日本の精神性と宗教

http://spiral1204.seesaa.net/article/38228763.html 【日本の精神性と宗教(河合 隼雄, 橋本 武人, 鎌田 東二, 山折 哲雄)】より

[まとめ]

 天理大学創立80周年を記念して行われたシンポジウムを記録したもの。話し手は心理学者の河合隼雄、京都造形大学教授の鎌田東二、宗教学者の山折哲雄、天理大学学長の橋本武人。

 河合隼雄先生は「日本人の精神性と宗教」というテーマで以下のようなことを語った。日本人は日常生活と宗教性ということが非常にうまくミックスして生きている不思議な国民。ともかくまず、理由を超えた存在というものがあって、そのはたらきに対して、畏敬の念、畏れの念をもってそれを見るという態度、これが宗教性であり宗教性をどのようなかたちにもっていくかでさまざまな宗教ができるまた井筒俊彦の「意識と本質」という本より、「ここに花が存在している」というのが西洋流の言い方。花というのが人間と別にあって、花がここに存在しており、人間がここに存在しているというのは西洋の見方。これに対し、東洋的に言うと、これは「存在が花をしているのだ」となる。「存在している」というのを動詞にせずに、存在のほうを主語にするという表現になることを紹介している。このように考えると、存在に対する畏敬の念が生じる。日本の場合、これが非常に大事な、根本的な宗教としてあるのではないか。また宗教性と個人ということに関して、大事なことはキリスト教でもはじめは個性や個人などということは誰も言わなかった。何が大事かというと神が大事だった。しかし、近代になって個人を大事にしようという考え方が出てくる。しかし、キリスト教的なものはまだ残っているから、個人が生きる中にキリスト教の倫理が生きている。だから個人主義だけれど、利己主義ではない。そうすると、日本人の個人主義というものは、どういう宗教を背景に成立しうるものか。物がとても豊かになって、日本人の宗教性は脅かされるようになった。それと同じことで、日本人は個人主義ということを考え出したけれど、そのときから、いつは日本の根本的な宗教性は脅かされるようになった。個人として生きるけれど、同時にみんなとつながっていくのかということを、もっと理論化してしっかり話し合うべき。

 鎌田先生は「日本の伝承文化における宗教」というテーマで「となりのトトロ」と「千と千尋の神隠し」を例に挙げて以下のようなことを語った。「となりのトトロ」では森の「ヌシ」が出てくるが、その森の「ヌシ」は、本当に生き生きとした姿で描写される一方で、「千と千尋の神隠し」には神の本来の姿が見失われたかたちで描かれている。「となりのトトロ」から「千と千尋の神隠し」への距離こそが、戦後空間、戦後の私たちの生活の推移と伝承文化や宗教の位置を端的にあらわしている。日本の伝承文化を真面目に研究しようとしてきた学問が民俗学であり、その民俗学が対象にしてきた一番の核心は「日本人にとって神はいったい何なのか?」という問いかけだった。柳田國男は、先祖と日本人の神、つまり家と神を結びつけて考えた。折口信夫は、漂泊しつつ、共同体にパワーや幸(さちわい)や聖なる言葉を授けていく、どこかから訪れてくる神を考えた。そのような神を突き詰めていくと、妖怪やお化けやもののけとまで全部つながってくる、とはっきり見通した。平田篤胤という国学者はもののけの側に注目した。もののけの「モノ」というのはプラスにもマイナスにもはたらく霊的なエネルギーでそのモノが、人間のようなさまざまな者を媒介にして、物体世界、この物質という次元の物にまで全部連動してつながっている。これがモノの一番根幹にある考え方。日本人の伝承的な宗教文化について、自然崇拝、自然信仰、アニミズム、シャーマニズム、トーテミズムという言葉をつかって説明されてきたが、その一番根幹を見ていくと、チとか、ミとか、ヒとか、モノとか、タマとか、ヌシとか、オニとか、ミコトとか、最終的には「神」という言葉でまとめあげられていく聖なる何ものか、大いなる何ものかに対する存在感情であったり、存在感覚であったりする。そういう存在感覚の中にある精神性をもう一度再認識していくことが重要。

 山折先生のテーマは「現代日本人とその宗教心」。山折は京都に住む人々の心の底に横たわっている本当の精神性というのは、路地小路に息づいている、存在しているのではないかと述べる。京都の路地小路には小さい祠が10~20メートルおきに祀られている。京都はこの小さな祠をまつる宗教性、精神性というものと、それから、外部から入ってくるモダンな感覚を大事にしている。そういう伝統と革新というものを両立させてきた証として、京都の都市を見ることができる。日本人の精神性というのは本来、伝統墨守、伝統をただ守るというだけの生き方の上に成り立ったものではなく、絶えず外部の文明的なさまざまな要素を受け入れながら形成されてきたものだ、ということがわかってくる。日本人は我々のこの伝統的な、つまり多元的な価値観に、西洋的で近代的な価値観を重ね合わせて、その両者にうまく折り合いをつけながら、調和させて生きてきたのではないか。また、山折がはじめてイスラエルに旅をしたときのこと。ヨルダン川を南下してエルサレムに入ったが、行けども行けども、砂漠、砂漠の風土だった。そのとき思ったのが、地上には何も頼るべきものが存在しない。とすれば、天上の彼方に唯一の価値あるものを想定する以外になかった。一神教的な宗教が成立する重要な背景に、まさにあのような風土が、砂漠的な地勢があったのではないかと述べるている。そういうことを考えると、日本人の自然に対する感覚、信仰のあり方、精神性のあり方というのは、基本的に、自然のなにものかに、目に見えない神々の気配を感ずる、そういう共感の構造にもとづいていたのではないか。

[感想]

 あれ?橋本って人のは?って思うかもしれませんが、天理大学の学長さんらしく天理教という立場から色々と語っている。しかし天理教の教義や用語が色々と出てくるのでまとめでは割愛させてもらう。正直に言って、前の3人に比べて言っていることがいまちピンとこなかった。

 河合隼雄が話してくれた、「存在が花をしているのだ」。非常に面白い考え方。「意識と本質」っていう本を読んでみようかな。

 また鎌田先生の「千と千尋の神隠し」の話。あの映画を見たのは高校2年生のときだったかな。もう、本当に面白くなくて(笑)。このような意味合いのことがまだ当時はわかっていなかったのだろう。今見たらきっと当時とは違った見方ができるかな。そうすると、やはり宮崎駿ってすごいんだな、とか思ったりするわけで。

 山折先生の一神教的な宗教が生まれた地勢的条件の考えも非常に興味深かった。

 なかなか、面白い本でした。


https://book.asahi.com/article/14222022 【宗教学者・鎌田東二さん「ケアの時代」インタビュー 「負の感情」に向きあうには】より

「フリーランス神主」でもある鎌田東二さん。比叡山の山裾にある自宅で、毎朝ほら貝などを奉奏するのが日課という=京都市左京区

宗教や芸能の「精神遺産」生かそう

 度重なる自然災害に、終わりの見えないコロナ禍。突如として人生を襲う苦しみに、人はどう向きあえばいいのだろうか? 宗教学者の鎌田東二さん(69)=上智大学大学院特任教授=の新著『ケアの時代 「負の感情」とのつき合い方』(淡交社)=写真=は、宗教や芸能といった「人類の精神遺産」にその手がかりを求めた論考集だ。

 徳島県で育った鎌田さん。中学3年のある朝起きると突然、父親が亡くなったことを知らされたという。交通事故だった。大学生の時には、集中豪雨によって徳島の実家が土砂崩れで倒壊した。「家もない、お金もない。どうしようと」

 なぜ自分がこんな目に遭わなければいけないのか、どうして失ったものを元に戻せないのか――。

 「痛み、怒り、悲しみ。人間ははるか昔から、自分ではどうすることもできない、こうした『負の感情』を抱えてきました。その感情を解放して、ケアする方法として、宗教や芸能が生まれたとも言えます」

 神道、仏教、キリスト教といった東西の宗教や、能などの芸能は、苦難に立ち向かってきた人間の知恵を総ざらいした「人類全体の精神遺産」だという。「いまの時代にも、その知恵は生かせるはずです」

 キリスト教では、『新約聖書』が伝えるイエスの言葉「悔い改めよ」に着目する。道徳的に間違った行いを反省せよという意味にもとれるが、「それまでの価値観の枠組みを取り外して、根本的なものの見方を改めよということです」。

 逆境の中にいる自分を「別のレンズ」で見つめ直すことで「苦悩を苦悩として感じる『私』から離れてみる視点が得られます」。

 キリスト教に限らず、仏教などにもみられるという、ものの見方を根本的に転換する知恵。必ずしも信仰によらず、苦難をきっかけにして、自らその境地にたどり着く人もいる。

 鎌田さんがその実例として挙げるのが、熊本県の漁師、緒方正人さん。水俣病で父親を亡くし、自身も病に苦しみながら補償交渉の先頭に立った。だが、自らも近代化の恩恵にあずかり、自然を損なって暮らしていることに激しく葛藤するように。やがて「(水俣病の原因企業である)チッソは私であった」と語り、自然と人間の関係を結び直す運動に携わった人物だ。

 鎌田さんは「痛みの経験が、人間の深みや広がりを生むことがあります。こうした『負の感情の浄化』を促す働きが宗教や芸能にはあったからこそ、人類史の中で重要な位置を占めてきたのだと思います」。

 鎌田さんの語る宗教や精神世界は、いわゆる「スピリチュアル」と呼ばれる一部の言説のように、すぐに「説明」や「答え」を与えてくれるものではない。人それぞれに異なる苦しみを何とかくぐり抜けて、その人ならではの新たな境地にたどり着くための手がかりを示すもののようだ。

 「歴史を振り返れば、まったく新しいものを生み出した芸術家や起業家たちの多くが、苦難をくぐり抜けています。いまの苦しみからも、新しい光明となる知恵がきっと生まれるはずです」(上原佳久)=朝日新聞2021年2月24日掲載

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