弥生時代早期~弥生時代後期の対馬

http://mitsusima.jugem.jp/?eid=296 【弥生時代早期~弥生時代後期の対馬】より

23……山辺(やんべ)遺跡・約2300年前~約300年(弥生時代前期~弥生時代後期)

★弥生時代早期頃から、大量の新モンゴロイド(☆1)と呼ぶ渡来系弥生人が対馬を通って、日本列島に移住してきたと言われています。そのため、この時点を境として新モンゴロイドとこれまでの旧石器時代からの日本人が混血して大きく変化し、現代人になっていったと言われています。それは、遺跡から出土する人骨の比較研究で明らかになっています。

☆1・新モンゴロイド………人類は今からおよそ450万以上年前にアフリカで誕生したとされていますが、それからずっと時代が下がって、進化した新人の一部が東南アジアに移り、現在の東南・東アジア人全体のルーツとなりました。彼らを古モンゴロイドと呼びます。彼らは誕生以来、熱帯に適した特色を持っていたそうです。

しかし、古モンゴロイドの一部は、アジア大陸の北部シベリアに移り住み、氷河期の寒冷な気候に適応できるように進化しました。この寒冷地適応タイプを新モンゴロイドと呼びます。

★『魏書』東夷伝倭人条に、狗邪韓国(韓国南部)から対馬、そして九州北部は倭に属していたことが書かれています。

★山辺遺跡(三根遺跡)………中国の史書『魏志倭人伝』などの資料と、考古学上の発見からすると『対馬国』が邪馬台国を中心とする倭国連合に参加していたとされているが、その『対馬国』の中心とみられる弥生時代の大規模集落跡が、峰町の西海岸の三根湾奥から三根川を蛇行しながら遡上した右岸に位置する三根遺跡の山辺地区で見つかっている。

これまで百本以上の柱穴が出土。少なくとも三、四棟の高床式倉庫や二基以上の竪穴式住居跡が確認されている。調査されたのは、山辺区約四万平方メートルのうち、七千~八千平方メートルで、三根遺跡全体では山辺区の十倍以上に広がっているとみられている。

合計一万点以上の弥生土器や古墳時代の須恵器、朝鮮半島・楽浪郡系の土器や陶質土器が出土、盛んな“国際交流“を思わせる。

魏志倭人伝には三十のクニグニの名があるが、位置が確定しているのは対馬国、一支国、末盧国(佐賀県唐津市)、伊都国(福岡県前原市付近)、奴国(福岡県春日市付近)のみで、対馬国中部の三根湾周辺は、青銅器を副葬した首長級の墳墓の密集地で、これらと深いつながりがあるとみられている。また、魏志倭人伝の情報は、峰町辺りに使者が滞在して、あの紀行文を書いた可能性が高いと言われている。

山裾の東から西に伸びた舌状の丘陵地(長さ120メートル、幅60メートル、標高は16メートルから8メートル、舌端は三根川に達している)の中央部から側壁2面を石で張り、石蓋(いしぶた)で伏せた暗渠(あんきょ)が見つかった。長さ50㎝、幅25㎝、深さ15㎝、時代は不明。次の段丘の先端部から住居遺構が発見された。全体の面積は1200平方メートル、うち600平方メートルを発掘している。

遺構は竪穴式住居趾、高床式柱穴140、大溝状遺構、暗渠などである。出土品は縄文終末期から古墳後期までの土器が断絶することなく出土しているが、主体は弥生中期後半から後期終末である。出土品には現在の韓国南岸で製作された土器等が多く、彼我の間で盛んに交易が行われていたことが証明されている。山辺区の遺構は三根湾岸一帯に割拠した弥生海民の住居遺構の一つであり、今まで発見できなかった弥生住居の環境と成り立ちを解明する手掛かりになると言われている。

★約50年~300年頃(弥生時代後期)………弥生時代後期の遺跡は全島に及ぶが、分類すれば墳基と祭祀的遺跡(銅予出土地)に大別される。墳基遺跡の主なものとして、珍しい触角式細形銅剣を含む多くの青銅器を出土した峰町三根の高松壇(図23)および坂堂(峰町)、舶載青銅器と国産銅予を一緒に副葬していた木坂遺跡(図21)、人骨の壺棺を出土した芦ヶ浦洞窟(美津島町)、銅予・小形彷製鏡・長頸壺を出した仁位のハロウ遺跡(図36豊玉町)、楕円形の墳丘上に営まれた経ノ隈遺跡(図1上対馬町)、最大級の見事な石棺を営んだ中道壇遺跡(図51美津島町)があげられ、祭祀的遺跡としては、国産銅予と舶載の銅鏡を出土したクビル遺跡(図8上県町)をはじめ、全島40箇所わかっている。

この弥生後期のころが、『魏志』「倭人伝」に描写された時代であるが、その遺跡より北部九州の弥生式土器と、韓国の金海式土器が共伴することが多く、また博多湾周辺で製作された国産青銅器と、大陸系伝来の舶載青銅器があることから見て、対馬人が南北に市糴したという「倭人伝」の記述がよく証明できる。なお弥生終末期の遺跡において、瀬戸内から流れてきた長頸壺が、島の中央部だけに集中して出土するのが不思議だが、これには玄海を越えて瀬戸内に直通する航路も開けていたのでないかと考えられる。(永留久恵著 古代日本と対馬 より)

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