http://ni-nin.com/modules/?p=963 【『終の住処』】より
芥川賞受賞作品『終の住処』磯崎憲一郎著は久し振りに面白かった。内容はよくある家庭生活・妻との不和・女性関係・職場生活の積み重ねだが、読ませる文章である。いつでもいつでも、自分が不本意な状況に置かれてしまうことへの不安や探求する心が、スリラーのように先へ先へと読み手を誘う。
原稿用紙にして何枚くらいなのか。とにかく短編であるが、結婚から子供を育てて中年になるまでの年月が、実にゆるやかに過ぎてゆくのだ。その月日の中で自分の存在感の不条理に立ち向かうことに終始している。
人は自分が自分の思うようには相手に映らないものである。それが自分の枷のようにも感じられるものだが、その誤解をひとりひとりへ弁明したり解説したりするわけにもいかない。そのために、ますます生きていることへの居心地の悪さが募るのである。書く原動力はそこにあるのではないかとさえ思うことがある。
この小説では、そのいちばんの居心地の悪さは妻へ向いている。それが、この小説の大きなウエイトを占めているのだ。妻の存在とは、その素っ気無さ、その冷たさ、その無表情さに、あれこれと想念を描く作者がいる。書くという事は、他人に不本意に投影をしている自分の心を落ち着かせるために書くのではないかと思うときがある。それは、この小説にもいえるのだ。
俳句もそうだが、同じ場面も角度によっていろいろな表情になる。そのかすかなずれを見せる描写が魅力的だ。この小説の直後に直木賞の「鷺と雪」を読み始めているが、はじめから味の抜けたスルメを噛んでいるみたいな気がするのは、その表現方法の違いかもしれない。
http://www.haiku-matsuyama.jp/dogo/261/ 【一草庵(種田山頭火終の住処)】より
昭和14年9月27日未明、広島から海路松山に上陸した。尻からげの着物に地下足袋、母の位牌を入れた風呂敷包みを背負い、さんや袋を首から吊るし、腰にタオル一枚の姿であった。念願の野村朱燐洞の墓参を済ませた山頭火は、10月6日、四国遍路に旅立つ。
この間、松山に安住の地を求める山頭火に、大山澄太の知人、高橋一洵、藤岡政一らの奔走により、望みどおりの草庵が見つかった。のちに大山澄太の提案で「一草庵」と名付けられている。山頭火は、これに手を入れて、昭和14年12月15日から昭和15年10月11日に脳溢血(診断は心臓麻痺)のため永眠するまで住んだ。享年五九歳。「松山ゆかりの人びと」参照。
この一草庵は、山頭火の没後も何人かの人が住んだが、老朽化のため昭和27年(一九五二)、当時の愛媛県知事久松定武を会長とする「山頭火顕彰会」が浄財を集めて新たに庵を新築、10月11日に落成式と山頭火の13回忌法要が行われている。昭和55年(一九八〇)には、一草庵が「山頭火顕彰会」から松山市に寄贈され、以来、松山市の管理するところとなった。
平成19年10月から隣接する用地を取得して休息所等の便益施設を建設、平成21年3月に完成、工事にあわせ「一草庵」の改修も行い、昭和27年の再建時の姿が蘇った。また、敷地内には山頭火の4つの句碑が建立されている。
鐡鉢てっぱつの中へも霰あられ
この句は昭和7年1月8日、福岡県芦屋町での吟。「今日はだいぶ寒かった。一昨六日が小寒の入、寒くなければ嘘だが、雪と波しぶきとをまともにうけて歩くのは行脚らしすぎる。」と記して、この句がある。
春風の鉢の子一つ
前の句碑とともに、山頭火自筆。昭和8年5月13日、山口県室積行乞の記事の前にこの句があり、「秋風の鉄鉢を持つ」と対になっている。
濁にごれる水のなかれつゝ澄む
この句は、死去の約一か月前の句で、一草庵の前を流れる大川(樋又川)に人生を観じたもの。
一洵君に
おちついて死ねさうな草枯るる
この句は、高橋一洵が奔走して見つけたこの草庵に入った山頭火が、「私には分に過ぎたる栖家である」と記し、その苦労に感謝して一洵に呈したもの。
https://www.asanoya.co.jp/kaori/2010year/10_04kaori/10-04_07kaori-haiku%20poet%20housai-Ozaki%20of%20wandering.html 【漂泊の俳人 尾崎放哉】より
「春の山のうしろから烟(けむり)が出だした」
今日4月7日は、鳥取市出身の俳人、尾崎放哉(おざき・ほうさい)の命日「放哉忌」です。
季語や五・七・五の約束事にとらわれず、感じたままを自由に表現する自由律俳句の代表的な俳人として、種田山頭火(たねだ・さんとうか)と並び称される放哉。
流れ漂うように生きた「漂泊の俳人」とも呼ばれています。
最初に聞いていただいた「春の山」の句は、大正15年、41歳でこの世を旅立った放哉が、晩年を過ごした瀬戸内海の小豆島で詠んだ、辞世の句といわれています。
そこは、東京帝国大学を卒業し、いわゆるエリート人生を送っていた放哉が、仕事も家族も捨てて、放浪の末にたどり着いた安住の地。
のちに、尾崎放哉の代表作といわれる句の多くが、小豆島で暮らした8カ月足らずの間に生まれています。
「咳をしても一人」
「足のうら洗へば白くなる」
「入れものが無い両手で受ける」
放哉の終の住処となった南郷庵(みなんごあん)は、建物が復元され『小豆島尾崎放哉記念館』として一般に公開されています。
漂泊の俳人が遺してくれた土台の上に、今を生きる人々は、どんな言葉の花を咲かせることができるのか……。
季語にも五・七・五にもとらわれない、自由律俳句の世界に、皆さんも心を遊ばせてみませんか。
Facebook玉井 昭彦さん投稿記事
隣の街区に終の住処を定められた、時折りひと休みする喫茶店で個展もなさっています、斎藤なずなさん。
老いを生き、描く76歳作家の「純」漫画! 舞台は高度経済成長期に建てられた団地。現在そこにはひとり身の老人たちがいつか訪れる孤独死、「ぼっち死」を待ちながら猫たちと暮らしている。そんな彼女らが明日迎える現実は、どんな物語なのか、自らも団地に暮らす76歳の著者が描く、私たち全員の未来にして、圧倒的現在。『夕暮れへ』にて日本漫画家協会賞優秀賞、文化庁メディア芸術祭マンガ部門収集賞を受賞した齋藤なずな、渾身の最新作。
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(中条省平のマンガ時評)老人群像、死への不安で描く生への讃歌
数年前、老人を主人公にした面白いマンガが多いな、とふと気づきました。
おざわゆきの『傘寿まり子』は、題名どおり80歳を迎えた小説家が家族と別れてネットカフェをさまよう物語。矢部太郎の『大家さんと僕』は、お笑い芸人の作者が下宿の大家である88歳の老女とひとつ屋根の下で暮らす話。鶴谷香央理(かおり)の『メタモルフォーゼの縁側』は、75歳のヒロインが本屋でBL(男子同性愛)マンガを見つけてハマるという物語です。
もちろん、これは現代日本の超高齢化現象を背景にして起こっていることであり、マンガは社会の鏡であるという事実を明快に伝えるものです。
ほぼ同じころ発見したマンガ家に齋藤なずながいます。この作者を初めて知ったのは、2018年に作品集『夕暮れへ』が出たときです。私は齋藤なずなの名前さえ知らなかったのですが、『夕暮れへ』の解説で、高名なマンガ批評家の呉智英氏は、彼女は「実力派ということではマンガ界で一、二を争う存在」だと断言していました。しかし、『夕暮れへ』までの約20年間、新刊を出さなかったため、忘れられた存在になっていたのです。そのとき齋藤は71歳で、作者自身がすでに高齢者になっていたのでした。
『夕暮れへ』に収録されたマンガでいちばん強烈な印象を残したのは、当時の新作短編「ぼっち死の館」でした。
タイトルは、ひとりぼっちでまもなく死を迎える老人たちが暮らす団地のことを意味しています。
仕事を引退してあとは死を待つばかりになった老人たちの群像ドラマで、ああ、ひとり暮らしの老人の生活とはこういうものなのか、と唸(うな)ってしまうような不気味なリアルさに満ちているのです。しかし、どこか、そこはかとないユーモアもあって、諸行無常ではありませんが、日本人の心に響く懐かしさも感じさせてくれるのです。
これは恐ろしい、しかし、素晴らしいマンガだとため息を吐きました。
あれから5年経って、短編「ぼっち死の館」を序章として、これに五つの短編と短い後日談が加えられて、連作集『ぼっち死の館』が刊行されました。
団地に集う老人たちの人間喜劇の密度はぐっと増し、老齢化社会の実情を冷酷に抉(えぐ)ると同時に、生きることがそれ自体無条件で寿(ことほ)がれるべき奇跡だという真実に迫る力作となりました。
老人たちと暮らす猫やカラスの姿にさえ、生命の尊さが滲(にじ)みでています。死への不安を描いて生への讃歌(さんか)とする、類(たぐい)まれな傑作というべきでしょう。(学習院大学教授)
●『ぼっち死の館』 齋藤なずな作 全1巻(小学館)
(朝日新聞4月8日)
https://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S15605904.html
Facebook荻原 彩子さん投稿記事 毎日が記念日
夫の定年前に、、終の住処として 車椅子でも生活できることを考えて改築し横浜の家に引っ越しした私達なのに、、、
なぜ突然 3年前に縄文の土地北杜市に瞬間?と言うくらい迷いもなく移住して来たのか?
畑をやりたくなって 土と戯れる楽しさに目覚めたり、ヤッパリ?ね?そういうこと!
だったのね!ガッテンと思う今日のショーゲンさんと 泰平さんとのトークショー。
あっという間に時の人?
アフリカブンジュ村に滞在してたペンキ画家ショーゲンさんと滝沢泰平さんとのお話。
和
和を持って尊しと成す 和える 合える 会える 逢える 遭える 調和 ハーモニー
1万5千年前から続く 縄文文化が 今の私たちに引き継がれているこの北杜市に住むということ
皮膚感覚 温もり 聴覚と母音 虫の音を音楽のように愛でる メンタルと文化
なんて幸せなこと! この感覚を持って 日本人として 生まれてこられたことに
改めて 喜びが湧くお話
今を生きる 目の前の事を楽しむ 楽しんでいる大人がいれば子供も生きてるって楽しいものらしいって思いますよね?
おいしく食べましょ 楽しくお喋りしましょ 楽しい事しましょ 生きるって 楽喜=ラッキー 見つけて楽しむことね
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