二荒山雲の衾を出でて立つ 五島高資

https://www.travel.co.jp/guide/article/40776/【日光三山を祀る「日光二荒山神社」】より

「日光二荒山神社」は、男体山、女峰山、太郎山の日光三山のご神体山を祀っている神社です。

境内は二荒山神社の本社をはじめ、本宮神社、滝尾神社、中宮祠、奥宮まで及び、なんと伊勢神宮についで全国で2番目に広い境内です。

二荒山神社の本社は日光東照宮の西側に位置し、江戸時代に東照宮が建造されるまでは日光信仰の中心地でした。

東照宮建造後の1619年に現在の場所へ移動し、縁結びや開運の神様として有名な大己貴命(おおなむちのみこと)が祀られています。

日光三山を祀る「日光二荒山神社」

二荒山神社を含む日光三社は、1999年に世界文化遺産「日光の社寺」の構成資産の一部として登録され、現在も国内だけでなく海外からも多くの観光客が訪れています!

日光東照宮からのアクセスも抜群で、とても心落ち着く神社なので、ぜひ参拝に足を運ぶことをおすすめします!

二荒山神社別宮の「本宮神社」は、766年に勝道上人(しょうどうしょうにん)が小さな祠を建てたことから、二荒山神社の発祥地であると伝えられています。

奈良時代に創建された日光山内で最も古い神社の一つで、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)が祀られています。

二荒山神社の発祥地「本宮神社」

境内には「こぶ杉」や「開運笹」などがあります。

こぶ杉のこぶを撫でると、喜びが廻ってくると伝えられています。こぶ杉の後ろ側へ廻らないとこぶが見れませんが、この機会にぜひ撫でてみてください!

「開運笹」もその名の通り、開運のご利益があると伝えられている笹です。

その他にも「望み石」や「開運石」など開運にご利益があるものが多くあるので、ぜひ本宮神社に参拝してみてください!

https://4travel.jp/travelogue/10574556  【奥の細道を訪ねて[第3回]③日光三山の一つ日光二荒山神社 in 栃木県日光市】 より

今宮神社を出発したバスは、「日光例幣使街道」(壬生街道)を北進し、杉並木に入る。

徳川家康は死後、朝廷から「東照大権現」と云う神様の称号を賜り神となり、東照社(後の東照宮)に祀られ、家康の命日の祭例に「日光例幣使」が派遣されようになる。

「日光例幣使街道」は京を出発したこの「日光例幣使」が往路に通った街道であり、芭蕉達もこの道を辿って日光に向かう。

またこの街道の杉並木は、川越城主・松平正綱(徳川譜代の家臣)と子正信が20年間に渡り植林を続け、徳川家康の三十三回忌に日光東照宮へ寄進したもの。

3本の日光杉並木の中で、最も長く美しいのが「日光例幣使街道の杉並木」と解説の先生。

「日光例幣使街道」は今市で日光道中と合流し、その先程なくしてバスを降りる。

宝物館に向かう鬱蒼とした杉並木を進み、右折れした先に建つ宝物館を見ながら左に足を延ばす。

別れ道の角に、日光市及び日光三山が建立した、芭蕉が日光で詠んだ句が刻まれた碑が、句の言葉通りの景観を背に佇んでいた。

  あらたふと 青葉若葉の日の光

その更に先に青々とした森に連なる鳥居が建っており、奥には旧東照宮の唐門の遺構が移設されていた。

両者とも重要文化財。

立派な杉の大木が連なる参道を進むと、正面奥は3代将軍家光の菩提寺・日光山輪王寺「大猷院廟奥の院」、その手前右側に日光二荒山神社の入り口の鳥居が見えてくる。

この旅行を企画した旅行会社から配布された資料によると、この一帯の山の総称『”二荒山”は観音菩薩が住んでいたとされる「補陀落山(ふだらくさん)」が転嫁したものとされ、「二荒」を「にこう」と読み替えて、これに「日光」の字を当てたものが、地名としての日光の起こりだ』としている。

また同資料によると、日光二荒山神社の起源は766年に遡り、現在の我々には日光と云えば「日光東照宮」(家光が1634年造営を開始する)を頭に浮かべるが、日光二荒山神社は日光東照宮より1000年近くも古い歴史を持つ。

現在の社殿は1619年、2代将軍・徳川秀忠が造営したとの事だが、実に綺麗に整備されている。

ところで奥の細道には日光二荒山神社に関する記述は無い。

芭蕉が訪れたのは、芭蕉が敬愛する徳川家康の墓所日光東照宮。

芭蕉は予め江戸浅草の清水寺(せいすいじ)から紹介状を貰い、宿坊・養源院の僧の付き添いで大楽院(現在の社務所)に向かったが、東照宮の見学は2時間も待たされた後であったため、その日は東照宮の見学だけで、そのまま日光での旅籠、鉢石の”五左衛門”に戻っている。

"これ以上日光山にふれるのは恐れ多い"と奥の細道での日光の記述は至って少ないが、それに代わって日光での旅籠の主人”仏五左衛門”についてのいたって気楽な記載が有る。

また芭蕉はこの章で初めて付き添ってくれている曾良を紹介し、曾良がこの旅に際し、武士を捨てて髪をおろし、墨染の僧侶姿となり、名前迄も改名しこの旅に臨んだ決意を愛で、曾良が黒髪山の麓で詠んだ句を添えている。

芭蕉が日光に到着した4月1日は”衣替え”の日でもあった。

   剃り捨てて 黒髪山に衣更

日光二荒山神社を降りた所のレストランで昼食。

レストランの隣の、大正時代創建と云う教会で、結婚式の準備が行われている。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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