ムスカリのつぼみを守る朝日かな 五島高資
The buds of grape hyacinths
rising sun is watching over them
for a bright future Takatoshi Goto
Facebook・近藤裕子さん投稿記事
《 たのしみは 朝起きいでて 昨日まで無かりし花の 咲ける見る時 》
これは幕末の歌人であり、国学者の〈橘曙覧(たちばな あけみ)〉[独楽吟]52の歌の中にあります。
[たのしみは~~]ではじまり [~~時]で終わる形式の短歌です。
その日の小さな出来事に 楽しみを求め
身近な言葉で表現された和歌は
明治の歌壇にも 大きな影響を与えました。
たのしみは、、、に当てはめて 詠んで見ると 意外に[ささやかな幸せに]気づいたりします。日々の〈小さなたのしみ〉探しはクセ になりそうです。
http://www.ahv.pref.aichi.jp/www/contents/1001000000804/index.html 【「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時~橘曙覧「独楽吟」より~」】 より
あいち健康の森健康科学総合センター長
あいち介護予防支援センター長 津下 一代
あいち健康の森公園の「いのちの池」では、約2000本のハスが満開期を迎えています。
先日まで何でもなかった池に、一気に緑が広がったかと思うと、ピンクと白の豪華な花が咲きはじめました 注:。 早朝からの強烈
な日差しのなか、今年はとくに美しく咲き誇っているようにみえます。
まさに、「昨日まで 無かりし花の・・・」と、自然の動きに心がときめきます。
冒頭の歌は江戸時代末期、福井藩の歌人、橘曙覧(たちばな・あけみ)がよんだ歌です。
平成6年、天皇皇后両陛下がアメリカご訪問の時、クリントン大統領が歓迎式典のスピーチで引用して有名になった歌だそうで
すが、私は今まで知りませんでした。
先日、福井市を散策中、あまりの暑さから避難するために入った記念館で、曙覧の「ひとり(独)たのしめる(楽)うた(吟)」に遭遇
した、というわけです。
独楽吟は「たのしみは~」ではじまり、「~とき」で終わる形式の短歌です。ほかにも
たのしみは 妻子むつまじく うちつどひ かしら並べて 物をくふ時
たのしみは 心をおかぬ 友どちと 笑ひかたりて 腹をよるとき
たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に 我とひとしき 人をみし時
など、身近な日常生活の中の、小さな喜び、心温まるときの風景を描いています。
なかには
たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かへりけるとき
なんて、ユーモラスな、本音がぽろっと表出された歌もあって、飽きません。
「たのしみは~」といいながら、生活の中を見回してみます。すると、いつもとは違う風景にみえるから不思議です。当時のお殿
さま、松平春嶽も
たのしみは 思い煩ふ くるしみの 中にひとすじ 道得たる時
楽しみは わからぬ人に 物言いて わからぬ人の よくわかる時
などと歌っています。幕末のストレスの多い世の中を生き抜いた政治家の、ちょっとしたストレス解消法だったかもしれません。
悩んだり、怒れたり、つらくなったりするときもあるし、人に言うほど大したことではないけれど、ちょっとだけうれしいこともあり
ます。そんな時、「たのしみは~」といいながら、小さな「たのしみ」を発見する癖がつくといいなぁ、と思ったことでした。
たのしみは 話しにきたる 人々の 真剣な目が うなずくとき (公開講座にて)
たのしみは 日焼けした子らが 集い来て 今年も夏と おもふとき (科学館にて)
https://ameblo.jp/sakuramitih32/entry-12494101710.html 【たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の咲ける見る時 橘曙覧】より
(たのしみは あさおきいでて きのうまで なかりしはなの さけるみるとき)
意味・・私の楽しみは、朝起きて何気なく庭に目をやると、昨日まで無かった花があざやかに咲いた時です。その感動は大きいものです。
アメリカの元クリントン大統領はこの歌を来日の演説に取り入れています。
日々新しい難題が生まれて来る世の中であるが、日一日新たな日と共に確実に新しい花が咲き物事が進歩して、人々の友情を育 (はぐく)む関係改善の兆しを見つけた時が私の喜びです、と。私の楽しみは、苦難が生じる日々の中で、難題を乗り越えて花を咲かす時が楽しみです。
作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~ 1868。
早く父母と死に別れ、家業の紙商を異母弟に譲り隠棲した。福井藩主と親交を持つ。
出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。
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