Facebook五島 秀一さん投稿記事·
これから、古代の貴人の魂がこの國と世界を導くだろう!
https://ameblo.jp/kokko0803/entry-12768039826.html?fbclid=IwAR1o_giuwHSFVJZ5YhojPPk08b2FhR6FdctWpyRSn37nkpi9C3q48lX1nAo 【「タイミングは神様だ!」後鳥羽上皇舞い降りし気の舞】より
初めてDr.Shuこと五島秀一氏の勉強会に参加した時の第一声が「僕はいま隠岐島に行ってみたいんだ」でした。さらに聞いてみると海士町(あまちょう)に行ってみたいと仰る。
驚きました なぜならその一週間後に私は隠岐島へ行くタイミングだったから。
そして4年後の2022年5月海士町にある「隠岐神社」にて「Dr.Shu気の舞」の奉納をさせていただきました。
しかし当初は隠岐神社の床がコンクリートということでここで舞うのは厳しいのではとないか等々あったのですがなぜかわからないけれどどうしても隠岐神社でないとダメだと私の直感が叫ぶ。
「五島先生、どうか足を痛めないように慎重に舞ってください」とお伝えして本番を迎えました。
さて隠岐神社に到着するとそこで目にしたのは木をびっしり敷き詰めたステージ...
なんと後鳥羽院遷幸八百年祭のために令和4年になって造られたものでした。
「僕はいま隠岐島に行ってみたいんだ」
果たしてこのタイミングは偶然なのでしょうか?!そういえばDr.Shuは言ってました。
タイミングは神様だ!
承久3年(1221年)、後鳥羽院により発せられた鎌倉幕府の執権、北条義時追討の院宣に端を発する承久の乱。この戦いに朝廷方が破れたことにより、後鳥羽院は海士にお遷りになりました。そして19年間お過ごしのあと、都に帰ることなく御隠れになります。院がお遷りになられてから令和3年(2021)で800年となります。
隠岐島で詠んだ和歌
「我こそは新島もりよ 隠岐の海の 荒き浪かぜ 心して吹け」
(私はこの島の新しい島守です。隠岐の海の荒い波風は、心して吹けよ)
後鳥羽上皇は蹴鞠・琵琶・秦箏・笛などの芸能のほか、相撲・水練・射芸などの武技をもたしなみ、太刀を製作・鑑定するなど、文武にわたり多才多芸であった。『新古今和歌集』のほか、日記『後鳥羽天皇宸記』、歌集『後鳥羽院御集』『遠島御百首』、歌論書『後鳥羽院御口伝』、仏書『無常講式』、有職故実書『世俗浅深秘抄』など多数の著書がある。
https://www.youtube.com/watch?v=KfBF-BV40tE
https://ameblo.jp/minamiyoko3734/entry-12454722487.html 【月の食料】
https://ameblo.jp/threehoroscopes/entry-12642457192.html 【書評:「目覚めに向かって」ジャン・ヴェス著("Vers l'eveil a soi-meme" 】より
著者ジャン・ヴェスはフランスの外科医です。フランスでグルジエフの教えを受けていた人です。
この本はグルジエフ思想の平易な入門書になっています。自分を知るということ、自己観察と人間の内的な機能について、基本からわかりやすく説明をしています。
そのうえで本書はグルジエフ思想の中できわめて重要なポイントを初めてあきらかに書いた本として知られています。
ジョン・ペントランド卿によるイントロダクションのなかに、センセーションとプレゼンスについて指摘しているように、これらはグルジエフ思想の中で重要な要素です。
本書は「奇蹟を求めて」の影響もありますが、ウスペンスキーとはまた異なった感覚で書かれており、この本のほうがはるかに平易に、複数のアイデアの関連を示しています。
プレゼンスについては、一章を割いて説明をしています。さらにアテンションの働きについても解説が興味深いです。
西洋の秘教的な文献としては「ヘルメス文書」などがありますが、間接的で比ゆ的な表現が多くなります。そういったものにあたるよりも、本書によるほうがはるかに重要な基本を直接的な言葉で、示してくれます。
https://books.google.co.jp/books/about/%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%95%E7%B7%8F%E8%AB%96_%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9.html?id=ok0nEAAAQBAJ&hl=en&output=html_text&redir_esc=y 【グルジェフ総論:グノーシス(第一巻 創造の秘密): ユダヤ/キリスト教の源流と回帰への衝動に導かれた魂の系譜】より
第一巻と第二巻に分けての単行本換算で約400頁にわたる叙述により、グルジェフが代表するグノーシス的な世界観と人間観の外的側面と内的側面を明らかにする。第一巻では、一者に発する外的な創造の流れの諸相と、それに対する無自覚な従属が人間にとって意味するところ、およびそれが転じて内的な創造の流れが生じるありさまに目を向ける。
第二巻では、そこに始まる内的な創造の流れの発展を、人間にとっての創造という観点からとらえ、エッセネ派の伝統と秘教的キリスト教との結び付きを意識しつつ、グループでの取り組み、空気による伝達、二元性の自覚と愛、三つの体、死とよみがえりなどのテーマを取り上げ、グルジェフの実践的なアプローチの中核にあって、もっとも秘められた部分に光を当てる。
創造ということの外面と内面を扱った第一巻と第二巻は、内容的に独立していながら、エニアグラム上で左右対称の関係にあり、二巻を合わせて通読することで、全体と個という視点から、人間とその生のありかたへの包括的な眺望を得ることができる。
【第一巻の内容】
一者に発する上から下への流れは、それが行き着くところで魂を目覚めさせ、下から上への流れを創り出してはじめて、その使命を果たしたといえる。上から下への流れへの従属を説く一般の宗教とは別に、これに逆らって一者への回帰を求める魂の系譜がある。
「グノーシス」と呼ばれるところの「知」の追求はそこに生じる。その「知」とは、なかでも「神」がアダムとエヴァに禁じたとされるところの知、すなわち一つは上に向かい一つは下に向かう二つの流れのなかにあって、人はどのように生き、何を求めうるのか、それとの関係で何が人にとって善であり、何が悪であるのかをめぐる知である。
グルジェフは「二つの河」をめぐる教えをもってこの主題を扱い、回帰への衝動に目覚めた魂が、「三の法則」と「七の法則」に従って、エニアグラムの円周があらわす道のりをいかに完遂しうるかのヴィジョンを提示した。
本書では、基本的にグノーシス的な性格のものであるこの教えの起源をユダヤ/キリスト教の源流にまで遡り、第一巻では「キリストのすべての言葉より大事である」という言辞をもってグルジェフが注目を求める旧約聖書『創世記』の物語を取り上げる。第二巻では、グルジェフにおける秘境的キリスト教のあらわれに目を向ける。
さらに第一巻と第二巻のどちらでも、十九世紀後半におけるグノーシス的な精神潮流の復活との関係で若年時代のグルジェフに影響を与えた時代精神の形成に関係した人物の文学作品として、グノーシス的主題を扱ったアルチュール・ランボーの詩、グルジェフが言うところの「三つのセンター」の間での関係を三兄弟の間での関係に反映させたドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、および「三の法則」に基づく自己超克の思想が展開されるニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』に注目する。
前々作『覚醒の舞踏:グルジェフ・ムーヴメンツ』で扱った動きへのまなざしと、前作『グルジェフ総論:エニアグラム』で扱った図像的な認識を、人類の精神史と文学の読解に応用することを試みている。新しい認識の地平を切り開くとともに、物事を見つめるにあたって精神の取りうる姿勢を提示する。
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