https://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/6504?page=2 【17音で「宇宙」が詠める俳句 まずは読むことからスタートしよう(全国高校生創作コンテスト)<PR>】 より
―過去の受賞作の中で印象に残っている句はありますか?
次の、第21回最優秀賞の山下茜莉さんの句が印象に残っています。
月涼しまだ履き慣れぬ下駄の音
読んだ時に、とても物語のある句だと思いました。句の中では履き慣れない下駄を履いて、どこにいったのかは省略されています。それはお祭りであったり、花火大会であったりすると思うんですけど、下駄の音だけでそういう場面を想像させて、なおかつ、作者の思いを載せているように思います。「履き慣れぬ下駄の音」に。それはつまり、新しい下駄ですよね。この日のために新調しておろしたのか、会う人に敬意をこめているといいますか。「まだ」というのも上手いです。この「まだ」に非常に含みがありますね。全体を通して美しいですよね。下駄の音が夏の月へ響いていくような、そういう印象を受けました。
―俳句を創る時に押さえておきたいポイントを教えてください
1)屋内・屋外どちらでも詠んでみる
俳句を作るシチュエーションを考えると机の上、要するに屋内で創るか屋外で創るかの2つに分かれると思います。屋内だったら僕はジャズが好きなのでジャズを流しながら集中して考えるということが多いです。屋外の場合は「吟行」※という言い方をするのですが、僕はどちらも実践しています。屋内では、自分の頭の中にある想像力が非常に大事になります。屋外に出たときは、自分の頭の中よりも、見たもの・触れたもの・聞いたものが俳句になっていくんです。どちらも大事だと思います。俳人によってはどちらか一方が得意だったり、「どちらもできる」という人もいると思いますが、高校生のうちはどちらも試して俳句を作ってみれば良いのではないでしょうか。
※名所旧跡を訪ねたり、近所を散歩しながらなど、外に出て俳句を創ることを吟行という。
2)推敲を重ねていく
俳句も文章と同じく推敲は重ねます。たまにできたものがそのまま推敲もせずに作品として成り立つこともありますが、たいてい推敲を重ねて仕上げるということが多いと思います。たとえば助詞ひとつとっても、「に」にするのか「の」にするのかとか微妙なニュアンスの推敲があり、それがとても大事。17音という短い中で一文字たりとも無駄にできません。一文字にそこまで気を遣うのは俳句が一番なのでは? 一文字でも粗があると、それが目立ちますから。助詞以外にも、語順をどうするか。5・7・5のなかで何度も語順を入れ替えたり、もちろん季語も大切です。1つの句に対していろいろな推敲の観点があります。僕も審査員をさせていただいている中で、推敲を重ねた句はわかります。日々俳句を見ることが多いので、だいたい見抜けるようになってきています。
3)たくさん創ってたくさん捨てる
俳句の世界でよく言われるのですが、「多作多捨」という言葉があるんです。たくさん詠んだなかで素晴らしい出来の句は1つあるかどうか。初心者のうちはとにかくたくさん創って、その中で推敲もしながら、良いものを拾い出すというのが力になっていくと思います。そのときの選び方は自己判断しかありません。「これはできたな」と自分で思えるような作品に気づいて発見していく。自分でたくさん創る中で良いものができたなと思ったときは、コンテストに出したり、投稿したりして真価を問いましょう。そうすると「自分の見立て通りだった」とか「まだどこか足りなかった」と分かるようになっていきます。だから、コンテストや投稿は、自分の実力をみるうえで大切な物差しになると思います。
そのときに、同世代の他の作品を見ることはとても大事です。落選して「落ちちゃった」だけで済ませると進歩がないので、「なんで落ちたのか」ということを自分なりに考えることが大切です。そういう自分も何度も落選してきていますから。そのたびにどこがだめだったのかを自分で分析して、同時に入選した作品を読んで、入選作品はやっぱり素晴らしいな、立派だなと、素直に鑑賞しましょう。これは、勉強と同じで、テストで間違ったところをそのまま置いておくとそれ止まりですよね? 答え合わせをして自分なりに分析をして、「だから間違ったんだな」と正しい答えを導き出して納得すると、学力って付いていきますよね。俳句も同じなんです。
―初めて俳句に挑戦するときは何を心がければ良いでしょうか?
俳句を始めるなら「俳句歳時記」という季語辞典と友達になるというのが近道だと思います。俳句歳時記には、季語に対する説明があって、さらに例句が載っています。季語を覚えることができるし、例句も目に入ってくるので、俳句が親しくなっていく。だから、まずは俳句歳時記を開いてみて鑑賞すると良いでしょう。いきなり創るのは大変だから、まず読むことからスタートしていってもいいんじゃないかなと思います。
また、松尾芭蕉などの古典で俳句の知識が止まっている人は多いと思いますが、俳句というのは現代の人もたくさん詠んでいて、いろいろな事象が17音で詠まれているということに気づいてほしいです。俳句歳時記にはそういった句もたくさん収録されているので、まずは触れてみてください。
ー最後に、高校生にメッセージをお願いします。
高校時代に、宮本輝さんの『螢川』『泥の河』という作品に出合いました。高校の前に古書店があって、その前に自販機があったんです。100円でジュース買おうかと思ったんだけど、なぜかそれをやめて古書店で『螢川』と『泥の河』が収録された文庫本を買ったんです。その日の夜に一気に読んで、すごく感動したんです。涙を流しながら読んでいました。なかでも、螢の美しい描写に感動して目を開かれた感じがしました。「言葉でここまで人を感動させることができるんだ」ということを体感したんです。
この話には続きがあって、それ以来宮本輝さんの作品はずっと読み続けてきました。僕にとって宮本さんは本当に雲の上のような存在であり、本当に尊敬する小説家です。それで、20年以上経ってから、ひょんなことに宮本さんの新刊の書評を書かせていただく仕事があり、さらに雑誌で「宮本輝の10冊」ということで、宮本さんの10作品の書評をしたんです。それをご本人が読んでくださって、そこではじめて宮本さんとつながるわけですよ。そして、お手紙をいただいて、そのあと『螢川』の舞台となった富山県で実際に宮本さんとお会いして対談することになったんです。
高校時代の夏に、ジュースを買わずにふとした拍子で宮本さんの文庫本を買った。あの日の出会いが、20年以上経って、作者ご本人と対談することにつながるわけです。これって不思議なことだと思うし、自分にとって奇跡的なこと。将来作者に会ってお話しすることができるなんて思いもしなかったけど、ずっと読み続けて、俳人として言葉に携わってきた。それが呼び寄せた奇跡だと思っています。
だからみなさんには、高校時代に出合う本の大事さを伝えたいですね。何十年経ったときにあなたの人生を変えることもありますよと、そういうことを伝えたいです。
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2014/12/post-bee1.html 【本との出会い(5): 「俳句の宇宙」と「大悪人虚子」】 より
「俳句の宇宙」(花神社1989年発行)において、長谷川櫂氏は虚子について次のように述べている。
「虚子を勉強していると、ときとき、不気味な虚子に出会う。久女の場合だけに限らない。虚子にとっては、俳句とホトトギス王国とどちらが大切だったのか。俳人だったのか、権力の亡者であったのか――そんな疑問が頭をもたげてくる。あまりにも現世的な姿の虚子。それはたいてい、暗くて大きくて、不敵な笑いを浮かべている。黒い虚子。こういう虚子はなかなか好きになれない。」(第三章2の最後から抜粋)
「しかし、俳人であったのか、権力の亡者であったのか、と二者択一で割り切れないところに虚子のほんとうの難しさ、面白さがあるのかもしれない。虚子のなかでは、よき俳句作家と冷酷な権力者とが、ただ表面上だけでなく、深いところで融合しているのではないだろうか。俳句と「力」とが――といいかえてもいい。「力」という要素は虚子の俳句や俳句観に深く埋め込まれている。虚子の俳句は「力」の表現だともいえると思う。虚子の奥底にあって、磁力を発しつづける「力」。これが17文字の俳句になったとき、図太いとも、また、艶やかとも映るのではないか。」(第三章3の冒頭から抜粋)
「虚子は、みずから「大悪人」を名のる。この句(「初空や大悪人虚子の頭上に」)は一見、大謙遜に見えながら、実は大うぬぼれの句であるらしい。自分の「力」への揺るぎない自信。虚子は、この句でも不敵に笑っている。」(第三章3の最後抜粋)
「微粒子の世界から星たちの空間まで、響きわたる巨大なオーケストラとしての宇宙。小さな草の芽を見ながら、目の前に湧き起こりつつある宇宙の音を、はっきりと感じとっている虚子。こういう虚子はいちばん興味深い虚子だ。同時に手怖い虚子である。」(第三章5の終わり抜粋)
「昭和22年頃、虚子の言葉というのが私の耳にもとどいた――「第二芸術」といわれて俳人たちが憤慨しているが、自分らが始めたころは世間で俳句を芸術だと思っているものはいなかった。せいぜい第二十芸術くらいのところか。十八級特進したんだから結構じゃないか。戦争中、文学報国会の京都集会での傍若無人の態度を思い出し、虚子とはいよいよ不敵な人物だと思った。」(注:『第二芸術』の「まえがき」)(第三章6の終わりより抜粋)
「傍若無人の態度」とは具体的には何を指しているのだろうか? 虚子はこの時期にどんな俳句を作っていたのだろうか?
「俳句の宇宙」からの上記抜粋にあるような虚子の「力」は何から出ているのだろうか?
花鳥諷詠の「極楽の文学」としての俳句を世に広めたいという信念の強さが「力」となったに違いない。そういう信念が、「花鳥諷詠南無阿弥陀仏」や「天の川の下に天智天皇と臣虚子と」「初空や大悪人虚子の頭上に」「去年今年貫く棒の如きもの」などの俳句に結実したものと思うが、虚子がこれらの句を作った「場」を知りたい。時には「大悪人」と言われるような非情ともとれる行動になった「場」をもっと知る手立てはないものだろうか?
「高浜虚子の世界」(角川学芸出版「俳句」編集部)のアンケート「私の虚子」③「いま、虚子について思うこと」に対して、俳文学者矢羽勝幸氏は次のように回答している。(抜粋)
「③ 碧梧桐の方向も近代化の過程で当然だとは思うが、虚子のとった“九百九十九人のみち”すなわち俳句が庶民文芸であることを(芭蕉の軽み、一茶の最後にめざした俳諧)近代に再生、継承した功績は偉大だと思う。“九百九十九人のみち”を凡人主義と解してはならない。・・・(以下省略)」
また、大木あまり氏(俳人)はアンケート②「心にのこる虚子の言葉、あるいは愛読の虚子著作」に対して、次のように回答している。
「② 理論の花より芸の花こそよけれ。標語の花よりも真の実こそよけれ。」
「世評を気にかけないで行動する人は快い。私はそういう人を好む。世評を気にかけて行動する人はみじめだ。私はそういう人を好まない。」
「高遠なる思想を辿る事もよいが、また平凡な日常に処する事も大事だ。」
坊城俊樹さんは「虚子の100句を読む」において、虚子の句「石ころも露けきものの一つかな」を挙げて次のように述べている(抜粋)。
「・・・(省略)・・・むしろ年尾は『客観写生』『花鳥諷詠』提唱後の虚子の句でも、表現的に単なる写生句より、自然界にあるすべての有情のものとして、人間を含めた、大きな句を取り上げて言っている。年尾の好みと言っていい。筆者もまた、この句に関してはそのように感じる者であるが、虚子はそれをあくまで『月並』的な鑑賞であるとした。
しかし、虚子の謂う『天地有情』という観点からも、この句は現代の伝統派がよく使う、通俗的で安っぽい措辞の『の心あり』『といふ命あり』などとは根本的に異なる広遠な句と思うのだが。
この句をあえて取り上げたのも、大震災の現場にある石ころの映像を見たからである。その被災地にある石ころは只の石ころではない。甚大な被害と、多くの被災者の命を奪った大地にころがっていた石ころである。この句を思い出さずにはいられなくなる石ころであった。」
上記のように、俊樹さんは東日本大震災に言及しているが、この句を虚子が作ったのは昭和4年(1929年)の8月であり、その前の6月には北海道駒ヶ岳が噴火して死傷者も若干出ていたようである。今年は木曽の御嶽山が噴火して多くの死傷者が出た。
虚子はこの「石ころ」の句を作ったとき、駒ヶ岳の噴火を意識していたのだろうか?
因みに、1923年に起きた関東大震災について、河東碧梧桐は俳句を作っているが、虚子は一切俳句を作っていないとのことである。
「虚子は俳句など短詩にはそれぞれサイズに応じた適所持分があるとしており、後に起こった太平洋戦争や原子爆弾についても俳句を詠んでいません。また、震災忌、敗戦忌、原爆忌を季語として認めていなかった」そうである。
余談だが、この俳句を読むとエッセー「尾曲がり猫と擦り猫と」の「石ころ」のことを思わざるをえない。
このブログを書いている時に、インターネットで桑原武夫の第二芸術論に対する批判のブログを見つけた。
このブログは日本文化としての俳句の良さを論じた適切な反論だと思う。しかし、文化を愛し、国を思うことは尊いが、芸術を論ずるにはあくまで冷静に純粋に議論をするのが望ましい。いずれの立場にせよ「売国奴」などという表現があるのは感心しない。「非国民」とか「国賊」などというレッテル貼は慎まなければならないと思う。
いずれにせよ、虚子は、心の糧になる花鳥諷詠の文学、すなわち「極楽の文学」としての俳句、を大衆に広めることを目指していたのだから第二芸術という批判は的外れとして、「俳句も第二芸術まで来ましたか」「十八級特進したんだから結構じゃないか」と議論の対象にしなかったのだろう。
「プロの俳人が高邁な文学として純粋に探究するのも良し、月並みであろうと大衆が俳句を慰みにして天地有情の一端を楽しむことができればそれもよし」、という考えだったのだ。虚子の俳話(昭和33年1月)にもあるが、このような揺るぎない信念が大きな力を発揮させたのだろう。
虚子は、昭和18年に出版した「俳談」の序文に、
「何故に何という理屈を述べることはさけて、只何々であるという断定した意見だけを述べたというようなものである。善解する人は善解してくれるであろうと思う。」と述べ、さらに、
「本ものの虚子で推し通す」というタイトルで次のように述べている。
「自分は自分の固く信ずるところがあり、この信仰は何人もどうすることも出来ないものである。他の刀が切っても切ることは出来ぬ、他人の舌が千転してもどうすることも出来ぬものである、ということを固く信じている。従来俳壇に在って、私ほど多くの人々から攻撃されたものも少ないであろうと思う。・・・ 省略・・・自分の俳句は、少しもそれらの言葉に累せらるることなしに、著々として歩を進めているということを、固く信じているのである。」
「天地有情」といえば土井晩翠の詩が有名であるが、このような詩は誰でも簡単に作れるわけではない。俳句は庶民が手軽に楽しむのに適した世界最短の型式詩といえる。これを高邁な文学としてのみ追求すれば一部の専門的俳人しか作れなくなる。虚子は元々俳句の良さ・特質や限界を認識した上で花鳥諷詠の楽しさを大衆に教えることを考えていたのだろう。
善悪のとらえ方や価値観は時代とともに変化する。虚子は悠久の宇宙の森羅万象・人間も含む自然・花鳥諷月を俳句にすることの可能性と限界を喝破していたに違いない。
だから、親子ほど歳の違うフランスかぶれの桑原武夫に第二芸術と言われようと、青臭い議論としてそれに頓着しなかったのだろう。
虚子自身も駄句と批判される句を作っている。虚子が意図したわけではないだろうが、それが結果として俳句を親しみやすい庶民の文芸・娯楽にして今日の俳句の隆盛をもたらしているとも言えるのではなかろうか。
現在の高齢化社会で多くの人々が俳句を趣味として老後をエンジョイしている。そのことを知れば、虚子は「傲岸と人見るままに老の春」という俳句を作ったように、大悪人と言われようと自分の選んだ途は間違いでなかった、とニッコリするのではないか。
ちなみに、インターネット検索したところ、「傲岸に人見るままに老の春」というのもある。「に」と「と」では主客逆転した句意の解釈が成り立つ。「に」はミスタイプと思うが、この句は虚子が人を傲岸な態度で見ていることを意味するのか、人が虚子を「傲岸だ」と見ていることを意味するのか、どちらが正しいのだろうか?
「君、そんなことは超越していたよ。何事も『色即是空』だ。」という虚子の声が聞こえるような気がする。
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