http://blog.livedoor.jp/genyoblog-higashi/archives/6221726.html 【芭蕉『奥の細道』俳句を読む】より
1.はじめに~芭蕉の作品について
はじめに、総論的に芭蕉の俳句について、どのようなものとして捉えているのかを概説しておきたいと思います。あまり抽象的な言葉を並べて芭蕉論などという大上段に振りかぶりたくないので、誰でも知っているような作品を手がかりに、その特徴的な魅力を述べていきたいと思います。結局は抽象的な議論に陥ってしまうことになるのですが。
(1)「古池や蛙飛びこむ水の音」から芭蕉の特徴を探す
古池や蛙飛びこむ水の音
あまりにも有名な芭蕉の名句。日本の俳句の代名詞ともいえるほど代表的な名句です。しかし、古池に蛙が飛び込んでポチャッ!と水音がしたというという単純な内容で、それがどうした?といわれると、カエルの水に飛び込む音が聞こえるくらい静かな情景を、「静か」と直接言わずに、それを読む人が自分でイメージし感じることができるようになっている。そう解釈されているようです。しかし、それなら
古池に蛙飛びこむ水の音
としてもいいはずです。しかし、芭蕉は、そう詠みませんでした。「や」と「に」というたった1字の違いですが、そこに大きな意味があるのではないか。だからこそ芭蕉は「古池や」と詠んだ。それは、この句が詠まれた経緯を追いかけることで見えてきます。支考という人の『葛の松原』という俳論書のなかで明かされるこことによると、4月末のある日、蛙が水に落ちる音が時折聞こえてくるので、芭蕉は興をもよおして「蛙飛こむ水の音」という後半部分を詠んだ。同席していた其角が、その前に「山吹」という5文字をつけるこことを提案したが、芭蕉は、ただ「古池」を置いたということなのです。だから、この句は、芭蕉が古池に蛙が飛びこむのを見て、一気に詠んだものではないのです。「蛙飛こむ水の音」は芭蕉が現実に聞いた水の音で、しかも、蛙が飛びこむところも古池も見ていないのです。そして、「古池」は、「蛙飛こむ水の音」とは別に、芭蕉の心の中に現れた想像上の池であるということなのです。
したがって、さきほどの「古池に蛙飛びこむ水の音」という「古池」と「蛙飛こむ水の音」が一連の同じ世界にあるのとは、方向性が異なるのです。「古池」と「蛙飛こむ水の音」とは別の世界なのだから、別々にしなければならない。そのために切れ字の「や」が必要だったのです。この「や」は散文としての文脈を断ち切っているのです。『葛の松原』の、この句のエピソードを、もう一度思い出してください。この句の「古池に蛙飛びこむ水の音」が先にできたときに、同席していた其角は「山吹」という、一見「蛙飛こむ水の音」とはつながらないような言葉を提案していました。これは、二つの世界をひとつの句に同居させるという芭蕉の意図を、其角が理解していたからではないでしょうか。二つの異質な世界の取り合わせで、普段ではありえない世界が見えてくる、それによって、複雑で微妙な表現が拓けてくる。其角は、その取り合わせの意外性によって、新しい表現を提示しようとしたのかもしれません。しかし、芭蕉は其角の提案を退けました。おそらく、其角は、その席で聞こえた水の音と見えた山吹の花を並べたのでしょう。それは、現実に聞いたり、見たりしたイメージの取り合わせです。これに対して、芭蕉は蛙が水に飛び込む音を聞いて心の中に浮かんだ古池の面影を「古池」として取り合わせました。つまり、現実に聞いた水の音という表層の認識、心の内の面影を想起したという深層のイメージをひとつの句のなかに同居させました。つまり、其角が表層のとりあわせであったのに対して、芭蕉は表層と深層という資源の異なるものを一緒に提示した多層的なものとなっている。その深層の心の世界は深く、広大な世界なのです。その世界を「蛙飛こむ水の音」が開かせたのです。
したがって、其角は空間的に並べただけなのに対して、芭蕉は水の音を聞いて想起したのですから時間の経過も入ってきている。しかも、この句はその時間の流れの通りに詠まれていない。この句は、今まさに芭蕉の心を領している「古池」から切り出し、ついで、その原因となった「蛙飛びこむ水の音」が示されます。原因→結果の順ではなく、その逆です。芭蕉は時間を遡りながらこの句を読んでいます。つまり、単調な時間の流れどおりに詠まれていません。芭蕉が、時間を遡って詠んでいる以上、読者も時間を遡らなければなりません。言葉を切ることによって時間の流れを切り返し、その隙間に心の世界を開いているのです。
それゆえに、この句は「蛙飛びこむ水の音」が心の世界を開いた、その瞬間に集中している。蛙飛びこむ水の音が、現実のただ中で芭蕉に、彼の古池という心の中の世界を開かせた。その劇的な瞬間を表わしたものだと言えるのです。
(2)芭蕉の作品(蕉風)の世界
上記の「古池や蛙飛びこむ水の音」の分析は、長谷川櫂という人の著作に触発されて、というよりもほとんどパクのようなものです。だから見事です。そのバクりついでに、俳諧の歴史をひもとけば、連句から派生したように生まれた俳諧は、芭蕉の一派である蕉風が出てくる以前には貞門俳諧とか談林俳諧といった傾向が支配的だったといいます。長谷川氏は、その談林俳諧の中で、蛙を扱った作品をいくつか紹介してくれています。「古池や…」の句と比べると、芭蕉の作品の特徴が際立ってくるので、引用します。
歌の道になれもさし井出の蛙哉
是や此行もかへるの和歌の道
名にしおふ蛙五良やかはづの子
ひとつなけばみなくちぐちの蛙哉
一句目は「なれ(汝)もさし出で」に「井出」という蛙の名所を掛詞のようにしてシャレたもの。ニ句目はかへるで帰ると蛙を掛けてシャレているもの。三句目の「蛙五良」は『曾我物語』の河津五郎(歌舞伎では曾我兄弟の仇討ちは、人気演目で「助六」などのスピンアウトしたサイドストーリーを数多く生んでいます。河津五郎は、その曾我兄弟の兄の方で、江戸庶民で知らない人はいない有名キャラでした)のことで、かわづで河津と蛙を掛けてシャレている。これらは、同音異義語を並べて、おなじ言葉の響きに異なる意味を重ねたり、言葉の響きから連想して突飛な方向に脱線して喜んだりという、言葉の表層で戯れるもののようでした。
このような言葉遊びの世界に対して、芭蕉は心の世界を開いてしまった。いわば、言葉の表層から奥底にある魂を掬いあげてしまったのです。
古池や蛙飛びこむ水の音
とは言っても、この句には直接的な感情や精神の動きを表わす言葉は使われていません。一見すると、上で引用されている談林俳諧の句で遣われている言葉と大きな変化はありません。
また、日本の伝統的な短詩文学である和歌は、万葉集以来、幾多の歌人が輩出し深い感情の込められたものや、複雑な思いの表現された作品も少なくありません。そこには長い伝統に培われた独特の言葉づかい─それは詩的言語と言っていいと思いますが─や、地様な表現技法の蓄積があり、それらを駆使して、散文のような日常的な言葉の世界とは異質な非日常ともいえる詩的世界を形成しています。芭蕉の句は、そういう、いわば和歌のための別誂えのような詩的言語を用いている形跡はありません。むしろ、陳腐といってもいいように日常的に使われている平明な言葉で、シンプルにつくられています。
また、「古池や…」の句について、古池が芭蕉の心の浮かんだ古い池の面影が、現実の古い池に蛙が飛びこんでポチャと音がしたと解釈されてしまうのは、それなりに読者にリアリティーを感じさせるからです。考えてみれば、芭蕉が実際に古池に飛びこむ蛙を見て詠んだにしても、読者は「古池」という言葉からその場面を想像しているわけです。「古池」が現実の古池だろうが、芭蕉の心の中の景だろうが、このことは変わりません。それが、読者には現実の古池と想像させてしまった。この句の「古池」には、それほどの生々しいリアリティーを読者に想像させるものであったと、逆方向からですが、そう推測できないでしょうか。それは、どうしてか。ひとつには、芭蕉の心の中の古池が、どこにも存在しないはずの古池が、生々しい迫力のある真実であったとからだと推測できます。少なくとも、芭蕉個人の主観的なもので、他人の理解できないようなものであれば、リアルに感じることはなかったはずです。従って、「古池」は普遍性を含みこんだ本質的なものであったと考えられます。(芭蕉が、詠んだ句の中で表わされているもの、ここでいう本質的なものとはどういうものかについては、この後で、個々の句を読んでいくときに、それぞれの句で具体的に見ていきたいと思います)この「古池や…」の句の場合、芭蕉は座禅を組む人が肩に警策を受けてはっと眠気から覚めるように、蛙が飛びこむ水の音を聞いて心の世界を呼び覚まされた。ひとつの実存的な体験といえるものだったと思われます。かなり抽象的な言い方になってしまいますが、ある種の宗教的な体験のような、この場合「存在」とか「本質」とかいったようなこと、宗教なら神さまということになるのでしょうか。それが、この「古池や…」の句では、水の音が芭蕉の心の扉を開いたかのように、突然、瞬間的に、生々しい感覚を伴って出現する。たしかに、「古池や…」の句では、「古池や」の切れ字「や」に瞬間的に凝縮がされた高い緊張感があるのは、その表われではないかと思います。
しかし、芭蕉に特徴的なのは、このような特権的な瞬間というのは、一瞬のことで、非日常的なことで、しかも、宗教者なら修業を積んだ特別な人だけに感じられるものであるということを意識しているということではないかと思います。だから、その瞬間は掛け替えのない体験として意識されていた。その一方で、日常の生活では、一般の人には出会うことのない瞬間であることも、より強く意識されていたのではないか。何よりも、芭蕉自身が市井で暮らす、庶民であるという自覚もあった、と。それは、そういう特権的な瞬間の体験を表現として作品にしたものが、そのような特権的な瞬間であるから、日常的な陳腐な言葉では表現できないとして、新たな表現とか高い次元の表現とかいったことを目指す(そういうことに意欲的で、結果として難解な作品を生み出した詩人は少なくありません)のではなくて、自身の生活している基盤や、読者はそういう瞬間に出会うような人々ではないことを自覚していたからでしょうか、高次の表現とは正反対の日常的な、むしろ陳腐な言葉を使って作品をつくったということです。
これは言葉の使い方の特徴として述べているのですが、それは単なる言葉の使い方というだけにとどまらず、そういう言葉を使う姿勢、つまり心のあり方に繋がっていることでもあるのです。なぜなら、こういう心の世界を表わすのですから、その言葉は、心の中と直につながったものであるからです。このような体験は、厳しい修行に耐えた宗教者の体験に譬えられるような特権的なものです。そこには大きな喜びや感動があるかもしれませんが、その反面、深い孤独を迫られたり、強い苦悩や悲嘆に捉われることもあるでしょう。和歌の場合には、詠嘆や慟哭の表現があります。しかし、芭蕉は、そこで平明な言葉で淡々と句を詠みます。そこには、そういうものを芭蕉自身がジタバタすることなく、受け容れているからこそできることではないかと思います。そこには、ある程度の余裕がないでできないことです。そして、その底流には、強い覚悟があるはずです。
それは、具体的にどのように行われたかは、この後で、個々の作品を見ていきますが、そのときに、その作品に即して見ていきたいと思います。
(3)『奥の細道』の世界
上記のような芭蕉の句の中から『奥の細道』を特にここで取り上げたことには理由があります。それは、芭蕉の作品の中で、『奥の細道』が突出した特徴を持っているからです。たしかに、『奥の細道』は芭蕉の作品の中でもとくに有名な作品であり、文学史で芭蕉の代表作ということになっています。しかし、代表作というのが、これを読めば芭蕉という作家がどういう作品をつくっているかをだいたい把握することができるというものであるとしたら、『奥の細道』はそれに該当しないでしょう。それなら七部集としてまとめられている句集の方がふさわしいと思います。上で述べたような芭蕉の世界は、『奥の細道』よりも七部集を読むと、それと分かります。ではなぜ、ここで『奥の細道』を取り上げようとしているか。
まず総論的なことを言うと、芭蕉という作家は日本の韻文作家の中ではかなり特異な人であることは上で述べている通りです。その特異な作家の作品の中で、さらにまた他の諸作に比べて突出した特徴がある。つまり、特異な作家の特異な作品であるということです。文学史の中では古典ということになっていますが、実は、かなり王道から遠く離れた個性の強すぎるくらい強い作品であるということなのです。
次に各論として、その突出した特徴とは何かということを簡単にあげていきたいと思います。まず、『奥の細道』は芭蕉が奥州から北陸を旅して句を詠んだ紀行文ということになっていますが、たしかにその体験がベースにはなっていますが、ドキュメントではなくて、それを基にした純然たる創作であるということです。したがって、書かれている内容が事実かどうかといったことは、検討するに値しません。そのことと関連しますが、もともと『奥の細道』は一般向けに広く出版することを前提していなかったということです。実際に、出版されたのは芭蕉の死後のことで、生前は手元に持っていて、芭蕉自身か親しい人にしか見せなかったといいます。芭蕉は、おそらく自分が楽しむため、あるいは、他人に受けるかどうかということを全く考えないで、自分の志向性を究極まで追求したと言えるのです。例えば、冒頭の文章などは、引用をもとにしていて、多少はこなれていないところもありますが、哲学的です。
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