風土

https://www.nns-catv.co.jp/weather/archives/manager_soliloquy/manager_soliloquy-274 【俳句に読まれた山梨の風土・・・「どう伝えるか、勉強になりました」】より

 山梨県立文学館で「文学に描かれた天災」という企画展示(4月4日まで1階閲覧室)が行われていることを知り、先日ぶらりと足を運んだ。東日本大震災10年にちなむ「3.11文学館からのメッセージ」という全国文学館協会共同展示の一環という。山梨を襲った明治40年の大洪水で、大きな柿の木につかまり多くの人が助かったことを題材にした井伏鱒二の「中島の柿の木」(禁礼、竹村書房)など、県内、国内の歴史に残る水害、噴火、地震や感染症が描かれた小説や随筆などが多く展示してあり面白かった。

 当日は雨。マスクをして足下を濡らしての外出だった。この企画展に続き、2階で行われていた特設展「飯田龍太展 生誕100年」(3月21日で終了)も覗いたことが、雨の外出の思わぬご褒美となった。恥ずかしながら俳句の世界とは縁遠く過ごしてきた身。たいした予備知識も無く作品に接したのだが、目を開かされた。わずか十七音の言葉から山梨の風土が生き生きと浮かんでくる作品の数々。無駄のない平易な言葉で染み込んでくる。

 研ぎ澄まされた言葉の迫力に足を止める。「一月の川一月の谷の中」。真剣を突きつけられたかのような凄みのあるこの句も頭から離れないが、気象人として、この日印象に残ったのはこの三句。

  水澄みずすみて 四方よもに 関せきある 甲斐かいの 国くに

  山やま起伏きふくして 乱みだれなき 大暑たいしょかな

  去さるものは 去さりまた 充みちて 秋あきの 空そら

 地域の気候は、地域の地形に大きく影響を受ける。山梨の気候を語るなら、県境を囲む山々がポイントになる。西の南アルプスから八ヶ岳、奥秩父、奥多摩、大菩薩、丹沢、そして富士山。「天気は西から」となれば、3000㍍級の南アルプスは、風や雲にとってまさに屏風のような“障害物”。富士山とともに山梨の天気を支配するのが南アルプスだ。風下の甲府盆地は風が乾き、空気は澄む。山々に降った雨は山体に濾されて澄んだ水をもたらす。山梨の気候を特徴付ける地形を普通に語れば、こうした長々とした説明になる。しかし「水澄みて四方に関ある甲斐の国」。このわずか十七音で、それが十分に伝わってくる。

 「山起伏して乱れなき大暑かな」。ジリジリとした猛暑に耐える山々や盆地とその底にいる我々。暑さが十分に伝わってくる。「去るものは去りまた充ちて秋の空」。去るものは自由に思い浮かべることができるが、雲を思えば、巻積雲が流れゆく真っ青な盆地の空が目に浮かんでくる。くどくどと説明しないで、考え抜かれた言葉で簡潔に伝える。俳句に学ぶところは大きい。ん!…、ここまで長い「ひとりごと」を書いたことを、まず反省しなければならないか。


Facebook竹元 久了さん投稿記事 🌷日本人の性格形成と風土とは 和辻 哲郎(わつじ てつろう)

日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、文化勲章受賞

一部抜粋

★風土

環境として性格に大きな影響を与えるものの一つとして風土があります。

風土とは地理・産物・気候等自然の状態をいうのであるが、日本列島は北は北海道から南は沖縄まで、23000㎞の列島である。

随って北の国は寒い様相を呈してを呈しているのに、南の国は熱帯性気候とあるというように風に、寒冷・温帯・熱帯の夫々の風土をことにしている。

そこには必然的に、寒い国に育った者と熱い国に育った者とでは風俗・習慣・言語を異にする結果となる。

これ等生活の重要な要素が異にすれば性格又自ら異なるところ大なるものがあるのは当然のことであろう。

しかし今日のように、交通機関が発達し、情報社会が多様化するに及んでは、東西遠隔の地といえども、居ながら通信し、東の国からの西の国に数時間を待たずして移動できる現状に至っては、寒帯育ちも熱帯育ちも混在して住居を構える事となる。

随って都市生活においては、様々な性格者が隣り合わせでいる

一体日本人は寒冷的性格なのか、それとも熱帯的性格なのかと考察しょうとしても容易に裁断し得ないのである。

●東北日本型・西南日本型

古くから日本人の性格を捉えようとすれば、東北型人間か、西南型日本人なのか類別して考察する必要がある。

寒い地域の風土性と熱い地域の風土性とが大きく影響している筈である。ここではその論究は止めることにして本論を進めることにしょう。

★都市型と農村型

都市に住む住民と、農村に住む住民とは、自らにして生活様式も異なり、性格も異なってくる。

都市型住民の人間関係は砂集団であり、農村型の住民のそれは粘土と総括できよう。

農村社会に他の地域から入り込んで住むということは中々困難で、たやすく入り込み得るものではない。

そこには古くから人間関係組織が複雑多岐にできあがっていて、上下の.縦型社会が成立し、その枠組みに位置するの容易ではないのである。

すなわち、粘土のかたまりという意味なのである。

これに反し、都市型は、人間関係が砂のように固まらずサラッとしている。

隣は誰が住む人ぞ、という位で、隣家の事等別に気にもかけないという気風がある。ある県の都市では、昔は農村型であったのに、急に人口が増加し、各地からの移住者が増えて、都市的傾向を帯びたところでは、何かの話し合いをする場合でも、農村型の昔のタイプと都市型の市民性を持つ人達と意見の食い違いがくっきりとでてくるのである。

この様な土地では農村型の粘土性格と都市型の砂的性格が入り混じって、統一が難しいのである。内と外の区別をつけ、近隣社会の交際を密にするよりも、することはその逆で、疎遠にして、内の者だけで固まりたいのである。

近隣社会の子供会に入るよりも、内の者だけで出かける方が楽しいのである。

即ち砂でありたいと思っている。町内の人達と運動会にでかける

よりも、家族だけでピクニック等にでかけた方が良いのである。

ところが農村型はそうではない。日本は元々古代から農耕(農村)社会であり、農耕文化が日本の基礎を築いた。又、隣人同志が交わり、和の循環型社会を築いていった。それが今日の氏神様中心のお祭をみんなで楽しんだり、伝統的な地域の行事となり熱中するようになった。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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