幸せ眼鏡

Facebook近藤裕子さん投稿記事  🍀🍀おかげさま🍀🍀

 心暗きときは すなわち遇うところ ことごとく禍なり。

 眼明らかなれば、 途に触れて皆宝なり  (弘法大師)

もし仮にこの世に幸せ眼鏡というのがあったとして、その眼鏡をかけて周りをみたら全部感謝に満ちあふれているように見える。

この世に起きる出来事というのは無味無臭、無色透明。

それにどうやって色づけしたり、味つけしたりするかは自分次第.

(須磨寺小池老師のお言葉より引用)

世の中すべておかげさま

今日も良い色の眼鏡をかけて過ごしたいと思います。


Facebook田中 宏明さん投稿記事

ブッダははじめて自分の住む城から出た時に老人というものを見ました

そしてその時はじめて人は老いて死ぬということを知りました

そして死が全てを奪っていくのなら王子という身分も贅沢な暮らしにも一体何の意味が

あるのだと全てを捨てて人生の意味を探す旅に出たそうです

うーん超素敵^ ^

でもね別にブッダでなくてもみんなそう思っているわけです

「どうせ死ぬ」って^ ^

そしてこの「死」こそがあらゆる宗教が生まれた理由でもあります

どうせ死ぬなら一体何のために生きているのか?

この生の意味は何なのか?この疑問に答えることが人類にとって最大の命題だったわけです

さて^ ^

あなたはどう思いますか?

あなたにとって人生とは素晴らしい仕事を成し遂げる事でしょうか?

家族を養う事でしょうか?自分の欲望を満たす事でしょうか?

おそらく人の数だけ意味があると思います

でもあなたが人生でやり遂げた事と死とは一切の関係はありません

なぜならどんな善人も悪人も等しく死ぬからです

あなたの行い次第で死は無くなったりはしないのです^ ^

人生に意味を見いだそうと見出すまいと死はただ淡々とそれぞれの人生に訪れます

どうでしょうか?

朝から何だか気分が暗くなって来ましたね

いやーいい感じです(笑)

さてそんなあなたにブッダから朗報です

実は人生に意味はありません 全ては変化してあなたは生まれてただ死んで行きます

でもそれでいいのだ!と、ブッダは長い苦行のあとにその事を悟りました

つまり意味や目的を探し続けることそれ自体が苦しみの原因だと気づいたのです

もう少し正確に言うと

「意味や理由を 探している自分」というものが何の実体もない幻だと気づいたんです

それはただの頭の中の観念でしかないと気づいたのです

その時同時に生も消えて死も消えました

生も死もまた一つの観念に過ぎないからです

その気づきの後にはただ「今」だけが残りました

今とは時間のことではありません 今とは全てです

そこに全ての命が内包されていて 僕もあなたもずっとそこにいます

我々の考える死とは肉体の消失のことを指していて今の中では誰も生まれてもいなければ

死んでもいないのです

般若心経の不生不滅、不増不減とはこの事を言っているのですな

今を生きるとは永遠を生きること

そうして未来も過去も消えた時その時はじめて人生に寛ぐことが出来ます

今を生きていれば人生には何の理由も意味もなくていいんだとただ安心していられる

のです その状態を涅槃と呼びます

あぁ、よかったよかった合掌🙏(笑)とまぁ長くなりました^ ^

もっとわかりやすく書きたかったのですがこれが言葉の限界ですね^ ^

瞑想の後に何故か降りて来たインスピレーション

この手の話しはあんまり書きたくなかったのですがまぁ流れのままに^ ^

では皆さまも良い一日を🌈💓😊らぶ💓


霊現象は神観、人間観、世界観の全てを覆しました。まさに想念破壊の痛みをモロに経験したと言えるのでしょうか?

中学時代 生きる意味を求めて 堂々巡りをし続け ふとしたことから プロテスタントの教会に出会いました。その教会には夜学に通う 勤労高校生が10名近く集っていました。

彼らの多くはニヒリストであり 和多志はその仲間に入ってしまいました。

彼らは熱心に求道生活を送っていましたが 和多志はアンチクリスト的な本を読んでは彼らと牧師に議論を吹き掛け続けました。

その果てに 和多志は門外漢だから去る旨を告げました。

すると一人の青年が 真っ蒼な顔をして「傲慢な態度を許して下さい」「自分は説得できると思っていた」と謝りました。

和多志には 彼がなぜ謝ったのかさっぱり解りませんでしたが 心が揺すぶられてしまいました。

それ故 生きることも死ぬこともできない 悶々とした毎日の突破口を キリスト教に そして視点変更に求めました。

「生きる意味を問うもの」から(絶対者に)「生き方を問われるもの」になろうと決め クリスチャンワーカーになるべく 結婚とほぼ同時期に 大学と院での学びを始めました。

赴任教会での働き以外に 日本キリスト教団の働きも、兵庫教区の働きも担いながら 家庭と教会生活中心の毎日を歩み続けました。

然しプロテスタントとはカソリックにプロテストすることで生まれた 言葉中心、左脳中心の信仰共同体です。

教団内には分派、徒等が沢山生まれ、言葉中心の礼拝には霊性が乏しく 教会内のグループはサロン化し、教会活動を精一杯しても 満たされる思いになれませんでした。

それなりにいろいろ学ばせてはいただきましたが どうしても納得がいかない教義に「時」に対する 概念があります。

キリスト教における「時」の流れは直線的です。

輪廻転生の考えもありません。

大宇宙の公理は回転なのに!そして創世記では一日の時の循環、一年の時の循環を語るのに!!何故か時間軸は直線です。

私がキリスト教に躓き始めたのは 霊性のなさ、教義に対する不信、そしてリーダーたちに対する不信と世俗化にあります。

教団総会、教区総会、教会役員会など メイン会議の前には 俗世界とおなじように 教団、教区の権力(お金)を握るべく 根回しが横行し どこにも分派が生まれ、徒等が組まれ 

教会のリーダーたちが競い合う姿をいやというほど見てしまいました。

世俗化こそ 教会を去ることになった 決定要因かもしれません。

特に 聖職者といわれる牧師(ファミリー)への侮蔑の思いが強いです。

最後に出会った一人をご紹介しましょう。

夫婦と、娘3人の家族でした。 夫も妻も 各々が「自分たちは本来離婚していてあたりまえの関係だ」と和多志に語りました。然し教会員の前ではおしどり夫婦を演じます。

長女はうつ病。カウンセリングをして欲しいということで 引き受けたものの、娘のカウンセリングが終われば 必ず母である牧師夫人が カウンセリング内容を聞きたがり、自己正当化のために和多志の居室に居座り続けます。

遂にたまりかねて 両親の問題が 娘を追いこんでいると言ってしまった翌日から 彼女は顔を合わせても視線を反らし 挨拶さえも返さなくなりました。

次女はストーカー事件を引き起こし 警察沙汰にさえなりました。 

次女の保護を要請されたり、和多志の夫までも相手との折衝にかりだされたりしました。

牧師は教会員がいない場では 常にビールを片手に、まるでアルコール依存症を疑いたくなる感じでした。

和多志が関わっていた求道中の青年に セクハラ事件を起こし 大問題となり青年の自宅に謝罪に行く故 同行を求められたりもました。

牧師は玄関先で土下座をして謝りました。

にもかかわらず 後の牧師の話では 悪いのは青年の方になってしまいました。

こんなどさくさの中で和多志は教会を去ることを決めてしまいましたが 洗礼を希望していたこの青年はうつ病になったと聞きます。

キリスト教とお別れする氣持ちが強まるなかで 残された人生を 如何に生かされるのかを ずいぶん問い続けました。

プロフィールにも書いたように和多志は人並み以上に いわゆるトラウマというものを持っています。それが和多志の人生の特徴かもしれません。

その人生で出会った大きなものが キリスト教と心理療法でした。

二大特徴の一つであるキリスト教に失望すれば 残されたものは心理療法しかありません。

人生で得た心理療法を 人生へのお返しとして これからのライフワークとしようと決めました。援助者になろうと決めたわけです。

人の援助がしたいと願うからには 自分がとことんクリアリングされる必要があります。

もちろん教育面接類のこと、頭蓋仙骨療法、箱庭療法 各種ワークショップの参加、その他いろいろ自分の浄化のためにしましたが、 スリーインワンコンセプトの一人セッションをまるで仕事のようにやり続けました。

その技法で、僧坊筋にあった スタックポイントを外した時 身体ががたがた震え 座りこむと同時に 直径30センチくらいの白昼光、次いで鮮やかなアメジスト色の光が セットで2回、次の日に一回輝き 基底部から前につんのめるような感じで エネルギーが上がり始めました。 

クンダリーニが覚醒したのだそうです。

キリスト教とのお別れが霊現象の始まりになった ということでしょうか。


Facebook相田 公弘さん投稿記事  『 宇宙預金をためよう 』

みなさんの残高は? 私はマイナスになってるかな?(^_^;)

すべての人には目には見えない宇宙銀行という口座があるのをご存知ですか?

「地球銀行」は、当たり前ですが“お金”を扱います。“損得”勘定の世界。

一方、「宇宙銀行」というのは、宇宙の法則とか“愛”に基づくもので、目には見えない銀行です。そこではお金は扱かわず、その代わり、“徳”を扱います。

自分に素直になったり、人を喜ばせたり、自分がもっているものを謙虚に感謝して与えることをすると、それが「徳」の預金となって積み立てられ、満期になると徳の量だけHappyが訪れるというシステムです。

満期は人によって違っていて、自分の意志では引き出しはできず、その人にとって一番ふさわしい時に生かされるようです。

このように 宇宙口座に徳を積みながら 行動していくと夢を実現するためのサポートがたくさんやってくるという嬉しい利息もついてきます。

【徳の量を増やす×徳の質を上げる=自己実現のスピードが上がる】

いますぐできる具体的な例をあげると、

「 いま、心から感謝すること」「 素直であること 」「 笑顔でいること 」「(今できる小さなことから)行動すること」「 人の長所に気づいてあげる(ほめてあげる) 」「 部屋やトイレを掃除をする」「 道端に落ちているゴミやタバコの吸殻などを一つでもいいから拾う」

「 いまここにある奇跡に気づくこと 」などです。

しかし、この宇宙銀行に徳の預金を積む場合に、注意しなければならないことがあります。

それは、自分を責めたり、いつまでも過去を引きずったり、相手に悪意をもってしまっていたら徳の預金が相殺されてしまうということです。

ただ、不幸と呼ばれるものの第一原因は 状況(出来事) ではなく、その状況についての自分の思考 だったと気づけば、本来の自分を取り戻すことができます。

また この徳を積むという行為も、何らかの見返りを期待してのものであれば、あまり意味がないものになってしまいます。

その動機が恐れや野心に基づいたものであれば、いくら表面を取り繕っても、その根っこにあるものを引き寄せます。

見返りなど求めなくても、自分に素直になり、人に喜ばれることをすれば、それが自分の幸福感につながり、自然にそれらのことが楽しくできるようになります。

自分がワクワクすることや、人の役に立つことをするのは、どんなささいなことであれ、気持ちのいいものですよね。

皆さんもこの宇宙預金(徳)、始めてみませんか?

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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