https://www.chunichi.co.jp/article/104985 【互いを尊重 争いなき世へ】より
きょう十五日は戦後七十五年の終戦の日。本紙は今年も、読者の皆さんから寄せられた「平和の俳句」をお届けします。「平和の俳句」は戦後七十年の二〇一五年に本紙上の「軽やかな平和運動」として始まりました。今年は、過去最多の八千五百三十四句、北陸本社には四百十句が寄せられました。作家のいとうせいこうさん(59)と俳人の黒田杏子さん(82)が選んだ三十句を特集面で紹介します。富山、石川両県からは、土井由三(よしぞう)さん(79)=富山県射水市=の「色競うあじさいの花争わず」が選ばれました。
「競い合いながら花を咲かせて、仲良く一つにまとまっていく。互いを尊重し、力を合わせて努力することが大切だ」
自宅近くの富山県民公園太閤山ランド(同県射水市)には、七十品種二万株のアジサイが植えられており、梅雨に花を咲かせる。この春、中学生になった孫とよく見た。句はそうした「日常の営みから生まれた」。
八十二歳で亡くなった父親は旧満州(中国東北部)とモンゴル国境付近にあるノモンハンで戦争を経験。砲弾を受けた傷痕が体中にあり、季節の変わり目に痛みでうずくまる姿を見て育った。「戦争を二度としてはいけない」。幼少期からそう思うようになった。
父親は体験を話したがらず、一九四一年生まれの自身は防空壕(ごう)に入った記憶くらいしかない。「もっと聞いておけばよかった」。父親が戦時中に使っていた水筒や、寄せ書きした日の丸を命日に供養している。
「記者は歴史の立会人になる。記録に残す重要な仕事をしている。被爆者の取材は使命」。三十四年間、富山県内の新聞社で記者として勤務。被爆者の活動を意識的に取材した。
今夏は新型コロナウイルスの感染防止のため語り部活動や追悼式もできない。「何らかの形で継承することが大切。リモートや参加者を限った形でもいい。発言機会がない人には機会をつくっていかないと戦争の記憶が埋没してしまう」
北陸中日新聞の平和の俳句に共感し、二〇一五年から応募を続けてきた。
「日本の憲法九条は世界に向けたメッセージ。武力を使わず平和的な話し合いで解決する。政治と外交をきちんとやれば、戦争をしなくて済む」と力を込めた。 (小寺香菜子)
https://www.fujiwara-shoten-store.jp/SHOP/9784865781199.html【存在者 金子兜太】より
黒田杏子=編著
[推薦]日野原重明氏(105歳)・ドナルド・キーン氏(94歳)
“存在者”であること、平和であること。日野原重明氏(105歳)、ドナルド・キーン氏(94歳)、推薦!!
2015年度朝日賞を受賞、激戦地トラック島にあって、ありありと“存在者”であった戦友たちの記憶を語った俳句界の最長老、金子兜太。
白寿を目前に、権力に決して侵されない生(=平和)を守るため、今なお精力的に活動を続ける、超長寿・現役俳句人生の秘訣とは? 俳人・黒田杏子が明らかに!
〈付〉口絵32頁「金子兜太アルバム」
〈特別CD付き〉金子兜太+伊東乾「少年Ⅰ」
目次
存在者とともに――編者はしがきにかえて 黒田杏子
第1章 存在者の俳句作品
ふるさと秩父/年明ける/被曝福島/東国抄/日常
第2章 存在者として生きる
存在者として生きる 平和の俳句――第12回「みなづき賞」受賞記念ライブトーク
〈鼎談〉金子兜太+いとうせいこう+加古陽治(司会)
死者とともに走る
戦争体験語り続ける
人間って善いもんだ――トラック諸島で見た修羅場
声の存在者 “Der” Existenz
金子兜太を作曲する――『少年Ⅰ』(2016/17) 伊東 乾
第3章 金子兜太かく語りき
わが俳句人生
金子兜太自選五十句/金子兜太略年譜
鶴見和子さんのこと――「偲ぶ会」でのスピーチ
姐御としての鶴見和子さん/献杯と祝杯と
第4章 兜太を知る
兜太さんへの手紙
情熱と、綿密さと 深見けん二
秩父のおおかみ 星野 椿
厳しく、あたたかい眼で 木附沢麦青
人間・兜太さん 橋本榮治
それでもの 横澤放川
「生きもの」として アビゲール・フリードマン(中野利子訳)
一人の俳人として 櫂 未知子
いつも隣に マブソン青眼
土の香り立つ 堀本裕樹
子馬のように 高柳克弘
?気の系譜 中嶋鬼谷
兜太三句 井口時男
第5章 昭和を俳句と共に生きてきた
青春の兜太――「成層圏」の師と仲間たち 坂本宮尾
兜太の社会性 筑紫磐井
第6章 存在者の日常
兜太さん 三つの俳壇活動 黒田杏子
存在者兜太さん 長寿の秘訣――ゆったり生きる ふだんの暮らし
黒田杏子+金子眞土+金子知佳子
あとがき――感謝のことば 金子兜太
あとがき 黒田杏子
関連情報
金子兜太さんは現在も俳人として進化をつづけられ、人間性も深化しつづけておられます。
年をとるたびに若々しくなられる。人間がやさしく慈愛に満ちてこられる。いのちの耀きが増してきて広く人々に愛されるようになってこられている。秩父音頭などをアカペラで大勢の人の集まる会場で朗々と唄うことの出来る声量がある。ともかくめったに出会えない珍しい俳人にめぐり会えたことをいよいよありがたく思います。
黒田杏子
存在者とは「そのまま」で生きている人間。いわば生の人間。率直にものを言う人たち。これが人間観の基本です。
存在者の魅力を確認したのは戦争です。私は二十五歳から二十七歳まで南方のトラック島で海軍施設部の隊におりました。そこは存在者の塊のようでした。その愛する人たちがたくさん死んでしまった。
私自身、存在者として徹底した生き方をしたい。存在者のために生涯を捧げたいと思っています。金子兜太「朝日賞受賞記念講演」より
●金子兜太(かねこ・とうた)
1919年生まれ。俳人の父、金子伊昔紅の影響で早くから俳句に親しむ。27年、旧制水戸高校に入学し、19歳のとき、高校の先輩、出沢珊太郎の影響で作句を開始、竹下しづの女の「成層圏」に参加。加藤楸邨、中村草田男に私淑。加藤楸邨に師事。東京帝大経済学部卒業後、日本銀行に入行するが応召し出征。トラック島で終戦を迎え、米軍捕虜になったのち46年帰国。47年、日銀復職。55年の戦後第一句集『少年』で翌年、現代俳句協会賞受賞。関西同世代俳人と交わるうち、その活気のなかで俳句専念に踏切る。62年に同人誌「海程」を創刊し、後に主宰となる。74年日銀退職。83年、現代俳句協会会長(2000年より名誉会長)。86年より朝日俳壇選者。88年紫綬褒章受章。97年NHK放送文化賞、2003年日本芸術院賞。2005年チカダ賞(スウェーデン)を受賞。日本芸術院会員。
著書に、句集『蜿蜿』(三青社)『皆之』『両神』(日本詩歌文学館賞。以上、立風書房)『東国抄』(蛇笏賞。花神社)『日常』(ふらんす堂)の他、『金子兜太選集』4巻(筑摩書房)がある。近著に、『金子兜太養生訓』(白水社)『小林一茶――句による評伝』『語る 兜太――わが俳句人生』『いま、兜太は』(岩波書店)等、多数。
●黒田杏子(くろだ・ももこ)
1938年生まれ。俳人。東京女子大学入学と同時に俳句研究会「白塔会」に入り山口青邨の指導を受け「夏草」に入会、卒業と同時に広告代理店「博報堂」に入社。67年青邨に再入門。90年、師没後「藍生」を創刊、主宰。『黒田杏子句集成』全四句集・別巻一(角川書店)。日経俳壇選者。
http://hbtabi.blog.fc2.com/blog-entry-443.html 【平和の句俳句 1018 夏】より
たひらけしひとひはちがつじゆうごにち 岩松 明子(54) 東京都練馬区
今年は平成最後の夏。「平」も「成」も「たひらぐ」の読みがある。入選作の「たひらけし」は平穏だ、「ひとひ」は一日。東京都練馬区の家事手伝い岩松明子さん(54)は「この国がじかに戦争することのなかった30年間でした。新しい元号になっても平和をそっと感じられる毎日になるように」と祈りをこめ、やわらかな平仮名十七音を紡いだ。
「あの日の空はとても青かった」と80代になった両親から聞く。焼け野原のくすんだ色、防空壕(ごう)の暗さとの対比。空襲のなくなった空を見上げる解放感。だからこその色だったのではと思う。沖縄本島南部の海の青が深いのは、沖縄戦で大勢が飛び込んで亡くなったからだと感じる。
多読家の両親にも勧められ、広島で被爆した作家の竹西寛子さんらの戦争文学を夏ごとに読み返す。
「重い日ではありますが、心の中で手を合わせるような一日でしょうか。空の色、そしてどんな風が吹くかを感じようと思います」 (辻渕智之)
8-15平和の句
戦後73年、平成最後の2018年夏、「平和の俳句」が復活しました。戦後70年が80年、100年、永遠へと続くように願いを込め、2015年1月1日から3年間、読者の皆さんと続けた「軽やかな平和運動」。
復活版の選者は、故金子兜太さん=2月に98歳で死去=とともに「平和の俳句」を提唱し、スタートから選者を務めた作家のいとうせいこうさん(57)、金子さんの後を継いで17 年9 月から選にあたった俳人の黒田杏子(ももこ)さん(80)、テレビ番組でおなじみの俳人・夏井いつきさん(61)の3人です。7349通の投稿から選ばれた計30句と関連する記事を8月15日の朝刊紙面に掲載しました。
〇金子兜太さん
いとうせいこうさんが選んだ10句
兜太忌(とうたき)や通年の季語平和とし 大山 陽子(71) 東京都国分寺市
木下闇(こしたやみ)国に三つの爆心地 神戸(かんべ) 隆三(70) 愛知県一宮市
たひらけしひとひはちがつじゆうごにち 岩松 明子(54) 東京都練馬区
非戦ビラ配る小道のアカマンマ 田中 しげ(89) 愛知県阿久比町(あぐいちょう)
八月は体内にあり死ぬる迄(まで) 川崎 愛子(86) 愛知県岡崎市
川のいろ田んぼのにおい空のいろ 萩原 大樹(はぎはら・ひろき)(11)愛知県小牧市
葉月また死者足ぶみし山河沸く 池田 美咲枝(みさえ)(70) 金沢市
遠国(とつくに)や帰れぬ御霊(みたま)敗戦忌 日比 史朗(86) 愛知県一宮市
平和の詩十四歳が朗朗と 平田 徳子(のりこ)(84) 東京都品川区
戦争は八月だけしたわけじゃない 越智 祥太(さちひろ)(50) 東京都江戸川区
【いとうせいこうさん選評】平和への希求 変わらず
予想をはるかに超えた数の句をいただき、その多くが平和の俳句を以前に送ったことがないと思われる方々の体験句、または身近な死者の代弁をする句、そして子供たちの希望をあらわす句であることに驚いた。
平和への希求がまるで変わらずそこにあったからである。連載時にもまして、その思いは強くなっているようにさえ私は感じた。私の選ばせていただいた十句にもそれは如実である。終戦の八月に戦争の過酷と悲惨を生々しく思い出し、想像し、中には<戦争は八月だけしたわけじゃない>とムードのみの慰霊を戒め、戦争の体制が今なお生き延びて原発事故にまで及んでいることを<国に三つの爆心地>と詠んで改めて知らせる。
平和は季語だ、と私も思う。季語中の季語だと。それは故金子兜太氏ともよく話したことだ。私たちは一年中、それを詠む。
黒田杏子さんが選んだ10句
畑中の地蔵の前に芋ふたつ 須田 卓(たかし)(70) 岐阜県御嵩町(みたけちょう)
ぼくは、はい句で平和を知った。 鈴木 主逞(すたく)(8) 愛知県一宮市
はにかみて高校生の署名かな 金指(かなざし) 孝造(70) 東京都足立区
沖縄の少女の詩や生きようぞ 岡部 八千代(75) 東京都荒川区
千羽鶴チビチリガマの奥の奥 多田 治周(じしゅう)(80) 福井県勝山市
平和の句ずーっとつづけてほしかった。 小林 政則(71) 石川県白山市
戦車より鉛筆1本菫草(すみれそう) 倉橋 千弘(ちひろ)(79) 浜松市西区
敗戦日母切々と着物縫ふ 吉田 邦幸(くにゆき)(77) 東京都新宿区
つわものでなく夏草になる勇気 中島 容子(53) 神奈川県鎌倉市
兜太翁(とうたおう)平和の俳句新盆(にいぼん)に 小出 成行(なるゆき)(78) 浜松市中区
【黒田杏子さん選評】老若男女から 選者冥利
<「平和の俳句」。あれはよかったな。俳句を書いたことのない人が句を寄せてきた。「これこそが平和だ」と生活の中で具体的に実際に感じていることを素直に書いてくる若い人たちの句も実によかった。「平和の俳句」はまさにそれだからね。それとね、「平和な俳句」じゃなくて、「平和の俳句」。ここが大事なんです。日常のなかで「これこそが自分の平和なんだ」と生の人間がかみしめ、味わっていく。戦争体験があろうがなかろうが、季語があろうがなかろうが、関係ない。だから小学生でも老人でもできるんだよ。>
まさに故金子兜太先生のお言葉どおりの作品が各地から寄せられ、全力を挙げて選に当たりました。兜太先生の願いと希望は実現されていました。選者冥利(みょうり)に尽きる充実した時間。皆さまのさらなるご健勝とご健吟を心よりお祈り申し上げております。
夏井いつきさんが選んだ10句
シベリアの夕陽胡桃(ゆうひくるみ)に閉じ込めて 長田 泰志(おさだ・やすし)(44) 金沢市
八月の入道雲は抗(あらが)えと 中島 悦郎(えつろう)(68) 東京都渋谷区
胎内から空襲の街見たような 安達 みつ江(72) 茨城県石岡市
蟹穴(かにあな)に蟹飛び込んで平穏なり 鈴木 正勝(80) 静岡県湖西(こさい)市
爆撃機母のピアノもひまわりも 拝田 章(はいだ・あきら)(77) 愛知県小牧市
サイレンの止(や)んだ日母は芋を干す 飯塚 禅孝(ぜんこう)(82) 茨城県土浦市
そのあとなのかその前なのか青嵐 梅田 昌孝(65) 愛知県北名古屋市
平和ってリコーダーならミの音だ 稲川 晃成(ひろしげ)(11) 千葉県市川市
一本の鉛筆祈りを孵化(ふか)させる 秋山 千佳(ちか)(38) 東京都杉並区
僕たちと「普通」が違う少年兵 高木 勇吹(いぶき)(14) 名古屋市瑞穂区
【夏井いつきさん選評】心を揺する作品の数々
ただのシュプレヒコールではなく、詩の力で平和を訴えること。それが「平和の俳句」ではないかと考えます。その意味において<一本の鉛筆祈りを孵化(ふか)させる>に強い感動を覚えました。季語はありませんが、<祈りを孵化させる>は美しい詩語。そして<一本の鉛筆>で平和を訴えていこうという凜々(りり)たる意志に満ちています。
「平和」という漠然とした言葉に、さまざまな視点で詩を紡ぎ、読者の心を揺する作品の数々。<蟹穴(かにあな)に蟹飛び込んで平穏なり>。蟹のように防空壕(ごう)に飛び込む自分を思う人もいるでしょうし、いま私たちが飛び込める穴はあるのか?と不安を募らせる人もいるでしょう。<平和ってリコーダーならミの音だ>。音階の「ミ」はあたたかい音だと感じる十一歳の少年。この子たちのために、怖い音、淋(さび)しい音に満ちた未来をつくってはいけないと固く固く念じます。
●いとう・せいこう 1961年、東京都葛飾区生まれ。早稲田大卒業後、出版社の編集を経て音楽、舞台、テレビなどマルチに活躍。88年に小説『ノーライフ・キング』で作家デビュー。99年、『ボタニカル・ライフ』で講談社エッセイ賞。2013年、東日本大震災をモチーフにした『想像ラジオ』で野間文芸新人賞。最新作は『小説禁止令に賛同する』。
★くろだ・ももこ 俳人、エッセイスト。1938年、東京都生まれ。俳誌『藍生(あおい)』主宰。東京女子大在学中、山口青邨(せいそん)に師事 。広告代理店「博報堂」で『広告』編集長を務めた。句集に『日光月光』(蛇笏賞)、『木の椅子』(現代俳句女流賞、俳人協会新人賞)、『銀河山河』など。金子兜太さんと50年近い交流があった。
■なつい・いつき 俳人。俳句集団「いつき組」組長。1957年、愛媛県生まれ。中学校の国語教諭を8年間務めた後、俳人に転身。学校での俳句の授業や「俳句甲子園」の創設に携わるなど、俳句の裾野を広げる活動を続ける。テレビ番組「プレバト!!」(TBS系)の俳句コーナーや「NHK俳句」(Eテレ)の選者でもおなじみ。句集に『伊月集』など。
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