今年の初詣は、帰省先である五島列島・福江島の玉之浦にある白鳥神社にお参りした。本来は船で行くべきところなのだが、最近は山道を車で行くことが多い。神社に着くとすでに駐車場に先着の車が停まっていた。すれ違うことの出来ない狭い道で出会わなくて幸いであった。
鳥居の前にはすぐ海が広がっており、「渡御」という言葉が腑に落ちる。この神社は、六九八年に日本武尊を祭神として創建された。ある時、一羽の白鳥が社内に飛来し、「我は神の化身なり」と告げたことにより、以後、白鳥宮と称されるようになったと伝わる。
https://www.welcomekyushu.jp/event/?mode=detail&id=9999900038695&isSpot=1&isEvent= 【白鳥神社】より
玉之浦湾に面した海岸沿いに建つ白鳥神社は、五島で五社神社に次ぐ2番目に古い神社です。698年、文武天皇が日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を守護神として祀りました。一羽の白鳥が飛来し、「我は神の化身なり」と言ったことにより、白鳥宮と称えられています。湾内に向かって鎮座しているため、海上から直接参拝でき、鳥居をくぐって振り返ると絶景です。
古くは804年、遣唐使と共に旅立つ最澄が参詣したと伝えられ、1889年(明治22年)には、内閣総理大臣伊藤博文、元帥大山巌、海軍大将樺山資紀等が訪れました。
毎年9月下旬には白鳥神社例大祭があり、夜には国指定重要無形民俗文化財の五島神楽が行われます。
所在地 〒853-0411 長崎県五島市玉之浦町玉之浦1629
https://www.fullygoto.com/sightseeing/spot%E2%91%A0/ 【ファインダー越しの五島の絶景。 地元カメラマンのオススメスポット①】より
海を向いて立つ白鳥神社
その昔、神の化身として現れた白鳥から名付けられたという、玉之浦地区にある「白鳥神社」。その名にふさわしく可憐な神社です。玉之浦トンネルの手前から旧道に入り、ゆるい上り坂を少し行くと神社への入り口があります。細い山道を下ると海岸に出ますが、その対岸の高台に、海を望むように鎮座するのが白鳥神社。
急な階段を登り、来た道を振り返ると、鳥居と水面が織りなすなんとも美しい景色が。森に囲まれ苔むした境内は神秘的で、時折走る船のエンジン音と潮の香りがなんとも心地良い空間です。またここには狛犬ならぬ狛馬?が置かれているのですが、勇壮な立ち姿に対し、正面からみるととっても可愛い顔をしています。白鳥神社に行ったらぜひ正面に回って、その愛くるしい顔を写真に収めて下さいね。
場所: 長崎県五島市玉之浦町玉之浦1629番地
https://ameblo.jp/yasubee830/entry-12816159283.html 【【五島の寺社:⑥⑦ 白鳥神社・大山祇神社(アコウ)】パワースポットを巡る夫婦旅】
2023年8月 五島列島の福江島を巡ってきました。
今回の旅は ・カトリック教会 ・神社仏閣 ・自然・展望 ・福江市内 ・ばらかもん
の5つのテーマに分けてみました。
【 神社仏閣を巡る旅 】
①巌立神社 [五島市岐宿町岐宿] ②濱窄神社 [五島市三井楽町濱窄]
③魚藍観音 [五島市三井楽町貝津] ④七嶽神社 [五島市玉之浦町荒川]
⑤大宝寺 [五島市玉之浦町大宝] ⑥白鳥神社 [五島市玉之浦町玉之浦]
⑦大山祇神社 [五島市玉之浦町玉之浦] ⑧五社神社 [五島市上大津町]
⑨明星院 [五島市吉田町] ⑩大円寺 [五島市大円寺町]
⑪八幡神社 [五島市下大津町] ⑫城山神社 [五島市池田町]
⑬観音寺 [五島市幸町] ⑭善教寺 [五島市上大津町]
⑮清浄寺 [五島市上大津町]
大宝寺から県道50号を北上し、途中で逸れて林の中の細い道を下っていくと、白鳥神社があります。海に面して鳥居が建っています。
日本武尊を祭神とする白鳥神社は、大宝2(702)年に創建された古社で、五島では福江の五社神社に次ぐ古い神社です。
石段を上っていくと、左右に石垣があり、その上に狛犬がいます。阿形の方は後ろ脚を上げています。顔はやはり独特です。
吽形は下から睨んでいるような感じです。阿形も吽形も後ろ脚は省略してあるようです。
狛犬の先の鳥居をくぐり、更に石段を上っていくと拝殿があります。向拝虹梁の上の蟇股には丸に花菱紋。五島氏の紋です。
拝殿の前にも狛犬。こちらは顎がないというか、首がないというか、やはり独特な風貌です。
拝殿でお詣りさせて頂きます。
拝殿の内部には神輿もありました。9月の例大祭で使われるものです。
拝殿の右手に石祠が2つ並んでいます。
左手には八坂神社の鳥居がありますが、社殿はありません。瓦がたくさん並べられていたので、今後再建されるのかもしれません。
拝殿の左奥に石段があり、その先に本殿があります。
流造の本殿は正面に唐破風があり、人里から多く離れた岬の先端にあるとは思えない、立派な建物です。向拝の欄間にも細かい彫刻があります。
石段を下っていくと、海に向かっていく感じが気持ちいいです。
鳥居の先は海に続く階段があり、海から直接お詣りできるようになっています。対馬ではこういう神社があちこちにありましたが、五島ではほとんど見られません。
海の向こうには、ちょうど正面に七ッ岳が見えます。
白鳥神社から県道に戻って、ずっと北上していきます。玉之浦の街を過ぎ、小浦海水浴場の駐車場に車を止め、民家の横を歩いて行くと、大山祇神社の鳥居が見えてきます。
鳥居の先に細い階段が続いています。
何本あるのかわからない絡み合ったアコウがトンネルのようになっていて、参道はその間を抜けていきます。
アコウのトンネルをくぐって振り返るとこんな感じ。
拝殿の前には狛犬が正面を向いていました。
白鳥神社と同様に、顎と首の境目のない、かわいい狛犬です。
社殿の周りは深い森に囲まれています。
拝殿の後ろの本殿は、質素ながら脇障子もついていました。
拝殿の前には石灯籠が4基あります。アコウの下を抜けてくると、向こうに2基の間を通ってきます。帰りはこちらの2基の間を下ります。
拝殿の前から、アコウの複雑に絡み合った根っこの前を通って下ります。
【五島の寺社:⑧ 五社神社】 に続く・・・
https://ameblo.jp/sisiza1949-2/entry-12868070636.html 【日本武尊白鳥陵】より
◯日本武尊白鳥陵は、三箇所、存在するらしい。インターネットで検索すると、奈良県御所市の、次のページがヒットした。
日本武尊白鳥陵
現在、宮内庁が治定している陵墓には根拠の薄弱なものが多いが、この陵もその典型と言える。記紀には戦野に死んで魂のやすまらなかった日本武尊は、白鳥となって三度羽根を休めたといい、そのとどまるところが現在、全て白鳥陵として治定されている。
この琴弾原(ことひきのはら)にもほんの少し舞い降りただけで、すぐさまその翼を夕日に染め、葛城の山を越えて、河内の古市へと飛び去ったという。
◯別に、奈良県立情報図書館のページには、次のように載せる。
白鳥陵(日本武尊琴弾原白鳥陵)
記紀伝承上の皇室の英雄・日本武尊は蝦夷征討の帰路、能褒野(三重県亀山市)
で没し、その地に葬られたが、白鳥となって大和へ向かい、いったん琴弾原(御
所市富田)に舞い降りた後、旧市邑(大阪府羽曳野市)に降り立ち、その後、天
に昇ったとされる。
それぞれの地にゆかりの御陵があり、白鳥三陵と呼ばれている。この伝説を縁
に、御所、亀山、羽曳野の3市は、平成10年から交流事業を展開している。
宮内庁によると、能褒野墓が日本武尊の墓で、御所市と羽曳野市の白鳥陵はそ
れの付属物という位置付け。また、宮内庁が付けている名称は「白鳥陵」だが、
地元では「日本武尊琴弾原白鳥陵」が一般的となっている。
◯もちろん、これは、奈良県御所市の白鳥陵の話である。さらに、ウィキペディアフリー百科事典では、次のように案内する。
白鳥陵
白鳥陵(しらとりのみささぎ)は、ヤマトタケルの陵。
奈良県御所市富田と大阪府羽曳野市軽里(軽里大塚古墳)の2ヶ所に治定されている。
ヤマトタケルが伊勢国能褒野で薨じ、同地に「陵」を造って葬ったことは、『古事記』『日本書紀』ともに一致するところであるが、さらに白鳥(『古事記』では「八尋白智鳥」)と化して西方に飛び、降り留まった地にあらたに「陵」を起こしたという記事は両書で異同がある。
『古事記』においては能褒野から白鳥となって飛び、河内国志幾に留まり、そこに「陵」を起こし、これを「白鳥陵」と呼んだが、のちここからまたも白鳥となって飛び、ついに昇天したという。 つまり『古事記』の白鳥陵は河内国志幾に営んだ「陵」である。
『日本書紀』巻第七によれば白鳥となって能褒野陵から出て、まず大和国琴弾原(奈良県御所市冨田)にとどまり、そこに「陵」を造ったところ、さらに白鳥となって河内国旧市邑にいきとどまったので、そこにも「陵」を造ったが、また白鳥となって天に上ったという。 『日本書紀』では最初の能褒野陵、大和琴弾原の「陵」、河内国旧市邑の「陵」と三陵を時人は「白鳥陵」とよんだという。
皇子の墓を「陵」というのは、『古事記』、『日本書紀』においてヤマトタケルの能褒野陵、2つの白鳥陵のみで、例外的である。
のちにヤマトタケルの墓を「能褒野墓」と定め、また『日本書紀』の所伝をも尊重し、「白鳥陵」2つを能褒野墓に附属するものとした。
◯それなら、白鳥陵は、能褒野・御所・羽曳野の三箇所だろう。ただ、能褒野に赴くと、能褒野墓は二箇所、存在する。と言うことは、白鳥陵は四箇所あると言うことになる。当古代文化研究所では、すでに能褒野の二つの墓は参詣済みである。したがって、未見は御所市の白鳥陵のみである。
◯最後に、羽曳野市のホームページが載せる白鳥陵古墳について。
白鳥陵古墳
羽曳野に伝わる日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の白鳥伝説をご存じですか? 実は市の名前もこの伝説に由来しています。
「日本書紀」などによると、日本武尊は東国での戦いの帰り道、伊勢の能褒野(のぼの)の地で亡くなりますが、その姿を白鳥に変え、大和の琴弾原(ことひきのはら)に降り立ったあと、河内の旧市邑(ふるいちのむら)に飛来したといわれています(※)。
近鉄南大阪線古市駅で下車し、西に向かって100m歩くと、まず目にするのが「白鳥」という交差点の標識。
このあたりは「白鳥」という町名で、白鳥伝説にちなんで名づけられました。
そして、白鳥交差点を南に進むと現れるのが、日本武尊白鳥陵の参道入口に立つ石碑。古墳の濠に沿った道は、かつての竹内街道で、白鳥陵古墳が最も美しく見えるおすすめのビューポイントです。
※ヤマトタケルノミコトが没した場所(三重県亀山市)、白鳥が一旦舞い降りた場所(奈良県御所市)、最後に降り立った場所(大阪府羽曳野市)のそれぞれにお墓が造られ、合わせて「白鳥三陵」と呼ばれています。
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