https://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/2293341.html?__ysp=5bGx6Jek44Gv5bGx6Jek44KS5ZCQ44GN44Gk44Gl44GR44Gm44KS44KKIOS6lOWztumrmOizhw%3D%3D 【山藤は山藤を吐きつづけてをり 五島高資(ごとう・たかとし)】より
季語・・・山藤(やまふじ)・春「俳句スクエア」主宰。長崎県生まれ、栃木県在住。
血液学の医師でもある。
五島高資は現代俳句のもっとも有能な作家の一人だ。
戦後、俳句の世界では伝統派俳人と新興派俳人との間で、これからの俳句について激しいせめぎあいと論争があった。
結局、両者は相入れることが無く、決別したが、その後の世代に伝統派の確かな「描写力」と「格調」、新興派の鋭い「感性」や「言語感覚」を併せ持った作家があらわれることになる。
私はその最たる作家が彼だと思う。
彼はまだ30代後半の作家であるが、早くから頭角をあらわし、伝統派、新興派の俳人両方から支持されている逸材である。
新興派の俳人によって結成された現代俳句協会のホープであるが、流派を超えた迫力と確かな実力を持っている。
近作では、
目の覚めて白河駅は銀河なり
という壮大で不思議な秀句も発表していた。
さて、掲句であるが、この句も現代的感覚と確かな描写力に満ちた傑作であると思う。
山藤は公園や神社などの藤棚に咲く藤の花とは違い、山の雑木に混じって長く、鮮やかな花房を垂らす野趣のある花だ。
その山藤が咲き継ぐ、荒々しく美しいさまを、彼は山藤が山藤を「吐きつづけている」と描写した。
この把握は「究極の写生」だと私は思う。
「写生」とは見たものをそのまま写し取ることではないのだ。
松尾芭蕉のいう「ものの光り」、つまり「ものの本質」を描写することである。
この句は、山藤の持つ野性的な趣と美しさという、その本質を見事に表現している。
「吐きつづけをり」という字余りが、句に迫力を与えていることも見逃せない。
彼の持っている言語感覚の冴えも伺える。
風光る胸まで流すなみだかな 五島高資 「雷光」
竜天に登る月夜の蘇鉄かな 五島高資 「雷光」
力とは地から飛び立つ寒すずめ五島高資 「雷光」
https://izumotaisya.jp/2018/04/28/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E3%81%AE%E8%97%A4%E3%81%AE%E8%8A%B1/ 【出雲大社の藤の花】より
出雲大社境内の藤の花が、次々に花をつけています。
<山藤が山藤を吐きつづけおり 五島高資>
裏手の山にも見えますね。もりもりと咲き続ける生命力と共に、湿気を含んんだしっとりした風情がよく似合う花ではないでしょうか。————————————-
◆春季例大祭の御案内毎年恒例の「春季例大祭」を下記の日程で行います。5月5日(土・祝) 午前10時30時より親神様であられます大国様に五穀豊穣・家内安全をご祈願する春のお祭りです。ご参拝の方には紅白大福餅、御神酒、お供えをお渡し致します。どなたでも御参列いただけますので、お気軽にお越しください。皆様のお参りをお待ちしております。
0コメント