鬼灯

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『リニア中央新幹線をめぐって 原発事故とコロナ・パンデミックから見直す』

(山本義隆:著/みすず書房)

コロナ・パンデミックを機に見直すべきものの象徴として著者が取り上げるのは、リニア中央新幹線計画である。本書は、安倍政権下で事実上国策化した超伝導リニア計画がはらむ問題を、できるかぎり明確に指摘するという、小さな、具体的な狙いをもつ。それは同時に、なぜこの国では合理性のない超巨大プロジェクトが次々に暴走してしまうのかを浮彫にしている。

リニア計画は深刻なエネルギー問題を抱えている。そして進行中の大規模環境破壊でもある。にもかかわらず、虚妄に満ちた「6000万人メガロポリス」構想、原発稼働の利害との結合、大深度法の横暴など、計画は目的と手段の両面で横車を押すようにして推進されてきた。中枢レベルの政治権力の私物化や、ナショナリズムと科学技術の結びつきがそれを可能にしてきたことも、本書は明らかにする。

最終節は、この暴挙の根を掘り下げる。日本の戦後の産業経済は、旧体制から引き継いだ諸条件を足場に経済成長を成し遂げた。そこで強化された既得権益と前世紀的な成長への醒めない夢が、時代錯誤の巨大プロジェクトの温床となっている。3.11以後/コロナ禍以後の、持続可能性を追求すべき世界で、なお私たちはそれらを延命させるのか? 決然と、それを問う書である。

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■なぜこの国では、不合理な巨大プロジェクトが暴走してしまうのか?

以前からいつもとても不可解に思っていた。リニア中央新幹線のことが、さほど話題にされずにいることに、合点がいかないのだ。問題にしているのは、その工事現場近辺に暮らす人ばかり。もちろん他の地域の人でも大いに問題視している人たちは少なからずいるのを知ってはいるが、「世間」ではまず問題にしていない。メディアも何か動きがあったときだけしか取り上げない。この本を読んで、私なりにその理由が判った。闇はとてつもなく深く大きいからだ。

リニア中央新幹線建設計画を始めて知った時私は、なぜそんなものを造る必要があるのかと大いに疑問を持った。どこを通るのかとか、どんな構造なのかとか、具体的なことについてはよくわからないまま、ただ単に東京―大阪間を1時間で走るという速度が喧伝されていることに「嫌な感じ!」という思いを抱いたからだった。その後私も関わっている雑誌『たぁくらたぁ』24号(2011年秋発行)で、リニアのトンネル建設が進む長野県大鹿村で村会議員を務める河本明代さんが書いた記事「脱原発社会にリニア新幹線は要らない」を読んで、問題が具体的に見えてきた。

『たぁくらたぁ』ではその後も33号(2014年春発行)で「リニアと伊那谷の今」の特集を組み、35号から48号までは現地発の記事が連載された。49号、52号でも取り上げ、53号からは連載が始まり、それらの記事から私は学んでいった。もちろん『たぁくらたぁ』からだけではなく、他からもリニアに関しての情報は私なりに得て、速度を誇示することへの嫌悪感からだけではなしにリニアを否定する思いを強くしていった。だが、思いがけない所で思いがけない言葉を聞くことになった。

信州上伊那で

2013年、長野県阿智村に「満蒙開拓平和記念館」が開設され、開設直後に私も会員の一員である「方正友好交流の会」で見学に行った時のことだった。戦争中に日本は、多くの満蒙開拓団を「満州」に送り込んだ。敗戦後、避難民となった日本人の多くが集結したのが方正(黒竜江省ハルピン市)で、この地で亡くなった人も多く、そこには「方正地区日本人公墓」がある。「方正友好交流の会」はそんな関係から設立された団体だ。

平和記念館と、すぐ近くの山本慈昭記念館(山本慈昭は自身も満州開拓民の一人だった僧侶、中国残留日本人孤児の帰国に多大な尽力をした)を見学した翌日は、戦後帰国した開拓団の人たちが入植して開墾していった飯田市の果樹農園を訪ねた。見学後に集会所で農園主たちと、昼ごはんを食べながらの歓談の場が設けられた。帰国した開拓団2世にあたる人たちで、親や祖父母たちの苦労を見聞きしながら成人し、既に子や孫も居ながら、果樹栽培に勤しんでいる人たちだった。その一人が言ったのだ。「リニア新幹線ができたら東京や関西方面への出荷もずっと便利になるから、美味しい果実をより新鮮なまま消費者に届けられるようになる。完成が待ち遠しい」と。論議する場ではないと思ったのでただ聞いていたが、リニアをそのように捉える人がいることにとても驚いた。

大鹿村で

その後、私が大鹿村のトンネル建設現場を視察したのは2年前、2019年6月末だった。リニア中央新幹線建設に反対する現地の人たちが立ち上げた、「大鹿の10年先を変える会」の学習会に呼ばれてのことだった。私はリニアには反対だったが現地の状況を知らなかったし、大鹿村は行ってみたい場所だったから嬉しく出かけた。

「変える会」と私の繋がりは2017年12月末に発信された、S N S情報からのことだ。土砂崩落で通行不能になった大鹿村へ至る県道の復旧工事を早急に行ってほしい、と要請する署名を募る情報だった。私は署名を送信した。それから間も無くのことだったが、「大鹿の10年先を変える会」の宗像充さんからメールが届いた。今度は「リニア説明会などのオープンな取材を求める共同声明」の、賛同人になって欲しいというものだった。JR東海が開催する説明会で、メディア取材ができないという話は聞いていた。これももちろん賛同人になった。

宗像さんからはその後も折に触れて現地の情報が送られてきた。そして2019年6月に「変える会」の学習会で、話をしてほしいと依頼を受けたのだった。依頼されたテーマは「チベットから見たリニアと自治」で、これだけ見るとチベットとリニアは関係ないと思われるかもしれないが、普遍的な問題として語れるテーマだと思った。チベットは「自治区」とか「自治州」という言葉がついていても、実質的には国家の統制下にあって自治はない。一方、リニアのような国家プロジェクトでは、地方行政の自治権が発揮されにくいことが往々にしてあるのではないかと思うからだ。

この学習会の前に、宗像さんに現地を案内していただいた。トンネルを掘って出た残土の置き場や、トンネル建設予定地、「仮置き場」として大量の土砂が山積みされている場所や、残土置き場にすることを地権者が拒んでいる場所、ボーリングしている場所、作業員宿舎などを見て回った。樹木も生えず山肌が露出した斜面には幾層もの砂防ダムが築かれているが、その斜面の下が残土置き場に予定されているなど、正気の沙汰とは思えない計画だった。

また、川の流れが湾曲しているところを残土置き場にという計画にも、住民は強く反対している。反対は当然だ。もしそこに残土を積んだら、川水が増水したときには上流からの水の勢いで残土が流出して、下流に甚大な被害を及ぼすだろう。そもそも大規模な活断層がある地域だから、トンネルを掘るなど正気の沙汰とは思えない。この日はあいにく雨が激しく降る日だったから十分な視察とはならなかったが、また天気の良い時にじっくり見たいと思った。

2017年の県道土砂崩落は、リニア工事自体に因る事故ではなくリニアのトンネル掘削で出た残土を運び出すための道路拡張工事の際の崩落事故だった。

私は思う。道は文化だ。人が歩いてきた山間の街道を、山肌を削って2車線4車線道路にすることが、進歩や発展とは思えない。再度訪ねた時には、この問題を尚しっかりと考えていきたいと思った。

大田区雪谷で

2020年3月18日に、東京・大田区で区議会議員をしている奈須りえさんからお声かけいただいて、リニア中央新幹線の東雪谷非常口建設現場の視察に同行した。東急池上線洗足池駅集合で、奈須さんほか地元の方達3人と、大鹿村から宗像さんも来ていた。

建設現場は洗足池駅からほど近い住宅地の中で、幹線道路と池上線の線路に挟まれたところだった。工事用の高い塀で囲われているために中の様子は全く見えず、車両が出入りする時以外は開閉扉は閉じられていて、その前には警備員が3人張り付いていた。車両の出入りは頻繁で、開く度に中を見に近づこうとすると警備員に阻止された。私たちは道路を挟んで立つマンションの前にいたが、現場の入り口にはなんとしても近づけなかった。入って行く車両は空のダンプカーで、出てくるのは掘り出した残土を積んでいる。運転席のフロントガラスには「○○組」というように請負業者名などが貼ってある。入って行く空の車の1台に「汚染土搬出」とあるのを見つけた。これは原発事故後に福島で使っていた車両を、こちらに流用しているのではないかと思われた。

遮蔽壁に沿って、工事現場のぐるりを歩いた。大きな工事現場ではどこも設置されているのだろうが、ここにも騒音と振動の数値がデジタル表示されていた。地元からの視察者のお一人は、騒音計測器や振動センサーを使って、塀に設置されたデジタル表示と比較していた。それはあたかも福島で、国が設置したモニタリングポストと自前の線量計での数値を比較するのとそっくり同じだった。デジタル表示が設置されている場所は、すぐ脇を電車の線路が通っている。電車は頻繁に通るから、騒音や振動の数値が基準をオーバーしていても、電車のせいにできる。

現場は警視庁官舎の跡地だそうだ。直径40mの穴を掘り、地表から90m深度まで掘り下げて、換気装置や乗客の緊急避難のエレベーターや階段を作るらしい。非常口はトンネルを掘削するシールドマシンの設置や保守に使う立坑で、5kmごとに設けられる。完成後にリニアが通る地を線状で示し、立杭が設けられる地点を書き込んだ地図を見せられ、二の句が告げなかった。地上の状況では間が5kmよりもっと空いたりしているが、それにしてもこの計画を見ればリニアが通る地域の地下は穴だらけになるのだ。奈須さんは立杭が地下水脈を切ってしまうのではないかと案じている。また、地下には下水道やガス管、通信ケーブルが埋設され、東京都が多摩川への導水管を通す計画もある。リニアはその下を通す計画だが、交差部分での振動の影響でそれらの管の破損や地盤の緩みが生じることを強く懸念しているという。

現場を視察した後で駅の方へ戻り洗足池のほとりに立った。池の周囲には桜が咲き、水仙や菜の花が咲き、池の周囲を散策する人もいる。公園には親子連れの姿や、保育園のお散歩の時間だろうか、揃いの帽子を被った子どもたちを連れた保育士たちの姿もあった。近くには「勝海舟記念館」があり、「なぜ?」と奈須さんに尋ねると、勝海舟は洗足池の近くに「洗足軒」と称する別荘を持っていて勝海舟と妻の墓所もそこにあり、勝海舟縁の地だということだった。

リニアと原発の関係

さて、『リニア中央新幹線をめぐって』だ。この本では、リニア、原発、コロナ・パンデミック、それぞれが持つ問題点を具体的に示しながら、ではなぜこの国では合理性のない巨大プロジェクトが次々に暴走してしまうのかを説いている。リニアは深刻な大環境破壊をもたらすが、それにもかかわらず突き進んでいくのは政治権力の私物化や、ナショナリズムと科学技術の結びつきが、それを可能にしてきたからだという。

読み進めながら頷き、また「そうだったのか!」と気付かされた。深度40m以深は地権者の同意や用地買収なしに公共事業に利用できるとする「大深度地下の公共的使用に関する特別措置法(大深度地下使用法)」が決定されたのは平成12(2000)年、施行は翌年からだった。こんな法律があることを、私は全く知らなかった。

国鉄が分割民営化された1987年に、国鉄から東海地方の営業を引き継いで誕生したJR東海は、その年にリニア対策本部を設置している。2007年に総事業費5.1兆円を全額自己負担する形で事業化の方針を表明した。その後事業費の見積もりは9兆円まで膨れ上がっている。JR東海は「全国新幹線鉄道整備法」に則って国にリニア中央新幹線計画の認可を申請し、国交省は2011年に省内で判断を諮問し、小委員会は「計画は妥当である」とした。そして福島第一原発事故からわずか2ヶ月後の5月に、政府はリニア中央新幹線計画を整備計画として決定。営業主体にJR東海を指名した。リニア走行に必要なエネルギーは電力で、リニアにとって原発は必要不可欠という図式が、この本からとてもよく解った。問題点が次々に解ってきて、空恐ろしい。

特に最終章で示される戦後の歴史から掘り下げての問題提起に、闇の深さを思った。私自身の上伊那や大鹿村、大田区雪谷での体験と、また福島に通う中から見てきたことを思いめぐらせて、学ぶことの多い、非常に考えさせられる良書だった。繰り返し、繰り返し読んでなお理解を深めていきたい。

「一枝通信」渡辺一枝 より

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渡辺一枝

わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。

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