http://blog.livedoor.jp/k12345kk-12345678910/archives/18283061.html 【カタカムナ第七十・七十一首(相似象学会誌第16号より)】より
第七十首「アナ ウツシ ワタ ツミ アナ ユツ チハ ウツシ ワタ ツミ チハ ヨミツ カム アマ ミチ ハヒ ウツシ ワタ カエシ ミチ チハ ハマ トヨ チハ ウツシ カエシ カム ナガラ チハ ヨミツ」の解説
「アナからウツシされたワタツミ(細胞レベルの微粒子は)、アナのユツ(四相を以て発生した個々粒子であり)、チハ(アナからの発生が持続された正・反の場に)ウツシされたワタツミは、チハ(新しく分化発生したチハの)ヨミツ(四相をもつ「ミ」の個々粒子である)。カムがアマに出たミのチ(持続が)ハヒ(正・反の「ヒ」として)ウツシされ、ワからタ(独立的に出て)、カエシされたミのチ(持続となり)、チハ(持続された正・反は)、ハマ(正・反の「マ」の)トヨ(重合四相の)チハ(持続された正・反の場として)ウツシされてカエシされ、カムナガラのチハ(持続された正・反の場の)ヨミツ(四相をもつ「ミ」の個々粒子となるのである)。」
「ワタ ツミ」とは、「全体の「ワ」から独立的に出た(タ)個々粒子(ツ)の「ミ」」という思念で、具体的に言えば、精子と卵子の重合した受精卵は、一つの「ワ」であり、その「ワ」の核(アマナ)(アナ~ウ)から、独立的に(タ)出た個々粒子(ツ)の「ミ」と言えば、細胞レベルの粒子(ツ)の実質(ミ)のことである、と考えられるのである。
現象界に発生した(宇宙に存在する)あらゆる(ヨロヅ)モノは、皆、正・反、四相性をもつ、というのが、カタカムナの「トヨ」(重合四相)の物理である。
「アナ ウツシ」の「アナ ユツ」の「ワタ ツミ」と「チハ ウツシ」の「チハ ヨミツ」の「ワタ ツミ」は、いずれも「ワタ ツミ」とよばれる細胞レベルの粒子であるが、(具体的にいえば、「アナ ユツ」は桑実胚の細胞、「チハ ヨミツ」は胎児の全身の器官の細胞であるから)、「チハ ウツシ」の方が、その細胞の分化のレベルが上位の細胞集団であると考えられる。
我々の生命の発生は、受精卵の単細胞の「アナウツシ」からはじまり(ハジマリ)、「アナ ユツ」となり、その場が持続(チ)されて「チハ ウツシ」の「チハ ヨミツ」となり、その「カム アマ」の「ミチ」が、「ハヒ ウツシ ワタ カエシ」と繰り返されて(ミチチハ)、「ハマ トヨ」「チハ ウツシ カエシ」となり、「カム ナガラ」の「チハ ヨミツ」になるという、実に、スジの通った、生命発生の相似象である。
第七十一首「ウチムシ イキ カエシ ワク ウツシ ホギ アナ フト アマ ヤマト カム ナガラ ウツシ ヨミ ワケ ヤホ ヤタ トメ フミ ナギ ワタ サキ アメ カム アマ オキ ツ サキ シマ ウシ」の解説
「ウチムシ(潜象界面に於いて持続的に立体化して示された「ウチムシ」は)、イキ(「イ」の電気粒子として発生し)カエシ(カムから枝分かれしてふえて発生が示されて)、ワク(「ワ」から自由にワクをむすんで)ウツシ(潜象界面から個々粒子として示されて)ホギ(正・反親和して発生したものである)。アナのフト(二つの重合発生の)アマがヤマト(極限飽和安定になるまで重合し)、カムがナガラ(何回も何兆回も潜象からあらわれることによって)ウツシ(潜象界面に於いて現象粒子として示されて)ヨミ(四相をもつ「ミ」として)ワケ(アマのワから変化性を以て正・反に発生し)、ヤホ(極限まで正・反親和重合して)ヤタ(極限まで独立的に出て)トメ(重合発生して定着したものであり)、フミ(二つの「ミ」)のナギ(何回も発生を繰り返した粒子が)ワタ(カムのワから独立的に出て)サキ(カムからサカレて発生した)アメのカム アマ(カムがアマになったものとして)オキ(六方環境から発生した)ツ(個々粒子となって)サキ(カムの「サ」によって発生した)ツマ(示された「マ」の)ウシ(潜象界面に示されたものである)。」
「ウチムシ」は、動物(人間)が発生して、成熟した形態(カタチ)になる前段階の、発生の最も初期の状態で、昆虫でいえば「蛆」かもしれぬが、人間でいえば、三~五週胎児の五ミリメートル足らずの状態が、カタカムナ人の「ウチムシ」に当るのではないかと考えられる。
電子・原子・分子・細胞等の現象粒子は、すべて、「カ」の変遷(ウツシ)の「ヒ フ ミ」のマリの重合発生(カエシ)された「イ」の集合したものであるという物理である。
生命の発生は、カムのチカラの親和重合(ホ)(フトマニ)によって、ヒ フ ミの「イ」の粒子(マリ)としてウツシ、カエシされるという意味である。
「フト」とは、「二つの(フ)ものが重合(ト)すること」であり、「「フト」すれば「アマ」(新しい生命(マ))が発生する(二)」というのが、カタカムナ人の発見した生命発生の根本原理(フトマニ)である。
「イキ カエシ ワク ウツシ ホギ」の「アナ フト アマ ヤマト」の「ウチムシ」は、単細胞(受精卵)のハジマリから、「カム」の何回も何兆回ものカカワリ(ナガラ)によってカムから変遷(ウツシ)して、(将来の胎児となるべく)、四相性(ヨミ)をもつ細胞(ワタツミ)に分化(ワケ)して、(将来の生命体の臓器・器官のすべてをつくる六十兆の細胞となるべく)、極限(ヤ)まで「ホ」(カムの親和重合)され、極限(ヤ)まで「タ」(分化・発達して発生)して、現実の生命体として定着(トメ)する、という意味である。
現象界の万物万象(アキカタ)は、「ヤハ マカシ」であり、その現象粒子(アキカタ)の「二つ(フ)のマリ」は、「個々(ツツ)粒子の(ウミ)「ミ」の(ノ)「アナ」の四相(トヨ)をもつ「フツ」の「フミ」の正・反(ハ)のマリ」である、ということは、その「二つ(フ)の「ミ」の正・反(ハ)のマリ」とは、精子と卵子の正・反(ハ)であり、「ツ ツ ウミ ノ アナ」の「トヨ フツ フミ ハマリ」とは、「遺伝子(ミカハヤヒ)」(核(アナ)の「ミ」)のことと考えられるのである。
要するに、この第七十一首は、「「ウチムシ」の生命(イキ)が、一個の受精卵からはじまり、カムから「カエシ」されるごとに、次々と(ツギツギ)「ウツシ」され、カムの親和(ホ)によって続々と(ゾクゾク)発生(ギ)し、核(アナ)の重合発生(フトアマ)が「ヤマト」になるまでカムの何回も何兆回もの(ナガラ)カカワリによって、次々と変遷(ウツシ)し、さかんに分化(ヨミワケ)して、極限(ヤ)まで親和(ホ)され、極限(ヤ)まで独立的に(タ)発生し、現象の生命体として定着(トメ)される。そして二つの卵子・精子の「ハマリ」の二つの(フ)「ミ」の粒子(ナギ)が、アマからサカレたアメ(ワタサキ)の「カム アマ」(核(アナ)の中の遺伝子(ミカヒ)の「ミ」)として、生れ出る新生児(オキツ)の生命体(サキシマ)の「ウ」(潜象界面)に示される(シ)」という意味である。
カタカムナ人は、「生命」というものを、我々現代人のように生物と無生物とに区別せず、生命の発生は、すべて二つの「ミ」の「フトマニ」によると、考へていたことが、ハッキリとわかってくる。
カタカムナ人は、あらゆる「生命現象」も「精神現象」も「物質現象」も、すべて、生命の発生は「フトマニ」ならざるは無い、ということを大きく直観し、「ヤハ マカシ」以降のウタをつくってこのように説明していたのだ。
「二つ(フ)の「ミ」の重合(ト)」によって発生した「新しい生命(マニ)」のことを、カタカムナ人は、「アメ」とし、カムから「ソレツミ」が発生する状態を「アメノ セヲ キネ」といっているのだ。
つまり、生命の発生の最初(ハシマリ)の粒子は「アメ」であった、そして「アメノ セヲ キネ」で「ヒ フ ミ」のマリとして発生する、それを「ソレツミ」といったのだ。
「アメ」から、重合発生(フトマニ)を繰り返すたびごとに、次々と一段階・一段階上の粒子(細胞~ワタツミ)の発生となり、「アキ タマ コメ」「ヒトヨ ヤシ アナミ ワク」と進行して「アナミ コロ」つまり核(アマナ)の「ミ」の遺伝子(ミカハヤビ)の発生となり、更に「ユツ」「ヨミツ」「ハマ トヨ」と新しい生命の発生をつづけて「ウチムシ」の「ウツシ ホギ」に至ると読みつけることが出来てきた。
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