吉野と三輪さん

http://inori.nara-kankou.or.jp/inori/special-interview/kowa48/ 【「思い煩(わずら)いをお預けし、ともに祈り、今できることを」】より

金峯山修験本宗 管長・総本山金峯山寺 管領/五條 良知 師  特別講話ダイジェストムービー(金峯山寺)─ 金峯山寺のご本尊である蔵王権現とは?

今から1300年前、役行者(えんのぎょうじゃ)(※1)が大峯山の山上ヶ岳で千日間の修行をなさいました。「悪い時代を生きる人々を救ってくださる仏様を」と祈ったところ、釈迦如来、観音菩薩、弥勒菩薩が現れます。しかし「悪い世の中を生きる人々を救うにはあまりに優しい。もっと厳しい方にお願いをしたい」と、さらに修行を続けると、バン!と石を割って憤怒の表情をした仏様が。私どもが「役行者が祈り出した」と申しておりますこの御仏が金剛蔵王大権現(こんごうざおうだいごんげん)です。役行者は「この方こそが人々の目を覚まし、叱りつけてでも助けてくれる」と、山桜の木に彫刻しお祀りされました。権現というのは「仮に現れた」ということ。釈迦、観音、弥勒それぞれが優しくはないお姿を仮に表したのが蔵王権現様(※2)だと今日に伝わっております。

(※1)修験道の開祖とされる

(※2)過去を救済する釈迦、現在を救済する観音、未来を救済する弥勒が一体となって現れたのが蔵王権現

─ 2024年は世界遺産登録20周年と伺いました

文化的景観という言葉が初めて使われて重要性が認められ、「紀伊山地の霊場と参詣道」として吉野山が世界遺産となりました。世界遺産をきっかけにご参拝くださる方が増え、蔵王権現様を好きになって、周りの方に「一度お参りしておいで」と伝えてくださるのはありがたいことです。また、構成資産の一つの仁王門の解体修理は令和10年(2028)に完成予定です。

─ 日課の「とも祈り」について教えてください

新型コロナウイルス以降、奈良の東大寺様をはじめ多くの方々とともに毎日正午に「とも祈り」をしてきました。場所は違えども、時を同じくして、気持ちを同じくして祈るものです。どなたでもいつからでもご一緒しましょう。南無阿弥陀仏でもアーメンでもかまいません。ごちそうさま、ありがとう、おやすみ、おはよう。こうした挨拶で、随分と日々の生き方が変わってくるもの。分断ではなく、一緒に続けること。蔵王権現様は「過去現在未来を救うてやる」と言っておられます。思い煩っていることをお預けしていいんですよ。それで心身がちょっと軽くなったら、自分が今できることを頑張ってみる。今頑張れたら過去のことが報われます。今頑張れたら未来の道が開け、次世代の子供たちの世界が少し良くなるのです。人が人のために祈る。そういうことが大事だとお伝えしているところです。


http://inori.nara-kankou.or.jp/inori/special-interview/kowa03/ 【「日本人の祈りの原点」】より

大和一ノ宮三輪明神 大神神社宮司/鈴木寛治

―日本最古の神社のひとつである大神神社の境内に入ると、理屈ではなく体が霊気を感じます。日本全国から多くの参拝者が訪れていることと思いますが、お祈りするときの心構えについて教えてください。

―日本最古の神社のひとつである大神神社の境内に入ると、理屈ではなく体が霊気を感じます。日本全国から多くの参拝者が訪れていることと思いますが、お祈りするときの心構えについて教えてください。

鈴木宮司 心構えの前に、神社とお寺の違いについてお話ししたいと思います。奈良には社寺が多いので、両方同じような見方をされがちですが、大きな違いは、お寺には教えがあり、神社には教えがないということです。

どういうことかと言いますと、お寺は、お坊さんが仏様の教えを説く場です。しかし神社は往古に神様御自ら鎮まり、或いは勧請してできたもので、人々が神様をおもてなしする場です。神主は祭典を奉仕し、神をもてなし、人々は参拝によって神をもてなし、併せて神を感じ、ご縁を結んでいただくわけです。

神社では、気持ちが澄めば澄むほど神様を感じられます。手水で雑念を取ってくださいと言うのも、気持ちを澄ませていただくためです。私どもも、すがすがしい気分になれる境内にしようと努めています。ですから、「きれいな空気」「空気が違う」と言ってもらえると嬉しいですね。「大和は国のまほろば」と言いますでしょう。特に奈良の神社は、「まほろば」らしさを出していくべきなのではと思います。

―人と自然との関わりという点では、神社はどんな役割を果たせるとお考えですか。

―人と自然との関わりという点では、神社はどんな役割を果たせるとお考えですか。

鈴木宮司 西洋の一神教では、自然は人間が支配するものだと考えます。明治以降、日本にもそうした価値観が入ってきましたが、自然を破壊して高度経済成長を遂げた反面、公害が大きな問題になりました。価値観を変えないといけないのではないかという流れの中で、「人間、自然」という縦の関係ではなく、「人間も自然も」という横の関係、多神教の見方が見直されてきたのです。

自然の法則に逆らったものは滅びるといいます。神社は、そうした自然の法則を知る、一つの場であろうかと思います。東日本大震災の津波で流されてしまった神社には、明治以降に山の方から町中へ勧請した神社が多かったそうです。それは近代化に伴い、人々はコンクリートで堤防を築いて安心を得、神社を山の方から生活の場に移したためです。もっとも人の都合ではなく、神様を感じた所にお祀りした神社は津波の届かない所にあって被害を免れています。

自然の流れ、法則に合わせるということ。これは教えというより、昔からの知恵、人々の生き方に根ざすものなのでしょう。

―神社という「場」、また、そこでの儀式で、そうしたことを伝えているのですね。ところで、横のつながりということでは、大神神社は出雲大社と交流されています。

―神社という「場」、また、そこでの儀式で、そうしたことを伝えているのですね。ところで、横のつながりということでは、大神神社は出雲大社と交流されています。

鈴木宮司 大国主神(おおくにぬしのかみ)が国造りを始めたもののうまくいかずに悩んでおられた時、自らの和魂(にぎみたま)を鎮めよという神示がありました。そうして三輪山にお祀りしたのが大物主大神(おおものぬしのおおかみ)で国造りは成就しました。大物主大神は、大国主神の和魂[幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)]です。後に大国主大神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲る代わりに出雲に祀られますが、出雲に鎮まる前に三輪山に和魂が鎮められたということで、今に続く交流があるのです。神代からの格別のご縁故によりまして、宮司が互いの大祭に参列しています。

近年、大国主神を祀る神社が集い、くにたまの会を結成し、同じ神様を祀るご縁をもってお互いの祭礼に参列し、より深いつながりを感じています。

―パワースポットブームもあって、東京など遠方から「弾丸ツアー」で来られる方、また、女性の参拝者も増えているようです。最後に、そうした方々にメッセージをいただけますか。

―パワースポットブームもあって、東京など遠方から「弾丸ツアー」で来られる方、また、女性の参拝者も増えているようです。最後に、そうした方々にメッセージをいただけますか。

鈴木宮司 女性は増えていますし、男性より真剣にお参りされているように見えますよ。男性は照れから、つい格好をつけてしまうのかもしれませんね(笑)。

東京からの参拝者では、「自然の法則に従って新年のお参りをしたい」と毎年立春に来られるグループや、「神様のお力をより感じたい」と素足で毎月神山登拝されるグループがあります。

よそではなく、なぜ三輪なのか。この地に何か惹かれるもの、光を感じて来られているのです。真剣にお参りすれば、神様は応えてくださいます。

来られる理由は人それぞれだと思いますが、真剣にお参りすることが一番大切だと、私は思っています。


https://note.com/naranotorisetu/n/nbbdebfbd278a 【吉野と三輪さん】より

古代人の感じた神秘

吉野 宮滝遺跡など行ってきました。

宮滝というと、持統天皇が生涯31回も行幸した土地と言われ、あの壬申の乱の始まりの地と言われる場所です。宮滝は別に滝があるわけではありません。

水の流れの早い様、打ち付けるように注がれるさまを「たぎつ」と呼んだことから宮滝と呼ばれるようになったそうです。そこには豊かな水量の吉野川が流れています。

水への信仰、水の神が持つ「流す」「清める」思想。

そういったものに神秘性が感じられたようです。

今では視界を遮る木々が多くなり、かつて天皇たちが見た風景はわかりにくくなっていますが、この場所には「象山」(きさやま)という山もあります。

象山は円錐形の美しい山で、すべてを清める川と、このいでたちのよろしき山が、祭祀を行うにもふさわしい神名備(神仏の魂が宿る場所)と考えられ、慕われ、大切にされてきました。

おおいなる三輪山

ところでこの吉野の神名備、象山のそばに鎮座する神社に「桜木神社」があります。

こちらの御祭神は大国主命です。

大国主命とは、私達が住む地上を豊かな国にしたという神様。

彼には複数の名前があり、そのひとつが大物主大神。

そう、日本最古の神社としてうたわれる大神神社にまつられる神様です。

持統天皇をはじめとした古代の人々が、最初に政治を行ったのは飛鳥です。

大神神社がある桜井市は、飛鳥にとても近く、飛鳥から三輪山がきれいに見え、大神神社からも飛鳥にある大和三山などがよく見えます。

お山の神聖を求めて吉野にやってきた人々は、そこでもふるさとを忘れなかった。

飛鳥から毎日拝む三輪の神様を、吉野でもまた崇めたのです。

いでたちのよろしい象山は、三輪山に見立てられたのではないでしょうか。

古代の人々が愛し、心から慕った大神神社にもお参りせねばです。

巻頭のイラストは500mlさんのものをお借りしました。ありがとうございました。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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