https://yurapuka.net/web/hosomichi/pg808.html 【陣屋石蔵って?】より
福江島の南東に位置する富江町。ここに「陣屋石蔵」という建造物があるんですがあまりポピュラーではありません。知らない人の方が多いんじゃないかな。(想像だけど)
説明の立札です。
いつの時代に置かれた立札なの?と思わず首をかしげるほどの漢字使いです。特に糎米(せんちめえとる)! まさか明治の頃じゃないですよね。この石蔵は富江町のほぼ中心地にあるんですが、本当にわかりにくいんです。ここを知っているだけで自慢できます。
福江港から車でおよそ30分ほどで富江町に入ります。ここが富江町の入口。「ようこそ富江町へ」右手の森は神社で、お社に隣接してサンゴセンターがあります。富江町はかってサンゴの町でした。
町に入って最初の信号を右折するとすぐに「弁当・惣菜のトントン」さんが右手にあります。その店のすぐ先にある幅1米(めえとる)ほどの脇道を入っていきます。(もちろん!)案内を表示するものは何にもありませんから不安だったらどなたかにお尋ねください。車のところを右です。
こんな狭い道を40米(めえとる)ほど歩きます。ハイヒールはやめてくださいね。
すると、入口にはなーんにも表示してなかったのに石蔵に着いてから小さな表示板がありました。(不思議)
驚くのは石組みの緻密さです。紙すら入らないんじゃないかなと思えるほど石と石の隙間はピッタリです。すごいですねー。昔の人の技術は。
中に入るとこんな感じです。 その昔には米俵なんかがドッサリと積まれたんでしょうか。屋根は腐って落ちたんでしょうね。
放ったらかしが何だかもったいないと思える不思議な遺跡です。
せめて入口に案内表示があれば随分わかりやすいと思います。特別立派なものでなくても良いと思います。わかりやすさ優先でお願いします。
五島特派員 庄司好孝
https://www.fullygoto.com/sightseeing/ishigura/ 【富江散策!陣屋石蔵】より
富江の貯蔵庫として350年以上前に作られた石蔵。当時は富江村をはじめ、宇久島、魚目、青方、椛島からの年貢を貯蔵していました。
石材は富江産玄武岩が使用され、隙間なく重なるよう加工された岩が、ブロックのように積み上げられています。
富江町の点滅信号から国道384号線を玉之浦方面に沿って登り徒歩3分、「総菜・弁当店 トントン」のすぐ先に「陣屋石蔵」の看板があります。
実は地元でも訪れたことのない住民が多く、レンガが敷かれた細い小道の先にひっそりとたたずむ重厚な石蔵はとても静かで雰囲気のあるスポットです。散歩がてらぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。お越しの際は看板をお見逃しなく。住所:五島市富江町富江
https://san-nin-syu.hatenablog.com/entry/2021/01/09/060000 【富江陣屋】より
五島列島福江島の富江半島一帯は、かつて戸の島(殿浦)と呼ばれていたが、寛永15年(1638年)に富江と改称された。 明暦元年(1655年)、五島盛清が、宗家である福江藩の五島家より3,000石を分知し(富江領)。寛文2年(1662年)富江(現・五島市富江町)に陣屋が築かれ、江戸永田町に上屋敷が置かれた。富江五島家は、表高家・交代寄合(大名格)として8代続き、明治に至った。陣屋跡地には、石塁や堀跡、米などを蓄えた石蔵などの遺構が残っている。また、陣屋大手門は、浄土宗明月山実相寺の山門として移築され現存する。 ウィキペディア(Wikipedia)より引用
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