「答えのない問い」を問い続ける

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デモクリトスは古代ギリシャの哲学者です。「原子論」を唱えたことと、「笑う哲学者」と呼ばれたことで有名です。当会の通信講座の本科課程第5段は、古代ギリシャ哲学の学習に充てられており、彼はその中で詳しく解説される人のひとりです。そこには、当会独自の情報が含まれていますが、この記事ではそのいくつかを交えながら、デモクリトスについて簡単に解説していきたいと思います。

古代ギリシャの哲学は西洋哲学の源流にあたりますが、紀元前6世紀ごろに、すでに極めて進歩した考え方がいくつも現れていることは、人類史の驚異のひとつです。そして、彼らの探究の大部分は「人はどのように生きるべきか」ということに直接関連しています。

デモクリトス(紀元前460年頃~362年頃)は、トラキアのアブデラ(Abdera)で生まれたと推測されています。

デモクリトスは小さいころから、父の召使であったゾロアスタ教の司祭に、カルデア人の学問の手ほどきを受けたと言われています。その後ギリシャの哲学者レウキッポスの弟子になり、レウキッポスの原子論を哲学として完成させました。

デモクリトスは自分の知識を広げるために様々な場所に旅をしたことが知られています。まずエジプトで幾何学を学び、そこからエチオピア、ペルシャ、カルデラを経由し、最後にはインドで古代ヒンドゥー教の苦行僧の学問を学んだとされています。

笑う哲学者デモクリトスと泣く哲学者ヘラクレイトス

デモクリトスと対照的なことでよく引き合いに出される哲学者に、やはり古代ギリシャのヘラクレイトス(紀元前576年頃~480年頃)がいます。ヘラクレイトスは「厭世哲学者」「無口な哲学者」、「泣く哲学者」と呼ばれていました。それは、世の人々の邪悪さと見識のなさを悲しんで、彼はいつも泣いていたという逸話があるためです。

それに対して、デモクリトスはいつも笑っていました。同胞である市民たちの無知と虚栄心を笑いとばしていたのだとも伝えられていますが、それは、人間の弱さについての彼の深い洞察に基づいていると語る人もいて、人は誰でも、その時代の愚行や堕落を許すことを笑いによって学ぶことができるというのが、彼の考えだったのだと指摘しています。

デモクリトスの原子論と哲学を簡単に紹介

デモクリトスの原子論は、彼より60年ほど前に生まれたパルメニデス(紀元前520年頃~450年頃)の哲学と比較すると理解しやすくなります。パルメニデスは、「エレア学派」と呼ばれる学派の始祖でした。

パルメニデスは「ないものはない」(無があることは不可能)と考え、空間が存在することを否定しました。その結果として、物体が運動することは不可能だという結論を出しました。

また、「ある(存在する)」ということは時間を超えて不生不滅、不動であることを意味するのであるから、真に実在するものは変化しないとしました。

そのため、人間が見たり感じとったりしている、世界で起きている運動や変化はすべて、仮のもの、つまり幻影であるとしました。

とても奇妙な意見に思えますが、おそらくエレア学派の人たちは、何らかの実践により実在体験(世界の本質の体験)を得ていたのであり、この哲学は、実在(体験)には時間も空間もないということを説明する哲学だと推測されています。

それに対してデモクリトスは、「原子」と「空虚」の両方が世界に存在すると考えました。

原子とは、それ以上分割することができない微少な粒子であり、無数の種類の形と大きさがあり、質量(重さ)があると彼は考えました。また、原子は生成も消滅もせず、空虚の中を動き回り、世界を構成しているとしました。

「空虚」のことを「空間」と考えれば、ここまでは現代の原子論と似ていますが、デモクリトスの原子論には、当然のことですが、近現代の物理学と異なる点が数多くあります。

たとえば、ある条件が整うと、原子の集まりが渦状の動きを始め、他の原子を引き込み、世界を包み込む球状の天を形成するのであり、この天球が平らな大地を囲んでいると彼は考えました。

デモクリトスが唱えたのは唯物論(世界にあるのは物質的なものだけだという説)だと考える人がいます。しかし実際にはそうではなく、彼は物と心の両方の原子があるとしていました。生命は微細な球状の「魂の原子」によって生じるのであり、「魂の原子」が失われると生物は死ぬと彼は考えていました。

哲学者プラトンの著書『ティマイオス』には、デモクリトスの原子論からの影響が見られます。

デモクリトスは、節度ある生き方を重視し、人生の目的は「均衡」(euthumiê)、つまり節度ある生き方と節度ある喜びの追求によって達成される、心の静けさであるとしています。

そして、心の静けさを破壊するのは、うらやみと野望であるとしています。

デモクリトスは数多くの本を書きましたが、断片的にしか残っていません。

デモクリトスの名言(厳選7つ)

知性が伴わなければ、名声と富は危険な持ちものである。

人は善き人であるか、善き人を見ならうか、そのいずれかでなければならない。

幸せは、持ちものに宿るのではなく、金銭に宿るのでもない。それは魂に宿る。

動じることのない知恵は、全てに値する。

祝祭のない生活は、旅館のない長い街道にあたる。

醜い行いを後悔することは人生を救う。

いかなることも、偶然には起こらない。

以下に、バラ十字会員が書いたデモクリトスについての記事を掲載します。

記事:『笑う哲学者』(The laughing philosopher)

アフェクタートル(By Affectator)

デモクリトスとローマの古代遺跡と原子模型

デモクリトスは、プラトン、ソクラテス、そしてアリストテレスと同じ、古代ギリシャの哲学者です。彼の哲学は、豊かな学識に支えられ、広い範囲のテーマを含んでおり、プラトンとアリストテレスの業績にも匹敵すると見なされています。彼は、「笑う哲学者」として知られるようになったほど快活な性格で、高い倫理観を持っているという評判を得ていました。

 デモクリトスは、原子というひとつの要素からなる、一元論的宇宙について述べた古代哲学の大家でした。デモクリトスの師であったレウキッポスは、唯物論的な哲学にあたるこの一元論について、おそらく歴史上初めて明確に述べた哲学者でした。原子とは、それ以上分割することができない物質を構成する粒子であり、原子は常に動いているとレウキッポスは説きました。レウキッポスの哲学を熟知していたデモクリトスは、紀元前4世紀に、すばらしく明晰な思索によって、この考え方を発展させることに成功しました。そして、現代の私たちは、知識という人類共有の財産に、彼が加えてくれたこの考え方に感謝しています。彼は論証や実験をほとんど行うことはなく、直観的な思索を重ねた結果として、この情報を受け取ったと言われています。

デモクリトスは、自然科学者であり、その当時最も博学だとされていた思索家でした。彼はこのように言っています。「ものごとは、でたらめに起こるのではなく、法則に従って起こり、必然的に決定されている」。彼の哲学の体系は「原子論」(Atomism)であると考えられています。そして、現代の原子論よりも2,000年以上も前の先駆者にあたります。

デモクリトスは、宇宙に関する自身の一元論哲学を、神々から直接受け取ったと考えていたので、ソウル(魂)も原子の組み合わせからなると説いていました。これは、ヘラクレイトスの哲学の「ソウルの火」にあたると考えることができます。原子は、高い振動数によってソウルのエネルギーを作り、ソウルに激しい熱を発生させるとデモクリトスは考えています。ソウルを作っている特別な原子は、死の時に大いなる貯蔵庫の中に戻りますが、決して破壊されることはなく、失われることもありません。デモクリトスによると、ソウルの本質は、その起源である宇宙に必ず戻ります。

デモクリトスが、精神や知識の進歩も、原子によって説明できるとしたのは、おそらく、一元論という考え方を押し進めたことによるのでしょう。生命も、意識と思考も、極めて優れた原子からもたらされると彼は説いています。そして、彼は大胆にも、神自体も原子の集合であり、その原子は、人間の原子よりも強力に表れているのだと主張していました。

哲学史の研究家ディオゲネス・ラエルティオスによると、デモクリトスは物理学、数学、倫理学、文法などをテーマにする72の著作を書いていますが、それらは、ほんのいくつかの断片が残っているだけです。心の穏やかさを反映し、恐怖や情念によって乱されない幸せを、デモクリトスの倫理学は目指しています。節制を実践し、心の清らかさを磨き、高貴な行ないを培っていくことが、すべての人がなすべきことであると彼は考えていました。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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