おくのほそ道:平泉

https://mobilexschool.com/2017/06/29/646 【見える歴史 vol.20 「おくのほそ道:平泉」】 より

見える歴史 vol.20 「おくのほそ道:平泉」

「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」とは『おくのほそ道』の冒頭に出てくる一文です。

月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなもので、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人のようなものであるという意味です。すると人生そのものが旅で、それを生きている自分は旅人だということになると思います。

歴史コラム第20弾、歴史の旅のはじまりです。

【今日は何の日】 「おくのほそ道:平泉」

1689年6月29日、同年春に隅田川のほとりの芭蕉庵を出発した松尾芭蕉は、岩手県南部にある平泉に到着しました。

「三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり」から始まる『おくのほそ道』の平泉編。有名な「夏草や 兵どもが 夢のあと」と「五月雨の 降り残してや 光堂」は平泉で詠まれました。

平泉は、平安時代に奥州藤原氏という一族が支配した土地です。藤原清衡、基衡、秀衡の親子三代のときに最盛期を迎えました。しかし、当時、関東で勢力を拡大していた源頼朝が政権を安定させるために、脅威である奥州藤原氏を攻めて一族を滅ぼしました。

合戦によって建物は破壊され、繁栄していた平泉一体は荒野となりました。

この奥州合戦からちょうど500年がたった1689年に、松尾芭蕉はこの地を訪れて、奥州藤原三代の栄華、それを打ち破った源頼朝から始まる武家政権に思いを馳せ、草木が覆い茂っている痕跡を目の前にして、人の世の興亡を夢のようであると儚んだ句を読みました。一方で、中尊寺の金色堂だけは、500年の歳月を耐えて、かつての姿をとどめていたことに感動して、もうひとつの句を詠んだのです。松尾芭蕉は平泉で無常観と存命の喜びの二つの感情を感じたのだと思います。無常観をよく表した日本の中世文学では「祇園精舎の鐘の声」で始まる『平家物語』や吉田兼好、鴨長明、西行などの歌人たちが有名です。とくに西行について、松尾芭蕉が崇拝した歌人であり、彼は西行の500回忌にあたる年におくのほそ道の長い旅を始めたといわれています。

平泉は2011年6月に世界遺産に登録され、震災間もない東北地方や日本に元気を与えました。

(日付は新暦です)

【今日の名言】 “古人の跡を求めず個人の求めたる所を求めよ”

松尾芭蕉の言葉。

過去の偉大な人物の実績のぬけがらを追い求めるのではなく、その古人の理想としたところを求めなさいという意味です。

【今日のことわざ】 “諸行無常”

意味は 「この世に存在するすべてのものは、同じ状態を保つことなく移り変わっていき、永久不変なものなどない」 ということです。

仏教思想の根本的なもの。変化を恐れずに生きていきたいものです。


https://edupedia.jp/article/5e93cd0829968a00005cb782 【「夏草―「おくのほそ道」から」―歴史的背景や無常観を通じた読解】 より

1 はじめに

この記事では、中学3年生の国語で学習する「夏草—「おくのほそ道」から」の授業を行う際に役立つヒントを掲載しています。

「おくのほそ道」は、松尾芭蕉による紀行文であり、古典文学の傑作でもあります。芭蕉の俳諧に対する思いや、歴史観をしっかり理解したうえで読解を進めることがポイントとなってきます。

参考資料へのリンクも掲載していますので、お役に立てましたら幸いです。

2 「夏草—「おくのほそ道」から」の内容

「夏草—「おくのほそ道」から」の歴史的背景

「おくのほそ道」について

江戸時代前期に活躍した松尾芭蕉による紀行文です。芭蕉は、弟子の河合曾良とともに東北や北陸をめぐり、岐阜の大垣までを旅しました。その記録が「おくのほそ道」です。芭蕉は、それまで滑稽さやユーモアを主体としていた俳諧の世界を、芭風と呼ばれる芸術性の高いものとして完成させました。

 「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。」で始まる冒頭部分には、これから出発しようとする芭蕉の旅への思いが記されています。

「平泉」について

平泉は岩手県の南部にあります。平安時代に、藤原清衡、基衡、秀衡の奥州藤原氏の3代が治めており、その歴史を回顧しながら、この地を訪れた芭蕉が俳諧を詠んでいます。

 上記のように、奥州藤原氏は3代しか続かず、特に秀衡のときに源義経をかくまったことから、源頼朝に滅ぼされてしまいます。こうした歴史的背景を理解しているかどうかが、読解においても重要です。

3 授業実践のヒント

授業展開の例

1.門出

芭蕉の旅への思い

冒頭では、芭蕉が旅への思いを切々と綴っています。ここでのポイントは、芭蕉がどのような思いで旅に臨もうとしていたのか、その並々ならぬ決意を実感させることです。

現代における旅と芭蕉の旅との違い

旅といっても、現代の私たちにおける旅と芭蕉の旅では、その思いが全く異なります。その違いに焦点を当てながら、芭蕉の思いを読み取っていくと展開しやすいでしょう。

(例1)旅をする目的の違い

  現代→気分転換、趣味など

  芭蕉→どうしても俳諧を極めたいという思いを実現するため

  「そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて、取るもの手につかず。」

 (例2)旅に対する心構えの違い

  現代→旅を楽しみにする

  芭蕉→家を人に譲り、死ぬことも覚悟する

  「古人も多く旅に死せるあり。」

  「住める方は人に譲り」

上記のような部分から、旅に対する芭蕉の覚悟を読み取りましょう。

2.平泉

歴史的知識からの導入

すでに解説した通り、この場面は奥州藤原氏3代の栄華と深いかかわりがあります。まずは、その歴史的背景の導入から入りましょう。可能であれば、社会科の先生をゲストティーチャーとして迎えるなど、教科横断的な学びができると効果的でしょう。

「無常観」の読み取り

無常観とは、すべてのものは変化し、常に同じであることはないという考え方のことです。この「平泉」の場面においても、特に自然と人間との対比において、その無常感が示されています。

(例1)「三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。」

  →秀衡が築いた館はすっかり田んぼや野原になってしまっているのに対し、金鶏山だけが形を残している風景を見て、奥州藤原氏の栄華が夢のように消えていったことを、より強調しています。

 (例2)「夏草や 兵どもが 夢の跡」

  →ここでは、功名を得ることを夢見て戦った源義経やその家臣の藤原兼房らに思いを馳せ、それらが歴史の中に夢のように消えてしまったことを句にしています。ここでも、今はその戦場に「夏草」が生い茂っているのみであることを表現することで、自然と人間を対比しています。

 (例3)「五月雨の 降り残してや 光堂」

  →風雨に晒されて朽ち果てていく運命だった光堂(金色堂)が、周囲の四面を囲い、風雨をよけるようにしたことで何とか残されている様を詠んでいます。ここにも長い年月が経過し奥州藤原氏の栄華が自然の力によって失われていく儚さと、何とか耐え忍んでその栄華を残している金色堂とが対比されています。

このような「無常観」を中心とした読解をしながら、それぞれの句の解釈にも触れていくのが良いでしょう。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

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