⦅祭・祀り・奉り・間釣り ⦆
敗戦を境に アメリカナイズされ続けた私たちは日本人としての誇り、日本人としてのメンタリティ、日本人としての文化と歴史を見失っているのではないでしょうか?
歴史の浅いアメリカでは骨董品に人気が集まると聞きます。
フロンティア精神でネイティブアメリカンを侵略し続けたピユーリタン達は祖国を追われた民でした。(西部開拓史)
しかし、新天地アメリカも「人種の坩堝」といわれるように真実の祖国とは成らず・・
植民地をどれほど得ても満たされない彼ら、自分の祖国・ルーツを失った彼らは 満たされることのない所属欲求を 生理的欲求(物欲)で満たすが如く 更なる富と権力を求め続けます。
ディアスポラの民ユダヤ人もそうですね。
ユダヤの祖とされるセム族はメソポタミヤ文明の中で生まれました。
しかし木材を伐採し続けたセム族は 飢饉に遭遇することになり 族長の一人イサクは 息子ヨセフの援助を得て エジプトに身を寄せることになります。
しかし寄留の国エジプトで その子孫が繁栄し続けたイサクの民は エジプト人から恐れられ、奴隷の憂き目にあうことになります。
「出エジプト」こそ「奴隷から解放されたユダヤ人」の救いの原点であり、モーセ5書こそユダヤ教の聖典です。
しかし「出エジプト」から導かれた「約束の地カナン」は まもなく ローマに征服されてしまいました。
ユダヤ教の会堂で礼拝を捧げ学びをしていた クリスチャンもユダヤ教信者も ローマから 迫害を受けることになりました。
イエスは反ローマ運動の指導者として処刑されました。
イエスの死後 クリスチャンは もちろんローマの敵として 抹殺され続けました。
そのローマがなぜキリスト教を国教会と定めたのでしょうか?
「戒律を重んじるユダヤ教」や「多神教」よりも、「神の愛を説くキリスト教」は楽に 信者になる=仲間を作ることができる教えです。(自力本願のユダヤ教:他力本願の キリスト教)仲間が大勢になれば国の統治に利用され、それによってさらにキリスト教会の地位が増し、 信者になりたがる人も増える構図が見えます。
迫害をし続けたにもかかわらず クリスチャンはより大勢となったため、テオドシウス帝が統治に利用するため国教と指定するに至ったと考えられます。
ユダヤ教はキリスト教に キリスト教はローマに 乗っ取られたと言えば言い過ぎでしょうか?
ユダヤ人(ユダヤ教信者たち)は 約束の地カナンさえ失ってしまったのです。
祖国を失うとは 自分のルーツを失うことです。
それは満たされることのない飢えと渇きを産むことになるのではないでしょうか?
一方メソポタミヤ文明の崩壊の憂き目に晒された ヤコブ一族以外のセム族は どのように生き残ったのでしょう?
シルクロードが示す如く 新天地を求めて 民は中央アジアへと移住したとは考えられないのでしょうか?
実際日本にはユダヤ同祖論が 有力な論として存在しています。
もしかしたら 私たち日本人のメンタリティの中には自分のルーツを失った民の痛みがあるの かもしれません。
では自分のルーツを取り戻すにはどうすればよいのでしょう?
夏祭りのシーズンです。祭のお囃子を聞くと血が騒ぐと よく言われます。
祭が深い意識レベルに関わることをよく示しています。
祭・祀り・奉り・間釣りとは 言霊的には「天とうつし世を繋ぐ「ま」を釣り合わせ すべてと調和バランスを回復する宴」と言えると思います。
その上、祭りに集う人々の心は一つになります。
天地人が一つになり、人々が一つになる=自分のルーツを取り戻す・・・
祭り(祭・祀り・奉り・間釣り)にはそんな力があるのではないでしょうか?
Facebook神道の心を伝える投稿記事【新生古事記伝 アニメーション映画全編】
世界の国々に様々な神話があるように我が国日本にも神話がある。
西洋にはアダムとイブ、ノアの方舟。
そして、我が国日本には【古事記】が存在する。
古事記には神々が力を合わせて国を作り、神を作り、地上を統治する話が描かれている。
また、そこに描かれる神々は、我々と同じ様に、誤解や嫉妬、様々な憎悪に悩ませられながら、怒り、苦しみ、悲しみ、それを乗り越えてこの国を作ってきた。
そこで経験した精神は現代の我々に大きく影響を与え、そこに、日本人らしさが生まれている。
だが、現代の日本人に、その古事記を語るものは少なく、何千年と伝えられた我が国の神話は失われようとしている。
ある歴史学者がこう言った。神話がなくなると、その国は100年で滅びる。
先日沖縄で、ある宮司を訪ねた。
琉球王朝を倒し、日本から戦略された歴史がある沖縄の方々は日本が一度も滅びたことなく、未だに続いていると聞くと、違和感を感じないかと聞いてみた。
すると、『沖縄には沖縄の神話がある。その神話の中にはアマテラスは沖縄に降臨し本土に渡ったとある。私達は同じ神を持つ日本人です』と…
そうである。同じ神を持つ民族を我々は日本人と呼んでいたのだ。
この様に人々を繋いでいたのは神話であった。神話が失われて約70年。
神話が完全になくなる前に、日本の人々に今一度日本神話、古事記を学んでもらいたい。
その一心で作ったのが新生古事記伝である。
単なる物語だけではなく、そこに息づく神々の営みや精神が描かれている。
【なぜ日本人はその様に考えるのか?】【なぜ日本人は、その様に動くのか?】
【なぜ日本人はこうなったのか?】日本人が日本人である証を噛み締めてもらいたい。
そして、愛する子供たちに、または海外から訪れた外国人の方々に胸を張って伝えてもらいたい。なぜならば、私達は日本人だからである。
新生古事記伝はそこに登場する八百万の神々を通して、自分自身を振り返ってもらいたい。
また、人間に様々な性格がある様に、神々にも様々な神格がある。
人々に明かりを照らすものだけが特別な存在ではなく、その照らす者を支える者、力はあっても差し控える者、人の嫌がることを率先してやる者、様々な役割を果たすことでこの世は成り立っている。
この事実を今一度嚙み締めるために、皆様にも分かりやすく、親しみやすい動画を作成している。映画のタイトルは【新生古事記伝】今回紹介する映像は新生古事記伝のオープニングである。この映画は約2時間で構成される。
古事記の説明をその神を祀る神社の宮司様に紹介頂く。現在、幾つかの神社の宮司様に参加して頂くようになっている。
例えばオオクニヌシの国造りの物語を出雲大社の神主様にして頂く。
天地開闢、国生み、神生み、天岩戸、ヤマタノオロチ、因幡の素兎、国造り、国譲り、天孫降臨 それぞれの物語をその場面場面で登場する神様を祭神に祀る神社の神主様に説明して頂く予定である。
さらに、代表する八百万の神々のアニメーション制作も現在進行中である。
神仏習合により、神に変わり仏が説法を解いていた。
しかし、神仏分離以降、神道は言葉を失った。神道は言挙げしないという。
しかし、誰かが代弁して言挙げしなければ人の意識の中から徐々に薄れ、人々の繋がりが絶たれ、国は滅びて行く。
神道の心を伝えるでは皆様の代弁者として、伝えていくつもりである。
是非、皆様も協力してください。
この国の素晴らしさを感じたならばシェアして、多くの方にお伝えください。
是非HDにて御覧ください。
Facebook相田 公弘さん投稿記事 【日本のよき価値観】
東京大学大学名誉教授・医師、矢作直樹氏の心に響く言葉より…
戦後の日本は米軍人と米民間人の多数によって組織されたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の支配下で見事にコントロールされていました。
彼らは今次大戦でアメリカを窮地に追い込んだ日本が二度と立ち上がれないようにとさまざまな仕かけを施しました。
その中で「War Guilt Information Program(WGIP:戦争犯罪宣伝計画「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」)という思想工作が徹底して行われました。
それは日本人にかけられた強い洗脳でした。
このプロジェクトに基づいて日本は戦後、「ナショナリズムは危険である」「戦前の日本人は全部間違っていた」と、日本人としての歴史や誇りに至るまでそのすべてを捨てさせられました。
壮大なプロジェクトの結果、教育観、仕事観、経済観、家族観、さまざまな局面で時間の経過とともに強まったのが「利己主義」です。
社会全体の利益ではなく、まずは個別の利益を求める風潮は、私たち日本人に広まってしまいました。
他者とともに生きていくのではなく、まずは自分が生きることを優先する。
徹底した競争主義、区別と差別の混同、格差の拡大を厭(いと)わない空気(競争の結果として当然と考える)、あまりにも強欲な市場経済至上主義とそれを支持する日本人たち…「我が、我が」という我欲に満ちた今の社会こそ、戦後の日本管理を一手に握ったアメリカのシナリオが見事に実現した結果であり、彼らが創造したものこそ「日本人らしくない日本人」でした。
長年、いろいろな組織で働いていると、空気の読めない人が増えたなと感じますが、自己主張という言葉の意味を正しく理解できない日本人が増殖していることは、この利己主義が代々、徹底して作用している証拠だと考えます。
日本人が戦争終結にホッとして戦前のすべてを害毒として捨て去ってしまおうとした庶民感覚は十分理解します。
私も含めて現在の社会で働いている人間の大半が戦後生まれですから、戦争中、いかに大変だったかを実体験していない分、本当の辛さを知ることはできません。
しかしながら道徳を含めた教育の徹底というカリキュラムまでも全部捨て去ってしまって、アメリカのソフトを輸入・依存したことはとても問題です。
日本の教育現場では、親の大切さ、国(郷土)を想う心、日本の歴史、友人のありがたみ、お互いさまの心、おかげさまの気持ち、本当に大切なことを若い世代に教えていました。
1990年代から2000年代にかけて世間を騒がせたオウム真理教の事件に代表されるように、ある領域ではよく働く頭脳を持っている人間たちが闇に取り込まれていく様を見ていると、人間の弱さを痛感すると同時に人を支配することの怖さが身に沁みます。
その根底には「自分を否定する感情」があります。
自分を否定し続けると、人間は外的な影響でいかようにも変化します。
変化すると言うより、「変化させられる」と言ったほうが正しいでしょう。
洗脳というのはそのプロセスのことです。
これは仕事に責任感が持てない気持ちと同じです。
自分への自信のなさの裏側には、外部評価の奴隷となっている自分がいます。
他者からどんなふうに思われているのか、他者が自分のことをどう考えているのか、それが気になって仕方がないのです。
支配しようとする側は、相手のそんな弱い部分につけ込みます。
こういう構図そのものが、日本人には相容れない図式です。
構図の中心には「自虐史観(じぎゃくしかん)」がありますが、日本人は全部ダメだった、アメリカが正しいから従おう、皆考え直さないとダメだ、戦後に植えつけられたそんな思想が時間を追うごとに強まり、弱くなった気持ちに海の向こうからやって来た新しい価値観が導入され、現在のように実にいびつな国家が形成されました。
それでも私はそこまで歪んだ意識を植えつけてくれたアメリカに、内心感謝しています。
なぜならようやくアメリカ型の支配管理手法がいかに矛盾に満ちたものだったかと世界中が気づき始め、日本人も遅ればせながらようやくそこに気づき、本来の日本人として目覚めようとしているからです。
若い世代ほどそのスピードが速いなと感じます。
長年、日本人を洗脳し続けた自虐史観という存在は、まさに反面教師として、日本人をあるべき方向に戻してくれる装置だったのでしょう。
これもアメリカのお役目だったのかなと思わざるを得ません。
さらに日本の救いは天皇陛下がいらっしゃることです。
天皇というお立場は「国民の幸せと国家の平和を祈る最上位の人」です。
東日本大震災から一年が経った日の式典における天皇陛下の言葉はずしりと響きました。
有事を想定していない歪(いびつ)で不自然な憲法、すぐに混迷を極める政治、享楽に走りがちな国民、周辺国からの経済圧力、どんなに行き詰った状況でも、天皇陛下は日本国民と日本国のために日々祈って来られました。
私たちは今こそ、その御姿に真摯(しんし)に学ぶべきだと思います。
自分がやるべきことをしっかりやる。
迷わずに行う。
お役目を果たすということは、そういうことではないでしょうか。
『ご縁とお役目』ワニブックスPLUS新書
ケント・ギルバート氏は「愛国心」についてこう語る。
『100%の確信をもって断言しますが、現代の日本人は「愛国心」という言葉に対して、何かしらの抵抗感を持っています。
読者の中に、子供時代から現在に至るまで、「私は愛国心を持っています」と言い続けた日本人が何人いるでしょう。
戦後生まれであれば、よほど愛国心の強い両親に育てられ、学校の教師や友人など、環境にも恵まれた人でないかぎり難しいと思います。
ほとんど全滅に近いのではないでしょうか。
ちなみに一般的な家庭で健全に育った米国人であれば、「あなたは米国に愛国心を持っていますか?」という質問に対して、ほぼ全員が、「はい。私は子供時代からずっと、米国に愛国心を持っています」と即答するはずです。
幸い私も、そのような極めて一般的な考えを持つ米国人の一人です。
だから日本人の愛国心への抵抗感を見ると、とても奇異に映るのです。
「愛国心」という言葉を使うのは後ろめたく、カッコ悪いことだと思っている日本人は、世界に出かけた場合には、逆にバカにされたり、大恥をかいたりしてしまうかもしれません。
世界のほとんどの国では、自然に愛国心を表明することが、ごく当たり前だからです。
むしろ、「愛国心はありません」などと平気で答える人のほうが、多くの場合、世界中で奇異な目で見られて、信頼を失ってしまうことを、日本の皆さんは知っておくべきです。』(ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人 /PHP新書)
まさに、「愛国心」という言葉を言うことに対して後ろめたさを感じさせる教育が、戦後のアメリカによる自虐史観の教育。
「愛国心」とは、たとえば、サッカーの国際試合で、外国と日本のチームが戦っているとき、日本のチームを自然と応援するようなこと。
あるいは、自分の生まれ育った町や村、地域を愛するような郷土愛とも似ている。
ちなみに愛国心は「ナショナリズム」であり、郷土愛は「パトリオティズム」という。
今こそ我々は、戦後の自虐史観の呪縛から逃れ、「親の大切さ、国(郷土)を想う心、日本の歴史、友人のありがたみ、お互いさまの心、おかげさまの気持ち」という、日本のよき価値観を自信を持って取り戻したい。
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