Faceboook新田 修功さん投稿記事
「僕は、死なない」を読んで……、泣きました😭📖読書セラピー「賢者の一言」刀根 健
「私は人生は、基本的に遊びだと思っています。
私たちは一生分のパスポートを持って、様々な感情体験というアトラクションに乗るために、この地球というテーマパークに遊びに来たと考えてみるとどうでしょう?
すると、地球で体験するどんな困難や試練やトラブルも問題ではなく、私たちの愛を成長させるための課題、挑戦、冒険なのかもしれません。
ここに遊びに来ると決めたのは、自分です」
「僕は、死なない」 より
………………………………✨✨✨
精神世界のレジェンド、山川 紘矢先生が推薦されていたご本を読了しました📖💕
ステージ4の肺癌から、全身に転移して、死の縁を彷徨って、そこから奇跡的に生還した著者の体験談です。
死と直面して、はじめてわかる生きていることの奇跡……。
愛の大切さ……。
そして、古今東西の賢者たちが説いてきた、明け渡し(サレンダー)という、大いなる存在に身を任せる生き方……。
人生で大切なことを、本からの知識や、他人からの受け売りでなく、実際に体験された著者の言葉に感動の涙を流しました。
生かされていることへの感謝の気持ちが溢れ出る素晴らしいご本です🙏📖
今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕
Facebook田中 宏明さん投稿記事
もしあなたが死が全く怖くないとしたら もう生きている 必要はないのかもしれません^ ^
死が存在しない人にとって生もまた存在しないからです
人はなぜ生きるのかという問いに対して たくさんの答えが あると思います
どうでしょう^ ^あなたならなんと答えますか?
僕ならこうきっと答えると思います「よりよく死ぬため」
そんな僕にとって「今日は死ぬのにもってこいの日」というこの言葉はまさに自分自身のテーマでもあります^ ^
「生きろ」と謳う映画や物語はたくさんありますが 僕は生きることだけを重要視する風潮に
ずっと疑問がありました
いつも「死」は 見えない場所に隠されてまるで人は死なないような錯覚を感じさせるからです 死が見えなくなると 生も見えなくなります
今回のテーマはネイティブ・アメリカンの詩集からもらいました
その詩の一節にはこう書かれています
生きている全てのものが わたしと呼吸を合わせている 全ての声がわたしの中で
合唱している 全ての美がわたしの目の中で 休もうとしてやって来た
あらゆる悪い考えは わたしから立ち去っていった 今日は死ぬのにもってこいの日だ
宇宙や万物との調和という 生における最大の祝福は死に対する最大の祝福でもあるのだと言っているように感じました
満ちたりた日こそ死ぬのにふさわしい日なのだというこの大きな眼差しの中にこそ命に対する深い愛と信頼を感じます
死にたくないのは生き物の本能ですでも愛と信頼はその怖れの中でしか見出すことは出来ない
のだと思います
怖れは愛を知るためにあるとしたらやはり全ては愛なのかもしれません^ ^
だから常にどんな瞬間も宇宙は愛で満たされているんでしょうね😊「宙の愛」
今回のラコリーヌテアトルのテーマです✨🌈😆
お暇な方はまた異星人トリオにお付き合いくださいませ🌈
きっと途中から笑い話ししかしなくなりますが(笑)みんなで笑顔をシェアしましょう^ ^
ではまた😆らぶ💓
死と再生は一つ 命の営みそのものは死と再生の繰り返しです。和多志たちは 動物の命を食することで 罪責感を煽られますが それは人間の死への恐怖の投影現象と言えるのではないでしょうか?
愛犬らんは 年老いて 自分の力で二階に上がれなくなってからはそれまで恐れていたものに対し 何一つ動じなくなりました。
命は命の循環によって支えられます。肉体の死を白装束で祝う文化も 喪服で嘆く文化も存在します。聖書には一粒の麦が死ぬことにより 千倍、万倍の麦の命を結ぶ譬え話があります。
同じく聖書の創造物語では 人間が 動物、植物を(感謝を持って)食することは 祝福されています。
また命は循環することで 進化の過程をたどります。動物が死を恐るとは 人間の勝手な感情移入かもしれません。
そのうえ「奇跡の脳」の著者ジル・ボルト・ティラーさん(左脳出血から立ち直った 神経細胞学者)は 左脳が鎮まるとき「人生の思い出から切り離され、神の恵みのような感覚に浸り、心が和んでいきました。」「意識は悟りの感覚、あるいは意識と融合して『ひとつになる』ところまで高まっていきました。」「心地よいのです。」と語ります。
人間は左脳に後悔や、思い残すことがなければ 安らかな死を迎えうるとも言えます。
思い残すことがないとは「人生でやりたいと願ったことが完了した」あるいは「自分を必要としているものが居ない」、「別れを嘆くものがいない」ことかもしれません。あるいは人生に飽き飽きしていることかもしれません。
いずれにしても 生と死はセットであり 死が前提の(他の死によって支えられる)命の歩みを感謝を持って歩みたいと願います。
修道院では「メメントモリ(死を覚えよ)」が挨拶だと言われます。
震災の痛みが死の痛みを余りにもリアルに感じさせます。死を覚えることは生を問うこととも言えます。
Facebook川原 茂雄さん投稿記事
明日死んでもいいための44のレッスン(下重曉子著)という本の広告に載っていたものです。すべてではありませんが、ほとんどの項目に「そうだなあ」と思いました。身近な人や知っている方の死が続いていたこともあって、このところ自分自身の死についても考えるようになっています。自分が死ぬ前に何を捨てておくのか、何を残しておくのか、何をやっておくのか、そんなことを考えています。(かわ)
1毎朝、ベッドの中でその日やることを決める 2一日一日、やるべきことをやる
3常に身ぎれいにしておく 4死に装束を決めておく 5睡眠は毎日たっぷりとる
6会いたい人には会っておく 7新聞の訃報欄を見る 8いいわけをしない
9本来の自分の名前にもどす 10うまいものを食う 11お気に入りの食器を使いたおす
12お金は残さず、使い切る 13遺産相続は生前に決めておく
14明日死ぬかもしれないからこそ、今日を楽しむ 15本当に好きなものに囲まれる
16定期的に山にこもって自然に返る 17心を遊ばせるために散歩する
18社会や政治に対し、意見をきちんと表明する 19謝るべき人には、今日連絡する
20人に期待せず、自分に期待する 21自死を頭から否定しない 22恩師を心から敬う
23自分の死のイメージをつくる(1) 24自分の死のイメージをつくる(2)
25死ぬ時が一番個性的になる 26自分をまるごと愛する 27慌てない平常心を保つ 28ストレスを溜めない 29自分を証明するものを持ち歩く 30時世の句をつくる
31何気ない日常の大切さを知る 32必要とされる幸せを味わう
33自分の死を知らせる連絡リストを作る 34尊厳死について意思を残す
35感謝の気持ちを持ち続ける 36進んで喜ばれることをする
37「もう年だから」といわない 38ユーモアを忘れない 39若い友達を持つ
40体を元気に保つ 41完璧主義をやめる 42仏壇に毎朝手を合わせる
43自己表現を最期までする 44死ぬ時は死ぬがよろし
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