http://www5.wind.ne.jp/awashima/hina.htm 【あわしまとお雛様】より
小さい頃おじいさんから、昔語りを聞かされました。「<淡島様>は老神温泉の道しるべだよ。<ずっと南の方へ行くと赤城の大明神が見つけてくれた霊験あらたかな温泉があるよ。病で苦しむ人は行てみなさいいよ。>と村のはずれで教えていたんだよ。」と、何度も何度も聞かされました。老神温泉に最も縁の深い当館は、その「淡島様」のお名前を頂戴して以来、つつがなく過させていただいております。
ある時、本で、淡島神社は紀州の加太にご本社があると知り、そこを訪ねてみました。
神社は古いお雛様で一杯で、三月三日のひな祭り、九日の雛流しと、雛の行事がたくさんありました。宮司にお話を聞きますと、淡島神社は神功皇后をお祀りしたもので、神功皇后が大変尊敬する少名彦名命をしのび、すくなひこなまつり、ひこなまつり、ひなまつりと変わり、内裏雛に少名彦名命、神功皇后をお雛様として一対の雛が出来上がり、女の祭り、雛祭りが出来たのだそうです。淡島神社は神功皇后をお祀りしたお雛様だったのです。
ふと、小さいころ見た古い雛を供えた「淡島様」を想い出します。
http://www.kada.jp/awashima/event/index.html 【雛祭(雛流し)3月3日正午より】抜粋
◆雛祭(雛流し)3月3日正午より
・(当日、車での参拝はおさけ下さい。)
・雛祭りと淡嶋神社
やさしく美しい日本の行事、雛まつり。親は、わが子の健やかな成長への願いを
お雛様に込めます。いくつになっても女性にとってうれしい行事、雛まつり。
幼い日の思い出が鮮やかによみがえってきます。
男びな女びなの始まりは、淡島神社のご祭神である少彦名命と神功皇后の
男女一対のご神像であるとされています。また、雛祭りが三月三日になったのは、
友ヶ島から対岸の加太へのご遷宮が、仁徳天皇五年三月三日であったことから。
雛祭りの語源も、スクナヒコナ祭が後に簡略化されて、ヒナまつりと言われる
ようになったとされています。
歴史ある淡島神社には、長い時代を静かに生き抜いてきた見事な雛人形が、
数多く残っています。この多くは、紀州徳川家から奉納されたものです。
姫君誕生のおりに、その初節句には必ず一対の雛人形が奉納されました。
古文書には、姫君たちの名前である寛姫様・菱姫様・芳姫様献上の記述も見られます。
今も、その雛人形には、親のやさしい思いが息づいています。
・雛流しの神事
三月三日は、朝から神社のなかは人々の熱気でむせかえります。それぞれの思いや
願いと共に、関西はもとより日本全国から境内に女性たちが集まってきます。
そして、日が高くのぼった正午、ひな流しの神事がおごそかに始まります。
人形に願い事を書き、人形とともに舟に乗せます。
「幼い日、あの人形と遊んだなあ」「嫁に行った娘が幸せでありますように」・・女性の
思いのたけをすべて込めた人形で、雛流しの舟はいっぱいになっていきます。
穏やかな春の海に紙吹雪がまかれ、神の国へと続く道ができます。
そこへ、本殿でお祓いを受けた人形を満載した白木の舟がしずしずと進んでいきます。
舟にぎっしりと積み上げられた無数の人形たちは、先導する舟に引かれ、沖へ沖へと
向かっていきます。波のまにまに揺られて、浮かんでは沈み、波間に見え隠れする
人形たち。キラキラと輝く海面を進む、黄金色や朱色のあでやかな着物をまとった人形
たちは、まるで生きているようです。心が澄みわたる瞬間が訪れ、手を合わす人、
俳句や短歌を詠む人、シャッターを切る人、たたずむ人、涙ぐむ人・・・ひとりひとりの
思いが神の国へと流れていきます。
https://nikitoki.blog.ss-blog.jp/2010-03-03-1 【男雛と女雛の始まりは? 少彦名命と神功皇后。和歌山の淡島神社の雛流し。 [気になるニュース]】より
3月3日、ひな祭りですね。
もしかして雛飾りは、もうしまわれているかもしれませんね。
仕事場、会社が浅草橋の近くなので、
ずっと年中、見ているような気がする雛人形。
あの男雛と女雛。
あの格好から、漠然と、平安時代の天皇陛下、皇后陛下かと
思っていたのですが、
広辞苑第六版では、男雛は、
《内裏雛 (だいりびな) のうち、天皇にかたどった方の人形。》と記されている。
Yahoo!百科事典《内裏雛(だいりびな) 》
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%86%85%E8%A3%8F%E9%9B%9B/
どうもその始まりはもっと遡るようです。
2010年3月3日、NHKニュース。
《人形を海に流す「ひな流し」》
http://www3.nhk.or.jp/news/k10015964791000.html
そこに以下のように出てきたのです。
《淡嶋神社は、おびなとめびなの始まりとされる
「少彦名命」(すくなひこなのみこと)と「神功皇后」がまつられ、》
Yahoo!百科事典《淡島神社(あわしまじんじゃ)》
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%B7%A1%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE/
淡島神社の公式サイト。
http://www.kada.jp/awashima/
少彦名命と神宮皇后ですか。
Yahoo!百科事典《少彦名命(すくなひこなのみこと)》
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%B0%91%E5%BD%A6%E5%90%8D%E5%91%BD
この「少彦名命」は、馴染みがあります。
大阪の船場に薬問屋が集まった道修町(どしょうまち)という場所があります。
そこにまさしく少彦名命神社があり、「神農(しんのう)さん」と親しまれ、
呼ばれています。
Yahoo!百科事典《道修町(どしょうまち)》
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%81%93%E4%BF%AE%E7%94%BA/
大阪に祖母がいた頃は、この話を聞かせてくれました。
なお神農さんは、民に農業と薬を教えたとされる神様ですが、
中国では、そのまま神農、日本では、この少彦名命が
それにあたると言われているそうです。
実は、神田明神の氏子なのですけれど、
神田明神(神田神社)の御祭神の中にも、
少彦名命が入っています。
(一般には、平将門が知られていますけれど)
Yahoo!百科事典《神田神社(かんだじんじゃ)》
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE/
少彦名命は、小さな神様とされています。
雛は、小さなを意味し、その姿を写したものが、
「ひいな遊び」で使われていたようです。
(異説いろいろあり。「ひいな遊び」は、男雛、女雛をあわせる
ということで、非常にエロティックな意味合いもあったみたいですね)
淡島神社のサイト内、
《雛祭りと淡島神社》
《男びな女びなの始まりは、淡島神社のご祭神である少彦名命と神功皇后の
男女一対のご神像であるとされています。また、雛祭りが三月三日になったのは、
友ヶ島から対岸の加太へのご遷宮が、仁徳天皇五年三月三日であったことから。
雛祭りの語源も、スクナヒコナ祭が後に簡略化されて、ヒナまつりと言われる
ようになったとされています。》
http://www.kada.jp/awashima/event/index.html
何気なく行っている年中行事も、少し掘り下げると、
案外、知らないことだらけですね。
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