芭蕉が詠む 祈りのこころ

https://www.ent-mabui.jp/schedule/29144 【最澄・人づくりの聖なる山】より

第一話は比叡山延暦寺を開山した日本天台宗の開祖・最澄の生涯にスポットをあてる。

比叡山は日本に現存する多くの仏教宗派の祖が修行し学んだ、いわば「人づくりの聖なる山」その開祖である最澄の人生と比叡山の僧に今も日々受け継がれている修行の様子、比叡山だけでなく日本全国にあるさまざまな秘宝・秘仏・資料の数々から、外来宗教であった仏教を最澄がいかに日本に根ざした宗教に変容させたか、その教えを検証する。

初めて比叡山を訪れたという松平さん。最澄が修行し教えを説いたその足跡を巡る。比叡山の総本堂である国宝・根本中堂で、松平さんは何を見、何を感じたのか・・・。


https://www.ent-mabui.jp/schedule/29319 【神の海、仏の山】より

第二話では、比叡山のふもと「日吉大社」を中心に、日本人の「神仏習合」の歴史を探る。

比叡山は太古より「大山咋神(おおやまくいのかみ)」という神が住まう山として琵琶湖畔の人々の崇拝の対象だった。

近江で生まれ育った日本天台宗の祖・最澄にとってもその思いは同じで、大山咋神は延暦寺の鎮護神としても篤く信奉されている。

日吉大社で毎年4月に行われる「山王祭」は日吉大社の山上から琵琶湖上までを使って行われる大祭。その壮大さもさることながら、神事の端々に「神仏習合」の跡が垣間見える。山王祭をはじめ琵琶湖畔で行われる数々の神事を追いかけることで、日本古来の[自然神崇拝]と論理体系をもつ[仏教]がどのように習合して来たのか、琵琶湖畔の人々の「祈り」の系譜を探る。


https://www.ent-mabui.jp/schedule/29861 【御山(みやま)の聖者】より

第三話では、比叡山でもっとも過酷な荒行といわれる「千日回峰行」に密着。

比叡山の回峰行は毎晩深夜から朝にかけて比叡山の山中から麓までの約30キロにも及ぶ険しい修験道を、提灯の灯ひとつを頼りに歩き各所で祈願するという行。期間が最も長い千日回峰行は一年間で100日か200日を7年かけて満行するが、一度始めるとその年の区切りの日までは天候・体調に関わらず止めることが許されない。これまで千日回峰行を満行した行者は50人ほどしかいない。

現在千日回峰行を行う釜堀浩元行者は、今年の行を無事に終了すると700日目の節目を迎える。

番組では、普段公開されていない彼の回峰行の様子を特別に密着取材。

静寂満ちる比叡山の深夜、白装束に草鞋姿でひたすら山中を渡り拝み続けるその姿から、比叡山に伝わる「祈り」の根本を探る。

また第三話のゲスト・森友嵐士は一日回峰行の経験者。比叡山を歩く厳しさを知る森友が千日回峰行を満行した藤波源信北嶺大行満大阿闍梨にインタビュー、その修行の真の意義を聞く。


https://www.ent-mabui.jp/schedule/30230 【東北の宝】より

第4話は、「おくのほそ道」で芭蕉が旅した東北の地を俳人・黛まどかさんが旅する。

岩手では第3代天台座主・円仁が建立した中尊寺と毛越寺へ。藤原四代の栄枯盛衰の象徴でもある中尊寺は金色堂をはじめ3000余点の国宝・重要文化財を伝える平安美術の宝庫であり、また数多の戦乱や災害を耐え復興を重ねてきた東北の歴史の象徴でもある。

藤原清衡が中尊寺造営に込めた思い「この地で果てた全ての魂をやすらぎの浄土へ」・・・東日本大震災を経て、この寺は人々にどのような役割を果たしたのか。また芭蕉が源義経終焉の地で詠んだ句「夏草や兵どもが夢の跡」に込められた真意とは。

続いて「おくのほそ道」の旅で芭蕉が最大の目的地としていた山形・出羽三山へ。古来より修験道を中心とする信仰の山として知られている出羽の山々は、命をかけて登らなければならないほど険しい道が続く。「人生50年」の時代、なぜ芭蕉は46歳という高齢で出羽の山々に向かったのか、そして東北を旅して芭蕉が得たものとは・・・。

出生の地・三重ではあまり知られていない東北での松尾芭蕉の姿を追いながら、東北の人々に連綿と受け継がれる「死」と「再生」の思想を探る。


http://newskeimatomedouga.blog.fc2.com/blog-entry-37956.html?sp 【「闇に響く光の声・声明、祝詞鶏鳴三声」】より

テーマは仏教の世界。俳優・松平健をナビゲーターに、日本の様々な寺社仏閣の日々の修行や堂塔伽藍、秘宝秘仏など貴重な映像をとおして「日本人のこころ」をひも解く。

第5話は、仏教における音・声にスポットをあてる。仏教において【声の力】はどのような意義を持っているのか。声明の体系化の歴史や、同じく宗教声楽とされる神道の「祝詞」やキリスト教における「聖歌」との相違点を考察しながら、仏教が音や声に託した【浄土観】を探る。 また、絶大な歌唱力の持ち主として活躍中の歌手・小柳ゆきが大原の里を巡り、声明が持つ【声の力】【音の力】に触れる。

松平健、小柳ゆき、 木村徳宏(皇學館大学文学部神道学科 助教)、水尾寂芳(叡山学院 教授)、小鴨覚俊(比叡山延暦寺 教化部長) ほか


https://www.ent-mabui.jp/schedule/31696 【伊勢・坂本年代記・戦乱の世に光を求めて】より

戦国時代の“平和への祈り”

今回は、日本の「戦」に翻弄された人々の「祈りのかたち」に迫る。

天台宗の本山・比叡山は何度も戦火に遭ってきた。とくに織田信長による焼き討ちは有名で被害は比叡山上だけでなく麓の坂本地域にまで及んだ。寺院を襲った信長の真意とは、そして焦土と化した坂本の町を復興させた意外な人物とは。

また一昨年、20年に一度の式年遷宮を終えた伊勢神宮。1300年もの間営々と続いてきた式年遷宮も、室町時代「応仁の乱」以降の混乱により100年以上中断を余儀なくされた。途絶えた遷宮を復活させるため立ち上がったのは「勧進聖」と呼ばれた僧侶たち。その熱意は、比叡山を焼き討ちした信長をも動かす。

そして戦国時代の終焉後、天台宗の僧侶・天海は徳川三代に重用され、関東を中心に寺社を次々と建立。また信長の焼き討ちで焼失した比叡山の堂塔の復興に努めた。戦の世の終わりを見届けた天海が目指した「鎮魂」と「平和」とは。

第2次世界大戦終戦後70年となったいま、戦国時代の戦乱と復興を紐解くことで、日本人の「平和への祈り」の精神を探る。


https://www.ent-mabui.jp/schedule/31713 【芭蕉が観た仏】 より

山寺・立石寺で感じた“セミの声”と芭蕉の真意

今回は芭蕉が「おくのほそ道」で旅をした山形が舞台。

比叡山根本中堂の「不滅の法灯」は、御山から遠く離れた日本海側の山形県・立石寺にも分けられた。「山寺」として知られる立石寺は、第三代天台座主・円仁が創建した古刹。もとは鎮護国家のための寺院だったが、切り立った岩山にはあらゆるところに数多の御霊が祀られ、現在では東北随一の霊場として知られている。

「おくのほそ道」紀行で芭蕉は、奥州から出羽三山へ向かう途中にこの立石寺を訪ね、代表作ともいえる「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の名句を生み出した。

実は芭蕉のこの旅の目的のひとつは「先達が歌枕に詠んだ地を巡る」こと。ところが立石寺は、芭蕉が訪れるまで歌枕に詠まれたことが無かった。芭蕉はなぜこの地へ「寄り道」をしたのか。名句の中で「蝉」に託した芭蕉の真意とは。

山形での芭蕉の足跡を声優の山寺宏一が辿り、【漂泊の詩人】が句に込めた思いに迫る。


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