユーラシア大陸を陸路から帰還したシュメール人は北部九州や山口県西部にたどり着き、後者からは「磐余彦(後の神武天皇)」を輩出したため、大和王朝以降の日本皇室との繋がりが深いといわれています。 以上がシュメール人やユダヤ人は原初日本人であるカタカムナ人の分流であり、故郷の日本を目指し、渡来(里帰り)した理由です。  これらの事実は近年発展が著しい遺伝子研究でも裏付けられており、日本人の四十五%に見られ、中韓人には見られない「YAP(-)ハプロD系遺伝子」は、世界中に分散した古代ユダヤ十支族とその末裔のチベット人(J系)や中南米のインディオ(Q系)、西ヨーロッパのスコットランド人(R系)などと同類であると科学的に認定されています。

 なお、最近「・・宮」などと皇族を自称する人物が現れ、他愛もない発言をネットで繰り返していますが、某有力議員を通じて宮内庁幹部や國體関係者に厳正に問い合わせたところ、①今上陛下が皇太子時代にこの人物の自宅を訪問した事実などないこと、②宮内庁がこの人物を呼び出し、皇位継承の意思確認を行った事実などないこと、③裏表の戸籍上、妾の子を含めどこにもこの人物の存在が出てこないこと、④この人物の祖父が昭和天皇の弟などではないことが確認されました。この人物は反天皇論の急先鋒・高橋五郎を信奉していることからその素性は怪しく、この他数名の人物鑑定に優れた専門家にも尋ねたところ、一様に口を揃えていうことは、この人物の言動や所作に宮としての何の威厳も品格も感じられず、ただ「軽い!」ということでした。この件に関しては、目下これでメシを食っている恩人、友人もいることに鑑み、私がこれ以上言及することはありませんが、皇統護持に命を懸けている”国権派壮士”のなかには「聞き捨てならぬ」と感じている者が少なからずいることだけは伝えておきます。

 さて、これから先の内容は、出版物として発刊する予定ですのでそれまでの間、しばらくお待ちいただきたい。なぜ今回、急遽出版を決意した理由は、2025年~2026年あたりにおいて、人類にとってその存亡にかかわるカタストロフィ(大破局)が近づいているからです。昨今の連日の猛暑を見ればわかる通り、もはや「SDGs」や「カーボン・ニュートラル」などでは地球温暖化を鎮めることは時間的に不可能で、熱帯化した北半球と寒冷化した南半球を入れ替える「地軸の南北反転(180°ポールシフト)」と「ムー大陸の浮上」をやるしかないからです。そしてなによりも重要なのは「これまでの政治的対立を乗り越え、人類が一丸となる」ことです。この計画を理解するために私は、カタカムナ哲学をヒントに量子物理学や電磁気物理学を学んできました。その具体的方法やメカニズムは拙著に譲るとして、一言だけいうと「HAARP]と「CERN」が関わっています(カタカムナ最終計画)これを理解するために私は、カタカムナ哲学をヒントに量子物理学や電磁気物理学を学んできました。その具体的方法やメカニズムは拙著に譲るとして、一言だけいうと「HAARP]と「CERN」が関わっています(カタカムナ最終計画)。


<世界文明の起源だった”カタカムナ物性哲学”>

1,先住縄文人のルーツについて

 古代インドのウパニシャド哲学や仏教、神道などの世界の宗教の基になったといわれている世界最古の「カタカムナ物性哲学」について解説します。

 「カタカムナ」とは「宇宙創造のメカニズム=神」という意味ですが、「カタカムナ物性哲学」では、人類がこれまで成し遂げられなかった「神(カミ=カム)」の存在証明ともいうべきメカニズム、すなわち、万物万象を生成させている「エネルギー」と、そのエネルギーの媒質や生成物である「素量子、量子」、これらに規則性あたえている「法則」が”三位一体”的に、幾何学的な図象文字で書かれた詩文を通して語られています。

 そういう意味で、カタカムナにおいて「神」は”人格神”的なもの(一神教)ではなく、あくまで「規則性を持った媒質とエネルギーの振る舞い(多神教)」です。

 この「三位一体」の発想は、日本神道の「造家三神」や、後年のキリスト教の「三位一体説」にもみられます。

 が、その起源はかなり古く、縄文土器・土偶研究家の渡辺仁氏によると、紀元前3200年ころ、長野県下伊那地方の諏訪大社周辺に「勝坂文化」という縄文文化があり、近辺から出土した人面深鉢土器には、逆方向の二つの円を両端につけたゆるやかなV字型のモチーフと、その真ん中に一つのスパイラルが下りている”三単位モチーフ”が施されているということです。

 また、諏訪大社の土着信仰である「ミシャグジ信仰」に「御室神事」という同社古来の神事があります。12月22日に御室という茅葺屋に大祝(おおほうり)という幼童の現人神、御笹を依り代に降りて来るミシャグジ神、三体の蛇(龍蛇神)で現れるソソウ神が入り、三か月間過ごしたのち、春に大祝が新しい穀物霊として御室からでるという神事で、”三位一体”を象徴しています。

 因みに、系図研究家・宝賀寿男氏の研究によると、諏訪(神=ミワ)氏は素戔嗚(スサノオ)後裔・事代主(コトシロヌシ)尊の弟・長髄彦(私の祖先・建御名方神)の後裔とされており、その分流・滋野(海野)氏を始祖と称する真田氏も長髄彦後裔の先住縄文人「カタカムナ人」です。なお、北部九州から東遷してきた安曇氏はのちに諏訪氏に合流したものと考えられますが、安曇氏のルーツについては未詳です。

 さらに、前出の渡辺仁氏によると、”三単位モチーフ”が施された縄文土偶と、旧石器時代後半に拡がったシベリアのアムール川下流域の母神女神像に類似性があり、両者は同じ妊娠・出産、さらには家神信仰の流れを持つことを検証しています。

 一方で、比較神話学者の大林太良氏によると、「三位一体」の発想はインドネシア諸民族にもみられ、また、民俗学者の岡正雄氏によると、縄文前期から中期前半まで関東地方でみられる乳棒状石斧や石臼、高床倉庫で使われた切妻家屋などの文化要素がニューギニア、メラネシアの古い文化と著しく類似していることを指摘しています。

 このようなことを考えると、日本列島には旧石器時代にアムール川下流域からやってきた狩猟文化(アイヌ文化?)と、黒潮に乗って南方からやってきた海洋文化が混在していた可能性が窺われますが、問題はこの南方が何を指すのかです。

 この点については、ニュージーランドの原住民ワイハタ族のシリウス伝承や竹内文書などに記された「ムー大陸説」、琉球大学名誉教授・木村政昭氏の「琉球古陸説」など様々な見解があります。

 しかし、目下、有力視されているのが、その人骨に特有歯形から、「ムー大陸」をタイからインドネシアにかけて紀元前3万年ころに存在したとされる「スンダランド」ととらえ、スンダランド人の北上をもってモンゴロイド、そして”縄文海人族”とする見解ですが、詳細は別稿に譲ります。

2、「カタカムナ文書」について

 さて、話を「カタカムナ」に戻しますが、「カタカムナ物性哲学」が書かれた「カタカムナ文書」は、1949年(昭和24年)に、兵庫県六甲山系金鳥山付近で大地の電位測定の為の調査を行っていた山口県出身(祖父が吉田松陰の弟子)の天才物理学者・楢崎皐月(ならざきこうげつ)によって発見された世界最古の哲学書・物理学書といわれています。

 楢崎は、山中で「平十字(ひらとうじ)」と名乗る猟師風の男性に出会い、楢崎を気に入った平が、彼の祖先から大切に受け継いできたという「カタカムナ神社」の御神体の巻物という文献を見せたという。これを見た瞬間、楢崎は、道教寺院の「蘆有三(ロウサン)」という道士から聞かされていた、上古代に日本に存在したという「アシアナ族」の八鏡文字(ハッキョウモジ)ではないかと直感。

 そこで、平にその巻物の書写を願い出ると平はそれを許可、それから平は金鳥山の楢崎が居住する穴倉に御神体を毎日持参し、書写を見守ったという。この時、写し取られたモノが「カタカムナ文書」で、その後、敗戦とともに日本に帰国した楢崎は研究を重ね、古事記その他の古文献を参考にしてカタカムナ文字の解読に成功します。

 「カタカムナ文書」が数万年以上前の旧石器時代に書かれた世界最古・最高の文献とされる理由は、古事記、日本書紀以前の竹内文書等の古史古伝が、せいぜい1〜3万年前の先史以降の天皇家を中心にした歴史を、各豪族の家伝という形で記録したもの過ぎないのに対し、「カタカムナ文書」においては歴史の記述らしきものがほとんどなく、宇宙論や生命哲学、さらには核分裂や核融合、反重力や電磁力などの自然科学の記述にまで及んでいるからです。

 加えて刮目すべきは、竹内文書などの古史古伝がアヒル草文字などの「神代文字」で書かれているのに対し、カタカムナ文書では幾何学模様の「宇宙文字」のような独特の「図象文字」が使われていることです。

 確かに、生物としての人類の人骨は、約二十万年前のものがアフリカで発見されています。しかし、カタカムナのような文書は世界に類を見ませんし、日本では世界最古の旧石器も発見されており、カタカムナ文書が突出して古いもの、すなわち、地球外文明にかかわるものではないかと推測される所以です。

 この「カタカムナ文書」は目下、所在不明とされていますが、仄聞するところによると、カタカムナ人長髄彦の後裔にあたる長国造がいた阿波国剣山か、三輪神社あるいは諏訪大社にあるとされています。

3、楢崎皐月と國體科学者秘密結社”化成会”

ところで、戦前の満州には日本を代表する英俊が集められ、國體科学者秘密結社”化成会”を作って様々な研究に従事、楢崎はその最高責任者となって、東条英機によって(?)予備役にされたといわれ、「東亜連盟」を作って活動していた石原莞爾、電磁波兵器の開発に従事した神坂新太郎、ナチスドイツのラインホルト博士、ハンス・カムラー技術大将らとともに秘密兵器開発に従事します。

 昨今、世界を混乱させている「新型(武漢)コロナ」などの細菌兵器開発に楢崎が関わっていたかは未詳ですが、外科手術や傷病者続出の軍にとっては必須のアヘンを原料にしたモルヒネ製造で巨万の富を築いた「星製薬」の星一と親交があり、星から今日のCTやMRIの元となる電気針の開発依頼を受け完成させたことからすると、関与していたとみる方が自然です。

 このほか、航空機エンジンに霧状の水を混ぜる水素燃焼エンジンを開発しゼロ戦に搭載したり、航跡が現れず敵に発見されにくい酸素魚雷などを開発しました。

 終戦後、満州から撤収した星は、アヘンの製造地をナチスドイツの入植地が多い南米に移し、笹川良一(統一協会)とともに密かに製造を続けます。

 一方、楢崎は星から「重炭素」の研究を依頼されますが、これは以前、道教寺院の「蘆有三」に見せられた”瞬間沸騰する鉄瓶”を作るためで、普通の炭素では鉄と融合しないからです。

 楢崎らは、このほかにも敵に察知されない世界最高性能のソナー(潜水艦の音波探知機)や絶縁オイル、人工石油、人工黄金、さらには荒地を掘って炭素を埋設、土地の損傷部位に集まる電子を利用した電位差発電や荒地の耕作地化などを成功させます。

 実際、楢崎は実験を重ね、竹、木、泥を焼いて粉にし、ミトロカエシ槽で熟成したコロイド状のゲルをまぜて、正四面体を三つ重ねたミソデの形に密着させたら、見事に発電したと証言しています。

 楢崎は、これらの技術を日本経済の基幹となる國體企業13社に無償で提供し、戦後の日本社会経済の急成長に大いに貢献しますが、原子力発電所の開発も含まれています。

 原子力発電所の開発は電力供給をその目的の一つにしていますが、最大の目的は、その結果生成される核兵器燃料の利用、つまり、「原爆の開発」ですが、これには私の母方の血縁者で”智慧伊豆”こと老中松平伊豆守信綱の子孫・理化学研究所所長の大河内正敏も関わっています(他に東京大学総長の大河内一男もいます)。

 そして、楢崎は1974年7月31日没とされていますがこれは偽装死で、アラスカに向かい地球の発する電磁力をエネルギーとして活用する「HAARP計画」の技術最高責任者となったと仄聞しています。が、同時に姿を消す直前、放射線を消す周波数を出す装置を完成させ防衛庁に無償で納入しました。

 なお、カタカムナ人は平均120歳まで生きたといわれています。それは無理な労働をせず、周り(ハタ)に木の実や天然穀物が生えている土地に住んで、たまに狩りや釣りをしたり、気楽(ラク)をしてきた一方で厳しい氷河期を迎え、あるいは火山列島たる日本の天災の中を生き抜くうちに直感や感性が研ぎ澄まされ、カタカムナ哲学が完成した(想起)と推測されます。

また、この辺りが、古代の日本において土木建設、養蚕業などの産業を興した「秦氏」や、急峻な山岳地帯で生き延びた「役行者(えんのぎょうじゃ)が、カタカムナ人ではないかと思われる所以です。 

4、カタカムナ宇宙論

 いよいよカタカムナ物証哲学の中身に入りますが、まず、楢崎皐月が残した『静電三法』や『相似象学』によると、宇宙は「現象世界(目に見える世界)」と、「潜象(せんぞう)世界(目に見えない世界)」の二重構造をしており、潜象世界は現象世界の背後にあって両者は重なり、現象世界は潜象世界から生まれているとされます。

 また、地球が存在する宇宙は球状をなした有限で、宇宙球の外側には無数の宇宙球があり、大宇宙は無数の宇宙球で構成されており、一つの宇宙球の中に私たちが住む銀河系や太陽系が存在しています。

 このように宇宙の構造は「大宇宙、宇宙球、小宇宙(人間)」で構成されており、一つ一つの宇宙球は“大宇宙の意思”ともいうべき「カムナ」のエネルギーである「電(イカツミ)・磁(マクミ)・力(チカラ)」によって創造されます。

 一方、「アマナ」には、万物万象の素となる微分された素量子「マリ」が遍満しており、球状をしたマリは、現象系(結球性)に属し正電気的、陰電子的で右回り(右旋性)の渦をなす「サヌキ(イザナギ=男性)」と、波動系(微分性)に属し反電気的、陽電子的で左回り(左旋性)の渦をなす「アワ(イザナミ=女性)」が”対向発生(アマウツシ)”して陽と陰(正と反)になり、カムナの力(電磁力)を受けて”互換重合(カムウツシ)”し、現象界に出現します。

 さらに、陽と陰のマリが複合的に集まって(カラミ)、素量子「ミツゴ」が作られ、これら三つの要素が生命を含む万物万象の素となる量子になるメカニズムを「フトマニ」といいます(マニ思想の起源)。

 そして、宇宙球の外側のカム無限世界には、「カムナ」と呼ばれる”創造のヌシ”ともいえるエネルギー(電磁力)が存在しています。

 宇宙球内の万物万象は、アマナ(宇宙球の内側)とカムナ(宇宙球の外側)の共振によって相似象(フラクタル)をなして対向発生し、時間性と空間性(物性)を帯びたうえで正反の電子、陽子、反陽子、中性子、中間子、クォークなどの物質、反物質、プラズマなどの半物質を発生させます。

 このような宇宙球には、マリの遍満した潜象世界があり、その中心に渦巻き状のマリの密度の高い部分ができますが、これを「フトヒ」といい、フトヒとカムナが共振し、核であるフトヒから八方に恒星が正反の釣り合いをもって対抗発生し、銀河系、超銀河系などの天体ができます。

 宇宙球は、膨張したり収縮したりはしておらず(“ビッグバン”は誤り)、統計的に一定の大きさが保たれていますが、常時、一定の法則「マワリテメクル」にしたがった「ヒビキ(波動)」によって「対抗発生」と「互換重合」、そして「互換分離」と「対抗消滅」を繰り返しています。

5、太陽の実相と「電磁力ねじれ宇宙論」

 なお、「ヒビキ(波動)」は時間の”相転移(一種の状態変移)”によって生まれた「時間結晶」で、「空間結晶」である粒子とともに同一の時空(反宇宙)が正反対に畳み込まれています。実際、太陽の黒点に観測機を突入させたところ、しばらく分厚いプラズマ層を通過し、さらにコア(核)にも突入させたところそこはブラックホールになっており、突如、眼前に巨大な空間が出現するなど、巨大な”入れ子構造(フラクタル宇宙構造)”をなしているとの秘密実験の報告がなされています。

 つまり、太陽はプラズマ(電気を帯びたガス)に包まれた小さなコア(核)に過ぎず、中心から離れるほど高温を発しているのもプラズマの光が起こしている現象であるという説もあります。このことは地球をはじめとした他の天体についても当てはまり、媒質が岩石かガスか水素(地球)かの違いがあるだけなのです。

 そして、それぞれの天体は、それぞれの天体コア同士が電磁力線の渦巻運動によって結ばれています(電磁力ねじれ宇宙論)。これが地球をはじめとした太陽系の天体が、太陽の周りからつかず離れず、太陽の自転力に引っ張られる格好で公転しているメカニズムです。

 ちなみに、天体の自転は「右手握りの法則(フレミングの右手の法則も同じ)」で分かるように、地球でいうと北極から南極に向かって流れる電気に対し、90度の角度で発生する磁力線(ローレンツ力)によって生み出されています。

なお、 各天体間では、宇宙空間の中を通って過電流(余分な電子)が渦巻を描きながら移動しており(ビルケランド電流)、別の天体に衝突して一部を破壊して衛星を生み出したり、表面に衝突の痕跡を残すことがありますが、これが例えば、HAARP実験によってできた火星の表面にある巨大なひっかけキズに見られます。また、日本海やオホーツク海、ベーリング海は火星の発した放電によるビルケランド電流でできたといわれています。

6、「カム(神)」の実相

 宇宙球に話を戻しますが、その中では、カムナ(陽)とアマナ(陰)が共振共鳴、カムナを投影(ウツシ=渦し)して相似象的に物質はもちろん、生命や意識(心)を含めた万物万象は、内殻をなす正(陽)の性質をもった粒子と、外殻をなす反(陰)の性質を持つ波動で覆われた構造をしています。

 とくに、生命はコロイド状態で超高速粒子「アマハヤミ」を作用させると、脳の中心にある「松果体」を通じて潜象界から現象界に出現しますが、これら万物万象の素となる量子を作るメカニズムを「ミソデホト」といい、「フトマニ」、さらに生滅の法則である「マワリテメクル」とともに宇宙を成り立たせています。これら三つの構造とメカニズム、すなわち「カタカムナ」が「カム(神)」の実相です。

 そして、カタカムナ文書に書かれた八十首の「ウタヒ(歌詩)」に書かれた図象文字は、大円と小円、縦線と横線、十字で構成されていますが、このうち縦線(|)は潜象のカムナの力(意思)を、横線(ー)は創造のアマウツシを、十字(+ないし卜)はこの二つの力の重合のカムウツシを、小円は宇宙に遍満するマリ(素量子)を、大円はカムナの力が現象界に発現して、あるマトマリをもつことを、半円は半物質(プラズマ)をそれぞれ表現しています。

 このようにしてできた宇宙には、次のような特徴があります。

❶万物万象は正反が共振共鳴して相似象的に作られ存在している(仏教の中観説)

❷正反は親和し、同種は反発する(電磁力の発生)

❸あらゆるものは、固定したものではなく、確率論的(量子論的)存在である(ゼロポイント場=量子ポテンシャル)

❹あらゆるものは渦巻運動をしている

❺七の周期性があり永遠の循環性がある(仏教の輪廻思想)

❻あらゆるものに粒子性(結球性)と波動性(微分性)がある(量子重ね合わせ状態)

❼粒子になるか波動になるかは観察者の意識が決める(観察者効果=仏教の唯識説)

❽さまざまな性質や現象は同時に重なって発生し、宇宙に遍在している(量子もつれ状態=非局所性)

❾宇宙球(ブラックホールでもある粒子含む)は、正と反が入れ子状態に存在している(フラクタル宇宙=仏教の一即一切、一切即一)

 このように、すべての万物万象は、松果体を通じた「ヒビキ(波動)」によって生滅するため、カタカムナ物性哲学では、カタカムナ文書に書かれた八十首の「ウタヒ(歌詩)」を暗唱して直観と感性を磨くことで気(波動)の乱れを正し、あとは”ありのまま”に委ねることが一つの願望実現のカギとなるのです。

7、カタカムナ生命論

ところで、「カタカムナ」は紀元前1000年ころには古代インドにも伝播し、形骸化したバラモン教へのアンチテーゼとしての、後の仏教思想の土台となる「ウパニシャッド哲学」として開花、19世紀には「インド神智学」としても発展します。

そこでは、ヴェーダ(知性)の本来の姿である宇宙の根元について思惟し、普遍的な真実、不滅なものを追求します。

それによると、宇宙の根源である「ブラフマン(梵)=高我」と、人間の本質である「アートマン(我)=低我」とが究極的に同一であることを認識すること(梵我一如)が真理の覚知であり、そうすることによって「輪廻の業(ごう)」、すなわち一切の苦悩を越えて解脱に達することができると考えました。

ここでは、「生命体の本質」について、「カタカムナ」のインドバージョンともいうべき「ウパニシャッド哲学」からの解釈について紹介します。

(一)生命体の本質

 生命の本質については、生命の根源をなす「高我(ハイアーセルフ)」は、魂が転生(下生)した代々の「低我(現象我=エゴ)」の記憶の蓄積であるコーザル体(高位メンタル体)の中に宿り、部分魂である「低我」を生み出し統制します。

 この低我は、❶メンタル(精神=マナス)体、❷アストラル(感情・欲望=カルマ)体、❸エーテル(肉体・本能)体からなります。

 これらの体は独自の生命と意識を持ち、特にエーテル(肉体)体は代々の先祖からの記憶、経験をDNAを通して蓄積していますが、高我の統制が弱まると、先祖が持っていた昔の野蛮な時代の本能を思い出し“先祖帰り”することもあります(執着)。

 アストラル体は、様々な想念波動を起こさせ、変化、新奇、興奮などを好み、メンタル体は理性によって宇宙の諸現象から思考を展開させ、真理を獲得するための様々な経験を得ようとします。

 そして、根源をなす高我はこれら生命活動の過程を統制し、三つの体との間で進化のための戦いを演じながら生命体全体の進化発展をリードすることとなります。例えば、アストラル体が感情や欲望をむき出しにして、一時的にせよ高我を追い出した時には人生の悪化が始まります。

 その他、生命の正しい進化を妨げるものとしては、エーテル体の持つ先祖の記憶やアストラル体が持つ感情、欲望の他に、他人が発した悪想念がメンタル体に入り込んできて私たちの精神体の中にある、相似した私たちの古い想念と共振現象を起こし、同調する場合です。

(二)生き霊の正体

 例えば、特定の対象に対して、強い憎悪や恨みの念を発した場合、想念は直接に相手に当たり、その周りに想念形態というマイナスのエネルギー・フィールドを形成し、もろもろの障害や不幸を引き起こします。

 これがいわゆる“生き霊(悪霊)”ですが、これはその想念を発した本人が恨みを忘れてしまった後にも残り、一つの独立した生命体として残って一人歩きしてしまう場合があります。

 また想念はそれを発した人間にも跳ね返り、忘れた頃に思わぬ”穴埋め”を迫られることとなる場合もあります。

 また、想念は良くも悪くも同じ性質やエネルギーレベルの他人の想念を引き付ける性質を持っており、例えば、ある意図を持った扇動者の低次で強烈なエネルギーは、多数の共振波動層の人々の心にキャッチされ、共鳴者たちは更に強力な波動を形成し、集合意識として社会に影響を及ぼすこともあります。

 このような結果を防ぐためには、自分の魂の進化に必要なものだけを選択し、それ以外のものは受け付けない“強い覚悟”が必要で、また、あらゆる事実を曇りのない澄み切った感覚で捉え、その本質を偏見なく見抜くことも肝要です。

 そして何よりも必要なことは、愛情などの高級な感情にもとづく高潔な精神波動を涵養し、敵意ある想念波攻撃から身を守ることです。鍛錬した人間の想念波動は、その強力な意志の力によって邪悪な念霊を瞬間的に消滅させることができます。

(三)死んだらどうなる?

 ところで、生命は死んだらどうなるかは多くの興味を引くところですが、低我(現象我)である肉体が死を迎えると、生命体の本質である魂は暫くの間、アストラル界(幽界)にとどまり、その後、下位天界であるメンタル界(霊界)に進みます。そこでは快適な環境で、憧れてきた全ての理想を作り出すことができます。

 魂は自分の意思によって、これまでのあらゆる経験を“永遠の真理”として、あるいは“才能”として発達させ、隠れたる“神性”を身に付けます。

 但し、転生時の現象界における特定の感情、概念、信念などの情念、思念などの執着を断ち切れない場合は、アストラル界で暫く足止めを食いさまようこととなり、これが死を受け入れられない“成仏できない”状態です。

 一方、順当に経過期間を過ぎ、下位天界であるメンタル界を終えると、魂は低我の最後の遺物である精神体を脱ぎ捨て、本来の居場所である高位天界であるコーザル界(神界)に進み「高我」となります。

 魂の成熟度による長い短いの差はありますが、一定の期間が経過すると、再度、現象界での経験を積みたい魂はアストラル界あるいはメンタル界から低我を作り、現象界へ下生(転生)することになります。

(四)涅槃への道

 さて、魂それ自体は、元々は全宇宙を構成する生命素子(量子)の渦巻き運動エネルギーです。このエネルギーは主に「想念(理性)」とも言われ、感情(感受性)である「情念」と思考(知性)である「思念」から成り立ち、人間の大脳でいえば前者が右脳、後者が左脳の担当領域とされています。

 まず、前者である情念のあり方から魂の進化を説明すると、人間が怒りや欲望、羨望、嫉妬などの情を起こすと、下位アストラル層はたちまち混乱を起こし、進化が停滞、最悪の場合、不幸な現実を引き寄せることとなる場合もあります。

 しかし、逆にここでこのような情念を抑制し、愛情や献身、同情などの“高級な感情”を出せば、より高位のメンタル界につながることができます。

 次に、思念のあり方からは、物事を考える場合に、総合的に考えないで個々のものとして相互の脈絡を設けず、バラバラに考えると、魂はたちまち下位アストラル界につながることとなり、逆に、ここで様々な考え方をまとめ、その中から法則性や真理を見い出した時、魂は高位メンタル界につながります。

 さらに魂は、高級な感情と総合性を獲得し、全宇宙が一体であり完全に満たされたものであるという普遍的な”高級想念”に立ち至った時、より高次のコーザル界(仏界=涅槃界)に到達します。

 コーザル界では、意識する主体と客体の区別がなく、すべてが一体化(トータルセルフ)した中にあるため、研ぎ澄まされた感性である“神の直感”によってすべてを把握し、常に“最上の感覚”に満たされます。

8、カタカムナ物性哲学と神道と國體

 では、以上のカタカムナ物性哲学は、日本の「神道」にどのように反映されたか、さらにはそこから導かれる日本特有の国家観である「國體」とは何かを、「記紀」の内容も参考にしながら説明してみます。

 まず、「三種の神器」のうちの「八咫鏡」は、鏡を見ている自分(内側)と映し出される自分(外側)という二元性を表しており、神道概念の「ムスビ」に当たり、「あらゆるものが対を成す関係性の中にある」ことを意味します(アマウツシ)。

 次に「草薙剣」は、「人間の意思があらゆるものの原点であり、秩序を形成している」ことを表しており、神道概念の「ククリ」に当たります(カムウツシ)。

 最後に「八尺瓊勾玉」は、一点から発して球体を為す形をし、球の真ん中には穴がありますが、白と黒の二つが並んで正反対を向いた「太極図」になると、個から全が生まれ、全は個に帰る旋転の繰り返しを意味しています(メクルテマワル)。

 以上を仏教に対応させると、「八咫鏡」は「縁起」ないし「中観(ちゅうがん)説」に、「草薙剣」は「唯識(ゆいしき)説」に、「八尺瓊勾玉」は「一即一切、一切即一ないし輪廻思想」に当たります。

 これらに関連して日本書紀では、国家統治の理念として、「積慶」「重暉」「養正」の三位一体(=八紘一宇)としていますが、これは「ホツマツタエ」でいう「卜(うらべ)の教え」「鏡の教え」「鉾の教え」に当たります。

 一方、古事記の「天孫降臨」神話は、天地(宇宙ないし自然)の中に神が生まれたとします。「記紀」では「天御中主」が最初の神ですが、「竹内文書」等「記紀」以前の古文書では「元無極躰主(母止津和太良世)」から始まり、数代後に「天御中主」、更に「三貴子(天照、素戔嗚、月読)」が生まれます。

 ともあれ、ユダヤ・キリスト教などの一神教では、「宇宙の創造主」である神は人間を超越する者と捉えるのと違って、神道では自然(宇宙)を構成する万物(人間を含む)の中に神が宿るとするため多神教となり、また人間の外側(外在神)だけでなく内側にも神が宿る(内在神)とします。

 この結果、神と人間はもちろん、あらゆる万物は対立することなく連続して存在し、神と天皇と人々が一体化して構成された大家族(国家生態系)こそが「國體」であるとします。また、「外在神=他力本願」、「内在神=自力本願」を意味することから、日本においては仏教も独自の進化を遂げます。

 ちなみに、古事記のもう一つのテーマ「国譲り」神話では、「大和」と「出雲」という対立する国家が、話し合いで統合され、「大和(磐余彦)」が政体(表)を担い(「治らす」しらす)、「出雲(長髄彦)」は國體(裏=祭祀)を担う(「頷く」うしはく)とされます。

 実際、江戸時代の日本では、老中松平伊豆守信綱の発案により、商家が長屋を住民に貸して対価を糞尿でもらい、それを農家に持ち込んで堆肥として活用するという循環型経済社会システムが出来上がっていました。川に流していた欧州などとは異なり、日本では世界で唯一、糞尿を農業に使う等の「皇道経済」が成り立っていたのです。

 このような循環型経済社会システムの思想と仕組みは、「違いを認めつつ一つに帰着する」という多神教的価値観の下、他人と競争するのではなく、それぞれが個性を発揮して、「生かし、生かされ、あるがままに任せる」という「共創分業社会」が、日本では古くから定着していたことを物語っています。

 この点、タントラヨガの世界的指導者であるP・サーカーは、資本主義、社会主義を超えた、人間中心ではなく生態系が中心の、経済至上ではなく霊的生命を至上とした非営利協同組合が運営する家族的でホリスティックな協同経済システムを提唱していますが、これこそ正に「皇道経済」に他なりません。

 一方、「神」「愛」などの価値観に基づく論理で物事を制御し、短期的な結果を求めるのがキリスト教的欧米思考(雄牛神…使役)ですが、あるがままに任せて物事を制御せず、直感的に長期的な変化を感じ、受け入れるのが仏教、道教、神道などの東洋的発想(龍蛇神…流れ)です。

 また、キリスト教的な欧米思考では、「無償の愛」などを絶対的価値として自分の外側に設定しますが、仏教、ヒンヅー教、道教、神道などの東洋的発想では、「宇宙は曖昧な空」で、それゆえに様々な価値観をありのままに尊重します。

 しかし、それは「すべては自分の意識(今ここの意識)によって創造される(唯識)」、あるいは「すべては因と果や、内と外、陰と陽などの関係で成り立っている(中観)」からだとします。神道ではこの意識を「中今(なかいま)」、仏教では「而今(じこん)」といい、この創造原理を「ククリ」、関係原理を「ムスビ」、といいます。

 その由来は、記紀(古事記・日本書記)に出てくる「神産巣日神(かみムスビのかみ)」「高御産巣日神(たかみムスビのかみ)」、あるいは白山王朝の祖神「菊理(ククリ)姫」です。ちなみに、この「白山菊理姫」は、富士王朝の祖神「木花咲耶姫」と統合され、男神「アマテル」の妻「瀬織津姫」になります。


<世界は日本のカタカムナ文明から始まった! (ウバイド文明論は嘘)>

一、数々の超古代文明の痕跡

 日本の旧石器時代のものとされる「カタカムナ文書」では、超高度な文明が超古代の日本にあったことが、昭和二十五年頃、物理学者の楢崎皐月(ならざきこうげつ)によって明らかにされています(詳細は「カタカムナ物性哲学」を参照されたし)。

 この「カタカムナ文明」ともいうべき高度な文明が超古代の日本にあった傍証として、まず、創建一万五千年の熊本県・日の宮幣立神宮の御神体「日文石板」は極めて珍しい金属と岩石が融合した材質でできており、炭素放射線十四年代測定法によると二〜三十万年前のものとされていますが、そこには「豊国文字」で「ひふみよいむなやこともちろら、ねしきるゆいつわぬそを、はたくめかうおえに、さりへてのますあせゑほけれ」と記されています。

 この意味は「大量の糸の原料となる真麻欄(まおらん)を採取し、それから取った縷(細い糸)を紡ぎ、衣料を整え、強い兵士を大量に育成せよ。そうすれば交戦してくる悪い部族の敵は彼方に退散する。神様がくださった広大な田畑を心してしっかり耕作せよ」となるとされています。

 さらに、全国約八百カ所からは「阿比留草文字」「出雲文字」「秀真文字」「守恒文字」「神山文字」「アイヌ文字」等約五十四種類のペトログラフ(岩絵文字)が発見されています。注目に値するのは、海外で見つかったペトログラフが絵画中心なのに対し、日本のものは文字が中心である点で、このことは超古代の日本に高度な文明があったことの証です。

 一方、これらペトログラフからは"ムー文明"の記憶が見られます。まず下関市彦島や角島、北九州にある沖の島、出雲の日ノ御碕沖等に、与那国島海底遺跡と類似する神殿跡やペトログラフがあることから、西日本を中心にムーの生き残りの「メネフネ族(先住日本人の海人族)」がいたことが推測されます。

 下関市教育委員会と九州大学の調査によると、彦島杉田丘陵のペトログラフには、「遠い世の父母より世に生まれ交わり、子々孫々栄え来たり。地の都となる世の来るまで、敵を倒し、我らを助け、突き進み、世も昼もみそなわす我らが日の神」と古代シュメール文字で書かれているとのことです。

 これらの痕跡とムー文明を結びつける傍証としては、ニュージーランド北方のポナペにある、一万二千年前の「ナンマドルの海底神殿遺跡」です。またハワイやイースター島でも古代遺跡が発見されており、上記日本の遺跡と類似している事から、太平洋上に大陸があった事も推測されます。

二、神代文字の世界的伝播

 ところで、「竹内文書」「宮下文書」「九鬼文書」等によると、太古の昔、天から天之御中主大神が降臨して国を開き世界を統治し、また日本人から黄人、白人、黒人、赤人(ユダヤ人)、青人(スカンジナビア人)ら世界の「五色(ごしき)人種」が分かれたとされています。

 実際、スイスの考古学者デニケンが、エクアドルの古代地下都市跡で日本の縄文土器と「アンデスの黄金版」を発見、これを出雲文字で解読した結果、「マヤやインカ文明を作ったのは、日本の古代海洋民である」と公表しています。

 一方、インド、エジプト、南米、アフリカなどの古代遺跡で、日本の神代文字を発見している日本学術探検協会の高橋良典氏によると、豊国文字とハングルの類似性から「古代朝鮮も日本と同じ文字を使用しており、少なくとも約六千年以前から日本にあった豊国文字を参考にして作った」と指摘しています。

 さらに、約二千年前に書かれた支那の「契丹古伝」によると、「漢字以前の文字を天字といい、天字以前をト(うら)字、ト字というのは殷字であり、殷は元これ倭国(日本)」とあります。

 ちなみに、「アジア」とは、古日本語の「アジナ」が訛ったもので、「アジナ」とは"分家"を意味し、当時、ユーラシア最大の領土を占めた支那(シナ)を意識していたものと言われています。

 なお、本稿では中国の呼称を「支那」としますが、これは、はじめての統一王朝を作った「秦(しん)」に由来し、英語のChina(チャイナ)に相当する正式な呼称だと判断したからです。

 またインドでも、インダス文明の遺跡モヘンジョダロで「豊国文字」「阿比留草文字」が発見され、さらにキリストが日本で習得した「イスキリ文字」、釈迦が日本から持ち帰った「梵字」が「サンスクリット語」となったことなど、多数の傍証が発見されています。

三、大和朝以前の先行王朝と神武以前の"古天皇"

 そして、先述のペトログラフや古史古伝によると、大和王朝と神武天皇以前にも先行王朝や、スメラミコト(古天皇)がいたことが記されています。これを神々と王朝、天皇の関係で整理すると、元無極躰主(モトツミクライヌシ)に始まる「造化準備時代」、天津身光(アマツミヒカリ)に始まる「造化時代」、天之御中主(アメノミクライヌシ)に始まる「修理個成時代(白山王朝)」、国常立(クニトコタチ)に始まる「万国統治時代(富士王朝)」、饒速日(ニギハヤヒ)に始まる「鵜芽葺不合(ウガヤフキアエズ)王朝」、天照に始まる「神倭(大和)王朝」となります。

 但し、スメラミコトが「天皇」と記されているのは、初代・天之御中主天皇、高木天皇(高御産巣日神)、天地明玉主照天皇、国之常立男天皇、大斗能地王天皇、大綱手彦天皇、弥広殿造天皇、造化氣万男身光天皇、富金足中置天皇、神心伝物部建天皇、伊邪那岐天皇、天疎日向津比売天皇などです。

 ちなみに、「スメラミコト」は元々シュメール語で「シュメールの王」、即ち、スサダミコ(スサノオ)を意味していると考えられます。また「スサノオ」の息子が「饒速日命(ニギハヤヒ)」、義理の息子(末娘の夫)が「大国主」となります。

 まず、神々が降臨?し、天皇として姿を現した「修理固成時代」の「白山王朝」ですが、竹内文書などによると、国名を「天之越根中津国」といい、富山県婦負郡久郷村御皇城山に歴代の皇祖皇大神宮が置かれていたそうです。スメラミコトのスメラは「皇」ですが、「白」と「王」からなっています。

 そこでは、おびただしい神代資料が発見され、とくに酒井勝軍氏によって発見、翻訳された神足別豊耡天皇からモーゼに与えられたという「モーゼの十戒石」の写し石は刮目すべきです。そこには、宗教、国家、人種を越え、天下万民が遵守すべき律法が書かれています。

 ちなみに、聖書では、モーゼはシナイ山で十戒を授かったといわれていますが、竹内文書では、アカバ湾から船に乗って来日し、皇祖皇大神宮で四十一日間修行をし、石川県の宝達山で天皇から十戒を賜り帰国、ユダヤ民衆に与えたとあります。つまり、ユダヤ教の発祥地は日本の「高天原」ということです。

 次に、豊後国の大守だった大伴能直が「山窩(サンカ)」の伝承を記録した「上記(ウエツフミ)」によると、「鵜芽葺不合(ウガヤフキアエズ)王朝の第二十五代、二十六代天皇は、皇子たちを世界に派遣し文字を伝えた。富金足中置天皇は一万五千四百八十五年前に、四百六十年間に渡って治世した」と有り、これらは大分県国東半島で発見された巨石上のペトログラフにも記録されています。また、秦の始皇帝が不死の薬を求めて日本に派遣した「徐福」が、富士山麓で書き残した「宮下文書」をもとに、三輪義煕が編纂した「神皇記」によると、神武以前に先行王朝が三つあり、初めは富士山麓にあった「富士高天原王朝」で、「大陸から九州方面に大軍が押し寄せて来たため、附地見島(九州)に海佐知毘古を元帥として送り、海軍を編成、王朝も阿蘇切枝間に移し千五百日目に全島の鎮圧を完了した(阿蘇豊国王朝)」とあります。

四、緩やかな連合国家「鵜芽葺不合王朝」

 その後、近畿地方で長髄彦(ナガスネヒコ)が反乱を起こしたため、日高佐野王が海路から久真野に上陸、湯野崎水門近くの二高の宮を行宮として賊軍を討ち、大和国橿原宮で即位、「鵜芽葺不合(ウガヤフキアエズ)王朝」が始まったと記述されています。

 しかし、この点に関して「記紀」によると、長髄彦と戦ったのは「磐余彦(イワレヒコ…後の神倭朝・神武天皇」であり、一方、「神皇記」のいう「日高佐野王」は"日高"とあることから「富士王朝」ないし「日高見王朝」の天皇である可能性が高く、また日高佐野王=神武天皇とすると、不合王朝初代天皇となって矛盾します。

 そこで、「白山王朝」→「富士王朝」→「不合王朝」→「神倭朝」という流れから考えると、富士山の爆発で阿祖山大神宮(富士王朝)は一旦崩壊した後、関東に都を移し「日高見王朝(後の東日本・日之本王朝)」を建てたと考えられます。

 実際、他の文書によると、「不合朝」傘下には、北から「荒覇覇吐(アラハバキ)国」「日高国」「蔵王国」「飛騨国」「熊野国」「吉備国」「出雲国」「不弥国」「投馬国」「伊都国」「奴国」「熊襲国」などがあり、緩やかな連合体を形成していたが、最終的に「神倭朝」に統一されたとされています。

 だとすれば、次に問題となるのは、「神倭朝」の前の「不合王朝」の中心はどのような部族だったかという点です。結論から言えば、島嶼国である日本人の五十%を占める海人族(海洋民族・港川原人)を中心にしたものだったのではないか、そしてその棟梁(邪馬台国国王=鵜芽葺不合天皇)が、高度な「カタカムナ文明」を持つ長髄彦ら「カタカムナ人」だったと考えられます。

 勿論、その他民族の流入もあったので、日本人のルーツは、❶南アジア(四万五千年前)、❷南西諸島(三万五千年前)、❸シベリア(二万年前=アイヌ人ないしシュメール人)、❹華南、南西諸島(七千年前)、❺華北、蒙古、朝鮮半島(二千年前)となります。

五、太古の地球史とユダヤ人(原初日本人)の出戻り

 ところで、太古の地球の歴史を紐解くと、「ノアの大洪水」などの大きな地殻変動が起こり、人々の大移動が行われたようです。この事は竹内文書等の古史古伝の他に「聖書」、シュメールの「ギルガメシュ叙述詩」、インドの「マハーバラータ」にも記されています。

 更に地球が氷河期に入ったことで、食糧難に喘ぐ日本列島に居住していた縄文時代当時の日本人の多くは、食料を求めて世界各地に移動して行ったと推測されます。すなわち、太平洋を海流に乗って島伝いに東に移動したのが「クル族」、ユーラシア大陸を西に進んだのが「カラ族」です。

 実際、日本人が東に移動した痕跡が見つかっています。日本ペトログラフ協会の吉田信啓氏によると、熊本県芦北地方には「曽畑式水人がいて、約六千五百年前、北海道から沖縄に至るまで生活の痕跡を残しており、さらにベーリング海を渡って北米にも生活圏を拡大した可能性が高いと指摘しています。

 一方で、ユーラシア大陸を西に移動した「カラ族」は、現在のエジプトやパレスチナにまで達しました。当時のユーラシアの真ん中にはカスピ海のような大海があり、また現在の華中、華南地域はほとんど湿地帯で、華北以北も寒冷地化していたため居住に適さなかったと考えられます。実際、私もヒマラヤで取れる岩塩を使っています。

 ところが、西ヨーロッパを起点に東へ展開してきた「アーリア人(アトランティスの生き残り?)」が次第に勢力を増してきてカラ族と衝突、多くの戦いを経て、カラ族はメソポタミア(シュメール)、インダスと都を遷しながら東に移動し、最終的には日本を拠点にした「東大国(ティルムン)」を作ったことが支那の古文書「契丹古伝」に記されています。

 ともあれ、カラ族が最後に到達したのが"伝説の故郷"日本で、この中には物部氏(山窩)、海部氏(海窩)、安部(安倍)氏、忌部(いんべ)氏、斎部氏、乙部(おとべ)氏、綾部氏、卜部(うらべ)氏、秦(=ト羽田、羽田野、畑中、川端)氏ら古代ユダヤ十支族も含まれていました。つまり、彼らの渡来は日本への"出戻り(帰国)"だったと考えられます。

 彼らの"帰国"は、縄文時代後期から弥生時代、古墳時代にかけてさみだれ式に行われたようです。が、大きくわけて、大陸方面を南下してきた「前期出戻り組」の物部氏(山渡人)、ペルシャ、南アジア、東南アジアを海伝いにやってきた海部氏(海渡人)らと、「後期出戻り組」の秦氏の二グループに整理できます。

 このうち、「前期出戻り組」は、「日本列島居残り先住民」の海人族(安曇氏)やアイヌ族(阿蘇部)とは穏やかに合流を果たしたようです。理由は、「聖櫃アーク」や伊勢神宮、熱田神宮に保管されていると言われる「ユダヤ三種の神器」が、日本の「三種の神器」とペアの関係になっており、同族である証として示されたからと考えられます。

 なお、古代日本と古代ユダヤとの関係を示す傍証としては、例えば、仁徳天皇陵等の古墳は、古代ユダヤ三種の神器の「マナの壺」の形をしており、丸い部分が女性性、角い部分が男性性を表し、両者で男女という「二元性の融合」を表していると言われています。

 また、三重県・伊雑(いざわ)の宮にはキリストの「罪状板」が安置され、さらに、伊勢神宮の内宮の下ではキリストの血が付いた「聖十字架」も発見されたと言われ、伊勢神宮で先祖代々宮大工をしている人の話では、西宮市に「萬谷」という明治天皇の御落胤がいて、知人(中野学校出身特務将校)と共に神殿に入って確認したそうです。

 そのほか、エルサレム宮殿の門には「十六菊花紋」が、一方、青森県の三内丸山遺跡からは「六芒星(ダビデの星)」が、同じく青森県新郷村(旧戸来村…ヘブライ村)にはキリストの墓があります。

 遺伝子的にも、日本人の四十五%に見られ、中韓人には見られない「YAP(-)ハプロD系遺伝子」は、世界中に分散した古代ユダヤ十支族とその末裔のチベット人や中南米のインディオなどに見られるE系統と同類であると言われています。

六、ピラミッド(日来神宮)は日本が発祥地?

 ところで、世界的なフランスの考古学者J・ヴァレーン博士は、エジプトのピラミッドを研究、興味深い見解を発表しています。「この建造物は、地球上の大聖者が他の進化した天体の神々と交信するための場、つまり、地球よりも遥かに進歩した神人と、人類を救済するために地球に降臨した天孫族をつなぐ神殿である」。さらに、東方に向かって座するスフィンクスの左足の下を掘り下げ、石碑を発見。そこには「光は東方より来る。東方の一小国より、全人類の滅亡を救う大救世主が現れる」との記された碑文を発見、解読しました。

 ちなみに、竹内文書でも、「三月十六日、吉備津根本国に詔す。大綱手彦(鵜芽葺不合王朝十二代弥広殿作天皇(イヤヒロトノツクリ)の叔父)、天皇霊廟、亦名メシア、日の神、月の神、造主神、日来神宮」とあるが、この「日来神宮」が世界最古のピラミッドを指すと指摘しています。

 そして実際、青森の黒又山、岩手の五葉山、富山の尖山、長野の皆神山、京都の日室ヶ獄、徳島の剣山など、聖地とされる兵庫県の八幡山を中心に十六等分、つまり、十六菊花紋の角度で分割された方向にピラミッドが存在しています。

 また、同じく竹内文書によると「上古第二代・造化氣万男身光(つくりのしきよろずおみひかる)天皇の時、十五人の息子と一人の皇女を十六の国に遣わし、日本を中心にした十六放射の形を作って定め、天皇の十六菊花紋とした」とあります。

 ちなみに、「十六菊花紋」は、バビロンのイシュタル門、スペインのアルハンブラ宮殿、アッシリアのニムルド遺跡の石像、古代エジプトのラムセス二世の妻の胸像、同じく古代エジプトのプスセンネス一世のミイラが履いていたサンダル、ツタンカーメン王のサンダル、アフリカ西部ペナンの古代石板、マヤ遺跡の石像、エルサレムの嘆きの壁にあるメシア草など、多くの古代遺跡、遺物にも刻まれています。

七、関東・日之本王国

 さて、先ほど、「磐余彦(神武天皇)」と長髄彦が大和で戦ったと述べましたが、「記紀」によると長髄彦は戦いに強く、神武の三人の兄を倒した後、「饒速日(ニギハヤヒ)」の裏切りで殺されたとされています。が、饒速日は物部氏の祖神であり、実在性は低いと考えられます。

 その後も長髄彦は生き続け、大和国(邪馬台国)を放棄した後「日高見国」に移り、関東を拠点にした「日之本王朝」を建国します。「日之本」とは、日の出に近い場所、つまり関東地方を意味しており、埼玉古墳群では「三種の神器」が発見されています。

 また、支那の唐代の古文書「旧唐書」によると、「倭国と日之本国は別の国」とあり、当時、日本には「倭国(大和朝)」とは別の王朝があったことを記しています。

 ただその後、「和田家文書(東日流外三郡誌)」によると、「日之本王国」は内部分裂から大和朝の分断工作と侵攻を受け、一部は大和朝の傘下に(内物部)、長髄彦らは東北地方、さらには津軽に逃れ「荒覇覇吐王国」に合流、後の「安倍(安東)王国」の土台を作ります(外物部)。

 ここにいう「安倍(安東)王国」は、その後も続いた大和朝との戦いを経て、磐余彦と和睦した長髄彦とその兄・安日彦(アビヒコ)によって作られたものです。

 ちなみに、この長髄彦の兄・安日彦(アビヒコ)が安倍氏の始祖(安倍晋三元総理の祖先)と言われており、私とは同族とになります。

 一方、長髄彦は政体を磐余彦に譲った後(記紀の「国譲り神話」)、大陸に渡り中央アジアにあるシュメール人の本貫に「長髄国」をつくったと、古代支那の地理書「山海経(せんがいきょう)」に記されています。

 この長髄彦の後裔は、その後北方騎馬民族スキタイ族の棟梁となり東遷、最後の高句麗国王・朱蒙となり、兄の第二十九代欽明天皇(ヒロニワ=広開土王)とともに帰国(”里帰り”)、「長背(ながせ)王と賜名され「連(むらじ)=大臣」の「姓(かばね)」を与えられます。

 なお、安倍氏の一部は大和朝廷の中にも入り、安倍仲麻呂、安倍晴明、そして「後三年の役」で流罪となって肥前国(佐賀県)の水軍松浦党党首として平家方として活躍した後、源頼朝の迫害を逃れた安倍季任(あべすえとう)は現在の長門国(山口県長門市日置村=同族である私の実家もある)へと落ちました。

八、神武天皇に関する仮説

 一方、こちらも謎の多い「神武天皇」についてですが、神武天皇はモーゼ、聖徳太子(厩戸皇子…うまやどのおうじ)はイエス・キリストという奇説があります。前述したように、青森県の戸来(ヘライ)村にはキリストと弟・イスキリの墓が現存しています。

 竹内文書によると、キリストは十八歳のとき来日、皇祖皇太神宮の神主・武雄心親王から五年間、歴史や天文学、神業などを学び、狭野尊天日嗣天皇から「向こうで死んではならぬぞよ」との命を受けエルサレムに戻りました。が、迫害に会い再び来日、百十八歳まで生きたと書かれています。

 一方、モーゼですが、神武天皇の正式名称は「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラミコト」ですが、ヘブライ語では「カム・ヤマトウ・イブリ・ベコ・シュメロン・マクト」と発音し、意味は十支族の一つのエフライム族の王=サマリアの王です。

 また、ヘブライ語の「モー・シェ」は、エジプト語では反対に読み「セ・モー」→「ゼ・モー」「ジ・ムー(ムー人)」「ジンム」と転訛(てんか)したものと、イスラエルのユダヤ民族研究家ヨセフ・アイデルバーグ博士やアビグドール・シャハン博士が指摘しています。

 ちなみに、釈迦は、皇祖皇大神宮で天之越根尊より指導を受け、インドに戻り仏教を説いたが、五十二歳で涅槃に入るとみせて日本に再度来日、天寿を全うしたといいます。釈迦の墓は青森県の梵珠山にあり、実際、古くから不思議な発光現象の目撃談が伝わっています

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