http://575.jpn.org/article/174896189.html 【有難や(松尾芭蕉)】 より
有難や 雪をかほらす 南谷 松尾芭蕉
■ 訳
ありがたいことだ。この南谷まで残り雪の涼しさがほのかに立ち込めている。
■ 解説
「かほらす」は霧などが立ち込める様子、「南谷(みなみたに)」は現在の山形県鶴岡市にある羽黒山にかつてあった南谷別院、をそれぞれ意味します。
この俳句に季語はありませんが、「かほらす」=「薫風」「風薫る」として見れば夏の季語となります。
■ この詩が詠まれた背景
この句はおくのほそ道、「出羽三山(でわさんざん)」の中で芭蕉が詠んだ俳句で、前回の続きです。
おくのほそ道には、「六月三日、羽黒山に登る。図司左吉と云者を尋て、別当代会覚阿闍利に謁す。南谷の別院に舎して憐愍の情こまやかにあるじせらる。四日、本坊にをゐて誹諧興行。(本俳句)」
(六月三日(1689年7月19日)、羽黒山に登る。図司左吉という方を訪ね、(彼に取り次いでいただき)、別当代(代表者)である会覚阿闍利にお会いできた。
南谷の別院を宿としてお貸し戴くなど、細やかな慈悲の気持ちで(おもてなし戴いた)。
四日、本坊にて誹諧興行(を行う。)(本俳句))とあります。
■ 豆知識
作者は松尾芭蕉です。
南谷別院は現在は既に存在しませんが、南谷別院跡として史跡が残されています。
「俳諧興行」とありますが、この時行われたのは八吟歌仙で今回紹介した俳句が発句であり、芭蕉、曽良、会覚、呂丸、釣雪、円入、珠妙、梨水の八人で行われたそうです。
http://blog.livedoor.jp/kikyou0123/archives/52470170.html 【有難や雪をかほらす南谷】より
“ありがたやゆきをかほらすみなみだに”元禄二年 47歳の句(おくのほそ道)
How greatful I am to breathe
The holy air, snow scented,
At Minami-dani.
(Translated by TOSHIHARU OSEKO)
やっぱり芭蕉さんは面白い。
真夏の句に、雪というワードを持ってきた。
“ひんやりと涼しい風”となるところを“雪を薫らす風”なんてか。
下五にも、最初「風の音」としていたようですが、後から、「南谷」に推敲した様子。
おかげで、思わず、羽黒山本坊南谷をグーグルで空から眺めちゃう私。
心はすっかり出羽三山の山中へ、雪風を浴びに 一飛びしてしまいます。
380年後の読み手のリアクションを、ここまで読んだか、芭蕉さん。
https://www.koten.net/oku/yaku/30/ 【三〇 羽黒】より
現代語訳
`六月三日、羽黒山に登る `染物屋の主人・図司左吉という者を訪ねて、別当代・会覚阿闍梨に謁見した `南谷の別院に泊まったが、思いやりの情も細やかにもてなしてくださった
`四日、本坊に於いて誹諧を興行する
`ありがたや 雪を香らす 南谷
`五日、権現に参詣する `この山を開いた能除大師は、いつの時代の人であるのかわからない `延喜式には `羽州里山の神社 `と記されている `書写の際、 `黒 `の字を `里山 `としてしまったのか `羽州黒山 `を中略して `羽黒山 `というのか `出羽 `という名は `鳥の羽毛をこの国から朝廷に貢物として献上したことに基づく `と風土記にあるとか `月山・湯殿山を合わせて三山とする `この寺は武蔵国・江戸の東叡山寛永寺に属して、隋の僧・智顗の講じた天台宗の聖典・摩訶止観の教義は月のごとく明るく、円満な精神をもって滞ることなく速やかに悟りの境地に達する、という円頓融通の法灯を掲げ、僧坊は棟を並べ、厳しい修行に励み、霊山・霊地の効験を、人は貴び、そして恐懼する `繁栄は永遠で、実にめでたい霊山と言えよう
`八日、月山に登る `穢れを払うための木綿しめという袈裟を身に掛け、宝冠と呼ばれる白い布で頭を包み、強力という荷物を背負う役目の従者に案内されて、雲霧の立ち込める山の中を、氷雪を踏んで登ること八里、さらに日や月の軌跡にある雲の関所へ入るのかと思われるほどで、息は絶え、身は凍えて、頂上に辿り着けば、日は没して月が出ていた `笹を敷き、篠を枕として横になり、夜明けを待つ `日が出て、雲が消えたので、湯殿山に下った
`谷の傍らに鍛冶小屋というものがある `この出羽国の刀鍛冶は、霊水を選んでここに身を清め、剣を打って、ついに `月山 `と銘を入れて世に高い評価を得た `呉王・闔閭に命じられ、史記の晋の太康の地理記に
汝南の西平県に竜淵水有り、刀剣を淬ぐに用ゐる可し、特に堅利なり
といわれるかの竜泉で鍛え、雌雄一対の剣を作ったという春秋時代の夫婦名工・夫の干将と妻の莫耶の昔が偲ばれる `その道に秀でるための執念の浅からぬことを思い知らされた
`岩に腰掛けてしばらく休んでいると、丈三尺ほどの桜が蕾を半ば綻ばせているのを見つけた `降り積もった雪の下に埋もれても春を忘れない遅桜の花の心がいじらしい `まさに禅林句集の
雪裏の芭蕉は摩詰が画、炎天の梅蘂は簡斎が詩
、芭蕉の葉に雪降り、炎天の梅花ここに香るがごとし、極めて珍しい `大和国吉野の大峰山で思いがけず桜の花の咲いているのを見て詠んだ延暦寺座主・行尊僧正の歌
もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
の情趣もここに偲ばれて、なお素晴らしく感じられる `総じてこの山中の細かいことは、行者の決まりとして、他言することを禁じている `よって、筆を止め、記さない
`宿坊に帰ってから、阿闍梨に求められて、三山順礼の句々を短冊に書いた
`涼しさや ほの三か月の 羽黒山
`雲の峰 幾つ崩れて 月の山
`語られぬ 湯殿に濡らす 袂かな
`湯殿山 銭踏む道の 涙かな
`曾良
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