Facebook・出口光さん投稿記事
みなさん、こんにちは。オオカミは好きですか。いきなりすごい質問で始まりましたが私は以前、オオカミを飼っている人に会ったことがあります。
大抵は赤ずきんちゃんを思いだしてオオカミは悪い存在だと観ていませんか。
私もオオカミは恐ろしい存在であり人や動物を襲って食べてしまうと思っていました。
でもオオカミは普通は人を襲わないし、シャイな性格だと言うのです。
オオカミは鹿やイノシシの群れを二ヶ月くらい断食をしながら観察しその群れのバランスを崩す鹿やイノシシを選んでそれを襲って食べるのです。余分に襲ったりはしないのです。
つまり、「増えすぎないように間引いくれている」というのです。
年に一回春先にしか交尾をせず 二ヶ月後には数頭を出産するのです。
一夫一婦制で生涯ふたりは寄り添って生きるのだそうです。
よく知り合うために互いに激しい喧嘩をしあった後にこの相手だったら子を残しても良いと
結婚するというのです。
上下関係がはっきりしていてエサはボスから食べ皆の分を残します。
つまりオオカミは和の精神を持っているのです。
一つの群れをパックと言いバランスを崩すオオカミは追い出されます。
それが本当の一匹オオカミだそうです。
自然の掟は厳しいですがそこにも仲間愛や和の精神が存在しています。
オオカミがいると里にイノシシやクマが出没しないようにすることができるのだそうです。
自然界の法則にしたがって生きると自然と調和する徳が全体に働くのですね。
オオカミがなんか可愛くなってくるから不思議です!
Facebook・高野 誠鮮さん投稿記事 「折り合いを付ける!?」
リンゴ畑にとっての天敵は、カラスやタヌキであろう。木村秋則先生のリンゴ畑を訪ねたときに、不思議とカラスがいない事に気づいた。他のリンゴ畑周辺には居るのに、何故か木村さんの畑にはいない。その事を尋ねると、直ぐに「うん。折り合い付けたの!」との返事が咄嗟に返ってきた。それ以上探りを入れないで、数年後「詳しく聞かせてください」とお願いすると、かつてカラスの子が巣から落ちて、親カラスが鳴いていたので、「そっと巣に戻してあげたの。それ以来、いたずらしなくなったのよ」との返答が。また、「タヌキは、罠に狸の子がかかっていて、近くで親らしい大きな狸が見てるのよ。骨折もせずに挟まっていたから、助けてあげたのよ」と。それ以来、タヌキの被害が無くなったと、台風なんかで落下したリンゴは、畑の一角に集めておくと、それだけが無くなっていたのだと。商品となりそうなリンゴには、一切手を出さないようになったという。動物たちと折り合いを付けるという事は、こういう事なんだろう。憎い害獣と考えるか、それとも同じ生き物として考えるかで、関係性は大きく変わってくる。他のカラス集団が木村さんのリンゴを取りに来ると、助けた集団が追っ払ってくれている。カラスの恩返しは、あるものなのだと理解した。
Facebook・小早川 智さん投稿記事
縄文人は、祈りと感謝の精神文化を頑なに守り続け、1万年もの長きにわたって自然循環型文明を築きあげてきた。
なぜ、縄文人は1万年もの間、平和な時代を築けたのか?
それは、「所有の概念がなかった」からだと思います。特に、「土地の所有」という考え方がなかった。
食べるものは自然に与えられているから、受け取るだけです。
食べるものが採れなくなったら、住む場所を変えればいい。
現代の争いの多くが、自分の土地・領土を守るために起こります。
そこには反対に、土地・領土を増やそう、広げようとする他者がいます。
ここに利害の対立が起こり、争いに発展します。
私たち日本人の中には、縄文人のDNAが12~20%くらいは残っています。
自然との共生、今、日本人の原点に立ち戻る時が来たと思います。
Facebook・福井 幹さん投稿記事
人生の節目節目で大切な決断をしてきたその"決めた思考"は一体どこから来たのか?
本当に自分で決めたのか?"聖なる全体"のバランス中で自動的に心に湧いてきたものではないか?
だとしたら人生の責任者は自分ではなく責任は聖なる全体にあるすべては完璧な愛のバランスの中で自動的に起こっている
愛以外ないすべて委ねる他ないそれで いい✨
ムダな抵抗をして苦しむ必要はない安心して今を生きたらいいそれでいい✨
0コメント