https://note.com/goes/n/n5f5e92772784 【『世界文学と俳句』より】より
「俳句四季」<忙中閑談>2018年9月号及び「形象」 2018年8月号に掲載された
形象主幹 高岡修先生の『世界文学と俳句』を紹介させて頂きます。
先ず、私が所属している俳句誌「形象」の理念は、俳句は強靭なる詩である
単一とは主観の浄化である 吉岡禅寺洞
『形象』は、吉岡禅寺洞の命名により、昭和三十年、前原東作・前原誠兄弟によって創刊された現代俳句誌です。現代に生きている強い思いを、現代の言葉で、現代の詩として表現することを目的とします。有季定型をそのまま否定するものではありませんが、それを絶対条件とするものでもありません。古い感情から脱却し、慣習にとらわれず、強靭なる詩としての俳句文学の確立を理想とします。そのためにひろく全国に同志を求めます。 ジャプラン「形象」より
私は高岡修先生に出会うまで文学にほとんど興味が無く、俳句も学校の授業で教わったほどしか知りませんでした。日記を始めても2日しか続かないくらい文章を書くのが苦手だったのですが、上記の形象の理念に強く胸を打たれ、5-7-5の17文字だったら自分でもできるかもしれないと思い、現代俳句を始めました。
『世界文学と俳句』より
<世界文学>という言葉を初めて用いたのは、晩年のゲーテであったそうです。彼は国民文学も世界文学の対立物として存在を認め、国民文学の存在意義を確立し深化させると同時に、時代や民族の制約から逸脱し超国民文学としての世界文学の理念が生れるとしたのだそうです。高岡先生は、日本語以外の言語でも俳句を屹立することは可能だと考えます。文学形式としての俳句の「存在意義」とは何かというと、「世界における一番短い詩」という在りようがもっとも重要であり、世界を極少の言語で表現する、そこにこそ俳句の真の詩精神と醍醐味があり、世界の表現史上にあっても革命的なことであったのだと。最短詩型としての俳句文学を確立するために必要とした技法が、切れ(切れ字ではない)であり、余白の創出であり、鮮烈な視覚イメージの創造であったそうです。すでに海外でも<世界俳句>という概念が生まれ、"HAIKU"という言葉が使われている今日。有季定型を否定するわけではありませんが、「時代や民族の制約から」脱した現代的な何かを付加しない限り、世界文学としての俳句は屹立しない、と高岡先生は考えられます。
私も、季節にとらわれず、それを超え、現代を生きている強い思いを残していけたら幸いです。人の俳句を体感するというのも素晴らしい経験ですが、自分で一句をひねってみるというのは、また違う世界が広がってきます。
だいたい5-7-5文字で、季語があってもなくても、自由に俳句を創る人が増えると嬉しく思います。
秋天を現在(いま)も昏れ残るツインタワー
ツインタワー・・・ニューヨークのワールドトレードセンターのことです。
https://wendy-net.com/mswendy/backnumber/ms200405/ 【俳句は世界一短い文学。ことばを通して、この世界の豊かさに出会えるんです】より
黛 まどかさん/俳人 神奈川県湯河原町出身。
都市銀行勤務時代、俳人杉田久女の生涯に触れはじめて俳句の世界に魅了される。
1994年、『B面の夏』にまとめた50句によって第40回の角川俳句奨励賞を受賞。
同年、女性だけの俳句結社『東京ヘップバーン』を結成、「月刊ヘップバーン」を創刊し現在まで85号を数えるまでになった。
1999年の夏には北スペインのサンチャゴ巡礼道900kmを48日間で歩きとおし、毎夜したためた作品が『星の旅人』として結実。
2001~2002年には韓国の釜山からソウルを踏破し、「吟行」という伝統の様式を現代的なスタイルで甦らせた。
同2年『京都の恋』で第2回山本健吉文学賞を受賞。その表現世界を深める一方、本年2月には『心に残る手紙の書き方』(集英社)を上梓したのをはじめ、改めて日本語の美しさと楽しさを教えてくれる仕事も注目を集めている。
毎日のくり返しに疑問を持ったころ、俳句に出会った
私が俳句に興味を抱いたのは、ほんの小さな偶然がきっかけでした。確かお勤めの帰りに本屋さんに立ち寄って、平積みになっていたある本を手に取ったんです。田辺聖子さんが書かれた杉田久女という俳人の評伝小説です。
ふだんは本屋さんに通うタイプでもないし、『小公女』も読まずに大人になった映像世代です。なにせピンクレディーは今も全曲振り付けを憶えているぐらい(笑)。そんな私がはじめに関心を持ったのは彼女の波乱万丈の境涯でしたが、読み進んでいくうちに、こうして人ひとりの生き方まで変えてしまった俳句というものは、いったいどんなものなんだろう、と思うようになったんです。俳句というこの世界でいちばん短い文学のどこにそんな力があるんだろうと。
ときに一遍の小説にも匹敵するものを、俳句はたった17音で言い仰せてしまう。こんなにすごいものがごく身近にあったことに改めて気付いたんですね。学校でもやったはずなんですけど古典のお勉強という感じで終わってしまって、あれはお年寄りがやるもので自分とは縁のない遠い世界のことだと勝手に思い込んでいましたから。
当時私は銀行に勤めていて、同じ毎日の繰り返しに少し疑問を持ちはじめていたころでした。8時に入って5時に終る、同じことの繰り返し。いずれこの中の誰かと結婚して子どもができ、孫ができてこのまま一生が終ってしまうのかしら、なんて考え込んで…。
自分がそんなころでしたから、彼女の生き方にすごく引かれたんだと思います。明日が見え透いてしまう苛立ちというか、それなら明日の見えない不安のほうがいいやと思って、結局、会社も辞めることになりました。
俳句賞を受賞 俳句のステージが広がっていく
職業俳人というか、「表現」が仕事になったのは、94年に角川俳句奨励賞をいただいたのが大きなきっかけですね。何十年も俳句を続けてこられた方々に贈られるような賞をいただいて、句集『B面の夏』を出版できたのは本当に幸運でした。それまでは家事を手伝わない家事手伝いのような身分で俳句を詠んでいたんですが(笑)、そこから暮らしも突然変わりましたね。
今は「月刊ヘップバーン」という俳句誌を作っています。それを表現の基盤にしながらほかにもいろんなことばの仕事をいただくようになりました。たとえばお酒やお菓子のパッケージに俳句を入れたり、コマーシャルのキャッチコピーのように俳句が使われたりすることも多い。今まで俳句が存在しえなかったような場所に、俳句が入っていくのを実感しています。
表現したいのに表現の仕方がわからない時代
思いがけない仕事もあるんですよ。今年のお正月にはテレビ番組で箱根駅伝を観戦しながらライブで俳句を詠みました。
面白かったですよ。俳句でエールを贈ろうということで、一般の方からも募集したんです。そうしたら電話やファクスが予想できないほど殺到して、回線がパンク状態。3000句を数えたあたりで受けきれなくなったんです。俳句の裾野の広さを改めて感じましたね。
みなさん何かを表現したいという気持ちはあるんですね。こういう情報化社会に生きていて、情報を受け取ることは多いんだけれど、自分から表現する方法がわからない。そこに俳句という出し方を提示してあげると、そうそう、俳句っていうのがあったね、と思う。とても身近でしかも日本固有のものを忘れていたことに気付くんです。
俳句は大衆の文学なんです。子どもでもお年寄りでも、年齢に関係なく誰でも詠むことができる。たとえ病気であってもできるわけですから。
俳句を軽やかにするために「東京ヘップバーン」結成
お仕事で出会った人たちと、東京ヘップバーンという句会を作ったのは10年前です。日本には今1000以上の俳句結社があるんですけれど、私もそれまで「河」という俳句結社にいました。私より後輩は入ってこなかったんですよ。最初は私も出席するのが怖かったぐらい。
難しい漢字だらけで読めずにとなりの方に聞いたりしたこともありましたね。それでも俳句というのは句会に出ないとだめなんですね。表現が磨かれません。俳句は、句会の座談のなかで磨かれていく“座の文芸”ですから。文語の美しさや、季語の豊かさなどにここで出会いました。やはり自分ひとりでやっていても、表現は広くもならないし深まりもしないものなんです。
ただそうした経験があったので、私の会はもっと敷居の低いものにしようと思ったんです。「ヘップバーン」という名前は、もちろん彼女のスリムで軽やかなイメージからいただいたものです。
知るより感じ、思うために歩きはじめた
俳句は古典文学であり解釈の対象だと思われがちですよね。でも解釈ばかりを重んじるのは危険なことだと思いますね。大切なのは文献として解釈することではなく、実作者の感動に触れることだと思う。知っているということより、どう感じ、どう思うかということだと私は思うんです。たとえば松尾芭蕉のたどった道を自分の脚で歩いて、小石につまづいてみて初めてわかることもある。詩歌を詠みに歩くのが「吟行」ですが、それが、私が歩きはじめた理由です。
スペインの「サンチャゴ巡礼道」を歩いたのは99年です。約900kmの道のりを48日間かけて歩きました。パウロ・コエーリョの書いた『星の巡礼』という小説を読んだのがきっかけです。判断力は弱いかもしれないけど、私は決断力だけはある人間なんですね(笑)。
予定というものが立たない旅
実は旅の計画表を作ってもらって、ゴールの日付けまで決まっていたんです。ところがはじめから道をまちがえた。1200年前の道が、舗装もされずそのまま残っているんです。足にマメができて、ピレネー越えの1週間はとてもつらい思いをしました。こうした旅では予定というものが立たないんですね。
彼の小説に出てくるような羊飼いの少年が本当にいるんですよ。途中、日がな1日、見渡すかぎりの麦畑のなかを歩くこともありました。出発した5月にはまだ青かった麦畑が、終点に着くころには麦秋に変わっていました。
小説では奇跡が起るけれど、私の旅で奇跡やドラマティックなできごとは何も起らない。巡礼者たちは後からくる者のための目印に、黄色い矢印をつけていくんです。それは立て札だったり、オリーブの樹に黄色いリボンが結んであったり、道ばたの石に記してあることもあるんです。
それを目印にゴールを目指してみんなが一心に歩いていく。1歩また1歩とゴールに近づいて、終点のカテドラルに着くと、もう私たちを導いてきたその黄色い矢印が、もうその先にはひとつもないわけです。それはあまりに日常的な光景だけれど、それが自分のなかで受け止めきれない。
人が生まれ変わる巡礼の旅を48句に詠んだ
そこから西へ90kmほど先にフィニステーリャ(地の果て)という街が、大西洋に面した断崖絶壁の上にあるんですが、そこで身に付けてきた靴や杖、服を焼いて海へ投げ入れるんです。日常になった旅とそこで決別して、自分が再び生まれ変わる。再生を促すということなんですね。
そこで、旅の途中で知り合ったあるスペイン女性と再会しました。彼女がそれこそ歯ブラシまで焼く姿を見て、この巡礼の旅には何か深い理由があって、何かと決別したいんだなということが私にもわかりました。
それから先は、自分で黄色い矢印を見つけていかなくてはいけないということです。この旅を終えて何か人生観が変わったとか、そういうことはありませんでしたけど、後になって思うと、その何もない旅のなかに、実はすべてがあったような気がしますね。
この旅では48句を詠みました。それが自分で決めた締め切りでしたから。
「もののあはれ」を置き忘れてきた
日本語は自然や季節のうつろいにとても敏感なことばですよね。たとえば桜のころの雨を「花の雨」という。そのことばを通して雨を見る気持ち、景色そのものが変わってきます。若葉の時期の強い風を青嵐といいますが、ブローした髪が乱れる、とは思わない。ことばを通して豊かさに出会う、ということは、俳句をはじめたみなさんがよくおっしゃることです。
日本のことばの美しさ、ことに名詞の豊富さには特筆すべきものがあります。「わたくし雨」は部分的に降る雨のことですが、私が好きなことばのひとつですね。
俳句に限らず、日本固有のもの、「もののあはれ」の心が見直されていますよね。足もとにこんなにすばらしいものがあるんだと。国際化の一方で、私たちはちょっと自国のことを置き忘れてきたんですね。
文語を守りつつもこの時代を詠んでいきたい
新しい季語の提案もしますよ。第九、ホカロン、ボジョレー、冷し中華や補湿、UVカット、なんていうのも季語になりますね。第1歩目は自由に、第2歩目は慎重に。一時の流行とともに消えて残らないことばも多い時代ですからね。
芭蕉だって新しい季語を作ろうとしているんですよ。実はどの時代にも、新しい季語はあるものなんです。
私の句帳は横書きです。携帯電話を使って、全国でいっせいに「吟行」しようなんていうこともやりました。携帯電話用に短冊型の画面を作ろう、なんていうアイデアもあるんですよ。
私は有季(季語)、定形、文語を守りつつも、今この時代と向き合って、日々起る偶然を描いていきたいんです。古い器に新しいお酒を注ぐ、そんなスタイルの俳句を詠んでいきたいですね。
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I025508193 【日本の俳句はなぜ世界文学なのか】より
資料詳細
内容細目:
日本の短詩型文学の魅力 / ドナルド・キーン 述
ドナルド・キーン先生による俳句解読の魅力 / ツベタナ・クリステワ 述
(提供元: 国立国会図書館蔵書)
要約等:
「目で聞く、耳で見る―」短詩型文学の魅力を存分に語る。俳句や短歌は二千年前から日本人は使っていて、日本の誇るべきことである。
(提供元: 出版情報登録センター(JPRO))
著者紹介:
ドナルド・キーン 1922年ニューヨーク生まれ。コロンビア大学名誉教授。日本文学研究者、文芸評論家。2011年3月の東日本大震災後に日本永住・日本国籍取得を決意し、翌年3月に日本国籍を取得。主な著書に『百代の過客』『日本文学の歴史』(全十八巻)『明治天皇』『正岡子規』『ドナルド・キーン著作集』(全十五巻)など。また、古典の『徒然草』や『奥の細道』、近松門左衛門から現代作家の三島由紀夫や安部公房などの著作まで英訳書も多数。
ツベタナ・クリステワ 1954年ブルガリアのソフィア生まれ。国際基督教大学日本文学教授。モスクワ大学アジア・アフリカ研究所日本文学科卒業。ソフィア大学東洋語教授、中京女子大学教授等を歴任。著書に『涙の詩学――王朝文化の詩的言語』(名古屋大学出版会)『心づくしの日本語――和歌でよむ古代の思考』(ちくま新書)、1981年『とはずがたり』を、1985年『枕草子』をブルガリア語に翻訳。
(提供元: 出版情報登録センター(JPRO))
0コメント