清濁併せ呑む

http://azuchi.cocolog-nifty.com/catalog/2013/05/post-0c4b.html 【No. 185 明治維新前夜の岩倉メモ】より

20134_3 大姦物と言われた岩倉具視は文久2年(1862)8月、和宮降嫁問題に絡み辞官落飾で洛外追放処分となり、居を移しながら洛北の岩倉村に蟄居を余儀なくされました。雌伏5年余、慶応3年(1867)12月8日岩倉は赦免され、翌日参内して一挙に王政復古を奏上。これをうけて天皇(明治帝)は「王政復古の大号令」を発しました。まさにクーデター。岩倉は蟄居中、人脈を駆使して周到な準備をしていたのでした。

 上掲図版の文書は、慶喜の大政奉還(慶応3年10月14日)から王政復古に至る間に記されたと思われる岩倉のメモ。前文13項は、岩倉の腹心であった香川敬三の筆記、末2項は岩倉自筆。                                   

「一 神后今世ヲ知ロシメシタランニハ 一 信長豊公家康等今世ニ生レシメハ云々 一 自守遠略狂直云々 一 皇国弾丸黒子ミ地云々 一 文草野ノ臣ニ奪ハレ武ハ自ラスツ 一 文章明経両博士学院ノコト 一 天下ニ令ノコト 一 薩長私ニ外親ヲスルコト 一 覇府ノ論ノコト取捨 一 黄門光圀ノコト 一 一人ヲ欠時ハ一人ノヨハミ 一 今世外夷豪傑ノコト 一 眩惑セサルヨフ心酔致サラ様二ツノモノ一大事ノコト」

 この文書には、「前文十五行ハ小林彦次郎(香川敬三)氏ノ筆ニシテ 後文三行ハ岩公之真筆也」の紙片が貼り付けられています。「眩惑」の上に「元悪」の文字が取り消されていることから、前文は岩倉の口述を香川が筆記したことが解ります。

 神功皇后が今の世を知ったら如何に思うか。信長、秀吉、家康が今の世に居たら。自守し、遠大な謀で世直し。(幕府は)机上で政治を行う臣に任せ、武力を失ってしまった。学府創立、教育が重要。王政復古の大号令。薩長はふたごころのないように。大坂、江戸遷都のこと、取捨。光圀の尊王思想(あるいは慶喜のことか)。盟友の一人が欠けても揺るぎ無く遂行。今の世、外国の武力は絶大だ。一つのことに惑わされないよう、また心を奪われないよう、これは大事なことだ。

 岩倉自筆の2項はなお重要。「一 公卿婦女子ノ事」。これは、王政を確立する上で、天皇の取り巻き公卿(平安藤原氏以来の摂関制の廃止)・女官の切り捨て、遷都をもって振り払う、の意か。

 最後の項は、「草莽志士頻リ鼓舞セラレ亦頻リニ賊徒トシ褒貶ノ事」。脱藩浪人あるいは下級武士の志士は、しばしば奮い起こさせて上手く使うことも肝要だが、必要が無くなれば逆徒として処罰、煽てと切り捨てのこと。これは龍馬の顔が浮かびます。今一度このメモの記された期間を見直すと、10月14日から龍馬・中岡暗殺の11月15日の間の覚書である可能性が出てきます。

 岩倉具視(1825~83)は、下級公卿堀河家の次男として生まれ、朝廷儒学者伏原宣明に才を見出されて岩倉具慶の養子となり、まもなく元服して昇殿を許されるようになりました。29歳のとき歌道の師と仰いで関白鷹司政通に近づき、学習院を創設して公卿の子弟教育を図って、有能な人材を登用する旨の朝廷改革に関する意見書を提出。それが評価され、孝明天皇の近習となりました。

 岩倉の根幹思想は一貫していました。日米和親条約調印の勅許を求めて老中堀田正睦が上洛したとき、反対して廷臣八十八卿列参を行い、「神州万歳堅策」を奏上しました。これは、条約には反対。条約拒否のときの防衛・財政政策、単純攘夷は否定。相手を知るために海外使節の派遣。米国との交流の可能性。国内防衛の為徳川は改易しないと伝え心服させる。というもの。つまり、武力を強化して独立を守り、世界における日本の位置を把握する。アジアにおける米国の海外政策も知っていたのでしょう。

 蟄居中岩倉は、朝廷上層や旧知の小松・大久保宛に盛んに意見書を認めました。また、岩倉の国を思う情念に吸い寄せられた松尾、藤井、三宮、大橋(土佐)らを通じて水戸藩の香川、王政復古勅の草案や錦旗のデザインを手掛けた玉松操らが集まり、岩倉ブレーンが形成され、更に、西郷、中岡、坂本と広がり、最終的には、シンパの中山忠能、正親町三条実愛、三条実美、大久保、西郷、木戸らと新政府を作ったのでした。岩倉には目的の為には、清濁併せ呑む度量があったのでしょう。


Facebook向後 善之さん投稿記事

「河合隼雄の幸福論」 河合隼雄 著 PHP研究所

この本は、1998年に刊行された「しあわせ眼鏡」を復刊したものです。「幸福論」というタイトルですが、「これこそが幸福だ!」と大上段に構えて断定するよくあるノウハウ本とは違います。河合さんが出会った様々な人たちからインスパイアされたことを、あーでもないこーでもないと考えていく本です。

それにしても、河合さんはいろんな人に会い、いろんな本を読んでおられます。会った人は、井上ひさしさん(劇作家)、安藤忠雄さん(建築家)、中村桂子さん(生命科学者)、小林修三さん(国立民俗学博物館教授)、村田校長先生(桂坂小学校)、フルートの先生など。紹介された本は、「モモ(ミヒャエル・エンデ著)」、「大草原の小さな家(ローラインガルス・ワイルダー著)」、「子ども産みます(林寛子著)」、「おかあさん(シャーロット・ゾロトウ文、アニタ・ローベル絵)」、「白洲正子自伝」、「見えない暗闇(山田太一著)」、「台所のマリアさま(ルーマー・ゴッデン著)」、「学び その死と再生(佐藤学)」、「ボクシングに賭ける(脇浜義明著)」、「わが娘を愛せなかった大統領へ(パティ・デイビス著)」、「生きにくいこどもたち カウンセリング日誌から(岩宮恵子著)」、「旅する巨人(佐野眞一著)」、「家族と性(大庭みな子著)」、「わたしを束ねないで(新川和江著)」。

人物も本も、実にバラエティに富んでいます。しかも、心理の専門家もあまりいないし、心理関係の本もほとんどないんですね。河合さんは、理論から入るというよりは、好奇心旺盛なフィールドワークの人だったのかもしれないなと思いました。

この本の中で根底に流れているのは、今言われている「幸福」が本当に幸福なのか?ということだと思います。

例えば、

「人間にとって「生涯学習」ということは不可欠のことだ。しかしそれは別に幸福になるためにしているのではない。(p.162)」

「幸福ということを第一にして、幸福になろうと努力すると、かえって失敗してしまうことが多いのではなかろうか。(p.162)」

「成功したり失敗したりを繰り返しつつ生きるのが人生ではなかろうか。幸福というのはそれにつきまとっている一種の副産物と考えておく方がいいだろう。(p.164)」

探すのをやめたとき、見つかることもよくある話で、フフッフ〜てな感じですね。

また、河合さんは、幸福はその背景に様々な感情があると言います。この発想は、河合さんが熱心に習われていたフルートが、メロディーを奏でることはできても和音を出すことはできないというところから生まれました。和音を出せなくても和音を意識しながらフルートを吹くといい音が出るとのことです。

河合さんは、「音のない音に耳を傾ける態度が、他人を深く理解するのには必要であると思われる。(p.190)」と言います。

そして、この本は、次の文章で締めくくられています。

「幸福の絶頂にあるようなときでも、それに対して深い悲しみ、という支えがなかったら、それは浅薄なものになってしまう。幸福だけ、ということはない。もちろん、フルートの音しか一般の人には聞こえないのだが、それがよい音色であるためには、音のない音がそれを支えているように、幸福というものも、たとえ他人にはそれだけしか見えないにしても、それが厚みをもつためには、悲しみによって支えられていなくてはならない。(p.191)」

吉福伸逸さんも「悲しみの共同体」という考え方で、似たようなことを語っていました。一時期、河合さんと吉福さんは一緒にトランスパーソナル心理学の国際大会を主催したこともありますから、この辺りのことは、お二人で語り合ったのかもしれませんね。


Facebookごとう 孝二さん投稿記事「幸せは今ここにある」

目の前に1枚の紙があります。あなたが紙の片面を「こちらが表」と定義するとき、

同時に「裏」が生まれます。あなたが「生」まれたとき、同時に「死」が生まれました。

あなたが何かを「美しい」と思ったとき、同時に「醜い」ものも頭の中に生まれました。

もし世界に「男性」がいなければ、自分が「女性」だとはわからない。

「善-悪」「強-弱」「左脳-右脳」「勝-負」「高-低」「出逢い-別れ」…それらは別々のものではなく、すべてワンセットであり、 互いに支えあっている。

凍える寒さを経験した人は、日差しの暖かさを知っていて病気を経験した人は、健康への感謝を知っていて飢えを経験した人は、一膳のご飯の美味しさを知っていて孤独を経験した人は、絆の大切さを知っていて絶望を経験した者は、希望のありがたみをよく知っている。

でも自分の弱さを認められない人は、他人の弱さを受け入れることもできず

自分の弱さがわからなければ、自分の強さにも気づくことができないのです。

光が美しく輝くことを支えているのは「闇」であり、光が存在できるのは、闇がそこに在るからです。あなたの光の部分を引き出すために、まず闇の部分を認めてみてください。

これは、闇を好きになれ、という意味ではありません。

好きになるのと、存在を認めるのとでは、まったく違う。

長所(光)と短所(闇)、両方あるからこそ、自分なんだと認めてあげること。

自分のダメなところ、カッコ悪いところは、素直に認めればいい。

そうやってプラスもマイナスも両方を受け入れ、それでよいのだと自分を許してあげると

心の余裕が生まれる。

心に余裕が生まれると、そのマイナスの欠点から魅力的な人間力がにじみ出てくる。

そうなれば、人はどんどん、活き活きと輝いてくるんだよ。幸せはいつも今ここにあるより。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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