Facebook西尾仁さん投稿記事 【医者には病気を治すことが出来ない】
シュタイナー教育で有名なルドルフ・シュタイナーがうち立てた
「注:人智学(アントロポゾフィー)」によれば、人間は4つの層で成り立って
いるとされています。
このような考え方は、実は日本の古神道にもあって、こちらもカラダを4つの層で想定しています。
人間の体は、目に見える肉体的な体が全てではありません。
つまり私達の体は1つの層ではなく、7層が重なり合っています。
アントロポゾフィーでは、人間は
0.肉体 3次元
1.シン体 3次元 肉体と高次元の繋ぎ
2.エーテル体 3次元(気の体)荒霊 顕在意識 第六感
3.アストラル体 4次元(幽体) 幸霊 潜在意識 透視
500年間の記憶
4.メンタル体 5次元(霊体) 和霊 潜在意識
500年間の記憶
5.コーザル体 高次元(智慧) 奇霊 潜在意識
15000年間の記憶
6.ケーシー体 高次元 命あるモノとの一体感
7.コアード体 高次元 万物との一体感
から構成されている」と考えます。
肉体が目に見える3次元領域で、他は目に見えない高次元的な量子力学的な体なのです。
この7層の人間の体は、エネルギー場として存在します。
「見えないカラダ」の広さは、前後左右に8mもの範囲に及ぶのだといいます。
そのエネルギー場の中で、肉体の一つひとつの細胞が働いているのです。
私達の怪我は小さい傷なら放っておいても自然に治ります。
なぜ、どうして病気は治らないのでしょうか。
エーテル体とは物理的肉体と全く同じ形をした鋳型エネルギー体のことです。
人間の怪我が自然に治るのは、エーテル体より上位のエネルギー体が傷ついていないからです。
体が傷ついていてもエール体という鋳型があれば、元の形に戻ることが出来ると考えられます。
そしてエーテル体の上にはアストラル体があります。
アントロポゾフィー的に考えると、死とはエーテル体とアストラル体を繋いでいる糸が切れることとなります。
高いレベルの自分が怪我をしている状態が病気だとしたら、物理的肉体にいくら治療を施しても治るはずはないのです。もっと上のレベルに直接働きかけるような治療をしなくてはなりません。
ところが現在の医学では、物理的肉体に治療を施すのが精一杯です。
どのレベルが傷ついているのかさえ分かりません。
だから医者には病気を治すことが出来ないのです。
高次の自分の怪我や病気を治せるのは自分だけです。
本当に病気の治療を望むのならば、自分の意識を本気で改革しなければなりません。
たとえ物質的肉体に治療を行って一時的には治ったかに見えても、
元の意識や考え方が戻ってしまえば病気はいつかまた顔をのぞかせます。
まずは『自分一人で生きているわけではないという事実に気付くこと』
そして自然に起こっていることに対し
『これは起こるべくして起こっているのだと感謝すること』
からスタートします。
もしも魂が浄化(浄心)され、宇宙の普遍的な法則に近づくことが出来たなら、
どんなに重い病気も治り、天寿を全うすることが出来るはずです。
そこに医者が介在する必要はありません。
東京女子医大附属 青山自然医療研究所 クリニック所長 川嶋 朗 著「見えない力で健康になる」より
筑波大学名誉教授 七田 眞 著「魂の人生学」より
おのころ心平 著「病気は才能 病気のエネルギーを プラスに変える意識革命」より
注)アントロポゾフィーは認識の道であり、それは人間存在(本性)の霊的なものを、
森羅万象の霊的なものへ導こうとするものである。『アントロポゾフィー指導原則』第一条より抜粋
https://ameblo.jp/lifeskills/entry-12263116249.html 【魂とは?】
http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm//e-teruhi-rinngu.html 【エーテルヒーリング】
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/kagaku02.htm【宇宙は偶然に生まれたものか。それとも創造されたものか。】より
万有引力の法則の発見で有名な、イギリスの大科学者アイザック・ニュートンの逸話に、次のようなものがあります。・
ある時ニュートンは、腕ききの機械工に、太陽系の模型を作らせました。
その模型は、歯車とベルトの働きで、各惑星が動く仕掛けになっている精巧なもので、ニュートンの部屋の大テーブルの上に置かれました。
ある日、ニュートンがその部屋で読書をしていた時、ひとりの友人がやって来ました。
彼は無神論者でしたが、科学者だったので、テーブルの上のものを見て、すぐそれが太陽系の模型であることを見てとりました。
彼は模型に近づくと、模型についているクランク(手動用金具)を、ゆっくり回しました。
すると、模型の各惑星が、様々な速度で太陽のまわりを回転するのでした。
それを見た彼は、いかにも驚いた様子で、
「うーむ。実に見事だ。誰が作ったんだい」と尋ねました。
ニュートンは本から目を離さずに、「誰でもないさ」と答えました。
「おいおい、君はぼくの質問がわからなかったらしいな。
ぼくは、誰がこれを作ったのかと聞いたんだよ」。
するとニュートンは、本から顔を上げて、まじめくさった調子で、これは誰が作ったのでもない、いろいろな物が集まって、たまたまこんな形になったのだ、と言いました。
しかし驚いた無神論者は、やや興奮した口調で、言い返しました。
「ニュートン君、人をばかにしないでくれ。誰かが作ったのに決まってるじゃないか。
これを作ったのは、なかなかの天才だよ。それは誰かと聞いているんだ」。
ニュートンは本をかたわらに置き、椅子から立ち、友人の肩に手を置いて、言いました。
「これは、壮大な太陽系を模して作った粗末な模型でしかない。
太陽系を支配する驚くべき法則は、君も知っているはずだ。
それを模して作ったこの単なるおもちゃが、設計者も製作者もなく、ひとりでに出来たと言っても、君は信じない。
ところが君は、この元になった偉大な本物の太陽系が、設計者も製作者もなく出現したと言う。いったい何故、そんな不統一な結論になるのか説明してくれたまえ」。
こうしてニュートンは、宇宙の背後に、知性を有する偉大な創造者がおられることを、友人に得心させたということです(『ミネソタ工芸より)。
ニュートンは、その著書『プリンキピア』の中で、次のように書きました。
「太陽、惑星、彗星から成る極めて美しい天体系は、知性を有する強力な実在者の意図と統御があって、初めて存在するようになったとしか言いようがない。
・・・・至上の神は、永遠、無窮、全く完全なかたであられる」。
それでは 太陽系の設計者・製作者とは?創造主・神とは?どのような方なのでしょう?
(ヨハネ福音書 1:1~1:5 )
初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。この言葉は、初めに神と共にあった。万物は言葉によって成った。成ったもので言葉によらずに成ったものはひとつもなかった。
言葉のうちに命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は、光を理解しなかった。
(創世記1:1~1:5 )
初めに神は天と地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、
神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ」こうして光があった。
神は光を見て善しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と名づけ、闇を夜とされた。
夕べがあり、朝があった。
第一日目のことである。
旧・新約聖書における 創造エネルギーは「言葉・言波・事波」であると言えます。
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