夏のある日 らんは階段をあがれなくなりました。どんなに努力しても足に力が入らなくなったからです。
悲しい鳴き声を上げましたが 階下にらんの寝る場所を用意すると 黙ってそこで寝ることに決めました。自分の死期を悟り、受け入れたからだと思います。
それまでは雷が鳴るとぶるぶる震えていたのに 全く動じなくなりました。何も怖いものが亡くなったという感じです。
それからは散歩に行っても道の真ん中で伏せこんだり・・・・・何も食べられない日が一日。次の日、私が外出中に命を引き取っていました。
まるで家族の帰りを待ちわびるがごとく、玄関先で遺体となっていました。
「寝ているのか?」と思い、身体に触ると冷たく硬直していました・・・・・
らんの魂は 古い身体を脱ぎ捨て 新し命を得る準備をしているのでしょうか?
目に見えない世界を みなさんはどのように お考えですか?
天外伺朗さんは「般若心経の科学」で「この世を二元世界 あの世を一元世界」と説き「二元性を<取り除いていくことが悟りのプロセスではないか?」と語ります。
二元世界とは目に見える世界、一元世界とは目に見えない世界ということでしょうか?
天外伺朗さんの「般若心経の科学」は示唆に富んでいます。
「この世を二元世界 あの世を一元世界」と説き「二元性を取り除いていくことが悟りのプロセスではないか?」と語ります。
それは「正・反・合」「テーゼ・アンチテーゼ・シフト」の止揚のプロセスのようにもとれます。
フォーカシングによる自己一致の過程のようにも取れます。
一元世界の一体感を取り戻すということにおいては 右脳・左脳の統合ともいえます。
また 一元世界は 渾然一体となった「たたみこみ」の世界 だと表現しています。
私には よくわかりません。以下のように考えてみましたが ピンときません。
教えていただけると幸いです。
一元世界に二元世界は包含されており 五蘊をとおして マトリックスの世界二元が認識される。それであれば 死とは五蘊を失うことでしょうか?
たたみこみとは「素粒子であり波動である」、「吾(左脳意識)であり宇宙(右脳意識)である」という情報が霊魂の情報として DNAに組み込まれているということでしょうか?
(DNAの二重螺旋は 私にはメビウスの輪のように見えます。)
自分の内にも、外にも自然のリズムがあるのに乗り切れず 私たちは宇宙との一体感を忘れています。
この世を彩る五感は あまりにも刺激的で激しい喜怒哀楽が命の実感であるかのような錯覚を生むことさえあります。
五感を通して認識する現実は 幻想であり マトリックスに過ぎません。
どんなレセプター、どんな情報を持つかにより認識内容は変わります。
二元性を取り除くとは 一元世界の一体感を取り戻すこと。
右脳左脳の統合・潜在意識と顕在意識の一致とも言えます。
天下さんは更に一元世界は 渾然一体となった「たたみこみ」の世界だと表現しています。
たたみこみの世界を走査線とテレビ画面で喩えていますが私には よくわかりません。
Facebook・韓国語を学ぶ noma hidek投稿記事
●『言語 この希望に満ちたもの--TAVnet時代を生きる』野間秀樹著.北海道大学出版会
https://www.amazon.co.jp/dp/4832934139
●ことばのパンデミックを生き抜く--
ことばは意味を持たない,それは意味と〈なる〉のである,そして意味と〈ならない〉かもしれない--真偽さえ不確かな大量高速のことばが飛び交う,言語危機のTAVnet (タブネット)時代に,〈話す・聞く・書く・読む〉という,日々の言語場を見据えつつ,鮮明に描き出される,ことば,文字,本の力が持つ希望。名著『言語存在論』(東京大学出版会)『ハングルの誕生』(平凡社)の著者が,ことばの世界の根源から,歩むべき実践のありかたを照らす、生きるための言語。
https://www.amazon.co.jp/dp/4832934139
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●なぜ言語に対する〈構え〉が必要なのか?
●言語の前で武装解除していてると、どうして危険なのか?
●なぜ〈意味を持っていることばを、やりとりするのがコミュニケーションだ〉という考えは危険なのか?
●なぜ頭の中にあることばを、外に(ex-)押しだす(press)するのが、表現(expression)だと思ってはいけないのか?
●なぜ言語の〈とりあえず在ることにしてしまう機能〉〈言語の存在化機能〉に注目しなければいけないのか? --「無」でさえ「在る」ことにしてしまうこの機能
●「国民の基本的人権」などということばは、私たちからいったい何を奪っているのか? それがなぜ少年少女たちの心を侵すことばなのか?
●ニュースの「厳しい日韓関係は」とか「日中関係が悪化する中」などいうことばだけでもう、私たちの思考のプラットフォームが造られている。「厳しくないのでは」とか「悪化などしていないのでは」と疑うだけでは、本当に怖いものは、全く見えていない。本当に怖いものとは? 思考のプラットフォームは私たちにどのように強制されているのか? そこに働く言語の存在化機能とは?
●今日の言語の学びは、何に着目せねばならないのか?
●なぜ教科書を音読するだけでは話せるようにならないのか?
●なぜ「言語は道具である」という言語道具観を撃たねばならないのか?
●国家と言語は一致しない。では民族と言語は? なぜ〈国家≠民族≠言語〉という原理が重要なのか?
●翻訳とは? それは世界をことばで分節することとどう違うのか?
●なぜエスペラントから言語の言語の原初が見えるのか?
●なぜハングル=訓民正音から文字の原初が見えるのか?
●「言は意を尽くすのか」ーーなぜその問いそのものから撃たねばならないのか?
●ディスプレイの表面の書物と、紙の書物は何がことなるのか? なぜ紙の書物を読むことを、ノスタルジアにしてはならないのか?
●今日、〈書物を読む〉とは?
●ことばによって死んではいけない
●言語に希望が満ちているとは? 生きるための言語とは?
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noteによる紹介:
https://note.com/noma_h/n/n976c15f73a1f
■目次-----------
はじめに
第1章 ことばを最も深いところから考える――言語はいかに実現するか
1-1 言語はいかに在るのか――言語ハ夢デアルノカ
1-2 ことばには〈かたち〉がある――音の〈かたち〉と光の〈かたち〉
1-3 言語の存在様式と表現様式を区別する
第2章 ことばと意味の場を見据える――言語場の劇的な変容への〈構え〉を
2-1 言語は言語場において実現する
2-2 ことばは言語場において、意味となったり、ならなかったりする
2-3 言語場は猛烈に変容している
第3章 世界の半分は言語でできている――ことばのパンデミック
3-1 言語が私たちの生の隅々に襲いかかる
3-2 言語が私たちを造形する――知性も感性もイデオロギーも
3-3 言語が私たちを抑圧する――物象化することばたち
3-4 言語のパンデミック、言語のメルトダウン
第4章 ことばへの総戦略を――内から問う
4-1 〈問い〉が全てを変える――従順な仔羊から羽撃く鳳凰へ
4-2 拡張の言語――同席構造の言語学
4-3 反撃の言語――存在化機能の言語学
4-4 学びの言語――言語道具観との闘い
4-5 対峙の言語――〈話す〉ことを学ぶ
4-6 連帯の言語――言語は教え=学ぶものである
第5章 ことばへの総戦略を――外から問う
5-1 照射の言語――自らを他に照らす
5-2 展開の言語――翻訳という言語場
5-3 共感の言語――多言語と言語間言語を逍遙する
5-4 創造の言語――ことばを〈かたち〉に造るために
終章 言語 この希望に満ちたもの――やはり、生きるための言語
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