Facebook麻生 隆尋さん投稿記事
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手垢で輝きを失ったので久々に磨き上げて、日光浴致しました🥰ピカピカで気持ち良い💕💫毎日ありがとう御座います🙇
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◆三鈷杵
祈る人の三業→仏様の三密に通じることを表わす💕
■三業・三密
行い、言葉、心の働き→身口意(しんくい) 祈る人の身口意を三業 仏様の身口意を三密
Facebook近藤裕子さん投稿記事《 三 密 》 さんみつ
〈三密〉とは空海が開いた真言宗を初めとする密教の教えで身密、口密、意密 を意味します。密 とは弘法大師が 唐から持ち帰った 密教の密であり 仏教と一体になる修行を意味します。身(身体や行動)を整え 口(言葉や発言)を正しくすれば おのずと意(心や考え)も整う
この三密を 研ぎ澄ませば 仏様のように心穏やかに過ごせる
(これは福島県にあるお寺のご住職のお言葉の引用です)
仏の身体 と言葉と心を 人にも住することの大切さを伝えられた三密。
空海は 道元が禅を伝えられた400年も前に 密教禅〈観法〉を 伝えておられた事に驚きます。
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事
超えていけ
東寺にいますと、空海さんの事を考えたりします。
大日如来は、真言密教の本尊ですが、宇宙を司る大生命を擬人化したものです。密教の教えは、一言でいうなら「即身成仏」、宇宙との一体化のことでしょう。
長く苦しい修行をしなくても、私たちは宇宙の一部であるから大日如来となりえるというのですね。悟りとは、仏になることですが、すでに仏(大日如来)であれば、それを思い出す方法さえあればいい・・・それが真言密教においては三密加持だと思います。
※三蜜加持とは本尊を現す「印(いん)」を手で結ぶことを、「身密」。真言を、口で唱えるを「口密」。
ご本尊の姿を心(意)に思い描くことが、「意密」です。
この3つが完璧にできたとき、ご本尊と一体となることができ、その身そのままで「即身成仏」を達成することがきるという修行法。
仏を言い換えれば慈悲でしょう。よって、慈悲とは、生命を生んだ大宇宙につながります。昨年が弘法大師ご誕生1250年記念でしたが、こういう宇宙観というか生命観がそんな時代にあったことに今更驚きます。それとも、そんな時代だからこそでしょうか?
科学が迫ろうとしていることに、「真理」という側面から近づいていたのですね。
文明は、ある側面、人間の本来の感性や知覚を束縛したり、不自由なものにします。科学も長くそうでしたね。科学崇拝とか科学主義といわれたものです。男と女というふたつの性が正反対のように語れてきたことに似ている気がします。
それにしても・・・と、古にこそ、大宇宙を見て、大宇宙と語っていた人たちがいたことに憧れを抱きます。
真言とは真実の言葉というより、言葉をこえるもののこと。知など、やすやすと超えていけるのだ、軽く超えていけ。見事に飛んでいます。
Facebook山地 弘純さん投稿記事【三密を避けること。三密を修すること】
「三密を避けること」というのが合言葉になりましたね。
三密とは「密閉」「密集」「密接」の三つの要素のことです。
新型コロナウイルスの集団感染(クラスター)を防ぐため、国や自治体が「外出時にはさけるべき場所」として三密を挙げています。
・換気の悪い《密閉》空間・多数が集まる《密集》場所・間近で会話や発声をする《密接》場面
この3条件が揃う場所に身を置き、そして同じ場所に感染者が居合わせた場合、集団感染が発生するリスクが高いと定義されました。
三密を避けることが集団発生防止のために必要なのです。
ですから現時点では、自身の外側に対してはこれを大切にしていきたいものです。
しかし、また同時に自身の内側に対しては「三密を修すること」、これを大切にしていただきたいのです。
実は真言宗で大切にしているのがこの「三密」という修法です。
三密とは「身密」「口密」「意密」のことで、「身口意(しんくい)」といいます。
・身は行動・口は言葉・意は思い
我々の現実を作っているのはこの三つの行為です。これを三業、つまり三つのカルマといいます。たとえ現実がうまくいっていなくて変えたいと思っていたとしても、その三業を無意識に行い続けているのです。
しかし、そのカルマをしっかりと意識化してやり、そこから本来の尊い姿をイメージし、嘘のない本音を語り、小さな自己を超えた行動をする「三密」へと変えていくのです。
身に印を結び、口に真言を唱え、意に本尊(本来の尊い自分の姿)を観ずることが一般的な実践とされています。
宇宙の創造主たる大日如来にアクセスポイントを設定し、自身の身体と音の響きと意識を一体化して、そこへ高めていくイメージングです。
リアルに使えるよう、もっと簡単に言いますね。
「本来の尊い自分」ということに「まず決める」のです。
そして本来の尊い言葉を発し、本来の尊い行動をする。
こうすることで人生は変化していきます。
最初に、無意識に行っている思考、発言、行動を観照して意識化し、自分のことを探求していきます。
観照とは主観から離れて自身にスポットライトを当てるということです。
こういう思考しているな~。
こういう言葉を発しているな~。
こういう行動をしているな~。
それを知り、なぜと問いかける(なぜこの思考を選んでいるんだろう。なぜこの言葉を選んでいるのだろう。なぜこの行動を選んでいるんだろう。)その中で、自身の傷に気づいていきます。その傷を認めて癒した後で、そこからできあがっていった思考、言葉、行動の癖を一新します。
ダメな自分。どうせうまくいかない自分。それを『本来の尊い存在』、ということにする。
『どうせうまくいく』、ということにする。ということにして言葉を発してみる。
ということにして行動してみる。 この三つの行為の全てが一致してこそ効果がでます。
これを意識的に何度も何度も、無意識に組み込まれるまで行います。
これが真言密教の三密行です。 思いが変われば、言葉が変わる。
言葉が変われば、行動が変わる。行動が変われば、思いが変わる。この三つは三位一体です。
その三つの間に嘘があってはいけません。一体化してこそ変容していくのです。
そしてこの三つが変われば、人生が変わります。はい、すみません。
三密が今話題だと聞いて黙ってられなくて、今日は語ってしまいました。
ちまたでは三密を使用するのをやめさせようという僧侶の動きもあるようですが、僕的にはおいしいです~。
この際、これを好機と捉え、「三密」を広く世の中に布教致しましょう。
というわけで、 外に出る時には、三密を避けましょう。内に入る時には、三密を修しましょう。
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