https://yumenavi.info/lecture.aspx?GNKCD=g011091 【すべて漢字で書かれた万葉集から日本文学の原典を探究する】より
漢字だけで伝える工夫
『万葉集』や『古事記』、『風土記』など、奈良時代までに書かれた書物の原文は、すべて漢字で書かれています。平仮名は平安時代にできたため、奈良時代までは、日本語を表記する文字は漢字しかありませんでした。接続詞のように、今は平仮名で表す音も漢字で書かれているのです。そのため、漢字から、「音」を読み解くことが必要になります。逆に、当時の奈良時代の人の立場で考えると、使いたい言葉の音をどう表記するか創意工夫し、チャレンジしていることがよくわかります。
本当に正しいか疑うことから事実を見いだす
例えば、『万葉集』の「馬声」という表記は、「い」の音を表します。漢字2文字で、1つの音です。馬の鳴き声は、今は「ヒヒーン」とされていますが、当時の人々には「イーン」と聞こえていたためです。また、「蜂音」は「ぶ」です。ハチがブンブンと飛ぶ羽音からの当て字です。今は使える漢字や読みが決められていますが、奈良時代は自由で、その分、解釈もずっと広かったのです。
私たちが今、読んでいる『万葉集』は、誰かが現代語訳したものです。本当にそれが正しいのか、実際のところはわかりません。事実を見いだすには、疑う視点が必要です。歴史的な背景を踏まえ、歌人や作者がどのような人物で、どんな人生を送ってきたかを考えながら、文章にどんな思いが込められているのか、読み解き、どの解釈が適切かを探り続けることが大切です。
奈良時代以前の古代文学は日本文学の原典
柿本人麻呂のような有名な歌人でも、人生の詳細はほとんど不明です。想像力を豊かにし、和歌や記述を読み解くことで、その人生や思い、ひいては古代の人たちの思いに触れることができます。奈良時代以前の古代(上代)文学は、日本文学の原典です。原典を知ると、平安時代以降の作品が違う角度から見えてきて、普段使っている日本語のとらえ方も変わるでしょう。古代の文学に触れることは、私たちの心をも豊かにしてくれるのです。
Facebook・おっちゃん、おばちゃんのゆるゆる倶楽部 投稿記事 2014年7月11日 ·
3年前から各地の少年院で講演活動を行っているゴルゴ松本さん。
”漢字”を使った真剣な授業が感動的です。
ゴルゴ松本の「少年院での魂の授業」
辛いことがあった時、人はグチをこぼす。マイナスな言葉、弱音を吐く。
「吐」という字は、口へんにプラスマイナス。
嫌なことは吐き出していい。
でも、そこから成功する人、夢を実現する人は少しずつ変化していく。
弱音は吐かない。ボジティブなことだけを言うようにする。
マイナスな事を取っていくと夢は「叶」う。自分の思っていた到達点に少し足りないと思ったら、軌道修正しながら、最終的な目標は変えない。
紆余曲折しながら、遠回りしながら、ここまで行けばいい。
これは危険だと思ったら回避する。危険だと思ったら、逃げていい。「逃」は、しんにょうに兆し。そして、また時間をおいて、しんにょうを手ヘンに変えて「挑」挑戦するんだ。
「幸」と「辛」
幸せでも、何かが欠けたら辛くなる 辛くても、何かが加われば幸いになる
「苦」「困」「災」に「難」を加えると「苦難」「困難」「災難」こういうことが起こると不幸だと考えてしまう。
「難」が無い人生を「無難」という。無難な人生なんてありえない。
だから、「難」が有る人生。「有」「難」と書いて「有難」し。
「命」は、人を一叩き(ひとたたき)と書く。殴ったり蹴ったり、人を痛めつけることで命を感じる。これは大間違い。
寝てる時、無意識の時、今も叩き続けている心臓。心臓の一叩きの連続が命。
その命を命懸けで産んだのはお母さん。女性です。命の始まりは女なんです。
「女」が土「台」となって「始」まりとなる。俺ら男は、女の人を粗末にしちゃ絶対ダメなんだ。君らを産んだお母さんは命懸けで君らを産んだんだ。それは間違いない。
命懸けで産んだものが命なんだ。人間はそれを何度も繰り返してきた。
ここからは、皆が命を繋げていく。ここから出たら、命を広げて行ってください。
心に響いたら、感動の輪を広げていってください。実際の講演映像はこちらからどうぞ。
http://anasu.namaste.jp/inoti/
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