https://hase-a.com/blog/%E4%BB%8F%E6%95%99%EF%BC%8F%E7%A9%BA%E6%B5%B7%EF%BC%8F%E6%A2%85%E5%8E%9F%E7%8C%9B/ 【仏教/空海/梅原猛】より
仏教的なるものに対する興味は年々増してきて、梅原さんの書が何しろ肌に合うのかとても楽しく読み、いろいろな事が頭の中で整理されてきました。
僕も含め、日本人は無宗教だと思ったりしていますが、何かあれば神社やお寺に行ったり、お祓いをしてもらうんだからやっぱり無宗教ではなく、ただ神道と仏教が曖昧に混ざり合った状態で、キリスト教やイスラム教などのように強い「神」的なものを持っていないからそう思うのだと思います。そして仏教はもともと稲作圏で始まり、稲作には大量の水が必要で、水は森林がなければ蓄えられず、雨は人間の自由にならないから「雨乞い」として自然の神にお願いをする、という発想になるために人間はむしろ自然より下の存在であると感じられるのですが、一方のキリスト教イスラム教は、小麦の農耕牧畜圏で、雨はあまり必要なく、むしろ森林が邪魔なので、メソポタミア文明を作ったシュメール人のギルガメッシュ叙事詩に「森の神フンババの殺害」が記されていて、つまりは自然は人間に従属するもの、と考えられた。という大きな自然観の違いがあって、それは間違いなく今でも続いているはずだから、鳥と魚が同じ価値判断ができないのと同じく、私たちもその違いを認識した上で世界と付き合って行かなければならない(ここは僕の考え)んだろうなと改めて思いました。
そして西洋の聖者、キリストやアリストテレスは殺害され、キリスト教にはどこか怒りの思想があるけれど、釈迦は安らかに死んでゆき、仏教には安らかさがある。そして生きとし生けるものに対する平等な見方がある。梅原さんは聖徳太子の「和」がそんな平等観にあり、それは大変大切な事だと言っていて、1万円札が福沢諭吉に変わった時反対しようとしたら大蔵大臣が止めに来たそう。でも福沢さんが唱えた「脱亜入欧」はつまり不平等の思想に踏み入ることになるのだし、結果、国は強くなったけれど大切なものを失ったとも言える。
ところでまたお札が刷新されるようで、1万円は「日本の資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一。いやあ〜これはさらに聖徳太子から遠ざかりますので梅原さんが生きておられたら憤慨されたでしょう(上記の大蔵大臣からはそのうち5万円札を出すときに聖徳太子にすると言われたそうだ)
そして先日も登場した空海ですが、さらに詳しく。
梅原さんは難しい話をできるだけわかりやすく伝える主義だそうですが、それでもまあ難しいのですが、ざっくりまとめちゃうと、仏教は上記のように「平等」なのだけど宗派によってそれに差があり、釈迦を神のように扱うことで一神教に近くなってしまったり厳しい修行をしたり妻帯を禁じることで誰でもが到達できないものを目標としたりしているのはダメだ、というのが空海の考え方で、また「極楽浄土」という幸せが死後にしか行けないのはおかしなことで、現世に生きる、煩悩も持った私たちを否定することなく「肯定」することで、「この身そのままで仏になる」ことができるし、人間に限らず動植物や世界の全ての内に仏(大日如来)が宿っている。
で、奈良や鎌倉の大仏様は大日如来であり、なぜあんな大きいのか?と言われれば不思議ですよね。でも大日如来というのは宇宙の根源のような存在で、釈迦でさえもその一つの現れに過ぎないそうで、だから宇宙の全てを照らす存在として大日如来があり、また、至る所に大日如来が宿っている、という事のようだけど、つまりは宇宙を作る「根本原理」のような。例えば「重力」という根本原理があるから恒星は最後は潰れてブラックホールになったりするし、原子レベルでも働いているわけで、そういう目に見えない大きな力、と考えれば良いのかもしれません。
キリスト教もでしょうけど仏教もかなり「教条主義化」してしまっていると思いますが、結局それによって救われる強者と救われない弱者が生まれるし、「平等」から遠ざかる。
空海は若い頃、深い山奥にしばらくこもっていたそうですが、きっとそこで「生きとし生けるもの」の平等さを見つけたのかな、と思いましたし、梅原さんが共感する、「世界肯定の思想」というものに僕もまだ読みかじっただけですが共感したので、今後も空海を追いかけてみようと思います。
最後に、でも、「密教」って名前からそうですが「怪しいもの」括りをされてしまってますが、そのほかの仏教は「顕教」と言われるようですが、キリスト教の聖書と同じで、どこどこに何が書いてあるから、という明白な教えに基づくからで、でも宗教って目に見えない大切なものを追いかけるものですよね?という意味では「密」に本来決まっているんでしょうけれど、福沢さんの「入欧」の過程の中で「密」なるものが排除されて来た、という事なんだと思います。
まあ深い世界なので、深くご理解されてる方に読まれたら叱られるような文章ですが。まあ。
https://note.com/fujiiman/n/n229b77aea765 【最澄と空海<梅原猛>】より
▽仏教の流れ
釈迦の言行録の経典をもとに、500年ほど原始仏教(小乗仏教)がつづき、1世紀から3世紀にかけて龍樹らが革新運動をおこす。
欲望を否定して清い生活をしているだけではなく、大衆のなかにはいれ、と説き、大衆救済にはげむ人間「菩薩」を生み出す。原始仏教の欲望の否定も「こだわり」であるとし、肯定でも否定でもない「空」という概念を生み出す。これによって人間的な釈迦の仏教とは異なる、毘盧遮那(=大日如来)をかかげる自然中心の教えになり、その最終段階に密教が生まれる。密教はヒンズー教の影響を強くうけて栄えたが、インドではヒンズー教にのみこまれてしまった。
空海は、従来の「顕教」を、「空」といいながらも否定に終わっており、仏教の入門にすぎないと批判する。
われわれのなかには宇宙がそのまま宿っている。小さい自分をはなれて宇宙と一体化することによって本当の自由になり、おどろくべき能力を発揮できると考えた。
▽最澄のはたした役割
最澄は19歳のとき比叡山にはいり、法華経にもとづく天台仏教にめざめる。22歳で根拠艇である比叡山寺(のちの延暦寺)をひらいた。
法華経は3つにわかれた仏教を統一し、小乗の徒や、救いの対象にならなかった女人や動植物まで救いの対象とする。大乗仏教のなかでもとりわけ平等思想が強い。聖徳太子は、そんな平等思想で日本を統一しようとし、最澄はそれをうけついだ。
最澄はすべての人間に仏性があり、善行をつめば遠い将来には仏になれると考えた。(空海も仏性論だが、人間はその身のまま仏になれると説くところがさらに徹底している)
最澄とその弟子は、成仏の可能性を、あらゆる生きとし生けるものに広げ、「山川草木悉皆成仏」という天台本覚思想にいたる。それが、日本仏教全体の中心教説になっていく。
日本人は、草も木も、山や川も同じ生命を生きている信じてきた。すべてが神であり、だから、人間も動物も植物が死ぬと必ず神になると考えてきた。
最澄と空海によって日本仏教は都会仏教から山岳仏教へと変容し、山にはいったことで数千年来の神々の影響をうけ、山に存在する死霊との関係をむすんだ。山に根拠地をおいた仏教は、あの世について深い思弁をする浄土教的になり、日本独自の仏教になっていった。また、神道と仏教を融合して修験道という日本独自の宗教も生みだした。
最澄の思想は天台が主だったが、純粋な思弁的体系では怨霊をしずめて国家を安泰にするという朝廷の求めに応じられない。密教という祈祷仏教を学ぶため唐にわたったが、十分には学べず、7歳下の空海から学ぶことになった。
最初は空海は最澄に協力したが「密教は書物で学べるものではない。師について密教の行を修めねばならない」と自分に弟子入りするように要求し、決別する。密教を学びたいという最澄の思いは、弟子の円仁や円珍がうけついで唐にわたり、「天台密教」がつくられることになった。
▽すべての宗派が生まれた叡山
最澄は僧たちを南都仏教の面倒な戒律から解放した。だが堕落しないように、戒律のかわりに「12年間、山から出るべからず」という厳しい行と学問を課し、日本ではじめての大学を設立した。
叡山は天台が中心だが、四宗(天台・密教・禅・律)兼学の場所とする最澄の精神によって、密教や浄土教が流行する場となった。
日本の浄土教は唐でまなんだ3代目天台座主・円仁にはじまり、同じく横川にすんでいた恵心僧都源信によって発展した。平安時代の浄土教は、神様と一体となっており、そのひとつのあらわれが10世紀はじめからの熊野詣でだ。
すべての人間は仏性をもって必ず成仏できる、という最澄の仏性論が、鎌倉仏教の基礎になった。鎌倉仏教の宗派のちがいは、念仏か、題目か、座禅かという、成仏するための方法のちがいだった。
法然と親鸞の浄土教の歴史的意味は、伝統的な神と結びついた日本の浄土教を神から解放し、純粋な仏教にしたと同時に、根拠地を山から町におろした点にある。ある意味で、都市的な南都仏教に回帰したともいえる。
一方日蓮は、天台仏教の根拠地の叡山が密教や浄土教や禅によって占領されたのをなげき、「もう一度、天台にかえれ、法華経にかえれ」と、復古の情熱に燃えた。 日蓮の流れをくむ教派・宗派は、浄土教や禅の宗派とならぶ有力な宗派となり、明治以後の日本のほとどの新興仏教の母体となった。聖徳太子→最澄→日蓮という法華仏教の流れを、梅原は日本仏教の本流と位置づける。
▽戒律の緩和
ユダヤ教からキリスト教への変化は、戒律の軽減化と内面化にあった。新約聖書では、ユダヤ教の戒律にこだわる人たちを「バリサイの徒」=偽善者として批判した。
最澄からみると、南都仏教の僧たちは、古い戒律にこだわりながら、実は欲にまみれたバリサイの徒だった。最澄はイエスと同様、戒律を軽減化して内面化しようとした。だから、キリスト教と同様に懺悔が重視された。
親鸞は戒律の軽減化・内面化をさらにすすめ、最澄の制定した十重戒をも否定し、肉食妻帯もかまわないとした。以後、彼の考えが広まり、日本仏教は戒のない状況になった。
真言の教義は空海という天才がひとりで完成させた。
最澄は、空海ほどの完成された宗教家ではなかったが、その未完の学問を、弟子たちが懸命に完成しようと努力することで、比叡山はその後の仏教の発展の拠点にそだった。日本の仏教はすべて最澄の仏教にはいり、その後のすべては最澄の仏教から出てきた。
▽万能の天才、空海
空海は、明治までは深い尊敬を受け、「偏照金剛」と、光り輝く金剛のような方として、神仏のように崇められた。
ところが明治以降、神格化された人間に懐疑の目をむけ、事実をあきらかにするのが学界の風潮となり、神のような存在はいかがわしいとされ、人間的弱点がありながらひと筋に道を求める宗教家、親鸞や道元、日蓮が崇拝の対象になった。
梅原が最初に密教の哲学性を主張したころには、密教は呪術的性格が強く、空海も、加持祈祷で天皇や貴族にこびを売った人間というのが日本の学会の認識だった。梅原が評価することで、湯川秀樹や司馬遼太郎、陳舜臣らがとりあげ、空海は再評価されていった。
では空海とはどんな人で、彼の密教はどんな思想なのか。
空海は若いときから主流である都会仏教に背をむけて山で修行する。自然のなかに仏をみだし、密教を学びたいと志して唐にわたった。
唐に到着した翌年、恵果阿闍梨とであい、恵果から真言密教をすべて伝授される。本来20年の留学期間を2年間に短縮して33歳で帰国した。
密教の前段階の華厳仏教では、この世は無限の世界であり、その世界の一つ一つに他の世界が宿り、互いに映し合い融け合っているとされる。
密教は、この世界がすべて大日如来のあらわれで、それぞれに大日如来の智慧をもっていると考える。華厳よりも、自然教的な色彩が強く、愛欲もふくめてより肯定的だ。
大日如来と一体になることによって、世界がはっきり見え、それによって、人間を救うために自由に行動できるようになる。そこに菩薩行の真髄があるとする。
欲望を殺しては人間の活動力は失われる。愛欲のとらわれからも、禁欲のとらわれからも自由にならなければならないと、「空」の思想を説いたのが龍樹とその弟子の「大乗」だった。密教の「即身成仏」は、感覚と同時に欲望も肯定し、この肉体のまま仏になれるとする。
だから空海は、この世以外に世界があるとは考えない。この世界そのものが大日如来の密のあらわれなのだから、この世界において力を発揮しなければならない。満濃池築造など、空海の実業家としての側面は彼の宗教の実践だったのだ。
「人間というものは、ある根本原理さえ把握すれば、ふつうの人が思いもかけないような多方面でその能力を発揮することができるのではないか」
梅原は、空海のような超能力を発揮できる可能性をみとめている。
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