俳句モンタージュ論

https://my8686.exblog.jp/32308708/ 【NY散策/「モンタージュ理論」を読み解く】より

台風14号(チャンスー)は、本日15時には、長崎県平戸市の北西の海上を東北東に進み、九州の全域と中国、四国の西部が風速15m/s以上の強風域に入るという。

明日18日(土)は温帯低気圧の性質を帯びつつ西日本から東日本を進み、明後日19日(日)には関東の南海上で温帯低気圧に変わるようだ。

広島直撃は免れたようだが、雨戸だけは閉めておこう。コロナ禍の今、「シミュレーション・ドライブ」の旅は続く。この旅の基因は、宗教学者・釈撤宗氏のこの言葉。

「日常とは別の扉を開き、共振現象を誘発しつつ、琴線へとアクセスする。」

映画「TENET」の舞台「アマルフィ」を旅の基点に、ナポリ~ローマ~フィレンツェ~ヴェネツィアを経て、ミラノ~パリ~スイス~ドイツ~英国へ渡った。

そこで、SCOの「ノース・コースト500」に刺激され、さらに「ルート66」が走りたくなり米国まで飛んできた。

サンタモニカから「NY」までの逆ルートを走り、マンハッタン中心部の「Parker New York」を定宿にして、NY散策を楽しんでいる。

さて本日もホテル内に籠って、ベケットが心酔したという「エイゼンシュタイン」の「モンタージュ理論」を読み解いてみよう。

昨日読み解こうとした「サミュエル・ベケット」の人格。

文学や戯曲の分野で新しい表現方法を切り開いたことが理由で、「1969年度ノーベル文学賞」を受賞している。

そのベケットが「セルゲイ・エイゼンシュタイン」に心酔し、モンタージュ理論の技法を学びとろうとしていたという。

難解な「不条理演劇」だと言う前に、実存主義的側面を持ち出す前に、「能」、「式三番」、「狂言」の各構成要素を観直してみるべきだろう。

あらためて、「エイゼンシュタイン」のモンタージュ理論を「おさらい」してみよう。

興味を惹いたのは、「モンタージュ理論」のヒントが能や俳句の様式、さらに浮世絵からくみ取られたという。さらにその精神性までもが浸透していたという。

そして、その理論は「ロシア・アヴァンギャルド映画」の中核をなし、やがて大のエイゼンシュタイン・ファンだったベケットの芸術と精神に受けつがれた、という推論である。

■モンタージュ(montage)

映画用語で、視点の異なる複数のカットを組み合わせて用いる技法のこと。

元々はフランス語で「(機械の)組み立て」という意味。映像編集の基礎であるため、編集と同義で使われることも多い。

モンタージュ技法には、大きく2つの方向があるという。

①ソ連・エイゼンシュテイン・モンタージュ理論

②米国・グリフィス・モンタージュ理論

①の映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインに代表される「エイゼンシュテイン・モンタージュ」は、当時流行し始めた「ソシュールの構造主義」の影響を受けたという。

また、日本語の「漢字」という象形文字の持つ抽象的な概念を描写的デザインに表現しているという基本コンセプトから、「身」と「美」で「躾」に、「口」と「鳥」で「鳴」になるなど、全く別の意味になるということに興味を持ったという。

このコンセプトを基にモンタージュ理論の開発に取り組み、台本の言語的要素を映像に置き換えて編集していく手法を確立したといわれている。

映画『戦艦ポチョムキン』の「オデッサの階段」シーンがその典型とされる。

しかし、「オデッサの階段」の場面や終盤の黒海艦隊の多くの艦が反乱に同調する場面など史実とは大きく異なる部分も多いとされる。

ソ連ではレーニンの「すべての芸術の中で、もっとも重要なものは映画である」との考えのもと、世界で最初の国立映画学校が作られ、共産主義プロパガンダ映画の技法としてモンタージュ理論が活用されている。

この時、エイゼンシュテインが唱える「アトラクションのモンタージュ」などといった独創的なモンタージュ理論を実践し、世界各地で大きな反響を受けた。その後、映画人にも多大な影響を与えている。

フランシス・フォード・コッポラもこの「エイゼンシュテイン・スタイル」を好んだという。

革命直後のソ連では、革命的な前衛芸術が流行し、抽象芸術や構成主義が生まれている。

ロシア・アヴァンギャルドは共産党のいわば「公認芸術」として革命思想を宣伝するプロパガンダポスターに広く採用された。

当時のソ連は世界初の電子音楽機器テルミンが作られ、モンタージュ理論が生まれるなど前衛芸術のメッカと化しており、外国から不遇だった多くの前衛芸術家がソビエト連邦の建設に参加している。

例えば、ソビエト・パレスの計画にはル・コルビュジエ、ヴァルター・グロピウス、エーリヒ・メンデルスゾーン、オーギュスト・ペレ、ハンス・ペルツィヒといった新進気鋭のモダニズム建築家たちが関わっている。

そして現在に至るまで、映画史的に非常に重要な作品として評価されており、『國民の創生』、『市民ケーン』とともに映画芸術に革命をもたらした画期的作品と評価されている。

その当時、共産主義における「エンゲルスの質的弁証法」の応用として、ソ連、フランスの左翼思想家に支持され、左翼シンパの多かった日本の映画業界で映画編集理論の主流となったことは皮肉な「時代の悪戯」ともいえよう。

小津安二郎の代表作『東京物語』では「別撮りのカット・バック」が多用されている。

バンクを用いる日本のアニメもこの系統に属し、理論的には「メッツらの映像記号論」に継承されて研究されている。

②のグリフィス・モンタージュ理論は、ジークムント・フロイトの影響を受けたコンスタンチン・スタニスラフスキーの演出論に基づくものとされる。

俳優たちを特殊な状況に陥れた実際を、複数のカメラを用いたマルチ・カヴァレッジによって同時撮影し、その時間尺を変えることなく多面的な視点を取り入れて線形に編集していく手法である。

たとえば、グリフィスの『イントレランス』のスペクタクルシーンがそのはじまりとされる。

当初は多大な撮影予算がかかるため敬遠されてきたが、日本の黒澤明が代表作『七人の侍』の戦闘シーンでそのすごみを見せつけた。

当初、記録媒体を持たなかったテレビも、複数のカメラで同時撮影し、サブ(副調整室)におけるスィッチングで同時編集していくため、このスタイルを採ることが多かった。

おりしもロシア革命とスターリニズムから大量亡命でスタニスラフスキーの演出論は、戦後、故国ソ連よりも米国で定着した。

マーロン・ブランドなどの俳優に大きな影響を与えたという。

その次世代のスティーヴン・スピルバーグらは、黒澤の感化を受け、「グリフィス・スタイル」を多用した。

今日、デジタル撮影技術の普及もあり、これがハリウッドの標準編集形態となっていった。

「リズミカルなモンタージュ」は、フラッシュバックに力点をおき、大正末期の日本映画で大流行し、乱用される傾向があった。

時代劇の剣戟場面にも激しいフラッシュバックが応用され、のちに「チャンバラ・モンタージュ」とさえ呼ばれたという。

☆☆☆GGのつぶやき

日本の「能」「俳句」「浮世絵」の様式と精神性が「ロシア・アヴァンギャルド映画」の中核をなし、やがてベケットの芸術と精神に受けつがれた、という推論は面白い。

秋の夜長にはあらためて、小津安二郎の『東京物語』、黒澤明の『七人の侍』を見直してみよう。


https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2462_11118.html【ラジオ・モンタージュ

寺田寅彦】より

 プドーフキンやエイゼンシュテインらの映画の芸術的価値が世界的に認められると同時に彼らのいわゆるモンタージュの理論がだいぶ持てはやされ、日本でもある方面ではこのモンタージュということが一種のはやり言葉になったかのように見える。この言葉の意味については本家本元の二人の間にも異論があるそうであって、これについては近ごろの読売新聞紙上で八住利雄やすみとしお氏が紹介されたこともある。

 このモンタージュなるものは西洋人にとってはたしかに非常な発見であったに相違ない。そうしてこれに対する解説を近代的な言葉で発展させればいろいろむつかしくも言えるようであるが、しかしわれわれ日本の旧思想の持ち主の目から見れば実質的にはいっこう珍しくもなんともないことのように思われてしかたがない。つまり日本人がとくの昔から、別にむつかしい理論も何もなしにやっていた筆法を映画の上に応用しているようにしか思われないのである。

 たとえば昔からある絵巻物というものが今の映画、しかもいわゆるモンタージュ映画の先駆のようにも見られる。またいわゆる俳諧連句はいかいれんくと称するものが、このモンタージュの芸術を極度に進歩させたものであるとも考えられるのである。そうしてまたこのモンテーという言葉自身が暗示するように、たとえば日本の生花の芸術やまた造庭の芸術でも、やはりいろいろのものを取り合わせ、付け合わせ、モンタージュを行なって、そうしてそこに新しい世界を創造するのであって、その芸術の技法には相生相剋そうこくの配合も、テーゼ、アンチテーゼの総合ももちろん暗黙の間に了解されているが、ただそれがなんら哲学的な術語で記述されてはいないのである。

 ところがおもしろいことには、日本でエイゼンシュテインが神様のように持てはやされている最中に、当のエイゼンシュテイン自身が、日本の伝統的文化は皆モンタージュ的であるが、ただ日本映画だけがそうでないと言ったという話が伝えられて来た。彼は日本の文字がそうであり、短歌俳諧はいかいがそうであり、浮世絵がそうであると言い、また彼の生まれて初めて見たカブキで左団次さだんじや松蔦しょうちょうのする芝居を見て、その演技のモンタージュ的なのに驚いたという話である。これは近ごろ来朝したエシオピアの大使が、ライオンを見て珍しがらずに、金魚を見て驚いた話ともどこか似たところのある話である。また日本の浮世絵芸術が外国人に発見されて後に本国でも認められるようになった話ともやはり似ていて、はなはだ心細い次第である。

 それはとにかくモンタージュ芸術技法は使用するメディアムが何であっても可能である。たとえば食物でも巧みに取り合わせられた料理は一種のモンタージュ芸術と言われなくもない。そうだとすれば、ラジオによる音響放送の素材の適当なる取り合わせ、配列によって一種の芸術的モンタージュ放送を創作することが充分可能なわけであろう。

 もっとも、従来行なわれたラジオドラマふうのものの中には、やや前記のモンタージュに類する要素をいくぶんか備えたと思われるものもあるかもしれない。それはその創作者にそういうはっきりした意図はなかったにしろ、自然にそれと同様の効果をねらったものがあったかもしれない。しかし、もしこういう明白な意識を設定した上でその創作をするとすれば、かなり新しくておもしろい試みがいくらも行なわれうるのではないかと思われるのである。

 ただ一つラジオの場合に他の場合と区別しなければならない本質的の相違のある点は、ラジオはだいたい現在の瞬間にある場所で発している音楽をほとんど同時に他の場所に放送しているというところにある。それゆえに、いろいろな時にいろいろな場所で進行した音響的シーンを勝手な順序や間隔をもってモンタージュ的に配置することができないように見える。しかしこれには蓄音機というものがあって、その盤がちょうど映画のフィルムのごとく記録的に保存されうるのであるから、これを使えばかなりいろいろの勝手な技法を活用することができてもいいわけである。

 そう言えば、全部をレコードにして編集し、その編集の結果をまた一つづきのレコードとしてしまえば、結局ラジオの必要はなくなるのではないかという議論が持ち出されるであろう。それはある意味では実際そうであるが、しかし必ずしもそうばかりではない。第一に、蓄音機の存在にかかわらず音楽放送が行なわれている事実がこれに対する一つの答弁であるが、そればかりではない、もっと重要なことがある。現在同刻に他所で起こりつつある出来事の音響効果の同時放送中に、過去における別の場所の音的シーンを適当に插入そうにゅうあるいはオーヴァーラップさせ、あるいはまたフェード・イン、フェード・アウトさせることによって、現在のシーンの効果を支配し調節するということができるとすれば、それは蓄音機だけの場合にては決して有り得ない一つの現象を出現させることになるからである。

 たとえば満州まんしゅうにおける戦況の経過に関して軍務当局者の講演がある場合に、もし戦地における実際の音的シーンのレコードを適当に插入することができれば、聴衆の実感ははなはだしく強調されるであろう。また少し極端な例を仮想してみるとすれば、たとえばフランスでナポレオンの記念祭に大統領が演説したりする際に、もしも本物のナポレオンの声や、ウォータールーの砲声や、セントヘレナの波の音のレコードが(そういうものがあったとして、それが保存されていたとして)適当に插入そうにゅうされたとしたら、それは実に不思議な印象を与えるであろう。それほどでなくても、たとえば議院新築落成式の日に、過去の議会におけるいろいろな故人の演説の断片を聞くことができても多少の感慨はあるであろう。

 もしも、レコードと現場の放送との継ぎ目を自由に、ちょうどフィルムをつなぐようにつなぐことができれば、すでに故人となった名優と現に生きている名優とせりふのやり取りをさせることもできるであろう。九代目X十郎と十一代目X十郎との勧進帳かんじんちょうを聞く事も可能であり、同じY五郎の、若い時と晩年との二役を対峙たいじさせることも不可能ではなくなる。

 もしまた、いろいろな自然の雑音を忠実に記録し放送することができる日が来れば、ほんとうに芸術的な音的モンタージュが編成されうるであろうが、現在のような不完全な機械で、擬音のほうがかえって実際に近く聞こえるような状態では到底理想的なものはできないであろう。しかし、こういう機械的の欠点はだんだんに除去されるであろうから、いつかはここで想像されたような音響のモンタージュによる立派な詩や絵のようなものが創作されて一般の鑑賞を受ける日が来るであろうと思われる。

 こういうものができるようになった場合に、その「音画」のシナリオはどんなものが可能であろうか。これには実に格好な典型的なものがすでに元禄げんろく時代にできているように私には思われる。それは芭蕉ばしょうとその門下の共同制作になる連句である。その多数な「歌仙かせん」や「百韻ひゃくいん」のいかなる部分を取って来ても、そこにこの「放送音画」のシナリオを発見することができるであろう。もちろんこれらの連句はさらにより多く発声映画のシナリオとして適切なものであるが、しかし適当に使えばここにいわゆるモンタージュ的放送の台本としてもまた立派に役立つものと思われる。

 以上はただ、放送事業の実際にうとい一学究のはなはだしい空想に過ぎないのであるが、未来の放送に関する可能性についての一つの暗示として、思うままをしるしてみた次第である。

(昭和六年十二月、日本放送協会調査時報)


https://ameblo.jp/seijihys/entry-12836357617.html 【角川春樹「火焔土器」の句~俳句の「モンタージュ」】より

(岩手旅行の時の盛岡市高松の池)

日盛りの海しづかなり火焔土器(ひざかりの うみしずかなり かえんどき)角川春樹

今日は高円寺の「コングレ俳句会」。欠席者もいて、人数は少なかったが、和気あいあいと過ごした。初心者の方が多いので、俳句の素朴な疑問を質問される。

私は「俳句の素朴な疑問」に答えるのが大好き(笑)。俳句の本質に関わる問題だからだ。

「三段切れ」や「季重なり」の問題など、講義時間をオーバーして喋ってしまった。

とはいえ、まだ出来たばかりなのもあるが、この人数ではちょっと寂しい。

今週から杉並区内の「ゆうゆう館」に募集チラシを置いてもらえるようになったそうだが、少しは認知度が上がって、参加者が増えてほしいな~。

民間が運営しているカルチャーなので、杉並区民でなくても参加できるので、興味のある方はぜひご参加いただきたい。

(※最下部ご参照)

句会のあとはみんなでお茶をして、いろいろとおしゃべりをする。これも楽しい。

今日は女性の方から終戦直後の大陸引き上げの貴重な(壮絶な?)話を聞いた。

彼女のお話を聞くと、高度経済成長期に生まれ、バブル絶頂期に青春を迎えた僕の人生など、実に軽く薄く思えてくる。

まあ、しかし、苦労や悲しみなどというものはなければないほうが幸福だ。

僕の軽薄ながらも幸福な人生は、先輩たちのご苦労の上に成り立っているのだな~、と改めて思った。そのあとは有志でお寿司を食べに行った。実においしかったな~、いい店を見つけた。講義では「取り合せ」、特に「モンタージュ手法」についての話をした。

これは先日、北野武監督のインタビューで監督が話していたのを聞いてふとひらめいたのだ。

北野監督が言うには、

1の映像 裏通りを歩いている男の拳銃のアップ

2の映像 A氏の死体

3の映像 ふたたび裏通りを歩いている男の拳銃のアップ

4の映像 B氏の死体

5の映像 みたび裏通りを歩いている男の拳銃のアップ

6の映像 C氏の死体

これによって「男」が「3人を殺した」ことが表現出来る…というものだ。

これが「モンタージュ手法」。この「モンタージュ手法」の良さは、説明を省くことが出来る

ということだ。

A氏、B氏、C氏それぞれの殺害場面をいちいち映像にしなくて済むわけだ。時間短縮にもある。これは、文字数の少ない「俳句表現」に於いても実に「有効」なわけである。

俳句がもっとも嫌うのは「説明」であり「報告」だ。さらにこの手法の良さは、鑑賞者の想像力を膨らますことが出来ることだ。

「殺害場面」を映像にしなくても、鑑賞者がそれを想像してくれるのだ。これは俳句の「余情」に匹敵する。

俳句で語られているのは「17文字」だが、それはあくまで「一事象」「一場面」であり、作者が本当に訴えたい、伝えたい感動や感情はその奥にある。

俳句も「鑑賞者の想像力」なしには成立しない文学と言っていい。

〈古池や蛙飛び込む水の音〉がその好例で、提示されているのは「一風景」であり、作者の真意は句の奥底に隠れている。

上記の場面を俳句にすると、裏通りのピストルABCの死体とか、裏通りを行くピストル三人の死という感じになるだろう。

実に下手くそで、季語もないが、それは置いといて、作者が表現したい「殺人者の狂気」が奥底に秘められているわけだ。

こういう例もある。

1の映像 戦車の行進

2の映像 群衆の中で若い女性が笑顔で手を振っている

こういう場合、例えば、自国が勝利した、その兵士の中に若い女性の恋人もいる。

ということが想像出来る。

一方、こういう例はどうか。

1の映像 戦車の行進

2の映像 群衆の中で中年女性が泣いている。

こういう場合、こんな解釈が出来る。敵国の軍隊が侵入し、自国が占領された。

女性の息子は戦死した。つまり、何を「取り合わせるか」で「全く違う物語」を表現することが出来る。これ「モンタージュ手法」だ。

で、掲句。上記の手法で表現すると、

1の映像 ぎらぎらしながら静かに横たわっている海原

2の映像 縄文の火焔土器

ということになる。

これによって、「海の原初のエネルギー」と「縄文のエネルギー」とが一句の中でぶつかり合う。一句全体にエネルギッシュな「力」が生まれている。

この句をこまかく説明するには、私の技量では不可能だが、「海」や「人間」が持っている「野生のエネルギー」や、それに敬意を払い、それを追い求めている春樹さんの生き様が見えてくる。一切の説明や報告を省き、「もの」と「もの」をぶつける。この句には「火花」が生まれている。


https://tsukinami.exblog.jp/26621881/ 【俳句モンタージュ論】より

総合俳誌2月号で、また面白い記事を見つけました。『俳句界』の特集「未来に残す俳句論」と、『俳句αあるふぁ』の連載「寺田寅彦随想」とが、ともに《寺田寅彦の俳句モンタージュ論》をとりあげておられます。後者の執筆は有馬朗人さんです。

寺田寅彦は、明治11年(1878)生まれ、昭和10年(1935)没。熊本の第五高等学校時代に夏目漱石から英語を学び、その後東京帝大に進んだ高名な物理学者です。同時にエッセイストとして、また俳人としても知られました。俳号(雅号?)の寅日子よりも、本名のほうが通りがいいみたいですね。

「モンタージュ論」は、1920年代の革命直後のソビエト連邦(現ロシア)において、映画人たちが唱えた映像編集の方法論だそうです。ある1つのシーンを編集するとき、いくつかのショットを連結させて印象を深めたり新しい意味づけをしたりすれば、効果を高めることができるという映像論です。もともとモンタージュはフランス語で「(機械の)組み立て」の意味だとか。

エイゼンシュタインという人は、とくに日本文化に造詣が深かったらしく、江戸時代の俳諧作品を使ってモンタージュの説明をしておられます。そのため、寅彦は早い段階から「映画モンタージュ論」に注目していて、これを自分たちの俳句に応用したいと考えました。体系的な論文にまとめることはなかったみたいですが、いろいろな随想文の中でとりあげておられます。おおざっぱに云えば、<俳句の取合せこそモンタージュじゃないか>ということなのでしょう。また、連俳(俳諧連歌)にもモンタージュと同じ手法が使われているように思えます。

この「寅彦モンタージュ論」に影響を受け、ほんの少し遅れてモンタージュ論に注目した俳人が、山口誓子です。彼はモンタージュを使った自らの俳句論に「写生構成」という名称をあたえました。彼自身がまだ「ホトトギス」に所属していた頃ゆえ、あえて子規の唱えた「写生」の語に、「構成」をくっつけて呼んだのでしょう。一度ちゃんと「誓子モンタージュ論」も読んでみないといけませんね。

これ、昭和初期の話です。

【2022/5/3追記】

当時は〈連作〉形式による作品発表が注目されていました。その発表方式と〈俳句モンタージュ論〉とは無縁ではありません。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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