ムスカリのつぼみを守る朝日かな 五島高資
The buds of grape hyacinths
rising sun is watching over them
for a bright future Takatoshi Goto
Facebook・古宮 昇さん投稿記事『”一人にしてくれ”は拒絶ではないのに・・・』
彼氏や夫に「ちょっと一人にしてくれ」と言われたら、「私を愛していないんだ」と受け取る人がいます。
私たちは幼少期の経験から、自分でも気づかない無意識の信念を作ります。
子どもには相手の気持ちや状況を察する力がないため、相手の言動は自分のせいだ、と信じるものです。
だから、子どもは親の態度が冷たいと感じたとき、親が忙しくてゆとりがないとか、何かがあって機嫌が悪いというようなことは分からず、「私がお父ちゃん、お母ちゃんの期待通りにしなかったから見捨てられたんだ」と解釈しがちです。
その経験から、「人は自分を見捨てるものだ」という無意識の信念が生まれます。
するとできごとを、「拒絶メガネ」を通して見ます。
人のちょっとした言動も拒絶だと感じがちになります。
だから、相手が例えば「ちょっと一人にしてくれ」と言ったら、自分への拒絶だと解釈するのです。
さらには、もしその人が子どものとき「弱ければ優しくしてもらえる」と学んだら、
拒絶されたと感じた時に弱くなって泣き出すかもしれません。
または反対に、「怒ったり自己主張したりすれば要求通りにしてもらえる」と学んだら、
拒絶されたと解釈したとき相手に大声で怒鳴るかもしれません。
私たちがかけているそれら独自のメガネは自動的・瞬間的に働くため、私たちは自分がメガネをかけてものごとを見て解釈していることに気がつきません。
そんなメガネが多いほど、そしてメガネの色が濃いほど、自分を孤独にするし、人との関係がしんどくなるし、人生に重荷と苦しみが増え、喜びを減らします。
そんなメガネに腑に落ちて気がつきメガネを外すと、現実に沿って生きられるようになり、
生きることがラクになり喜びになります。
日々、そんな深い情緒的なカウンセリング、心理療法をおこない、そういう変容の瞬間に立ち会えることが私にはとってもありがたいです。
Facebook・萩原 徳雲さん投稿記事
山田無文さん(人間の完成)
私は年のせいと申しますか、近頃よく物忘れし、人様の名前を忘れて困ります。丁寧に挨拶されてもどなただったかと思い出せないことがよくあります。
そのことをお医者さんに話したら、その先生が言うには「忘れる方がいいんですよ。人間ものを忘れられたら完成してきた証拠ですよ」と言われるんです。
「動物は決して物忘れしません。犬でも猫でもカゴに入れて三里も五里も遠くへ捨ててもちゃんと帰ってくるし、伝書鳩などは千里先からでも帰って来るのです。人間も若いうちは色々の名前を憶えて、それを出世の手ずるににしようとしますが、人の名前を忘れるようになったなら、だいぶ完成に近づいた証拠ですよ」と言われて、なるほどそういうものかと思ったのであります。
Facebook・Ayuka Mizoguchi さん投稿記事
自我の本質は生き残ること。死なないことが一番の目的。でも私たちの本質は無限の生命のエネルギー。人生を創造的に生きる。自我の本能ではなく、本質の衝動で生きたい。本質は永遠に生き続けるから♪
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