山頭火の日記 ⑧

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945671079&owner_id=7184021&org_id=1945700718 【山頭火の日記(昭和5年12月28日~、『行乞記』三八九日記)】より

『行乞記』(三八九日記)

十二月廿八日 曇、雨、どしや降り、春日へ、そして熊本へ。

もう三八九日記としてもよいだらうと思ふ、水が一すぢに流れるやうに、私の生活もしづかにしめやかになつたから。――途上、梅二枝を買ふ、三銭、一杯飲む、十銭、そして駅で新聞を読む、ロハだ。夕方から、元坊を訪ねる、何といふ深切さだらう、Y君の店に寄る、Y君もいい人だ、I書店の主人と話す、開業以来二十七年、最初の最深の不景気だといふ、さうだらう、さうだらうが、不景気不景気で誰もが生きてゐる、ただ生きてゐるのだ、死ねないのだらう!

 晴れた朝の悲しいたよりだつた(寸鶏頭君の病篤し)

 酔へば人がなつかしうなつて出てゆく

 師走夕暮、広告人形がうごく

 久しぶりに話してゐる雨となつた

 どしやぶり、正月の餅もらうてもどる

 どうなるものかとはだしであるく

 暮れてまだ搗いて餅のおいしからう

 濡れて戻つて机の塵

Sがお正月餅を一袋くれた、 餅、平餅、粟餅、どれもこれもありがたくいただいた、元坊のところでも搗きたてのホヤホヤ餅をおいしく食べた。……寝床の中でつくづく考へる、――私は幸福な不幸人だ、恵まれた邪宗徒だ、私はいつでも死ねる、もがかずに、従容として! 私にはもうアルコールもいらない、カルモチンもいらない、ゲルトもいらない、フラウもいらない、……やつぱりウソはウソだけれど、気分は気分だ。

【行乞記(三八九日記)】

『行乞記』(三八九日記)には、昭和5年12月28日から昭和6年2月5日までの日記が収載され、自筆ノートの表紙に「三八九(さんぱく)日記」と注記されています。

十二月廿九日 晴、紺屋町から春日駅へ、小春日和の温かさ。

或る人へのたよりに、『……ここへ移つて来てから、ほんたうにしづかな時間が流れてゆきます、自分自身の寝床――たとへそれはどんなにみすぼらしいものであつても――を持つてゐることが、こんなにも身心をおちつかせるかと、自分ながら驚いてをります、ちようど、一茶が長年待ち望んでゐた家庭を持つた時のよろこびもこんなだつたらうと、ひとりで微苦笑を禁じえませんでした。……』

ぶらぶら歩いてゐるうちに、酒が飲みたくなつて、飲むだけの十銭は持つてゐたので、一杯ひつかけた、漬物、皿、炭、等々を買つたら、もう財布には一銭銅貨四枚しか残つてゐない。ルンペンは一夜の契約だが、今の私は来年の十五日までは、ここにゐることが出来る、米と炭と数の子と水仙と白足袋とを買つたら、それこそおめでたいお正月だ! (餅はすでに貰つた。酒も貰へるかも知れない、乞食根性をだすなよ)

 月の葉ぼたんへ尿してゐる

 誰もが忙しがつてる寒月があつた

三八九の原稿を書くのに、日記八冊焼き捨ててしまつたので困つた、しかし困つても、焼き捨てたのはよかつたらう、――過去は一切焼き捨てなければ駄目だから、――放下了也。

【三八九の原稿】

この日の日記に、「三八九の原稿を書くのに、日記八冊焼き捨ててしまつたので困つた、しかし困つても、焼き捨てたのはよかつたらう、――過去は一切焼き捨てなければ駄目だから、――放下了也」とあります。

十二月卅日 風は冷たいけれど上々吉のお天気、さすがに師走らしい。

私は刻々私らしくなりつつある、私の生活も日々私の生活らしくなりつつある、何にしてもうれしい事だ、私もこんどこそはルンペンの足を洗ふことが出来るのだ。草鞋のかろさと下駄のおもさとを考へる、殊に足駄をひきずつて泥濘を歩くと、すぐ足が痛くなり腫れあがつて歩けなくなる、長袖を着て下駄を穿いて活動が出来るものか。師走の人ごみにまじつて、ぶらぶら歩く、買う銭もなければ、あまり買ひたいものもない、あんまりのんきな師走の私かな。私には師走もなければ、したがつて正月もない、気取つていへば、毎日が師走でもあり正月でもある。

 あんな夢を見たけさのほがらか

 けさも一りん開いた梅のしづけさ

 鐘が鳴る師走の鐘が鳴りわたる

 街は師走の広告燈の明滅

 仲よい夫婦で大きな荷物

 飾窓の御馳走のうつくしいことよ

 うつくしう飾られた児を見せにくる

 寒い風の広告人形がよろめく

 朝日まぶしい餅をいただく

午前は元寛さん来訪、夜は馬酔木居往訪、三人で餅を焼いて食べながら話した、元寛さんは元寛さんのやうに、馬酔木さんは馬酔木さんのやうに、どちともすぐれた魂を持つてゐられる。……元寛さんから餅と数の子とを貰つた、ありがたかつた。

 二本三銭の梅が咲きはじめた

 明日はお正月の数の子まで貰つた

 ぐるりとまはつてまたひとりになる

 霜枯れの菊の枯れざま

 霜の大地へコマぶつつける

 洟垂息子の独馬は強いな

 降つてきたのは煤だつた

 畠の葉ぼたんのよう売れてさみしくなる

 夕ざれは豆腐屋の笛もなつかしく

十二月卅一日 曇つて寒い、暮れてからは雨になつた、今年もおしまひだ。

嚢中に四銭しかない、三銭で入浴、一銭でヒトモジ一把、文字通りの無一物だ、いかに私でも――師走がない正月がない私でも困るので、夕方、寥平さんを訪ね、事情を明かして少し借りる、いや大いに掠める、寥平さんのすぐれた魂にうたれる。……見切の白足袋一足十銭、水仙一本弐銭、そして酒一升一円也、――これで私の正月支度は出来た、さあ正月よ、やつてこい!

人間は妙なもので、酒を一杯飲ませて下さいとはいひにくいが、煙草一服貸して下さいとはいひやすい、餅を頂戴しませうとはいひやすけれど、飯をよばれませうとはいひにくい、思ふに、自分の身に即きすぎた物、いひかへれば必要の度の強い物、誰もが持たなくてはならない物は強請しにくいらしい。風呂敷といふものは何と便利なものだらう、大小自由だ、大きいものも小さいものも一枚で包める、とてもトランクやケースやバツグが及ばない、ただモダーンではない。食べたい時に食べ、寝たい時に寝る、私しやほんとに我がまま気まま。偶然のない生活、当然のみの生活、必然の生活、「あるべき」が「あらずにはゐられない」となつた生活。忙しい中の静けさ、貧しい中の安らかさ、といつたやうなものを、今日はしみじみ感じたことである。寥平さんのおかげで、炊事具少々、端書六十枚、其他こまごましたものを買ふ、お歳暮を持つて千体仏へ行く、和尚さんもすぐれた魂で私を和げて下さつた。あんまり気が沈むから二三杯ひつかける、そして人が懐かしうなつて、街をぶらつき、最後にSのところで夜明け近くまで話した(今夜は商店はたいがい徹夜営業である)、酔うて饒舌つて、年忘れしたが、自分自身をも忘れてしまつた。……

 葉ぼたん抜かれる今年も暮れる

 今年も今夜かぎりの雨となり

それでは昭和五年よ、一九三〇年よ、たいへんお世話になつた、各地の知友福寿長久、十方の施主災障消除、諸縁吉祥ならんことを祈ります。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000