Facebook今野 華都子さん投稿記事「死期の分かる能力を授かったおばあちゃんの話」
私の知人のおばあちゃんはある日急に「親戚の家にしばらく泊まってくるね」と出掛けます。
おばあちゃんには相手の死期が分かる能力があって、死者が安心して逝くことと、ご家族の心のケアをしてくるのでした。
「おばあちゃんは凄いねどうしてそれが分かるの」と聞くと おばあちゃんは実は戦争の混乱期で学校に行くことも出来ず字もかけないし新聞を読むことも出来ませんでした。
「だから余計なことを考えなくていい、有り難い有り難いと神様仏様の御加護をだけを思って生きてきたと」
生きている人も 逝った人も みんな意識で繋がっているから分かる。
私たちの誰でも持っているのだともいう。
文明を手に入れて大切なものを失っていることに気づかない。。。
今朝7:00の祈り
和歌山の知人が光になって逝った。不意に誰かを思い出した時はすぐ連絡を取ろう。
その日その時間は「どうしているかな」とヤケにその人を思い出し「今度その人の得意な歴史の話しを聞く会を開こう」と言っていた時だった。
きっと最後に会いに来てくれたのだった。携帯電話がなかった時は意識を飛ばしあっていた。
しばらくあっていない友人、恩人のことを不意に思い出した。
不意に誰かを思いたし、気になる時はもし、生きている人で連絡が付く相手であれば連絡してみよう。
すると「えっどうしてわかったの、いま連絡しようと思っていた」と言われて驚く
人の顔や名前が、突然 頭をよぎるのは、気のせいの可能性もありますが、何かあるのかも知れません。虫の知らせといいます。
これから不意に誰かを思い出した時はすぐ連絡を取ろうと思います。
自分が思い出している時に、相手も自分も思い出しているのですね。
今日も生かしていただきありがとうございます。
一緒にお祈りしていただきありがとうございます。
今日は京都古事記塾です。どうぞよろしくお願いいたします。
ブログ更新しました https://ameblo.jp/k-konnothalasso/
Facebookいと きょうさん投稿記事 ·
ナミヨミカミ
すべてが波動で成り立っているこの世界。
これを読み取ることのできる方を「ナミヨミカミ(波読み神)」と名付けます。
時に、ナミヨミカミを霊能者と呼んだり、宇宙人とかスピリチュアルカウンセラーと呼んだりします。
ナミヨミカミは、人の肉体やその周辺から発せられる波動を読み取り、適切なアドバイスをいたします。
ナミヨミカミは欲のない白い光の持ち主です。
七色の光の世界には、常に陰陽の波が存在します。それを超越する方がナミヨミカミです。
ナミヨミカミはいつも謙虚で自らをひけらかすことは致しません。
でも明るく穏やかな光の波を感じます。
あなたの知らぬ間に、ナミヨミカミはあなたに必要な波を送ります。
誰でもがナミヨミカミの資質を持っています。
ナミヨミカミは祖先を大切にし、回りの方々を大切にします。
ナミヨミカミは、強い波が来た時は、それをしっかりと受け止め、その波の性質を変えることが出来ます。
先日とても素敵なナミヨミカミに出会いました。
その方は、私との会話を終えた時に、お礼として私の左膝を治してさしあげますと言いました。
私はそのひざ痛は、トレーニングのし過ぎでそうなったと思っていました。
その方は私にこう伝えました。
「あなたは、あなたが思う方に、どうしてこのことが分からないのだろうと思っていますね。今からそのことを忘れてください。」
そう話され、私の左膝に手を当てました。
その瞬間に、私の左膝痛は消えていました。
https://gendai.media/articles/-/58599?imp=0
【死ぬ直前に人間が体験する「虫の知らせ」と「お迎え現象」の正体】より
人には死を予知する力がある
亡くなる前、急に長男が帰ってきた
宮城県在住のIさん(83歳)は5年前、千葉県で暮す長男がひょっこり帰省した時のことが忘れられない。
長男はかつて不良少年だったため、Iさんは顔を見れば小言をいうのが癖になっていた。一方長男も、既に結婚し、いい歳であったにもかかわらず、母親であるIさんに対してだけはつい反発してしまうところがあったので、「久々の帰省」はいつも大喧嘩になり、「二度と敷居をまたがせない」「上等だ! こんな家もう絶対帰ってこないからな」となるのがオチだった。
「ちょっと時間が出来たからさ。お袋元気かなぁと思って」
照れくさそうに笑うと、出前の寿司をつまみ、母と同居している弟と酒を酌み交わし、終始ご機嫌で過ごした。翌朝は「やっぱりお袋の味噌汁は最高だよ」と、美味そうに朝食の味噌汁をおかわりし、その後は半日、愛車にIさんを乗せて紅葉ドライブを満喫。「じゃあ元気で」と笑顔で別れを告げたのだった。
そして1ヶ月後、長男は心不全を起こして職場で倒れ、緊急搬送されたまま、帰らぬ人となった。享年55歳だった。
「今思えば、息子はお別れに来てくれたんじゃないかと。虫の知らせだったんじゃないかと思うんです」
地元・楽天の優勝に、手を叩いて歓喜する長男の様子を思い出し、Iさんは涙をぬぐった。
事故や病気で不慮の死を遂げた人が、なぜか直前に、世話になった人たちの元を訪れたという話は多い。一方で、逆パターンもよく聞く。
都内に本社を置く、美容系メーカーの会長職にあるTさん(76歳)は、父親が亡くなった日のことを、鮮明に覚えている。
「僕は20歳でした。当時は、大学の友達の家を泊まり歩く毎日だったのですが、その日、急にたまには家に帰ってみるかと思ったんです。妙な胸騒ぎがしまして、帰らないといけない気がしたんですね。それで帰ってみると、家の前に救急車が泊まっていて、親父が搬送されるところでした。
突っ立っていると、玄関から兄が出てきて『ちょうどいいところに帰って来た。俺は付き添って行くから、留守番を頼む』と。結局、親父は脳溢血で、その夜死んでしまいましたが、僕は最後に顔を見ることができた。幽霊とかは全く信じないけど、虫の知らせだけはあると思っています」
大抵の人は、「不思議な偶然」と思うだろう。しかし筆者は、「人間には本来、自分や親しい人の死を予知する力が備わっているのではないか」と考えている。いや人間に限らず、動物は本能的に、死を察知する能力があるのではないだろうか。
医師も認める「死を予知する力」
たとえばゾウは、死期が近づくと仲間のもとを離れ、「ゾウの墓場」で最期を迎えるという。有名な医学雑誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンに紹介され、大変な話題になった「オスカー」という猫は、米国北東部のリハビリテーション介護施設で、患者の死期を感じとり、50人以上の死に立ち会ったと言われている。昔はカラスが屋根に群がっている家では、もうすぐ人が亡くなるなんていう迷信もあった。
ゾウの墓場は都市伝説の類であり、猫やカラスは、人間には分からない死の臭いを優れた嗅覚で感じ取っているだけ、という説もある。それはそうかもしれない。
だが、筆者が以前取材した医師(僧侶から医師に転身した)は次のように語っていた。
「私が属していた宗派では、悟りを開いた僧侶は、自分の死期を察知できるようになると聞いたことがあります。病気ではなく、事故などによる突然死であってもです」
この医師が出会った患者のなかには、自分が死にたいと思った時に、きっちり亡くなった人もいたという。
「その患者さんは、『誰にも看取られずに独りぼっちで逝きたい』と常々おっしゃっていました。独自の哲学をお持ちだったのです。それは看護体制が整っている病院ではなかなか難しいことですが、患者さんは面会の家族が帰って、看護師と私が一瞬病室を空けた隙に、臨終されました。死に顔は非常に安らかで、私には、患者さんがその瞬間を逃さずに亡くなったとしか思えませんでした」
在宅介護の4割が「お迎えあり」
それにしてもなぜ、このような能力が備わる必要があったのだろう。
人間に限っていえば、「死への心構え」「死に対する恐怖を和らげるため」というのがあるように思う。
たとえば医療や介護の現場では「お迎え現象」がよく知られている。お迎え現象とは、死の間際に亡くなった人々が枕元に立ち、あの世への道案内をしてくれるというもの。2008年には、医師と社会学者らによる学術的な研究調査の論文が公表され、話題になった。
調査の中心人物は、宮城県で在宅ケアの医療法人「爽秋会」を主宰していた医師の岡部健氏(2012年にがんで死去)だ。
ある時、岡部氏は死期が近づくと、多くの患者が「お迎えが来た」と話すことに気がついた。そして、そうした人々の多くが死の恐怖が和らぎ、穏やかに旅立っていることに注目し、2007年、仲間の医師や母校の東北大学の社会学者らと一緒に、これまで看取った700人近くの患者の遺族に「(亡くなった)患者が、他人には見えない人の存在や風景について語ったり、感じていたりした様子はなかったか」を尋ねる、アンケート調査を行ったのだ。
すると、366人の遺族から回答が寄せられ、そのうちの42.3%が「亡くなる前に『お迎え現象』があった」と答えたという。
さらに、お迎え現象が起こるのは「自宅」が87.1%で圧倒的に多く、「病院は」わずか5.2%。亡くなる数日前が一番多く43.9%で、ほとんどの人はお迎えが来てから1~2週間以内に旅立っていた。
興味深いのは患者の反応で、お迎えが来ても「怖い」と思った人は少なかったようで、お迎え後の故人の様子を尋ねると、「普段どおりだった」「落ち着いたようだった」「安心したようだった」などの肯定的な回答が45.8%。「不安そうだった」「悲しそうだった」などの否定的な回答36.8%を上回っていた。
また、お迎えに来た相手は、「亡くなっている家族や友人」が52.9%と多く、飼っていたイヌやネコが現れるケースもあった。そして、お迎えが来た人の約9割が穏やかに旅立っていた。
「せん妄」と「お迎え」は違う
こうしたお迎え現象は、医学的には「せん妄」と診断され、脳の機能低下が主な原因と考えられている。
しかしせん妄の特徴は、突然発症し、数時間から数週間にわたって継続し、かつ症状が時間とともに変化するというもの。その症状も、突然暴れ出す、意味不明なことを口走る、妄想・幻覚・幻聴、攻撃的になるなどで、お迎え現象とは似て非なるもののような気がする。
実際に、介護現場で働き、せん妄の患者に寄り添うことが多い施設の職員は、「せん妄の方は、恐怖におびえて苦痛を訴え、話す内容も混乱しています。でも、お迎えが来たとおっしゃる患者さんは、意識ははっきりしておりストーリーもきちんとしています」と違いを語る。
症状がひどい場合は治療の対象にもなる「せん妄」も「お迎え現象」も、原因は明確にされていない。岡部氏は「この現象を科学的に解明したり否定したりするのではなく、安らかに旅立つ死へのプロセスと考え、まず実態を調べるべきだ」と主張していた。
お迎えと似た現象は、認知症の一種であるレビー小体型認知症でも見られる。「小さな子どもが家のなかで遊んでいる」「戦死した夫がやってきた」「知らない男性がたくさんいる」など、幻視がかなりはっきりと見えるらしい。
頭の後ろ側(後頭葉)の血流が悪くなることが原因と説明されているが、患者本人にとっては「現実」そのもの。それなのに、家族が気持ち悪がって否定することで、家族間の関係が悪くなるケースが多いといわれている。まずは「本当に見えている」ことを理解し、否定せず、受け入れることが大切だ。
生涯が、走馬灯のようにかけめぐる
SF作家の故・星新一氏の傑作に『午後の恐竜』(新潮社)という作品がある。
「現代社会に突然出現した巨大な恐竜の群れ。蜃気楼か? 集団幻覚か? それとも立体テレビの放映でも始まったのか?──」というわけで世間は驚き、大騒ぎになるのだが、恐竜は蜃気楼でも幻覚でもなく、「地球」が「死ぬ間際」に、走馬灯のようにかけめぐっていた「生涯」だった。
筆者の父親は、病気で亡くなる一ヶ月前、「幻聴」を走馬灯のように楽しんでいた。父は病気の影響で耳がほとんど聞こえていなかったのだが。
「面白いんだ、この頃。小さい頃から聞いてきた会話や音楽や、さまざまな音が、ずーっと蘇って聴こえてくる。だからこうしてベッドに寝たきりでも、全然退屈しないんだ」と微笑んだ。
地球はどうか知らないが、人間には、死を穏やかに受け入れるための準備的な能力が備わっているのだろう。
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