Facebookいと きょうさん投稿記事
落合莞爾氏は日本人の発祥をウバイド(メソポタミア周辺)と話していますが、私の見解は日本人の祖先は太古から日本に存在し、世界を巡っていたという立場です。その理由は、石器時代の日本を観ることで分かります。
https://www.youtube.com/watch?v=QuofDbBCmFI&t=455s
Facebook大覚院 真観さん投稿記事
第一章、ムー大陸から始まる人類の歴史
1,昭和天皇も認めた古文書と大和前王朝の存在
さて、『竹内文書』などの日本の古文書によると、「上古」と言われる日本そして世界の超太古十三万年前に、プレアデスのテーラー太陽系にあるリラ星という惑星から、シリウス経由で地球にやってきた「イシュヴィシュヤワエ」を代表とする集団、すなわち、私たち人間からすると”神々”といえる存在(意識体?)がいたそうです。私は、特殊な幾何学模様の宇宙文字のような「カタカムナ文字(プレアデス文字?)」を使う彼らを「カタカムナ人」と呼びます。
このことはニュージーランドの原住民ワイタハ族にも伝承されており、実際、一九三〇年代にワイタハ族の族長が日本を訪れ昭和天皇に謁見、「自分たちはムー帝国の皇帝の末裔であり、日本の天皇家は本家筋にあたる」と伝えたそうです。原初の彼らカタカムナ人は半霊半人(肉体を持った神人)」だったようです。
ところで、旧約聖書には「ノアの箱舟伝説」という話があります。人類の堕落に激怒した神が天変地異を起こし、やがて大洪水が襲ってくることを知ったノアは箱舟を作り、人々に危機を知らせましたが誰も信じませんでした。そこでノアは家族や善良なる人々、そして動物たちとともに箱舟に乗り難を逃れます。
このように、世界には「ノアの箱舟伝説」に類似した伝承としてイスラエルの「天地かえらくの大洪水」をはじめ、ロシアやインドにも、そして日本の古文書にも「天皇(スメラミコト)たちが眷族や従者を引き連れ、「天の浮舟」あるいは「高天使鶏(こまかけ)」という飛行体 に乗って飛騨高山方面に避難し、水難から逃れた」との記述があります。そして、この飛騨高山が記紀(古事記、日本書紀)でいう「高天原」にあたり、ムー大陸にいた天皇とその眷族(けんぞく)などのカタカムナ人が必死にたどり着いたのが、ムー大陸の西北にかろうじて隆起していた「山止(ヤマト)」すなわち「大和(日本)」でした。
竹内文書によると、”太陽と水の国”ムー帝国(大陸)は「ミヨイ」と「タミアラ」の南北に分かれた二つの大陸からなり、これを反映してか、日本列島は”水の神”の象徴である二匹の龍が、それぞれ南北逆方向に向いて重なり合った形をしています。例えば、千島列島は北東向きの龍の髭を、南西諸島は南西向きの龍の髭を表しています。
また、現皇室(大和王朝)の祖神「天照大神」は”太陽”を表していますが、「龍神」は”水”を表し、大和王朝以前の王朝の一つである「鵜芽葺不合(ウガヤフキアエズ)王朝」の祖神「宇賀神」にあたります。実際、「特牛(こっとい=コッティ)」などのシュメール語の地名が残る山口県西北部には「宇賀本郷」という地域が現存します。
ともあれ、これら「大洪水」や「大水害(津波?)」の発生には、実は「ムー大陸」の陥没が関係しているのです。
これらの点については、先述の『竹内文書』『宮下文書』『九鬼文書』などの複数の古文書にその詳細が記述されていますが、なぜか我が国の歴史学者はこぞってその真偽を疑い、これまで一貫して”偽書”と決めつけてきました。そして『記紀』や蘇我馬子と聖徳太子が編纂したとされる『國記』『天皇記』をもって真書としてきました。
『記紀』や『國記』『天皇記』に共通しているのは、大和王朝以前の王朝や、神武天皇以前の天皇(古天皇、神皇)の存在、そして古代文字(以下、神代文字)の存在を認めていないことです。
恐らく、その後、アジアにおいて力をつけた古代支那、近代以降において世界を席巻してきた欧米に配慮し、彼らより歴史の古い”邪魔者”とされた日本が攻撃、滅亡させられることを回避するための”國體の知恵”だったのではないかと推測されます。
実際、約1300年前、満州と朝鮮半島、日本海周辺域に台頭していた「唐」が、新羅と連合して「白村江の戦い(663年)」で勝利した結果、日本の国政に干渉し、日本にあった固有の文字文化や、古代天皇家の記憶を消し去ってしまったようです。
また、667年以降、九州の太宰府が唐による日本占領支紀の拠点となり、天智天皇はこの年の春、近江京に遷都し「漢字使用令」を出しています。
唐による日本占領の実態には目に余るものがあったようで、後年、壬申の乱に勝利して唐による日本占領支配に終止符を打った天武天皇も、日本国内を跋扈する唐人に憤慨し「汝らのやからは、もとより七つの悪しきことを犯せり、常に汝らは謀りごとをもって事わざとなす」と日本書紀に記されています。
ところが、実は、昭和の御代に昭和天皇から、”現代の書聖”と呼ばれる書の大家で古代文字の研究家の安藤妍雪(あんどうけんせつ)氏(岐阜県在住)が、秘かに伊勢神宮の神宮文庫に所蔵されていたこれらの古文書や古代文字の真贋の判定と解釈を依頼され、その討覈(とうかく)の結果、昭和天皇もそれらの驚愕する内容を非公式ながら認めていたのです。
実際その後も、例えば、先年に開催された世界水フォーラムで当今陛下(今上天皇)はビデオメッセージを送られ、その中で「我が国には古来、水を神とする思想があった」と龍神、すなわち「宇賀神」について触れておられます。これは太陽神天照大神を唯一絶対の祖神とする日本皇室においては極めて異例なことで、神道関係者を中心に波紋を呼びました。
(次回に続く…)
https://www.youtube.com/watch?v=U2Ao1Gt1vJY
https://www.youtube.com/watch?v=BnqInz2HLyEhttps://www.youtube.com/watch?v=jXS00X1K-A8
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