俳句ブーム

https://www.tbsradio.jp/17167【「古池や蛙飛び込むSplash!」 俳句ブームここまで】より

思わず耳をそばだてたくなるようなコラムをお届けします。

毎週木曜日は、東京大学名誉教授、月尾嘉男さんの「賢くなれる雑学コラム」!

今日3月24日(木)は「国内外で俳句ブーム」

3月27日は「奥の細道」出発の日

今から約330年前の元禄2年3月27日(新暦では5月16日)は、松尾芭蕉が弟子の河合曾良を伴って江戸・深川から奥の細道に旅立った日です。芭蕉といえば俳句ですが、最近、その俳句への関心が広がっているようです。

俳句は江戸時代からそれなりに流行していましたが、戦後、俳句界に激震が走りました。1946年、東北帝国大学助教授であった桑原武夫が雑誌に「第二芸術」という文章を発表したのです。この論文で桑原は、大家の俳句と素人の俳句を作者名を伏せて15句並べ、大家の作がどれかは区別できないであろうと批判し、「老人や病人の余技として、消閑の具にするのがふさわしい」と指摘し、俳句が芸術と言い張るのであれば「第二芸術」として区別し、学校教育から締め出すべきという強硬な意見を主張しました。当然、俳句界からは強烈な反論があり、それが逆に俳句への関心を高めることにもなったのですが、何となく鎮静していました。

お~いお茶の応募は累計3000万句!

俳句が最近、社会の関心を惹くようになったのは、色々な競技が行なわれるようになった影響です。大きなきっかけを作ったのは、1981年に缶入りウーロン茶、84年に缶入り煎茶を開発した伊藤園でした。「缶入り煎茶」という味気ない商品名を1984年に「お~いお茶」に変更し、さらに翌年にペットボトル入りの緑茶を発売した伊藤園は、宣伝のため同年「お~いお茶新俳句大賞」を始めました。当初、応募数は4万1000ほどでしたが、受賞した俳句がペットボトルの外側に名前入りで印刷されるということで人気になり、1999年には100万、2004年には150万を突破し、累積でも1000万句に到達し、最近では累積で3000万句に接近するほど、俳句の普及に貢献することになりました。

さらに俳句の浸透に貢献したのが1998年から愛媛県の松山青年会議所が始めた「俳句甲子園」です。松山市が始めたのは、言うまでもなく明治初期に俳句の近代化を推進した正岡子規の出身地という関係からです。当初は愛媛県内の9校だけの地域行事でしたが、2年後の第3回には4県の14校、昨年(2015年)の18回は32都道府県の95校が参加し、若い世代が俳句に関心を持つようになりました。それ以外にも全国各地で70以上の俳句コンテストがあるほど盛況です。

海外でも注目のハイク

最近では、和食や温泉など日本の伝統文化や、新幹線や建築など最新技術が世界の注目を集めているように、俳句にも世界で関心が高まっているのです。すでに19世紀にオランダ人が俳句を残しているなどの記録がありますし、学習院大学教授レジナルド・プライスが1949年に俳句を紹介する英文の書籍を発行していますが、意識的に海外で俳句を普及させたのは日本航空でした。東京オリンピックの開かれた1964年にアメリカで「俳句コンテスト」を呼び掛けたところ4万1000もの応募があり、その後も不定期にアメリカ、カナダ、オーストラリアなどで「俳句コンテスト」を開いてきました。1990年からは日航財団が引き継いで、隔年に15歳以下の子供を対象にした「世界こどもハイク(俳句)コンテスト」を開催し、その成果を「地球歳時記」として出版しています。最近では40ヵ国以上から応募があります。その一部を紹介しますと・・・

Rain drops falling down/Silently calmly nicely/Like the world in peace(雨の滴が落ちる/静かに穏やかに優しく/平和な世界のように カナダ・13歳)

Flow is heard/The continuous song/of the gushing water(河の流れが聞こえる/途切れのない歌のように/ほとばしる水 フィリピン・12歳)という具合です。

日本の伝統的な俳句では五七五の17音節で作るとか、「かな/や/けり」という切れ字を使うとか、季語を使うなどの規則がありますが、海外では3行で書く、季節感を出すという程度で自由詩に近い形式になっています。

古池や蛙飛び込む Splash!

国際普及のために1989年に設立された国際俳句交流協会によると、英語圏以外にスウェーデン、ルーマニア、ブラジル、インドなど約30ヵ国と交流があり、インターネット経由の投稿なども含めると、俳句人口は70ヵ国200万人程度になっているのではないかと推測されています。日本の俳句人口の明確な統計はありませんが、200万人から300万人ではないかと言われていますから、海外での普及が進んでいることが分かります。芭蕉の生誕地である三重県伊賀市が中心になって、俳句をユネスコの無形文化遺産に登録しようという動きもあるほどです。

有名な「古池や蛙飛込む水の音」は英語では、

An old quiet pond/A frog jumps into the pond/Splash! Silence again

となり、日本人には違和感があると思いますが、日本の文化を理解してもらうことが日本の国際社会での評価を高めることにもなるので、和食、和紙、能楽などの無形文化遺産だけではなく、このような文芸が登録されることも重要だと思います。


https://news.livedoor.com/article/detail/15231570/【『プレバト!!』夏井いつき先生が「俳句ブーム」を作るまで】より

「せんせ~い!」

 司会の浜田雅功(55)の呼び声で画面が切り替わると現われる、着物姿の女性。「凡人の発想ね」「説明しない!」「17文字しかないんだから文字を無駄遣いしない!」

 赤ペン片手に、芸能界の大御所相手でも容赦なく突っ込むのは、俳人の夏井いつきさん(61)だ。

『プレバト!!』(木曜19時~・MBS/TBS系)は、関西では『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)を凌ぐ人気番組となった。原動力は、2013年11月から始まった「俳句」のコーナーだ。

 総合演出のMBS・水野雅之氏が話す。

「最初の収録で浜田さんが『このおばはん、おもろいな!』と大笑いしてくれたとき、『これはイケる!』と。夏井先生は、きつい言葉がきつく聞こえない。出演者で怒った方って一人もいないんです。

 出演する前はみな怖がるけど、一回出たら『もう一回出たい』となる。スタッフも出演者も夏井先生の塾生みたいなものですね」

 平成の終わりに俳句ブームを起こした夏井さんは、どのような人物なのか。彼女は20代のころ、愛媛県で中学校の国語教師を務めていた。

「教職は、天職だと思っていたんです。子供たちを国語好きにさせるために工夫するのが楽しかった。私が赴任した中学では、嫌いな教科で国語が断然1位。ピーマンが嫌いな子に、どんな工夫をすれば食べてもらえるか考えるようなものですね。

 授業は、自作自演の50分の脚本だと思っていたんです。(受け持っていた)4クラスで性格が違うから、それぞれ別の脚本を作って。生き生きした反応が返ってきたら、それがまた楽しかったんです」(夏井さん・以下同)

 趣味程度に俳句を作ってはいた。本格的にのめり込んだのは、「勝手に弟子になる!」と入れ込んだ、俳人・黒田杏子さんの影響だ。黒田さんが俳句雑誌で選評コーナーの連載を開始すると、鬼気迫る勢いで投稿し続けた。

「投句用紙に七句書いて送るんだけど、その裏が通信欄というか、好きなように書いていい用紙だったの。だから、前回の自分の句で、落選したり、掲載時に一文字変わっていたりした句に関して勝手にレポートを書いて。

 このときの“独学”が基礎体力につながったと思うんです。10年ぐらいたって、黒田先生と初めて会ったとき、『あなたの筆跡は嫌になるほど見た(笑)』と覚えてくれていました」

 30歳のとき、決断をした。8年続けた教職を、家庭の事情で辞めざるをえなくなったのだ。さらに43歳で離婚を経験。苦難の時代を、俳句一本で通してきた。

「教職は大好きな仕事だから辞めたくない。それで、ケリをつけるために『私は俳人になる』と言いきって辞めたんです。当時は本当に貧乏で、家賃が払えず、出ていかなくてはいけない夢を何度も見ました。

 でも、タンカを切って教職を辞めたから、カッコ悪くて後戻りできない。俳句の世界で少しでも形を作らないと、と必死でした」

 正岡子規らを生んだ「俳都」松山が、その心意気を後押ししてくれた。次第に句会ライブの声がかかるようになり、テレビやラジオの仕事が増えていく。

 俳句を通じて知り合った8歳年上の映像プロデューサー・加根兼光氏と、49歳で再婚を決意。彼と松山に新会社を作ったとき、『プレバト!!』の依頼があった。

「映像に詳しくて、俳句も作っている兼光さんがいろいろアドバイスしてくれるのね。それで観ている人にも伝わりやすくなった。俳句の世界は面倒くさくて、テレビや新聞に出ると『俳句をメシの種にしている』と批判されることもありました。

 でも、ありがたいことに『プレバト!!』は案外、大御所の先生方にも受け入れられているの(笑)」

 スタッフの「俳句脳」も育ってきた。5人の名人、7人の特待生。出演者たちの成長が長寿番組を支えている。

 前出の水野氏が言う。

「俳句って感覚的なものだと思ってたんです。でも、夏井先生が添削すると、よくなったと全員が納得できる。思った以上に論理的だった。俳句が映像の編集と似ている点も大きかった。

 切れ字の『や』を使えば、視点が切り替わり、(ひとつの句で)ツーカットを表現できる。ズームしたり、全然違うカットを挿し込めば、奥の深い世界を表現できる。スタッフがのめり込む要素が俳句にはあったんです」

 夏井さんも、番組にのめり込んでいる。

「俳句を広めるためなら、と引き受けたけど、最初は、送られてくる俳句がひどいものばかりで『こんなもの添削できるか!』とスタッフと喧嘩してましたよ。

 でも、いまはスタッフが自分たちで俳句を作って、出演者と一緒に悩んだり喜んだりする。バラエティの制作陣ってすごいな、って思うんです」(夏井さん)

(週刊FLASH 2018年8月14日号)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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