日本語の詩のリズム

http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/hadouhi-rinngu.htm 【波動ヒーリング】

http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/onngakumeisou.html 【音楽瞑想】

http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/baionnsyoumyou.htm【倍音声明】

http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/kozumikudansu.htm【コズミックダンス】

https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/41112511?categoryIds=5933678

【リズムを生きる】

http://chikata.net/?p=2933 【日本語の詩のリズム|金子兜太さんに聞く(前編)】より

*2013年12月、某雑誌の特集「日本語の居場所」というテーマで、金子兜太さんにインタビューをさせていただきました。一部ですが、以下はそのときの内容を書き起こしたものです。

―――日本語の居場所がなくなる危機。この問題は、数年前、水村美苗さんが著書『日本語が亡びるとき』の中で大きく提起をされましたが、明治の文明開化期であれ、第二次大戦直後であれ、この危機感は強烈にあったはずです。むしろ、今は危機感を失っているだけなのかもしれません。ただ重要なのは、保護主義だ、いや新自由主義だという議論ではなく、まず日本語をよく知るということではないかと思うのです。

全くそうだよ。ビジネス用語であれば、オレは英語でいいと思う。しかし、やはりどうしても日本語でなければ書けないことがある。あるいは、日本語だから書けたということがある。俳句のような詩は、まさにそういうものだろう。

芭蕉、蕪村、一茶、子規、この四人の俳句を英語訳している本があります。千数百句ぐらいあったかな、たいへん大きな本です。この本にアメリカのイマジストが注目したんですね。そして、英語の俳句を作る運動を始めたわけです。俳句と言っても俳句の真似をしているわけなんですが、三行の短い詩の形式です。それを彼らは「HAIKU」と名づけているわけです。

いまやアメリカの小学校にはHAIKUの教科書があって、一授業をやっているそうです。英語圏のHAIKU人口は二百万人を下らないとも言われています。たいへんな数ですよ。向こうで詩というと、普通は長くて、荘重なものでしょう。庶民がやれるものではありませんね。だから珍しいんでしょう。

ゲーリー・スナイダーというイマジストも、その運動の中心的な人物ですが、彼と松山で会って話したことがあるんですよ。正岡子規国際俳句賞の授賞式のときですが、そのとき彼は「非日本語の俳句が、日本語による俳句よりも広がるかもしれませんぞ」と言って脅かすんだ。ただ彼はこう言っておった、「日本語のシラブルが構成する音数律によるリズムというものは、すばらしいと思う。英語では、これに匹敵するリズムはどうしても得られない。だから、我々はシラブルに代わって、ストレスによって音のニュアンスを出す」と。英語にはシラブル(音節、まとまって発音される音の一番小さな単位)や音数律(音節の数で組み立てる韻律)というものがない。だから、ストレス(音の強弱)でやるしかないということだな。ただ、彼は京都に長く住んで、日本語の俳句から多くを学んできたわけですが、英語にする過程で、どうしても日本語でなければ書けないことがあるということに気づいたわけだ。ひょっとすると、彼らのほうが日本人よりもむしろ日本語のシラブルが伝えてくれるリズムの良さというものに気づいているんじゃないかな。

時枝誠紀(もとき)という日本の言語学者が言っていることだけれども、日本語の音はそもそも等時性拍音からできている。拍音というのは、トントコトントコ、太鼓を叩くような音です。間が全く同じですから、のっぺりしたリズムです。それでは、強調してものを言おうとしたり、心を込めて歌おうとしたりすることができない。そこで、記紀以来、言葉を一字一字つるめて塊にして相手に伝えようということになった。つまり、ジャズの太鼓のようにリズムを加えるわけだ。

五七五はよく知られていますが、五七七の片歌(かたうた)形式というものもありました。いずれにしても、奇数字です。なぜ奇数字の塊なのか。それは奇数のほうが当たる音が強いからです。まず、奇数の字の塊を奇数個作る。それを一組として、奇数組作る。この奇数字、奇数拍、奇数組による表現形式が、日本語で作る詩のリズムの基本であるということなんです。

また、土居光知(こうち)という人が出した「音歩(おんぷ)説」というものがあります。一音歩は二音が基本ですが、一音の場合もあって、そのときはあとに停音(とどまる音)が来ます。例えば、「古池や」は/ふる/いけ/や○/の三音歩になります。○が停音です。さらに、音歩で読んでいくだけでなく、停音のところで一音が深く刻まれることで呼吸ができる。そうすると印象が深まる。それを「定型感」が深まると時枝さんは言っています。さらに/かは/づ○/とび/こむ/みづ/の○/おと/は七音を二一二二という四音歩ですが、停音の位置によって力の入れ方が変わってきます。それでリズムが複雑になるわけです。私が「構築的音群」(一九七〇年)と言ったことの気持ちは、そこにあるんです。

日本語は、そのままだと等時性拍音だから無表情なんだが、こうして奇数音と停音の組み合わせによってさまざまな表情が出せる。いろんな芸当ができる。これが日本語の稀なところで、ゲーリー・スナイダーが音数律には敵わなえ、オレたちはストレスでいく、と言ったところになると私は思っていますがね。

http://chikata.net/?p=2935 【日本語の詩のリズム|金子兜太さんに聞く(後編)】より

<前編から続き>

―――日本語の音は無表情ですが、逆に文字は漢字、ひらがな、カタカナと多彩です。リズムと文字表記の関係はどうでしょうか?

複雑に絡み付いている。我々は漢字で「大仏」と書くけど、子どもは「だいぶつ」とひらがなで書く。ずいぶん印象が違う。ということは、音数律の読み方の違いが出てくるということなんだな。漢字で書いたほうが音の塊感が強くなる。逆にひらがなは音がゆったりする。ひらがなで書くと、音歩がきっちり踏めるからね。また「ダイブツ」とカタカナであえて書いてきたりする人もあって、これは案外感じが出せているんだな。そういうときは、漢字に直さない。そういう配慮もしますね。

また、飯田蛇笏の「をりとりてはらりとおもきすすきかな」のように、ひらがな表記だけの俳句やカタカナ表記だけの俳句もまた味なもんです。例えば、一茶の「やれ打つな蠅が手をすり足をする」なんていう句を「やれうつなはえがてをすりあしをする」とひらがなで書いたりすると、ほんとうに蠅がゆっくり手をこすっている動作が見えてくる。一茶という人間の顔が見えてくる。そんな感じがありますよ。

文語と口語もそうですが、漢字、ひらがな、カタカナという表記も一律にするのではなくて、さまざまな表記を自由に使いこなすところに日本語の豊かさがあるということです。だから、日本語の俳句は非常に難しいんですよ。

それから、中国には「漢俳(かんぱい)」という漢字だけの俳句がありましてね、非常に盛んです。私はそれで三十年前ぐらいから、十数回、中国へ行っています。四年ほど前も、漢俳学会という全国組織ができたというので行ってきました。漢詩の五言絶句のような感じで、五七五に漢字を一字ずつぶっ込んどけば、それで漢俳になる。漢字はご存知の通り一字一音だから、日本語で「かはづ」は三音だけれど、中国では「蛙(ア)」の一音ですむ。だから、彼らは五七五と並べると長過ぎるって言うんだな。五七または五五でいいんじゃねえかって。だからそういう問題が一つある。

それと同時に、彼らは韻を踏むんです。韻なんか踏んでも踏まなくてもどっちでもいいじゃねえかって思うんだけれど、彼らは詩を作るときの癖でやめられねえって言うんだよ。

やはり、向こうなりの習慣がある。一字一音をぶっ込むだけでは満足しない。面白いもんですな。日本語では音数律を、先ほど言ったようにきめの細かくあつかっておりますが、中国語にはそもそもそういうものはないじゃないかな。だから韻が必要だということになる。あくまでも俳句の音数律は、日本語の上に培ってきたものだから、そのまま中国語に持って行っても駄目なんでしょう。やはり、中国には漢詩の根っこがあるから、どうしてもその上にしか育たないということです。

一方、俳句には「切れ」というものがある。切れというのは、先ほど言った停音のことだけれども、さらに俳句には「や」「かな」「けり」といった「切れ字」がある。漢詩の韻のように音の繰り返しによる響きではなくて、切れ字による切れはとどめの響きなんです。切れ字で切るとたいへん強い音の塊感が出て、深く切れる。切れ字は使っても使わなくてもいいんだけれど、「切れ」と音数律のリズムは切り離せないものなんです。

―――季語は日本の風土や習俗をベースにできていますね。季語は海外でどうあつかわれているのでしょうか?

数年前に黄霊芝(れいし)という詩人が『台湾俳句歳時記』というものを作りましたが、北海道や沖縄ですら独自の歳時記を作ろうとチャレンジしているようです。フランスでもそういう動きがあるようですが、欧米では難しい面がある。それは、昔ドイツに行ったときに聞いたことですが、季語という共通語を表現形式の世界に設定すること自体が、自分たちの体質に合わないと言うんだな。おそらく、季語のフィクションというところに目をやらないからだろう。欧米人が表現という場合、個人的な行為ですからフィクションの共通語という考えは、なかなか受け入れがたいものがあるのでしょう。『英語歳時記』というものはありますが。

日本語の中の季語というものは、そのままでも美しい言葉ですが、音数律によるリズムにはまってこそ生きてくるというところがある。リズムは血ですから、季語をそのまま散文や普通の会話で使ってもなかなか血が通ってこない。定型の持つリズムは、やはり日本語の短詩形表現の根幹なんです。

私は、こういうことがわかってなくて、季語を特別なものであるかのように言うのが嫌いなんでね。何が特別なものか。そういうのは、宣伝文句です。

季語は、日本語の短詩形が生んだ言葉です。音数律と切れによるリズムの複雑さや、表記を含めた言葉の組み合わせの豊かさというものがあってこその言葉なんです。

いずれにしても、どの国の言語が優れているとか、劣っているとかいうことはないわけだから、むしろ各言語に固有の違いは違いとして、ちゃんと知っていくことが大切ですよ。

(2013年12月 聞き手:関根千方)


Facebook清水 友邦さん投稿記事

人間の体は様々な周波数で構成されたオーケストラが奏でる交響曲のようなものです。

病気とは不協和音が出ている状態なので、調和された音を響かせると身体に共鳴現象が起きて不協和音は調律されます。

分子や細胞の振動が調整されると身体は再び美しい交響曲を奏でるようになるのです。

ギリシャの琴座の神話で竪琴はヘルメスからアポロンへ、そしてオルペウスへ受け継がれました。オルペウスは密儀宗教の創始者です。オルペウスの教えはピュタゴラス・プラトンに受け継がれました。ピュタゴラス派の人々は宇宙を巨大な竪琴のようなものと考えていました。

ユダヤ教の神秘主義思想であるカバラの秘密の奥義とされる「ゾハールの書」には次のような事が記されています。

「宇宙にはあらゆる局面でうたわれた歌が燃えさかっている。天界の歌はむろんのこと、・・・至高の存在の前では恒星、惑星、樹木、動物などすべてがそれぞれの旋律をかなでている。」

「そのはてしない和音は創造のもっとも粗雑な残響でさえ、ふつうの人には聞き分けられないが、礼拝と瞑想と善行によって宇宙の歌を聞くことが出来る。」

音楽療法の研究で音楽は脳に作用して、治癒力を活性化させることが知られています。ヴァイオリンなどの弦楽器の振動は視床下部を刺激します。

視床下部にはホルモンの調整、自律神経の中枢があり、食欲や性欲、睡眠とも関係があるので音楽療法では薬の処方箋のように音楽が使われます。

自分が好きな音楽をきいた人、歌った人のストレスホルモン(副腎皮質ホルモン)の分泌は25パーセントも低下します。音楽は免疫系を強化させる作用があります。

私たちは母親の胎内で音と暮らしながら、脳を発達させています。

受精後五週間で一番最初に胎内で形成される感覚器官が聴覚です。

もっとも根源的な感覚が音を聞く聴覚なのです。

世界中のシャーマンやメディスンマン、ヒーラーたちが水晶を所有しているのはクリスタルが規則正しい振動を共鳴させて身体内部の細胞および生体分子システムを安定化させるエネルギー効果をもっているからです。

クリスタルは石英科に属する二酸化珪素が結晶化したものです。

クリスタルは圧力を光や電気に変えたり、変換、伝達、発振、増幅する優れた独特の性質があります。

クリスタルに電流を流すと共鳴周波数で振動をはじめ規則正しい振動を正確にくりかえすのでクォーツ時計はじめあらゆるエレクトロニクスに使われています。

頭蓋内部の中央、鼻孔の奥にある篩骨(しこつ)には多数の空洞があってその壁の細胞には磁鉄鉱が含まれています。

その磁気を帯びた器官は地球の磁場の流れを正確に捕らえています。

その後にある松果体はクリスタルが形成されていて磁場のエネルギー変化を感知します。

オーストラリア先住民のアボリジニは延々と続く砂漠の道を地図もコンパスもなく、道に迷う事なく目的地にたどり着きます。

5~6歳の子どもでも丸一日歩いた知らない道を迷わず自分の村に帰ります。

先住民はハトの帰巣本能と同じ驚異的な方向定位能力を持っています。

脳の松果体はメラトニン、ドーパミン、セロトニンなど脳内ホルモンの調整をしています。

そしてこの松果体は地球の磁気と相互関係にあります。

共鳴周波数によってホルモン調整中枢の視床が活発になると脳内ホルモンが分泌されて意識レベルが変化します。

アボリジニは夢の世界が真実で、目覚めている時の生活は幻といいます。

私たちが住む社会は時間が過去、現在、未来に流れていく直線的な世界なので死は終わりを意味しますが先住民の世界は生と死が循環して終わりがありません。

これから生まれ出るすべての命と、死者や先祖、地上から姿を消した植物、動物達すべての魂の種子が夢見の形で宿り、そこから命がたち現れて来るのがドリームタイムです。

中枢神経の牢獄に閉じ込められている意識が解放されるとドリームタイムへの回帰がはじまります。

原子は1秒間に1000兆回振動していて、地球も月も身体の各細胞も振動し原子のリズムと響き合って宇宙の調和をつくりだしています。

地球と電離層の間はシューマン共鳴とよばれる毎秒7・8ヘルツで振動しています。この周波数は脳波でアルファー波とよばれています。

生体細胞は地磁気に同調する水晶が組み込まれていて、神経繊維を保護する神経周囲細胞は構造が水晶結晶体のようになって半導体のようにエネルギーを伝達します。

その伝達による波動により、おのおの場には異なる電圧と電流の方向性が生じ、膨大な情報がコード化されます。この波のようにうねるエネルギーの場は、生物が持つ磁場と地球磁場の振動と分かちがたく結びつけています。

地球の南極から正の磁気エネルギーが螺旋を描きながら流れて北極へ吸収されています。そして地磁気の流れは巨大な蛇の形をしています。先住民は虹の蛇と言っています。

最近、磁極の移動スピードが速くなっている報告があり70万年間続いた地球磁場の安定期が終わりを告げようとしているようです。

地磁気のエネルギーパターンが変化すると人間の脳も血液などの生理システムも影響を受けます。

私たちはこれから肉体的にも精神的にも変化を迫られるでしょう。

岡部明美 清水寿子 ユーチュブ対談 「音と癒し」

https://www.youtube.com/watch?v=lO3PFms31Sw&t=320s

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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