落ちざまに水こぼしけり花椿

https://www.sanjin.jp/hibi/%E8%90%BD%E3%81%A1%E6%A4%BF.php 【落ち椿】より

まだ鶯の初音も聞かぬうちに梅の花は馥郁たる香りをまき散らしている。

その梅の香りを求めて忍び込んだ大黒天の社にはつらつら椿がひとつまたひとつとまるで瞬きするように落ちていく。

もしかしたら、芭蕉も梅を楽しむつもりで訪れた句会の席で庭に咲く椿のはらりと落ちる様を鶯の笠に見立てたのだろうか、

  鶯の笠落としたる椿かな  芭 蕉

朝から落ち始めたのだろう椿が敷き詰められている、寺の境内であれば、朝の作務で清められた庭である、朝から落ちた椿を数えていた暇人はさすがに他にいない、ならばと落椿の悲鳴を聞き逃すまいとじっと佇んでみる。

息をこらして見つめている間はまったく変化など起きない、やれやれ気の長いことだ と脇見をしてもう一度視線を戻すと、椿がひとつ増えている。

目線は外しても、耳は傾けていたのに、何の音もしなかったよ、きっと落椿は最後の悲鳴を誰にも聞かせたくなかったのさ、ひらりでもなく、はらりでもない、音もなく、気が付くとまたひとつ落ち椿。

  落ざまに水こぼしけり 花椿   芭蕉


https://ryokusuitei.jp/blog/season_spring/415.html 【落ざまに 水こぼしけり 花椿】より

緑水亭にほど近い野に咲く椿です。

椿(学 名:Camellia japonica)

椿は、皆様ご存知の通り冬から春にかけて咲く花です。日本の春を表現する季語としても使われ、古来から 日本人に愛されてきた照葉樹林です。古くから品種改良が行われ沢山の品種が生まれました。分布は南西諸島から青森県夏泊諸島まで分布し、東日本では温暖な 地域に自生しています。椿は様々な用途があり「日本酒」では木灰に使われ、古くから最高の木灰として用いられました。(現在では灰の入手は困難)また、 椿油は和製オリーブオイルとも言われ「高級食用油、整髪料」として重宝されております。その他木炭としても素晴らしく、もちろん「観賞花」としても茶花等 で大変好まれております。花言葉は「贅沢、おしゃれ、至上の愛らしさ、謙遜の美徳」です。椿の名の由来には諸説があり、光沢がある意の古語「艶葉木」から、葉に厚みがある意味の「厚葉木」から、強い葉っぱの木の意味の「強葉木」から、落ちた花が刀の鍔に似ているので、「鍔木」等々からです。椿と大変似ている山茶花との見分け方は、椿の花は萼の部分から丸ごと落ち、山茶花は花びらが個々に散ります。


http://lovelecielbleu.blog9.fc2.com/blog-entry-45.html 【散ることを悲しまない花】より

日曜日に、萩の笠山(かさやま)に行きました。

笠山は、萩の北方にあり、標高112メートルの、日本一小さい火山です。

<左端の写真>をクリックしてもらえると分かりますが、地面一面に落ちている赤いのは、椿の花です。 w(*゚o゚*)w 笠山半島の先端に、虎ケ崎という所があります。

そこには椿の群生林があり、60種以上、約2万5000本ものヤブ椿が自生しています。

日曜日は、「萩・椿まつり」が行われており、椿の花が見頃でした。林の中に一歩入ると、様々な鳥のさえずりが響いています。上を見上げると、木にたくさんの椿の花が、可憐に咲き誇っていて、足元には、落ちた椿で、辺り一面真っ赤です。

上も下も、椿、つばきで、とても素晴らしい景色でした。

花は、つぼみ、満開、落ち椿まで、いろいろな姿を楽しむことができ、あまりの美しさに、感動しっぱなしでした。  d(⌒o⌒ 

椿の花が散る姿を見ましたが、本当に、花ごと“ポトリ”と落ちるので、花びらが1枚ずつ散る山茶花(サザンカ)とは違うのだと勉強になりました。

花が落ちる音も、“ポト”と響き、花の根元から落ちます。武士は、この椿の花が落ちる様子が、打ち首をイメージするので、縁起をかついで嫌ったという話しを聞いたことがありますが、“なるほど、確かに、打ち首をイメージする”とくすっと、(*^m^*)笑ってしまいました。 

現在でもこのようないわれから、とくに病気見舞いに贈るのを控えるそうです。

★“つばき”の読み方の由来には、

①「光沢がある」意味で、 「艶葉木(つやはき)」から。椿の葉が、濃い緑色で光沢で、ピカピカだからそうです。

 ②葉に厚みがある意味の「厚葉木」から。

 ③強い葉っぱの木の意味の「強葉木」から。と、いろいろ諸説はあるそうです。

 ★松尾芭蕉の「落(おち)ざまに 水こぼしけり 花椿」 という句も素敵ですが、

夏目漱石の、「落ちざまに 虻(アブ)を伏せたる 椿かな」という句の方が、味わいがあり、ユニークで好きです。(^◇^)

ある画家が椿について、「咲いている様だけでなく、落ちてもなお美しい。散ることを悲しまない花」と言っていますが、椿の花のように、潔く、あっさりとした生き方をしたい!

  ポジティブライフには、クヨクヨは禁物。

  椿のように 潔く! 清らかに! 生きよう♪\(*⌒0⌒)b♪


https://takumat.hatenadiary.org/entry/20050117/1105901738 【椿の花が語られるとき】より

海老沢会長の退陣を決定的にしたとされる年末の紅白では、中越地震にちなんで小林幸子の「雪椿」が大トリに選ばれた。雪の中でも耐えて凛として咲く花として、応援歌という意味だったのだろう。

だが、俳句に詠まれた椿はなぜか、落ち椿である。坪内稔典氏の選になる明治大正昭和の20句のひとつ、河東碧梧桐の 赤い椿白い椿と落ちにけりも落ち椿を詠っている。漱石も

落ちざまに虻を伏せたる椿かな と詠む。そして、漱石の句も、おそらく芭蕉の 落ちざまに水をこぼしけり花椿のまね句であろう。

椿は、その花がきれいなまま、パッと落ちるので、武士は首を切られたような連想を持つので武家屋敷には椿は植えられなかったとされる。海老沢氏も選曲を間違えたか。だが、武士が忌避したという憶測は、実際にはそうでもなかったようだ(黒澤の「椿三十郎」も時代考証をしている)。明治の元勲、山県有朋の椿山荘は今に残る名庭園だ。

物理学者にして文学者の寺田寅彦は、この椿の落ちるのに拘った。

椿の花の落ちたのを一輪見ると、一度うつ伏せに落ちて反転して仰向けになったことが、花粉の跡から分かるというのは、文学上の師、夏目漱石の句を科学者として吟味したことになろう。

だが、椿の花が落ちるときも、風のない夜に沢山一度に落ちることもあり、風がなくても落ちない夜がある、となると小学生並みだという皮肉を言っても見たくなる。しかし、花が枝に着いている間は植物学の問題になるが、枝を離れた瞬間から以後は問題にならぬそうで、学問というものは窮屈なものだとなると、近代になって科学が専門化し、細分化されてきたと嘆くことが多いが、おおらかだったはずの明治でも窮屈だったのかと思うと少し安心したりする。

椿は日本で自生したもので、国字である。益軒では原葉木とされ、白石は艶葉木としたが、日本の照葉樹林を構成する大事な木の一つだ。だが、詫び助が自生しているのは発見されていない。やぶ椿の方が、海外にも持ち出され、珍重されたことは、歌劇「椿姫」の存在によっても理解できよう。ここのところ、イングリッシュ・ガーデンでも椿は人気上昇中で、西洋人にも人気復活といったところだ。ポルトガルの椿伯爵邸にあるというやぶ椿の古木をそのうちに見に行きたいものである。

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