http://honnomori.jpn.org/syomei/4-ta/dou-nihon-1.html 【道教と日本思想】 著者 福永光司 徳間書店 より
Ⅳ 天皇と道教-研究方法と基本資料について
道教はなぜ軽視されたか
それともう一つの事情は、わが国で陰陽道と呼ぼれている宗教思想と道教との関連です。
中国の道教の宗教思想の一番中核をなすものは、老子の哲学と易の哲学です。3~4世紀、魏、晋のころからは荘子の哲学がもう一つ加わって、「三玄の学」と呼ぼれますことは、私、これまでにもたびたび申してきております。そのなかでも、とくに易の陰陽五行の哲学が、道教の教理学の非常に重要な部分を占めます。
そして日本で大化の改新以後、大陸の学術を積極的に受け入れてゆくときには、易の哲学は儒学の一部門として非常に重要視されますので、この易の哲学と道教の教理学の結びついたものを、日本ではとくに「陰陽道(おんみようどう)」とよんで、道教とは別個のもののごとく考えてやってきました。しかし日本で「陰陽道」とよばれているものの具体的な思想内容を検討してみますと、中国の道教教理書のなかにそのほとんどが見えているものです。つまり、道教の教理学の一ブランチを日本では「陰陽道」という名前でよんできたと理解してよかろうかと思います。
そういう事情で道教は陰陽道とは別個のものとされて、日本の古代から中世・近世にかけて余り注目されなかった-
津田左右吉、幸田露伴の道教論
津田左右吉さんは、『天皇考』という論文を大正の中ごろに若くしてお書きになっておられます。そしてこの「天皇」という称号が中国大陸の思想文献と関連を持っているということをすでに指摘されておられるのであります。ただし道教の天皇信仰というのは一種の星辰信仰であるが、そういった星辰信仰は古い時代の日本にはなかった、『古事記』や『日本書紀』などのなかにも星辰信仰のことはほとんど書かれていない。したがって天皇の称号は、中国の宗教思想とは関係があるけれども、道教の天皇とは余り関係がないとおっしゃっております。
一般的に道教の思想に対して津田博士は否定的、批判的で、宗教としての道教は日本に入ってこなかった、宗教思想として日本に影響を与えたのは仏教だけであって、道教は単なる知識文献として入った程度にとどまっている、それに-道教には仏教のような宗教哲学とか、教理学とか、そういったものはもともとないんだ-おっしゃっておられます。
-道教の思想哲学の研究に関しては注目すべき成果を挙げておられる幸田露伴さんが、一方では道教の原典(道教の一切経すなわち『道蔵』)については、そのコンストラクションがでたらめだといっているわけです。
津田左右吉さんのように道教の思想は浅薄であり、ほとんど顧慮に値しないようなものであるとは必ずしもいえないように思います。また幸田露伴さんのように『道蔵』をただ混乱があるばかりで、雑然としていると決めてかかる必要もないと考えます。あとで申します道教の基本的な教理書を仔細に読み、『道蔵』の分類原理を思想史的に検討考察していくと、必ずしもそうはいえないのではないかというのが最近の私の考えなんです。
道教百科全書の神学と日本神話の類似
6世紀(570年代)の北中国に、日本の古代とも高句麗を通じてたいへん密接な関係を持つ北周という王朝がありました。この王朝の武帝という天子のときに、勅撰の形で道教の教理百科全書が百巻つくられ、それが『無上秘要』と呼ばれています。
この『無上秘要』を読んでいくと、『古事記』のなかでこれまで日本独自の神話であるといわれているのと、全く同じような話が出てくるわけです。
神仙世界の最高神は天皇
宮廷儀礼にも道教のあと
日本文化のなかに定着
中国の都城制は、地上の帝王が神(上帝)と天人相関の哲学によって結びつけられ神聖化されている限り、必ずその根底基盤を、道教の宗教哲学によって支えられているといっても決して過言ではありません。
そして古代日本の藤原京にせよ、聖武帝の難波宮にせよ、そのころは明確に天皇という称号が日本の王権者を呼ぶ言葉として使われているわけですから、そうである限りは日本においてもまた、天皇の住む紫宮を中心にして道教の宗教哲学を踏まえた紫震大極の都城制が構想されるということも必然の成り行きであろうと思います。
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