鷹ひとつ見つけてうれし伊良虞埼

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/oinokobumi/oino08.htm#ku 【鷹一つ見付てうれし いらご崎】より

 杜国の侘び住まいを訪問した翌日、芭蕉・越人・杜国は連れだって伊良子岬に馬で出かけた。ここで芭蕉は、「伊良子崎似るものもなし鷹の声」、「夢よりも現の鷹ぞたのもしき」とうたっている。いずれも愛弟子杜国との再会を喜ぶ明るい調子が特徴的。

 ところで、この句にある鷹はどこにいたのかが論争になっている。すなわち、一羽の鷹は空を飛んでいたのか、それとも浜近くの岩場にひそんでいたのか、というわけである。もし前日のように寒くなく、寒波も去ってこの日が暖かだったのなら、鷹は冬の陽を受けてゆったりと天空を舞っていたと見ることができる。そしてこの方が句が大きくなる。

いずれにせよ、芭蕉秀句の一つである。

伊良子岬にある「鷹一つ・・」の句碑。牛久市森田武さん提供

伊良古崎:渥美半島突端の伊良子崎

万葉集には伊勢の名所の内に撰入られたり:『万葉集卷一』に、読み人知らずとして、「麻績王<おみのおおきみ>、伊勢の国の伊良虞<いらご>の島に流さゆる時に、人の哀傷しびて作る歌」なる詞書に続いて、「打ち麻<そ>を麻績の王海人なれや伊良虞の島の玉藻刈ります」とあるによる。麻績の王は、伊良湖へ流罪の刑に処せられたとするが、未詳。貴種流離潭の一つ。

州崎:崎の浜辺の意。ここで碁石貝という貝を削って白の碁石を作った。それを「伊良湖白<いらごじろ>」と呼んだ。

骨山:<ほねやま>と読む。伊良湖崎の突端の小高い山。現在では展望台などがあり、島崎藤村の『椰子の実』の詩碑などが建っている。このころここで鷹を射止めたらしい。

いらご鷹など歌よめり:芭蕉の記憶に、「巣鷹渡る伊良湖が崎を疑ひてなほ木に帰る山帰りかな」(『山家集』)、「ひき据ゑよいらごの鷹の山がへりまだ日は高し心そらなり」(『壬二集』)などの歌がよみがえってきたか


https://blog.ebipop.com/2015/02/winter-basyo.html 【芭蕉の旅の希望「鷹ひとつ見つけてうれしいらご崎」】 より

ついに芭蕉は、保美村で杜国と再会する。

*保美村:ほびむら。渥美半島の先にある村。現・田原市保美。

*杜国:とこく。坪井杜国。空米売買の罪で、名古屋から保美村に追放されている芭蕉の愛弟子。

名古屋から保美村まで同行した越人(えつじん:越智越人)と芭蕉は、杜国との無事の再会を喜び合い、伊良古(いらご)崎(現・伊良湖崎)見物に出かける。

「保美村より伊良古崎へ壱里斗も有べし。」と芭蕉は書いている。

このときの天候のことは書かれていないが、おそらく、冬の寒波が去って好天に恵まれただろうと想像できる。

鷹ひとつ見つけてうれしいらご崎

松尾芭蕉

上記の句は、このときの作。

芭蕉は、伊良古崎の浜で碁石に使う白い貝殻を拾って遊んだ。

この碁石を作る貝殻は、「いらご白」と言って、伊良古崎の名産であったらしい。

ウィキペディアには、「本州の中部地方以北で繁殖したサシバは第1番目の集団渡来地、伊良湖岬を通り、別のサシバと合流して鹿児島県の佐多岬に集結する。」とある。

サシバは、タカ目タカ科の鳥。

秋の渡りの頃は、渥美半島の伊良湖岬ではサシバの大規模な渡りを見ることができるらしい。

芭蕉一行が伊良古崎見物に出かけたのは初冬を過ぎたあたりだろうから、大群のサシバの渡りを見ることは出来なかったと思われる。

それでも、一羽の鷹が大空を舞っている姿を、この日、見ることが出来た。

「鷹ひとつ見つけてうれしいらご崎」の「うれし」には、このときの感動がこもっている。

渥美半島の旅は、先に進むほど陸地が細くなり、寒風も強くなる。

地の果てに行くような、心細い旅である。

そんな心細い旅を予期して、芭蕉は吉田の宿で「寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき」と詠んだのかもしれない。

心細い旅に同行者を得て、安堵したのだろう。

辺境の地で、芭蕉は会いたかった人に再会できた。

その喜びが、旅の心細さをさらに打ち消した。

大空を舞っている鷹に、芭蕉は自身を投影したのではなかろうか。

天空を飛ぶ渡りの鷹と、旅を続けている自身を重ね合わせた。

それによって、何か心強いものを得た。

荒涼とした冬の岬は、死の世界のイメージとして芭蕉の目に映ったのかもしれない。

あたたかい温もりを持った一羽の鷹の飛来は、死の不安を追い払う希望だったのだろう。

もう芭蕉に、心細さはなかった。

「笈の小文」の旅中旅。

冬の渥美半島の旅は、そういう旅だったのだ。

天空の小さな鷹と、それを見守る岬突端に佇む小さな人影。

この句からも私たちは、芭蕉独特の「遠近法」を楽しむことができる。


http://junobird2012.blog.fc2.com/blog-entry-537.html?sp 【鷹ひとつ見つけてうれし伊良虞埼  芭蕉】 より

(たかひとつみつけてうれし いらごさき)

 掲句を知った時、最初は首を傾げたものである。「鷹を待っていたら一羽見えたよ、嬉しいなぁ、さすがは鷹の渡りで名高い伊良湖崎」。これが俳聖の句?と。しかし、繰り返し味わっているうちに、その感動が分かるようになった。「見つけて」と言うのだから、芭蕉は鷹を観察していたのだ。現代のように双眼鏡があったわけではないので、肉眼での観察である。私も今日観察してみたが、高い空を渡る鷹を肉眼で捉え、それを鷹だと識別するのは容易ではない。それが出来たから嬉しかったのである。しかし、それだけではない。「笈の小文(おいのこぶみ)」には、掲句は芭蕉が慕って止まなかった西行法師(さいぎょうほうし)の歌「巣鷹渡る伊良古か崎をうたかひて猶木にかくる山かへり哉(伊良湖崎まで来て、巣鷹(すたか)はそこから大空高く海を渡ってゆくが、山帰りの鷹は自信がないのか、ちょっと飛んではまた木に戻ってきてしまうよ)[山家集]」に寄り添っていると記されている。鷹には巣鷹や山帰りというものがあるらしいが、それはともかく、芭蕉は西行法師が詠った伊良湖崎の鷹の渡りを追体験できたことが何よりも嬉しかったのだ。「鷹渡る」は秋の季語だが「鷹」は冬。芭蕉の句は11月に詠まれている。(渡邊むく)


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