https://ihatov.cc/monument/037.htm 【「農民芸術概論綱要」碑p_37.jpg】より
1.テキスト
世界がぜんたい 幸福に ならないうちは 個人の幸福は あり得ない 宮澤賢治
2.出典
「農民芸術概論綱要」
3.建立/除幕日
1983年(昭和58年)3月26日 建立
4.所在地
神奈川県平塚市浅間町 平塚市文化公園内
5.碑について
めずらしい球形の石碑です。
碑石の球形は、地球と宇宙を表し、その下の6本の台座は、世界の「六大洲」を表しているのだそうです。
碑に刻まれている「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」とは、宮澤賢治という人の考えのある側面を典型的に表す言葉として、よく引用もされるものです。
しかし考えてみると、もしも「世界全体の幸福」が実現されないうちは、「個人の幸福」があり得ないとすれば、遠い未来の先まで、地球上の誰一人として幸福になることはできないことになり、これはかなり悲観的な言葉です。
でも、ここで賢治が言っている「幸福」というのは、私たちがふだん小市民的な意味で使っている「幸福」とは、感覚的にちょっと違うものかもしれません。
賢治は同じ「農民芸術概論綱要」の中で、「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」ということも言っています。
このように、世界が全体として一つの生物となるならば、個人というのはたとえば一つの細胞のようなものですから、この生物が何かの病気にかかっていて全体として「健康」でない時に、一つ細胞だけが「健康」であったとしても、それは空しい一時の気休めに過ぎないかもしれません。その後、生物全体の病気が進行していけば、どの一つの細胞も、だんだん衰えていってしまい、いずれ生きていけなくなるでしょう。
だから、生物が全体として「健康」でないと、一つ一つの細胞の「健康」を云々してもそれは儚いものなのです。
宮澤賢治という人は、自己と他者の間の「境界」がとりわけ薄くて、日頃から理屈でなく他人の苦しみを自分の苦しみのように感じてしまう人だったので、他の人や生きものが苦しんでいる状態にあるかぎりは、自分だけが幸せだと感じることができなかったのではないかと思います。
この「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、賢治のそんな傾向が表された言葉なのだろうと思います。
さて、球形の碑石の台座の前には、「建碑の趣旨」を刻んだ下のような説明碑が設置されています。
建碑の趣旨
平塚ライオンズクラブは ここにチャーターナイト二十周年を迎えた 記念事業として 市民休養の郷 花巻市の花巻ライオンズクラブと姉妹クラブの提携がなされた
兩市住民が末永く親交の深まることを念願し花巻市が生んだ宮澤賢治先生の農民芸術概論序論の一文を刻み 次代に伝えるため 花巻市長藤田万之助氏の協力を得て記念碑を建立する
一九八三年三月二十六日 平塚ライオンズクラブ 建立 平塚市長 石川京一 選文
市議会議長 水島英耀 書
神奈川県平塚市は、1982年に市制50周年を記念して、上の碑文にあるように岩手県花巻市を「市民休養の郷」に指定し、翌1983年に平塚市ライオンズクラブは花巻市ライオンズクラブと姉妹クラブの提携を交わしました。
さらに1984年に、平塚市は花巻市と「友好都市」になっています。
Facebook能村 聡さん投稿記事
【エゴ意識を超えたワンネス意識へ~宇宙の理への目醒めは進んでいる】(再投稿)
おはようござます。私が好きな宮沢賢治の言葉からスピリチュアルなメッセージを読み解いてみましょう。
今の時代は特定のカリスマ的聖者によって時代が動くということはないと思います。
市井の人々一人ひとりが、自我(エゴ)を超えて、賢治が言う宇宙意識と繋がって、宇宙の理(法則)に「目醒めた人」なることによって世界は変わっていきます。
今の世界の闇に気づき、光に向けた行動に移し始めた人々が沢山現れています。
その意味では私も人類の未来を楽観しています。
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「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
宮沢賢治の、有名すぎる言葉です。この言葉はこう続きます。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない 自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある 正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう 求道すでに道である
(宮沢賢治/「農民芸術概論綱要」より)
☆、。・:*:・`★.。・:*:・☆、。・:*:☆、。・:*:☆、。・:*:
宮沢賢治は、地球人類は、皆宇宙の一部であり、一体であるとの宇宙意識との合一やワンネスも理解していた、現代でいうスピリチュアルな作家だと思います。
誰一人、取り残されず、排除されず、真の幸せの道を探求ほしいものです。
Facebook小名木善行ねずさんと学ぶ会さん投稿 記事
宮沢賢治の「農民芸術概論綱要、序論」の中に【おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらいもっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたいわれらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある】とあります。
ねずさんの解説された【明るく楽しくすごせる(豈)国(くに)】と賢治の世界は共通しています。
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「〜主義」は、敵対や対立を招きます。そのような対立概念では、日本を見失い、世界は対立し崩壊します。やさしさや愛は、敵対し対立するものまで包み込む力です。
愛と喜びと幸せと美しさこそ、日本文化の根幹であり、世界の中心となるべきものです。
ただし、凛とした姿勢は必要です。我が国の神語に登場する最初の男女神は、イザナキとイザナミです。
この二神は、天の浮橋に立たれて、混沌をかきなして、オノコロ島を創りました。
そのときに用いたのが天の沼矛(日本書紀では天の瓊矛)です。
混沌としたものを、正常に戻す、あるいは築くためには「矛(戈・鉾・ほこ)」の力が必要だと我が国の神語は書いています。
不条理には、武器を持て、と神語は書いています。要するに凛とした姿勢を貫きなさいということです。最後に、宮沢賢治の詩を転載します。
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雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク
決シテ瞋(おご)ラズ イツモシヅカニワラツテイル 一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭(かげ)ノ小サナ萱(かや)ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経 南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩 南無安立行菩薩
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3632.html? 【「〜主義」の怪】
櫻井よしこ先生が、『週刊現代』2018年1月20日号の、「日本人とは何か」「歴史の真実とは何か」を知るために私が読んだ本
櫻井よしこさんが選ぶ「最高の10冊」
の中で、第二位に拙著の『ねずさんと語る古事記』全3巻を選んでくださいました。
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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54036
「〜主義」という言葉は、組織や団体の行動原則や、個人であれば思想上の立場のことを言う用語として広く用いられていいます。
自由主義、愛国主義、共産主義、アジア主義、帝国主義、イスラム原理主義、利己主義、一点豪華主義など、様々な用語として使われています。
現実主義とか、家族主義、現金主義なんてのもあるようです。順にお話します。
まず、「主義」という熟語は、Chinaで生まれ、日本で熟語化したものです。
China語は、もともと一音一句で、熟語という概念がありません。
そのChinaの司馬遷の『史記』の巻1ー130太史公自序 第70に登場したのが、「主義」という言葉です。
そこには次のように書かれています。
「其信従者、下自士大夫、 上亦至将相而止、 主義為逐満。」
(それ信じ従うは、下は士大夫より上は将相に止(とど)むまで、主への義を満ち遂げる為なり)ここでいう「義」というのは「羊+我」が組み合わさった字です。
羊は神に捧げる生贄で、その羊のように我と我が身を捧げるのが「義」であるわけです。
士大夫は下級役人、将相は、将軍や宰相などのお偉方です。
つまりこの文は、「およそ役人たるものは、 我が身を神へ捧げる羊のように、
主君のためにすべてを捧げよ」と述べています。
ですからここでいう主義は、主=主君義=我が身を捧げるです。
我が国では、その主君というのは、天皇の部下として、天皇の「おほみたから」である領土領民を責任を持って預かる役割(立場)の人ですから、お役人(臣)が主君に身を捧げるということは、主君がお預かりしている領土領民たちを護り育むために、自分にできるすべてを捧げるのが「義」となります。
Chinaの場合、主は天帝である神の代理人ですから、主君は絶対者であり、その絶対者のために身命を捧げることが「義」ですから、日本とChinaでは、使っている漢字は同じ「義」でも、その意味するもは随分と違います。
ところが幕末に英語の「principle(プリンシパル)」を翻訳することになった翻訳家たちが困ってしまったのです。
「principle(プリンシパル)」の意味は「行動の原理原則」といったことなのですが、幕末の翻訳家たちは、「おそらくそれは、我が国でいうところの主君への義と同じ意味なのだろう」ということで、その訳語に「主義」という語句を当てたのです。
ここまでは、すくなくとも幕末の武士たちにとっての行動原則(プリンシパル)は、まさに「主君への義」であったわけですから、あながち間違いではなかったと思います。
問題はここからです。
明治に入って、これをどこでどう間違えたのか、英語「〜ism」の翻訳語として、新聞が「主義」を使ってしまったのです。
たとえば「Imperial-ism(インペリアル・イズム)」が、「帝国主義」と約されるようになりました。
英語圏における「〜ism」は、もともとは、単に一定の傾向を持った学説や体制、文化性などを示します。
従って「Imperial-ism(インペリアル・イズム)」も、意味合いとしては「王族や皇族を中心とした文化」といった「ゆるい」言葉でしかないのです。
ところが、我が国でこれが「主義」と訳された結果、「〜ism」は、身命を捧げる価値観(「主義」)という意味になってしまったのです。
つまり、コチコチになってしまった。
それでも戦前までは、「◯◯主義」は、単にカテゴリー分けして分類する際の、いわば小見出しのような役割の語としてしか使用されていなかったのです。
ですから、尊皇派、攘夷派、佐幕派、勤王などの言葉はあったけれど、尊皇主義、攘夷主義、佐幕主義、勤王主義などという言葉はありません。
そのように考える人さえもいませんでした。
ところが戦後、そこに日本的なものを破壊することが正義と思い込む人たちが、GHQの公職追放によって、世間の中核をなすようになりました。
要するに日本人のような顔をして日本語を話す日本人でない人たちなのですが、彼らは旧い日本を、帝国主義、民族主義、右翼主義などとレッテルを張って敵視し、対立し、攻撃し、破壊するための用語として「主義」を積極的に用いました。
これによって戦後の日本では、「主義」という言葉が英語の「-ism」とも違う、我が国で古来使われた「主義」とも違う、明治から昭和初期の「主義」とも違う、まったく新たな意味を持つ「主義」という言葉になりました。
まとめると次のようになります。
もともとのChinaでの「主義」=主君に身命を捧げること
江戸時代までの日本的「主義」=主君が預かる領土領民を護るために身命を捧げること
幕末の「主義」=プリンシパル(principle)の訳語で行動原理のこと
明治以降の「主義」=中心となるゆるやかな文化性(=-ism)
戦後の「主義」=敵対するためのカテゴリー区分
「〜主義」は、敵対や対立を招きます。
そのような対立概念では、日本を見失い、世界は対立し崩壊します。やさしさや愛は、敵対し対立するものまで包み込む力です。
愛と喜びと幸せと美しさこそ、日本文化の根幹であり、
世界の中心となるべきものです。
ただし、凛とした姿勢は必要です。
我が国の神語に登場する最初の男女神は、イザナキとイザナミです。
この二神は、天の浮橋に立たれて、混沌をかきなして、オノコロ島を創りました。
そのときに用いたのが天の沼矛(日本書紀では天の瓊矛)です。
混沌としたものを、正常に戻す、あるいは築くためには「矛(戈・鉾・ほこ)」の力が必要だと我が国の神語は書いています。
不条理には、武器を持て、と神語は書いています。
要するに凛とした姿勢を貫きなさいということです。
最後に、宮沢賢治の詩を転載します。
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雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋(おご)ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭(かげ)ノ小サナ萱(かや)ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ
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お読みいただき、ありがとうございました。
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