Facebook相田 公弘さん投稿記事 【それが、お母さんでした】
長崎に、原子爆弾が落ちました時、
当時、十才であった荻野美智子ちゃんという女の子の作文をちょっと聞いて下さい。
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雲もなく、からりと晴れたその日であった。私たち兄弟は、家の二階で、ままごとをして遊んでいた。お母さんは畠へなすをもぎに行った。
出かけに、十一時になったら、ひちりんに火をおこしなさいよ、と言いつけて行った。
けれども、私たちは遊びが面白いので、時計が十一時になったのに、一人も腰を上げず、
やっぱりままごとに夢中になっていた。
その時、ピカリと稲妻が走った。あっと言うた時はもう家の下敷になって、身動き一つできなかった。
何とかして出ようとすればするほど苦しくなる。じっと外の様子をうかがうより仕方がなかった。二人の姉の姿が外に見えた。
大喜びで「助けて、助けて」とわめいた。姉たちは、すぐ走り寄って来て、私を助け出そうとした。しかし土壁の木舞いの組んだのが間をさえぎっていて、押しても引いてものけられなかった。
大きい姉が、「我慢しろ。ねえ、もうじきお母ちゃんもお父ちゃんも帰ってくるけんね。
姉ちゃんは誰か呼んでくるけんね。」励ましておいて、向こうへ走って行った。
私は、縦横に組んだ木舞いの隙間から、わずかばかり見えてる外を、必死に見つめて、
お母ちゃんが来るかお父ちゃんが来るかとまっていた。
やがて、大きい姉ちゃんが、水兵さんを四・五人連れて走って来た。
その人々の力で、私は助け出された。フラフラよろめき、防空壕の方へ行こうとした。
家の下から、助けてえ助けてえと叫ぶ声が洩れてきた。弟の声であった。
大きい姉ちゃんが一番先に気付いて、沢山の瓦を取りのけて、弟を引き出した。
その時、また向こうのほうで、小さな子の泣き声が洩れてきた。
それは二つになる妹が、家の下敷になっているのであった。
急いで行ってみると、妹は大きな梁に足を挟まれて、泣き狂っている。
四・五人の水兵さんが、みんな力を合せて、それを取りのけようとしたが、
梁は四本つづきの大きなもので、びくともしない。
挟まれている足が痛いので妹が両手をばたつかせて泣きもがいている。
水兵さんたちは、もうこれはダメだと言い出した。
よその人が水兵さんたちの加勢を頼みに来たので、水兵さんたちは向こうへ走って行ってしまった。
お母さんは、何をまごまごしてるんだろう、早く早く帰って下さい。妹の足がちぎれてしまうのに。私はすっかり困ってしまい、ただ背伸びして、あたりを見まわしているばっかりだった。その時、向こうから矢のように走って来る人が目についた。
頭の髪の毛が乱れている。女の人だ。裸らしい。むらさきの体。
大きな声を掛けて、私たちに呼びかけた。ああ、それがお母さんでした。
「お母ちゃん。」私たちも大声で呼んだ。あちこちで火の手があがり始めた。
隣りのおじさんがどこからか現われて、妹の足を挟んでいる梁を取りのけようと、
うんうん力んでみたけど、梁はやっぱり動かない。
おじさんはがっかりしたように大きい溜息をついて「あきらめんばしかたのなか。」
いかにも申し訳なさそうに言って、おじぎをしてから向こうへ行ってしまった。
火がすぐ近くで燃えあがった。お母さんの顔が真青に変わった。
お母さんは小さい妹を見下している。妹の小さい目が下から見上げている。
お母さんは、ずっと目を動かして、梁の重なり方をみまわした。
やがて、わずかな隙間に身を入れ、一ヶ所を右肩にあて、下くちびるをうんとかみしめると、
うううーと全身に力を込めた。パリパリと音がして、梁が浮きあがった。
妹の足がはずれた。大きい姉さんが妹をすぐ引き出した。お母さんも飛びあがって来た。
そして、妹を胸にかたく抱き締めた。
しばらくしてから思い出したように私たちは、大声をあげて泣き始めた。
お母さんはその声を聞くと、気がぬけたのか、そのままそこへ、へなへなと腰をおろしてしまった。
お母さんは、なすをもいでいる時、爆弾にやられたのだ。
上着ももんぺも焼き切れちぎれ飛び、ほとんど裸になっていた。
髪の毛はパーマネントウエーブをかけすぎたように赤く縮れていた。
体中の皮は大火傷で、じゅるじゅるになっていた。
さっき梁を担いで押し上げた右肩のところだけ皮がペロリと剥げて、肉が現われ、赤い血がしきりににじみ出ていた。
お母さんはぐったりとなって倒れた。
お母さんは苦しみ始め、悶え悶えてその晩死にました。
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これは、特別力持ちのお母さんだったでしょうか。四人も五人もの水兵さんが、力を合せても、びくともしないものを動かす、力持ちのお母さんだったでしょうか。
皆さんのお母さんも皆さんがこのようになったらこうせずにおれない。
しかもこの力が出てくださるのがお母さんという方なんです。
月刊誌『致知』
東井義雄先生の著書『自分を育てるのは自分』※思わず涙する感動秘話より
Facebook新田 修功さん投稿記事 ·
偽善者たちの夏……☀️🌻📺💦
毎年この時期になるとマスコミが一斉に反戦番組を放映します🤣
私たちも、原爆や戦争の悲惨さを思い、犠牲になった人たちへの鎮魂の気持ちで胸が苦しくなりますね 🙏
ところが、「2度と同じ過ちを繰り返してはならない」なんて言いながら、原発を推進したり、憲法改正を推し進めたりする政府にマスコミが反対しないのはいかがなものかと思います😭
そして、金のためなら国民の生命を犠牲にするような政治家たちに票を入れる
いわゆる支援者の人達 ……😎
彼らは広島や長崎に向かって、心から平和を祈ることができるのでしょうか……⁉️
そういえば数年前に、オバマ大統領が広島を訪れて「8月6日の記憶を薄れさせてはならない」と言いながら核発射ボタンを持ち込んでいましたね😫
真夏だけの平和主義者は哀しすぎます😭
心から世界の平和を祈りましょう🕊🌍
そして、夏だけでなく、いつでも、いつまでも、この世界から戦争がなくなるまで、祈り続けましょう‼️
愛をこめて……💕🙏
今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕
Facebook新田 修功さん投稿記事
毎年この時期にに思う……🕊🌍💕
おはようございます🤗💕
私たちの子孫が、今の時代の地球人類の状況を知ったとき、「あの時代の人類はどうしてあんなに狂っていたんだろう 」😰
と、思うのではないでしょうか❓💦
世界中で人間同士が殺しあいをしていて、数えきれないほどの大勢の人たちが食べる物がなくて死んでいるのに、ほんの一握りの人たちは肥満になって病気になる程食べ過ぎて、それでも余った食べ物を平気で棄てているのですから。
放射能を無力化する技術もないのに
原子力発電所を作って、核廃棄物を適当に捨ててしまう人たち。
日本では原発事故で未曾有の大災害があったのに、復興もしないうちにお金のために、また危険きわまりない原発を再稼働させるのに賛成する人の数のほうが多いなんて、未来の人から見たら信じられないと思います。
さらには、唯一の被爆国である日本が、核拡散条約に反対するなんて、どう考えても狂っています 😭
以前にも書きましたが、この時期だけ反戦の話題で視聴率をとりにいくテレビ局もどうかと思います🤔
せめて心ある人たちだけでも、心から世界の平和を祈りましょう 💕🕊🌍
そして、子供たちに美しい地球を残すために、私たちに何が出来ることを考えてみましょう。
まずは日々の生活の中で、心に愛と平和を忘れずに……💕🕊✨
今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕
Facebook長谷川 正憲さん投稿記
田中角栄が「憲法9条」を盾にベトナム戦争への派兵要請を断っていた
ロッキード事件の背景に「アメリカの陰謀」があったかどうかはさておき、彼の国にとって“扱いづらい”存在だったことは間違いない。泥沼化するベトナム戦争への派兵要請を断った田中角栄元総理。その際、“盾”として使ったのは「憲法9条」だった――。
では現在の自民党はどうだろう
「角栄さんがいた時代とは大違いですね。当時の自民党には、“三角大福中”と言われたように実力者がたくさんいたため、国民には、誰かがつぶれても次の誰かが出てくる、という安心感がありました」
そう語るのは、政治評論家の小林吉弥氏。
「今、見渡しても先見性のある政治家がいないのも心配です。角栄さんは昭和40年代の初めから“日本の借金は1千億円を超えるだろう”と予想していました。今の時代に10年後20年後を見据えて、この国の財政状況がどうなるかを言える人はいません」
「角栄は、自民党の二階俊博幹事長など、1980年代に初当選した議員たちに次のように話していました。『戦争を体験した世代が政治の中心にいる時代は、平和について議論する必要すらない。いずれ戦争を知らない世代が、政治の中枢を占める時代が来るのが怖い』と……」
「角栄が、リアリズムを第一とした平和主義を貫く人物だったということは、あまり光が当てられてこなかった側面です」
と、小田社長は語る。
「70年代に入り、アメリカから日本に対してベトナム戦争派兵への圧力が強まった時、総理だった角栄は『どんな要請があっても、日本は一兵卒たりとも戦場には派遣しない』と答えたと、当時の官僚から聞いたことがあります」
その官僚が“アメリカからの強い要請がある”と食い下がると、
「角栄は『そういう時には、憲法9条を使えばいい』と返したそうです。アメリカが日本に押し付けたと言われていた、憲法を逆手に取って、日本が派兵しない理由に使うというのは、リアリストの角栄らしい理論だと思います」
憲法9条を巡る知られざるエピソードは他にもある。
「総理になる前、ジョン・F・ケネディ大統領の実弟で司法長官を務めたロバート・ケネディから9条改正を持ち掛けられたことがあった。その時、角栄は『日本は憲法9条を国民に定着させて平和国家を目指そうとしている。それをアメリカが変えようとするなら、日本国民に一言断りがあってもいいのではないか』と答えたと言います」(同)
アメリカに対しても決して尻尾を振らず、毅然とした態度で臨む。さすがは田中角栄。
Facebook北條 毅さん投稿記
「自分はすごい!」って言ってる人ほど 本当は自信のなさを抱えてたりする
「毎日幸せいっぱい!」って言ってる人ほど人には言えない辛さを隠してたりする
「こんなに結果が出ました!」って言ってる人ほど数字じゃ測れない問題に直面してたりする
人間として生きている以上実は誰もが闇や揺らぎを抱えているㅤその揺らぎを無いものにしている姿はあたかも、森の中で無菌室を作ろうとしているかのようㅤ
その不自然さはきっとどこかで感じるんじゃないかな
光に目がくらむとその陰に潜む闇が見えなくなる ㅤ光の奥に目を凝らしてみよう
人にも、世界にもそして自分自身にも あなたが好きな人は「人間」ですか?
アイドルのような作り上げられた虚像だったりしませんか?
そしてなによりあなた自身もまた「人間としての自分」が好きですか?
「人間としての自分」を生きよう 揺らぐ自分を愛してみよう
不器用っていいねアホな人生っていいね その生々しさが 曲がりくねった色とりどりで、格好悪い人生こそが生きるってことなんだ
FacebookNorio Shimuraさん投稿記事
人は、命が在るから、元気でイキイキ生きられる。これは誰もの周知の真実なのに、命を使って、健康な人格、健全な心身を創造できることを知りません。不思議なことです。
かって、僕は、歯医者に虫歯が直せるか?(創元ライブラリ)の著書で幸せホルモン、βーエンドルフィンを,ネズミに投与すると、虫歯や歯周病を予防できるばかりか、ガンや糖尿病や肝臓疾患などいわゆる生活習慣を非特異的に、一気に予防できることを報告しました。
ハッピネスホルモン、βエンドルフィンが分泌される様な生活スタイルで在れば、元気にイキイキ生きられると言うことです(命のレシピ&両国橋あかでみっくかふぇ:動画参照)。
この様な、動物研究から、さらに地域保健を、進めていくと、快楽、歓喜、慶賀、法悦 と言った 四つのよろこび の中で 日々の生活を進めている 高齢者は、ほとんど心身は健全であり、人格的にも健康で、愛深き菩薩さまの様な生き方をされていました。
今回、高橋徳先生の著書、人は愛することで健康になれる と言う考えに触れて納得、納得、と、皆さんにぜひ読んでいただきたいと思っています。
僕は、命の2つの力、イノチといのちを使うと、
https://ameblo.jp/aloha-fuju/entry-12802417108.html 【愛することで健康になれる〜愛のホルモンオキシトシン〜】より
「虐待」それがわたしの原点幼少期から続いた実母、そして継母からの壮絶な虐待
「私は愛されていない」ずっとずっとそう思って生きてきた
でも…でも…違っていた 看取り学に出逢い、胎内体感を通し 私は愛されていた
私は愛されていると…始めて気づいた 私の人生大どんでん返しやぁ~❗️
心が輝き✨瞳も輝き✨ そして人生も輝いて生きていける
あなたは愛されている 女性の笑顔が世界を救う❗️和多志は世界中の女性を笑顔にします
グレートプレゼンターの和です 神の戸🚪神戸からグレプレ🎁
さあ❗️今日はどんなお話を贈れるかなぁ~
皆さま、知っていましたか?人を愛する事で健康になれる…愛のホルモン、オキシトシン
好きな人と手を繋ぐと幸せを感じる 「ありがとう」と言われるともっと親切にしようと思う…
痛い所を撫でられると痛みが和らぐ…これらは全てオキシトシンが関係しているんだ…と
オキシトシン研究者、医師の高橋徳先生がおっしゃっています。
「オキシトシン」は脳の視床下部で作られている物質で、1906年にイギリスの研究者ヘンリー·デールによって発見されました。
「オキシトシン」にはストレスに対抗する力や自律神経を調節する効果があり、体に悪影響を与えるステロイドホルモンを減らしたり、副交感神経を優位にして鎮静作用を働かせる事がわかっている…と。
社交性や愛情に作用し、人を思いやる心や愛情の発露の根本に生物学的な要因、つまりオキシトシンが大きく関わっている
と高橋先生はおっしゃていました。
オキシトシンの生成には、五感を刺激しきれいな景色を見たり、好きな音楽を聴くといった心地よい体験が非常に重要だとも❗️そして受動的な心理刺激…
例えば 悲しい時に友達に慰めてもらったり、優しい言葉をかけてもらうと嬉しい気持ちになりますよね
友達と他愛もない事を喋りながら慰めたり、慰められたりが心理的刺激なんです。
高橋先生はこんな体験をお話しされていました。
東日本大震災後、東北で医療ボランティアに従事した時、全国からボランティアが集まっていたらしいのですが、全然疲れを感じなかった。
それよりも東北に来て元気になったし体が若返った。そう語る人が大勢いたと。
それは相手がおかれた状況に共感し、その人を思う気持ちがオキシトシンの産生を高め自分自身を健康にしたと考えられるとおっしゃった。
なんとなく感じますね。
和多志も体がとても疲れていて仕事できるかな?って思った時…お客様のお話を聞かせていただいたり、体の声を聞かせてもらったりして…共感しながら施術室に入って施術をさせていただいていると…不思議と何処からともなくエネルギーが湧いてきて気持ちよくさせてもらいました。
そして、お客様が「うわ〜❗体が軽くなって私若返っている…ありがとうございます」
って言われた時なんか…自分の体のしんどさはどこ吹く風で鏡に写っている自分の顔がツヤツヤでまさに若返っているのです。
そんな経験を何回もしました。この事がオキシトシン効果だったんですね。凄い❗です。
そして…人生最期の日に抱きしめておくる…見送る人も見送られる人も愛という空間の中にすっぽりと抱きしめられる。「オキシトシン」ってなんだか神さまみたいですね。
五感を刺激しながら「オキシトシン」を生成しましょう…
体も心も元気になります。若返り〜万歳🙌(笑)あなたは愛されている❤️ありがとうございます♪愛と感謝を込めて…💕また明日愛ましょうね🌈祈り🙏感謝🌸和👩⚕️
看取りに不安はありませんか?「死」を恐怖だと思っていませんか?
人が死んでマイナスになるはずがありません
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