http://zutsuu-daigaku.my.coocan.jp/hosp/22hakuin.htm 【白隠禅師の健康法=寝禅による内観法、軟酥(なんそ)の法】より
臨済宗の僧・白隠禅師は1685年徳川五代将軍綱吉の世に沼津市・原で生まれました。
猛烈な禅修行を始めましたが、いわゆる「禅病」にかかりました。
頭はのぼせ上り、両腕両脚が氷雪のように冷えて、心は疲れ切って、夜も眠ることができず、幻覚を生ずるようになりました。
山中に棲む白幽という仙人から、養生と病気の予防についての秘法を教えられ、やっと克服することができました。
その体験を73歳のときに執筆したのが『夜船閑話(やせんかんわ』です。
白隠禅師の唱えた健康法は仰臥禅(寝禅)で、多くの人の関心をとらえるようになりました。
ここに述べる内観法、軟酥の法による養生の健康法は、禅の基本的な考え=頭寒足熱(下腹部から下肢および足の裏まで温かくし、気持良くする観想法)が一貫して流れています。
内観法は呼吸器病、神経症、不眠に特によい方法です。頭痛でいえば「慢性緊張型頭痛」の治療にむいています。
この健康法は、日常生活で実現可能であり、すぐれた健康法と考え、ここに紹介いたします。
出典:杉田暉道著「やさしい仏教医学」出帆新社刊より
高僧、ちょっといい話に白隠さんの逸話が出ておりました。これが本当なら「白隠さんはすごい!とても真似できない」と尊敬してしまいます。
白隠(1685-1768)悪口を浴びて村中を「もらい乳」
白隠さんは駿河の原宿(現在の静岡県沼津市原)の松蔭寺に住しておりました。
あるとき、村の娘が父なし子を産みました。
娘の父親は、だれの子かと問い詰めましたが、娘は頑として相手の男の名は口にいたしません。
しかし、とうとう耐えきれずに、白隠さんの子だとウソをついてしまいました。
父親が日ごろから敬愛している白隠さんの子であれば、許してもらえるだろうという娘の浅知恵でした。もちろん白隠さんは、身に覚えのないことです。
娘の父親は松蔭寺に駆けこむや、「この生グサ坊主!よくも娘をキズものにしたな。お前の子だ、受けとれ」と怒鳴りながら、赤ん訪を突き出しました。
白隠さんは何の言い訳もせず、「ああ、そうか」と赤子を受けとりました。
この日は飴湯や米の粉をといて与え、翌日からは村中を「もらい乳」して歩き回りました。
それまで、高僧・傑僧として尊敬されている白隠さん、一転してとんでもない破戒僧とさげすまれ、弟子たちはもちろん信者も離れていきました。
それにもかかわらず悠然ともらい乳して歩き、赤子を親身になって育てる白隠さんの姿に、
当の娘のほうがこらえきれなくなり、ついに父親に本当のことを白状しました。
驚いた父親は、さっそく白隠さんに非礼をわび、赤子を返してほしいと恐るおそる申し出ました。
このときも白隠さんは「ああ、そうか」と、泰然として赤子を返したといいます。
白隠さんの心は、他人の子でも育てようとする慈悲にみちた仏性そのものであったといえましょう。
「仏教の生活」平成2年号彼岸号より
ウェッジ選書、芳澤 勝弘、白隠禅師の不思議な世界、2008
江戸中期の禅僧、白隠。現代のZENはこの人から始まった。「おふじさん霞の小袖ぬがしやんせ」、「この絵は達磨の絵にあらず」 ほか)
白隠は膨大な書画を残しました。その作品は書き殴ったような画風です。
二松学舎大学の寺山教授が電子顕微鏡で3万倍に拡大して白隠の書画を解析したところ、
墨の粒子が一粒一粒、整然と配列されていたということです。
偽作にはこの粒子の列が存在しません。
白隠は、気迫により、墨の粒子を整えるパワーを体得していたのです。
1.内観法
放下着と丹田呼吸の姿勢。上:丹田呼吸、下:放下着
仰臥禅を行う場所
布団の中、べットの中、畳の上、庭の芝生の上などどこでもよい。
仰臥禅には「夜の就寝前」と「朝の起床前」に寝床の中で行うという原則がある。
寝床はフワフワしたべットは避ける。背骨がピンと伸ぴるような平らな状態のものがよい。
煎餅(せんべい)布団が最もよい仰向けの姿勢(仰臥の姿勢)は最も楽な姿勢である。
この姿勢は、地球の重力を身体に委ねた姿勢で、宇宙に一切を委ねた姿である。
仰臥禅の時間
30分が標準といわれているが、時間があったら3分でも5分でもよい。
(1)放下着(ほうげちやく)
心中のモヤモヤしている雑念をすべて吐き出し、心をからっぼにすること。
たとえば、気に入らない上司や部下や友人のことなどを忘れ、また仕事がうまくいかないことや失敗などを一切放り出し、心の中をからっぽにする。
(2)数息観(すそくかん)
数息観とは、呼吸数を数えながら丹田呼吸〔下腹部に重点をおく腹式呼吸〕を行うことをいう。
まず床に入り、上を向いて静かに横たわる。枕の高さは握りこぶし一つ分とする。
気持ちよく目を閉じる。両上肢は脇の下に卵一個入れたような感じで自然に開く。
両下肢は腰幅程度に開いてリラックスする。全身の力を抜く。
ついで、両下肢を強く伸ばして踏み揃え、丹田呼吸を行う。
丹田呼吸の仕方
まず「フーッ」と身体中の息をすべてすっかり吐き出す。
次に大気を鼻の孔からゆっくりと吸う。
このときに「ひとつ」、「ふたつ」、「みっつ」、「……」と心の中で数える。
「ひとつ」を唱えるには「ひとーつ」と語尾を伸ばして唱え、静かにゆっくりと、鼻の孔から深々と大気を吸い込み、それを下腹部に満たす気持で「吸気」を行う。
すると大気は肺に満ちて、横隔膜は下がり、下腹部は大きく広がる。
かくして臍下丹田〔臍から下の下腹部〕の充実感が大いに感じられる。
「吸気」の所要時間は、初心者では5秒位である。
十分に大気を吸入したら、1~2秒、息を止めて次の「呼気」の動作の準備期間とする。
「呼気」も「吸気」と同じように数え、「ひとーつ」と伸ばす。
このとき、横隔膜は上がり、下腹部は凹む。
「……つ」と心の中で唱えながら、静かに、ゆっくりと鼻の孔から大気を吐き出す。
そして「吸気」と同様に5秒位かけて吐き出す。
「呼気」は「吸気」よりも所要時間が短くなりがちなので、「吸気」のときよりも時間をかけ、ゆっくりと行う必要がある。
初心者は1呼吸に10秒以上かけることは難しいが、修練により15秒程度をめざす。
(3)内観
放下着のうえ、丹田呼吸を行っていると、身体の充実感が感じられ、気分が落ち着き、安らかとなり、軽い催眠状態となる。
そこで次のような内観の言葉とともに観想〔心で見、深く思う〕を行う。
すると次第に身体全体の気が下腹部、腰、下肢、足の裏(「下半身」と呼称する)まで満ち渡り、
手足から身体全体へと温かくなってくる。そして何ともいえぬいい気持になり、そのまま熟睡に入れる。
今日のようなストレスの多い社会では極めて有効である。
(1)自分の臍のまわりから、下半身はそのまま自分の心であり、
それは浄土(禅では心そのものをさしている)である。それはどんなに荘厳であろうか。
(2) 自分の臍のまわりから、下半身は自分の身体の中にある阿弥陀仏である。
この阿弥陀仏はどのような法を説くのであろうか。
2.軟酥(なんそ)の法
軟酥の法とは、内観法と同じく、自己暗示によって潜在意識を変えさせる精神療法である。
卵ぐらいの大きさの軟酥の丸薬を頭上に乗せたとイメージする(酥とはバターのこと)。
丸薬が頭上から足の裏まで流れ込んでくると想像する。
方法
軟酥丸は、清い色をして、よい香りがする実に素晴らしい丸薬である。
これが頭全体を潤し、ヒタヒタと水が浸透するように下りてきて、
両肩、両上肢、乳房、胸、肺臓、肝臓、腸、胃、背骨、尾骨まで潤すと観想する。
軟酥がここまで下りてくると、すべての内臓の疾患や腹部の疼痛が消失する有様が、
水が流れるようにはっきり分かる。
さらに軟酥は両下肢を温かく潤し、足の裏まで到達するとその流れは止まると観想する。
ちょうど、名医が香りがよく、病気にもよく効くいろいろの種類の薬剤を
お湯で煎じて桶に一杯入れ、自分の両下肢をその中に漬けていると観想する。
禅師いわく「この方法を何回も根気よく行えば、どんな病気でも治せないものはない。
そして立派な徳を積むことができる。さらにどんな修行でも成功しないものはない。
また、どんな事業をやっても必ず成功する。
その効果が早く現われるか、遅く現われるかは、これを行う人の熱心さいかんによるから、
一生懸命に精進せよ」
3.頭寒足熱による養生
日常生活における頭寒足熱法について
就寝するときは、下肢から足を暖房などで温かくしておくと、速かに眠ることができ、翌朝の目覚めも極めて快調である。
日中でも長いソックスを二枚履くなどして温かくすると、上半身は薄着でも快適に過ごすことができる。
禅の基本的な考えは頭寒足熱である。
内観法と軟酵の法は、観想により頭寒足熱を実現する。
丹田〔下腹部〕から下肢の末端にかけて、温かし、気持をよくする。
心気が頭に来た状態は心火逆上(いわゆる「のぽせ」)という。
心火逆上時は、精神状態も不安で、落ち着きがなく、身体もフラフラして力がない。
額に手を当ててみると、熱っぽく、足を触わってみると氷のように冷えている。
頭寒足熱状態では、心気がさがっている。
下腹部~足の爪先までが充実し、気力は充実し、額に手を当ててみると涼しく、足に触わってみると、温かい。
もしカッカした心気を下腹部、下肢さらに足の裏まで持っていくことができるなら、
胸の中は自然に清涼となり、ちょっとした感情の揺れも起こらない。
心が本当に澄み渡った気持になる。
これを真観清浄観(しんかんしょじょうかん)という。
このようになれば頭痛も解消するであろう。
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