山頭火の日記 ⑨

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945700718&owner_id=7184021&org_id=1945729091 【山頭火の日記(昭和6年1月1日~)】より

一月一日 雨、可なり寒い。

いつもより早く起きて、お雑煮、数の子で一本、めでたい気分になつて、Sのところへ行き年始状を受け取る。一年一度の年始状といふものは無用ぢやない、断然有用だと思ふ。年始郵便といふものをあまり好かない私は、元日に年始状を書く、今日も五十枚ばかり書いた、単に賀正と書いたのでは気がすまないので、いろいろの事を書く、ずゐぶん労れた。

 元旦の捨犬が鳴きやめない

 売れ残つた葉ぼたん畑のお降り

 水仙いちりんのお正月です

 ひとり煮てひとり食べるお雑煮

【ひとり煮てひとり食べるお雑煮】

この日の日記に、「ひとり煮てひとり食べるお雑煮」の句があります。一人暮らしの山頭火が、自分で作った雑煮はどんなものでしょうか。彼の生まれ故郷・山口県周防南部の伝統的お雑煮は、物の本によると次のようなものだそうです。「白餅の雑煮で、具にはかぶを使う。いりこでだしをとった汁に、醤油で味付けする」と、いたってシンプルな雑煮です。

【随筆『遍路の正月』】

このころ、次の山頭火の随筆「遍路の正月」があります。

「私もどうやら思い出を反芻する老いぼれになったらしい。思い出は果もなく続く。昔の旅のお正月の話の一つ。それは確か昭和三年(記憶違いで昭和二年)であったと思う。私はとぼとぼ伊予路を歩いていた。予定らしい予定のない旅のやすけさで、師走の街を通りぬけて場末の安宿に頭陀袋をおろした。同宿は老遍路さん、可なりの年配だけれどがっちりした体躯の持主だった。彼は滞在客らしく宿の人々とも親しみ深く振舞うていた。そしてすっかりお正月の仕度――いかにも遍路らしい飾りつけ――が出来ていた。正面には弘法大師の掛軸、その前にお納経の帳面、御燈明、線香、念珠、すべてが型の通りであったが、驚いたことには、右に大形の五十銭銀貨が十枚ばかり並べてあり、左に護摩水の一升罎が置いてあった! 私は一隅に陣取ったが(安宿では一隅の自由しか許されない)、さて、飾るべき何物も持っていない。ただ破れ法衣を掛け網代笠をさげ 杖を立て頭陀袋を置いて、その前に坐ってぼんやりしているより外はなかった。そこで私は旅の三回目の新年を迎えた。ありがたくも私の孤寒はその老遍路さんの酒と餅と温情とによって慰められ寛ろげられた。生々死々去々来々、南無大師遍照金剛々々々々々々々々。」

一月三日 うららか、幸福を感じる日、生きてゐるよろこび、死なないよろこび。

――昨夜の事を考へると憂欝になる、彼女の事、そして彼の事、彼等に絡まる私の事、――何となく気になるのでハガキをだす、そして風呂へゆく、垢も煩らひも洗ひ流してしまへ(ハガキの文句は、……昨夜はすまなかつた、酔中の放言許して下さい、お互にあんまりムキにならないで、もつとほがらかに、なごやかに、しめやかにつきあはふではありませんか、……といふ意味だつたが)。

 お正月も暮れてまだ羽子をついてゐる

 お正月のまんまるいお月さんだ

 夕闇せまりくる独馬(コマ)をたたかはせてゐる

 おとなしく象は食べものを待つばつかり(有田洋行会所見二句)

 食べものに鼻がとどかない象は

 水仙けさも一りんひらいた

 とりとめもなく考へてゐる水仙のかほり

 考へてをる水仙ほころびる

 水仙ひらかうとするしづけさにをる

 いやな夢見た朝の爪をきる

 寝る前の尿する月夜ひろびろ

 よい月夜のびのびと尿するなり

当座の感想を書きつけておく。――恩は着なければならないが、恩に着せてはならない、恩を着せられてはやりきれない。親しまれるのはうれしいが、憐れまれてはみじめだ。与へる人のよろこびは与へられる人のさびしさとなる、もしほんたうに与へるならば、そしてほんたうに与へられるならば、能所共によろこびでなければならない。与へられたものを、与へられたままに味ふ、それは聖者の境涯だ。若い人には若い人の句があり、老人には老人の句があるべきである、そしてそれを貫いて流れるものは人間の真実である、句を読む人を感動せしむるものは、句を作る人の感激に外ならない。父子共に句作者であつて、そしてその句が彼等のいづれの作であるかが解らないやうな句を作るやうでは情ない、現今の層雲にはかういふ悲しむべき傾向がある(今月号所載、谷尾さんの苦言は肯綮に当つてゐる、私もかねがねさう考へてもゐたし、またしばしば口に出して忠告もしてゐた)。

   自嘲一句

 詫手紙かいてさうして風呂へゆく

【水仙けさも一りんひらいた】

この日の日記に、「水仙けさも一りんひらいた」の句があります。また山頭火の句に「机上一りんおもむろにひらく」があります。この花は今、季節がら水仙でしょうか。人に注目されているのを知らず、水を充分に吸い、花開く時がくれば開いたのです。山頭火は、そこに花の内なる力を感じたようです。

一月十日 雪が積んでゐる、まだ降つてゐる、風がふく、寒く強く。

近来にない寒さだつた、寒が一時に押し寄せたやうだつた、手拭も葱も御飯も凍つた、窓から吹雪が吹き込んで閉口した。ありがたいことには炬燵があつた、粕汁があつた。朝湯朝酒は勿体ないなあ。今日は金比羅さんの初縁日で、おまゐりの老若男女が前の街道をぞろぞろ通る、信仰は寒さにもめげないのが尊い。隙洩る風はこの部屋をいかにも佗住居らしくする、そしてその風をこらへて、せくぐまつてゐる自分をいかにも佗人らしくする。……寒いにつけても、ルンペン時代のつらさを思ひ出さずにはゐられない。酒ほどうまいものはない、そして酒ほどにがいものはない、――酒ではさんざ苦労した、苦労しすぎた。……

 雪の葉ぼたんのしじま

 さらさらふりつむ雪見ても

 雪夜、隣室は聖書ものがたり

 ヤス(安)かヤスかサム(寒)かサムか雪雪(ふれ売一句)

 吹雪吹きこむ窓の下で食べる

【安か安か寒か寒か雪雪】

山頭火はこの日、熊本の「三八九(さんぱく)居」にいますが、雪が積もりまだ降っています。この日の日記に「安か安か寒か寒か雪雪」の句があります。寒風が強く、「安か安か」と寒い中で白い息を吐きながら商いをしている売り子の声、「寒か寒か」はその中を縫うように寒さに身を縮めながら家路を急ぐ人々が話す声、そしてそれらを覆い尽くしている「雪また雪」。この句は、そのリズミカルで賑やかな律動の中で、やはりひとりぼっちの山頭火の姿が浮かんできます。

一月十六日 曇、やがて晴、あたたかだつた。

朝、時雨亭さん桂子さんから、三八九会加入のハガキが来た、うれしかつた、一杯やりたいのをこらへて、ゆつくり食べる。……午後散歩、途中で春菊を買つて帰る、夜も散歩、とうとう誘惑にまけて、ひつかけること濁酒一杯、焼酎一杯(それは二十銭だけれど、現今の財政では大支出だ!)。唐人街、新市街、どこを歩いても、見切品ばかりが眼について嫌になつちまう、人間がそもそも見切だから詮方もないが、実は旧臘以来、安物ばかり買はされてきたせいだ。

 あたたかく人を葬る仕度してゐる

 晴れて遠く阿蘇がまともにまつしろ(ここから)

 凩に焼かれる魚がうごいてゐる

 捨てられた梅も咲いてゐる

 枯れきつてでかい樹だ

 デパートのてつぺんの憂欝から下りる

 星晴れてのんびりと尿する

 尿してゐるあちらはヂヤズか

ここに重大問題、いやいや重大記録が残つてゐた、――それはかうである、――十三日は午後、三八九の趣意書を、どうしても刷りあげるつもりで出て、蔚山町の黎明社へいつた、そこは謄写刷の専門店だ、主人が留守で弟子が一人、その弟子を説きつけて刷りあげた、それを持つて、元寛君へ駈けつけて、そこで四方八方、といつても、面識のある、好意を持つてくれさうな俳友へ配つた、実は手帖を忘れて行つたので、そんな事柄をこまごまと書きつけておいたのだが、……ともかく、私の生活の第一歩だけは、これできまつた訳だ、それを書き忘れてゐたのだから、私もだいぶ修行が積んだやうだ、三八九最初の、そして最大のナンセンスとでもいひたいもの如件。

 終電車重い響を残して帰つた

 星があつて男と女

 霙ふる、売らなきやならない花をならべる

 霙ふるポストへ投げこんだ無心状

 ぬかるみをきてぬかるみをかへる

不幸はたしかに人を反省せしめる、それが不幸の幸福だ、幸福な人はとかく躓づく、不幸はその人を立つて歩かせる! ……へんてこな一夜だつた、……酔うて彼女を訪ねた、……そして、とうとう花園、ぢやない、野菜畑の墻を踰えてしまつた、今まで踰えないですんだのに、しかし早晩、踰える墻、踰えずにはすまされない墻だつたが、……もう仕方がない、踰えた責任を持つより外はない……それにしても女はやつぱり弱かつた。……

【三八九会】

この日の日記に、「時雨亭さん桂子さんから、三八九会加入のハガキが来た、うれしかつた」とあります。山頭火の随筆に「『鉢の子』から『其中庵』まで」があり、次のように述べています。

「ようやくにして、場末の二階を間借りすることが出来た。そしてさっそく『三八九』を出すことになった、当面の問題は日々の米塩だったから(ここでもまた、井師、緑平老、元寛、馬酔木、寥平の諸兄に対して感謝の念を新らしくする)」

【捨てられた梅も咲いてゐる】

また、「捨てられた梅も咲いてゐる」の句があります。奈良市月ヶ瀬の石内古城跡にある金比羅神社に、この句碑があります。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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