https://ameblo.jp/toru-nishida/entry-12820690862.html?fbclid=IwAR1MYPuDLTkmJfYlJ1cTI7hZYzUthMBMV3ptKMvjLAomsJUyLr_vqMumUac 【その人の「たましいの姿」や前世が見えることがある不思議な方法】より
愛する魂の冒険者たちへ今は魂の時代だといわれています。霊主体従(れいしゅたいじゅう)という言葉がありますが わたしたちの本体が、からだでもなく、こころでもなく、たましいであり、、、「自分が目に見える以上の存在であること」がほんとうに感じられてくると日常的に愛のパワーが高まり、人生が奇跡の連続なんだなあ、、、ということが全身で体感されるようになります。
結果として、人生がますます楽しくなるきっかけになるんですよね。仕事や人間関係が好転したりもします。
そのための面白い方法をいろいろ教わっているのですが、一つご紹介すると、「相手の目の奥を見つめる」という方法があります。
目の奥に何が見えるか、親しい人を、とっつかまえて試してみてください。
気持ち、部屋の照明をおとして、1〜2分でもいいでしょう。鏡で、自分の目の奥、でもいいです。
あるとき、娘二人が試したら、「星が見える」「宇宙が見えた!」と大騒ぎになりました。
過去生の姿が見える、なんてこともあるようです。
(ネイティブアメリカンのハンサムな男性が見える!とか)
僕は田宮さんの目の奥に、稲妻のような光が光っているのが見えたことがあります。
総じて、なぜかとても美しいものが感じられるようですよ。
あなたは創造主と直結する存在。愛でいっぱいの幸せな一瞬一瞬を過ごされますように。
今日も命にありがとうございます。
西田普にしだあまね
https://www.youtube.com/watch?v=78ar8Ia3o24&t=1s
https://e-manners.org/%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%81%AF%E6%84%9B/ 【マナーは愛】より
「LOVE」という英語が日本にはいってきたとき、私達、日本人は「愛」とは訳しませんでした。「ご大切」と訳したそうです。
「愛」とは相手を心から大切に思う心。自分を大切に思うように、相手を大切に思うことです。マナーは愛という言葉を言ったのは、新渡戸 稲造です。
5000円札のモデルにもなった新渡戸 稲造「武士道」という彼の著書の中でこう語っています。”体裁を気にして行うのならば、礼儀とは浅ましい行為である。
真の礼儀とは相手に対する思いやりの心が外にあらわれたもの。礼儀の最高の姿は愛と変わりありません。”
礼儀・マナーとは「こうしたら相手からよく思われるよな」などの体裁を気にして行うのではなく、相手の立場に立って、相手が喜ぶことをするものであると。
思いやりの気持ちは「自分がされて嬉しいことをする、自分がされて嫌な事はしない。それを相手の立場に立って考えようとする」相手を慮った気持ちです。
思いやりの気持ちを持つことで、周りとよいコミュニケーションをしながらいきいきとした人生がおくれる、まさにマナーは人の為ならず自分のために大事なように思います。
私達は形だけのマナーではなく、相手を大切に思う、思いやりの心を大切にしたマナーを伝えていきたいと思っております。
季節や時期に合わせて、思いやりのマナーを発信していきます。
コメント
私は趣味で動の剣道、居合道を、一方静の茶道の世界にも心を寄せています。いずれも礼法、礼儀〔霊.心)を主で作法が従の所謂、霊主体従の生き方にこだわった主義者の一人です。心正しからざれば剣また正しがらず、礼に始まり礼に終わる剣の道は正に愛善世界と心得え指導も傍らしながら普及に努めております。これからもよろしくお願いします。
返信
e-manners.netより:
2022年1月7日 12:42 AM
コメントありがとうございます。
私どももマナーを通じて思いやりの気持ちを子どもたちをはじめ、多くの方に広めたいと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします
https://blu-log.com/nitobeinazo/ 【新渡戸稲造「礼儀の本質」ブロガーに刺さる名言⑦】より
新渡戸稲造「礼儀の本質」名言
こんにちは。tetsuya(@tetsuya_blulog)です。毎週月曜日のブロガーに刺さる名言シリーズ。第7回は、旧五千円札の人・新渡戸稲造の言葉です。
新渡戸稲造が英語で書いた『武士道』(BUSHIDOU-Soul of Japan-)は世界的ベストセラーとなった名著ですが、その中から個人的に好きなのが今回の言葉。
礼儀の最高の形は愛である
礼は、他を思いやる心が外に表れたものでなければならない。
武士道では「礼」を重要な徳目のひとつと掲げており、日本人の礼儀正しさも武士道の言う「礼」が由来であると言われています。
礼というと、堅苦しい礼儀作法や事細かなマナーばかりが目立ちますが、それらは全て「思いやり」の心から生まれたものでなければならないと、新渡戸稲造は言います。
もし礼が「品性の良さ」を損なわないために行われるのであれば、貧弱な徳と言わざるを得ない。
品性の良い人と思われたい 下品な人と思われたくない こういった動機から行われる礼は「貧弱な徳」であると言うのです。これは孔子の言葉にもあります。
うわべだけの作法が礼儀でないのは、音が音楽でないのと同じことだ。
相手を思いやる心 社会的地位を尊重する心 人と社会に対する仁と謙譲の心
このような動機から自然と生まれるものが「礼」であり、故に礼は「愛」と似ているものです。
礼の最高の形態はほとんど「愛」に近づき、常に優美な同情となって表れるものである。
Contents is King時代のブロガーの心得
Googleは、以前より「Contents is King」を掲げ、有益なコンテンツを見つけ出して上位表示するアルゴリズムを進化させ続けてきました。
未だにスパムサイトが上位表示している事もありますが、そういったコンテンツは確実に淘汰される運命にあります。
SNS集客にシフトしても同じこと。
むしろ、プログラムであるGoogleと違って、人を相手にするSNSでは尚更「コンテンツの有益性」が問われる事になります。
このような時代に重要になるのが、新渡戸稲造の言葉。
コンテンツの最高の形態はほとんど「愛」に近づく
上位表示のために書かれるのであれば「貧弱なコンテンツ」と言わざるを得ない
これは決して無理やりなこじつけとは思いません。
SEOのためだけに書かれた記事は、結局見抜かれます。
真に役に立ちたいという思いで書いた記事でなければならないということ。
自分への戒めも込めて、今回はこの言葉を取り上げました。
礼経に無きも、而して人心に従うものは皆礼なり
礼の経典に記載されていないことでも、人の心に寄り添うものは、みな「礼」である。
新渡戸稲造と武士道
新渡戸稲造の肖像
新渡戸稲造は盛岡藩士の家に生まれ、維新を経て13歳で東京英語学校へ、15歳で札幌農学校に進学したエリートです。
その後アメリカやドイツに留学して学問を修めた後、カリフォルニア滞在中の1900年に名著『武士道』を書き上げます。
当時、日清戦争に勝利した日本に対して世界的な注目が集まっており、欧米での生活を経験した新渡戸にとっては、アジア人に対する差別や誤解を晴らすための「欧米人に日本人の事を紹介するための本」とて、流麗な英語で書かれました。
『BUSHIDOU-Soul of Japan-』は、出版直後から大きな話題を呼び、日本語はもちろんイギリス、ドイツ、ポーランド、ノルウェー、フランス、中国でも翻訳されて出版され、文字通りの世界的ベストセラーとなったのです。
アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトも『武士道』に大きな感銘を受けたとされ、新渡戸稲造は世界で最も高名な日本人の一人となりました。
後の国際連盟創設に際して、新渡戸稲造が事務次長に選ばれたのも『武士道』の知名度によるものと言われています。
今読んでも決して古臭くない、日本人の古き良き心。
不確実性が世の中を覆う現代だからこそ、改めて読みたい本です。
0コメント